小谷城戦後処理
今、小谷城下での六角陣幕の中にいる。
浅井新九郎賢政を討ち取ってから既に一日が経過していた。浅井敗残兵の大多数が討たれて行く中、残った将は小谷城へと引き上げた。正直、浅井新九郎賢政を討ったとはいえ、まだ小谷城には先代である浅井久政が残っている。若い当主への代替わりをしてはいるが、実権を父が握っていても可笑しくはない。つい先日までの六角家のように久政がしっかりと権力を握っていれば、まだまだ士気は旺盛と見ても良いだろう。
小谷城を取り囲み、いつでも攻め入れるように準備を進める中、城へ降伏勧告の使者も送り続ける。城への力攻めとなれば、六角家の将兵にも多くの犠牲を伴わなければならない。今後の事も考えれば、それは得策ではないと考えていた。
ただ、浅井賢政討ち死にの報を受けた朝倉右兵衛尉景隆は、対峙する六角勢に一当てする事もなく、峠を通り、越前との国境を越えて行った。対峙していた父承禎入道は、恭順して来ていた余呉氏の領土を安堵し、国境を任せて、今はこの小谷城へと向かっている。
「御屋形様、小谷城より使者が参りました」
「そうか。会おう」
使者の来訪を告げる後藤但馬守の表情が硬い。何やら物々しい雰囲気を醸し出しているのを見るに、碌な使者ではないのだろう。使者と偽っての刺客か、徹底抗戦の宣言を持った使者なのか。
「浅井家臣、遠藤喜右衛門直経と申します」
ああ、何となく但馬守の表情が硬かった理由が分かった。目の前に座るこの男、とてもではないが降伏を求めに来たような眼ではない。未だに六角へ敵愾心をむき出しにし、隙あらば、俺を討とうと考えているような空気を纏っている。
溜息が出る。気持ちはわかる。主君を討たれたのだ。仇討ちと意気込む気持ちは分かる。分かるのではあるが、この遠藤何某の意図が分からないし、この場に使者としてこのような輩を送り込んできた浅井左兵衛尉久政の頭の中が理解出来ない。
「とても使者の顔をしておらんな。この場で俺を討つつもりか?」
「そのような事は…」
「ふぅ。主を失い、仇を討つのが忠義なのか? 俺を討とうが六角は崩れぬぞ? 父承禎入道は健在で、歳は若いが弟もおる。代わりに浅井一党は、家臣諸共族滅の末路を辿るぞ?」
俺の前の床几に腰かけていた男が、素早い動きで地べたに伏した。急に動いた事で俺と遠藤の間に家臣達が入り込み、今にも遠藤を抑え込もうと囲み込む。
そんな家臣たちの動きにも微動だにせず、遠藤喜右衛門は平伏したままだ。手を上げて家臣達を元の場所に戻し、浮かしかけた腰を床几に戻した俺は、再度口を開く。
「何を希う。そのままでは分からん。申せ!」
「畏れながら申し上げます。浅井家へのご温情を賜りたく!」
「ならぬ!」
何となく言いたい事は解っていたが、それを聞き入れる訳には行かない。
浅井は明確に六角を侮り、離反した。今までも北近江三郡を領有する事を認めていた事自体が可笑しいのだ。それは京極家という守護の領分であり、本来浅井家の物ではない。それを認めていた事が六角家の落ち度であろう。
だが、明確に離反し、六角が斡旋した嫁さえも送り返した。これは六角の面目も潰し、敵対を示した事と同意である。そこまでした以上、一族の存亡をかけて戦うべきであるし、いざ負けたら命乞いというのは、余りにも虫が良すぎるという物だ。
「しかしながら、当主であった新九郎賢政様は討ち死に致しました。城内には先代である左兵衛尉様と元服前の御子しかおりませぬ」
「たわけが。その左兵衛尉久政こそが全ての元凶であろう。腹に我が子を宿した正室を六角に人質として送るような男であるぞ。そのような者を生かしておく事こそ、六角の災いとなろう」
「右衛門督様のお怒りは御尤も。しかし、そこを伏して願い申し上げます」
再び平伏した遠藤に対し、この場にいた若い将達から罵倒が飛ぶ。宿老達は厳しい目で遠藤を睨みつけながらも口を開く事がない。やはり、六角にこの者ありと云われた者達である。当主である俺が相対している。ここで口を開く事は当主の邪魔をしているという認識が出来ているのだろう。
俺が黙ったまま目を瞑って腕を組んでいると、調子に乗った若者たちが次々と声を上げて行く。次第に声量も大きくなってきたが、それでも遠藤は伏して顔を地面につけたままであった。
「黙れぇぇぇぇぇ!」
腹に力を込め、周囲に響くように声を出す。この時代の人間は戦場でも声が通るように訓練でもしているのかと思う程、声が良く通る。現世と異なり、音を遮る建物などがない為なのか、大気の震えを感じる程である。
俺の大音量が轟き、今まで囀っていた若武者達が一斉に口を噤んだ。周囲をぐるりと一睨みすると、声を上げていたであろう者達は視線を逸らしたり、俯いたりと様々であった。
「何度も言うが、その方の願いは通らぬ。浅井左兵衛尉久政とその一族の命を持って、将兵達は見逃す」
「…幼子や女子もおります」
「喜右衛門、その方も自身がどれ程無茶な事を申しておるか分かっておろう。後の世の禍根を敢えて残せというのか? 六角への恨みを敢えて残せと? ここは戦国の世ぞ。命が惜しくば、武士など辞め、畑を耕しておれば良かったのだ。因果応報であろう」
伏したまま動かなくなった遠藤の姿に、俺の側近たちの身体にも再度緊張が走る。いつでも俺との間に入れるように腰に手を掛け、半歩利き足を引いている。
うむ。側近たちの出来は良いな。
「小谷城へ帰り、左兵衛尉久政に告げよ。浅井家の領地は没収。左兵衛尉久政、五郎兵衛亮親は腹を切れ。その他の子と室共は出家を許す。但し、次男に関しては、六角の為に働くのであれば、浅井姓を許し、側仕えを許そう」
「お、御屋形様」
「先の世での禍根を残しますぞ」
俺の決断に家臣達が異を唱える。
流石に浅井を許すという事は、家臣の立場でも許される事ではないのだろう。後の世に禍根を残し、六角への恨みも残る。誰がどう見ても、浅井の血脈を残す事は百害あって一利なしであった。
いくら出家したとしても生きていれば火種になる。いくら本人達にその気がなかったとしても、旧家臣達に還俗させられ、担ぎ上げられて反乱の旗頭になるだろう。だが、逆に主君の血族を生かす事によって、旧臣達の動きを抑えるという事もあり得るのだ。
「喜右衛門、その方の浅井への忠義に俺が応えられるのはここまでだ。浅井家臣達の追い腹は許すが、残る子らの事も考えよ」
「…ご温情、有難く存じまする」
浅井長政の下の弟である浅井政元も生かしておき、側仕えとして使いたいが、この時点で年齢も十二となり、自我もしっかりしている筈。六角への恨みを募らせ、反乱を起こす可能性もある。だが、浅井旧臣達を残すためにも、そして後世でその評価も高い次男政元を六角家臣として使える可能性があるのなら、それに掛けたい。
俺の答えに対し、不敬とは知りながらも顔を上げて目を見開いたまま固まっていた遠藤喜右衛門は、俺の再度の言葉に慌てたように平伏した。この様子であれば、反乱の旗頭として次男を担ぎ上げる事はなさそうだが、警戒はしておくべきだろう。
なんだかんだで、まだまだ現代人の感覚が抜け切れない俺の甘さなのかもしれない。
その後、小谷城へ戻った遠藤喜右衛門が城内の説得をしたのだろう。浅井左兵衛尉久政を始め、一門衆の五郎兵衛亮親は腹を切り、家臣赤尾清綱も追い腹を切り、果てた。久政の娘と三男は久政の側室達に連れられ、城外に出て来た。その際に護衛として遠藤直経、海北綱親も城外へ出て来る。
久政の正室であり、賢政の母である小野の方は、久政と共に死した。十七で子を身籠り、身重にも拘らず六角に人質として出されたのに、それでも夫と共に死するという行為に、俺は少し吐き気がした。それが小野の方の本当の意思だったのか、『女子とはこうあるべき』という戦国の世の教えに忠実だったのかは分からない。だが、俺には理解が出来なかった。
「お初にお目に掛かります。先日元服を済ませ、浅井与次郎政元と申します」
「うむ。六角右衛門督弼頼だ」
久政の側室達と娘は早々に下がらせ、目の前に座るまだ少年と言って良い子供だけ残した。この人物が史実では浅井長政の参謀役と云われた浅井久政の次男である。未だ十二という若さであるが、しっかりとした意思を持つ目を持っていた。
これは危険な賭けをしてしまったかもしれないという気持ちがなかったとは言わない。だが、賽は振られてしまったし、後悔は先に立たない。
「此度のご温情により、右衛門督様を御屋形様と仰ぎ、お仕えさせて頂ける事、御礼申し上げます」
「その方の父、兄らの死が、世の習いとは言わぬ。ただ、浅井も六角を喰ろうて大きくなろうとしたのだ。逆に喰われる事もあろう。恨みを捨てよとも言わぬ。だが、その方が恨みに囚われれば、その方の命を縮め、浅井の血脈も絶たれる事となる」
「はっ。承知しております。以後は、御屋形様の旗の下、浅井の家を残して行く事にこの身を費やしまする」
「解っておるならば良い。だが、その方はこの右衛門督の側仕えを命じる。浅井政元として城を与えられるように励め。遠藤、海北、両名共に領地は没収。俺の直臣として暫し禄は与えるが、早くその方の家臣として召し抱えられるように気張るが良い」
「ははっ」
周囲の六角家臣の目が若干冷ややかである。『甘すぎる』とでも言いたいのかもしれない。だが、何でもかんでも殺せば良いという物でもない。
正直、今までの六角家の体制では近江一国が限界であろう。大きくなればなる程に六角の力は弱くなり、内側から喰われて行く筈だ。三好のように一門衆の力がある訳ではない。一門衆はいるにはいるが、宿老達よりも発言権は低く、権力も弱い。それ故に、新たに国を獲ったとしても、そこもまた小さな国人衆の集まりとなれば、突かれれば脆く崩れてしまうのだ。
新たな一族を加え、家臣として従え、そして統治をして行かなければ、とてもではないが、この戦国六十八カ国を治める事など出来はしない。六十八カ国とは言うが、東北地方を出羽と陸奥の二カ国としているからであって、明治に入って分割された七カ国とするならば、七十三カ国となる。気が遠くなる作業だ。とてもではないが、俺一代で統一出来るとは思えない。
「論功行賞は、観音寺に戻り次第とする。それまでは小谷城代を蒲生左兵衛大夫とする。小谷落城前に恭順した者達は本領を安堵する。だが、その者達には、新たに築く塩津浜の城の費用負担を命じる」
「御屋形様、現在既に二城を築城中ですが…」
「磯山城は既に完成をしている。今津城は清水山城の廃材を多く利用しており、田屋からも人手を出して貰っておる。塩津浜を湖北衆が担ってくれれば、問題はなかろう。塩津浜に城が出来れば、今浜にも城を築く。淡海を四つに結ぶのだ。物の流れは淡海を通して進み、それを受けて、近江国全体が潤う」
「塩津、今津、今浜、磯山に船が泊れば、その周辺の宿場は栄えまするな」
「そうだ。そこに船木、観音寺麓の栗見が加われば、淡海は船で埋まるぞ! 宿場だけではなく、今後近江の街道も整備して行く。道を整備し、野盗を潰せば、商人達は陸路でも進める。楽しくならぬか?」
いかん。知らず知らずに熱が入り過ぎた。皆への問いかけをした俺を見る目が両極端である事に今更ながらに気付いてしまう。
内政に明るい者達からすれば、俺の言っている事が夢物語ではなく、限りなく現実に近い未来である事に気付いているが、そうでない者達からすると、当主が訳の分からん事を熱弁しているとしか映っていないのだろう。
「ふふふ。御屋形様がお変わりになられた理由が某にも理解が出来ました。御屋形様はこの近江の行く末がしっかりとお見えになられたのですな。その場所へ共に我らを連れて行って頂ける事、この下野守、有難く存じます」
この空気をどうしようと内心慌て始めた時、横に控えていた蒲生下野守定秀が口を開いた。その顔はとても柔和で、どこか晴れやか。その心の内は見えずとも、彼が何かを決心した事だけは解った。
主君である者に対して、『変わった』というのは不敬である。それが良い方向へ変わったのだとしても、それは言外に『変わる前は酷かった』という事と同意だからだ。それでもそれを口にしたという事は、彼の中で何かのふんぎりを付けたかったのかもしれない。
「いやいや、此度の戦で御屋形様からお借り致した種子島然り、最早我らの時代ではなくなったのだと痛感致しました。そして、御屋形様の語った近江の新しき姿。雲光寺様と交わした近江の未来を超えるその姿に、不覚にも某、感極まってござる。倅への城代の任は、良い機会と捉え、後進へと道を譲りたく存じまする」
和やかになった空気を、この爺、再び壊しやがった。驚いてその顔を見れば、まるで悪戯でも成功した悪餓鬼のように晴れやかな笑顔を浮かべていやがる。腹が立つな。
周囲の家臣達は騒然とし、徐々に騒がしくなり始める。宿老の一角が隠居を仄めかしたのだ。しかも戦勝の直後に。
「たわけ! その方の楽隠居など認めるか! その方も父上と同様に、俺の相談役として死ぬまで扱き使ってくれるわ!」
「ぶふっ」
俺の中の六角義治の精神が短気を起こす。だが、それが子供の癇癪のようになってしまい、緊迫した空気が一気に緩和し、下野守の横に座っていた後藤但馬守が吹き出したのをきっかけに、皆が笑い声を上げ始めた。
「下野守殿、大変でございますな。我ら六宿老、皆々御屋形様に死ぬまで扱き使われますぞ」
「然り然り、大殿でさえ扱き使われるのです。我らなど、足腰立たぬまで馬車馬のように働かねば」
但馬守の発言に、目賀田摂津守も便乗する。それを受けた下野守が大げさに天を仰いだ姿に、一同の笑い声が一際大きくなった。最早、浅井の処遇にあれこれと不満を漏らしていた空気など霧散しており、浅井から降った者達まで笑い声を上げている。
場は和やかだが、俺はどこか釈然としない怒りを感じる。別に嘲笑われている訳でもなく、侮蔑されている訳でもない。だが、何処か子ども扱いを受けたような気がして、苛立つのだ。
「これにて、この場は終了する! 論功行賞は観音寺でだ! お主ら覚えていろよ!」
「わははっはは」
悔しくなって床几から立ち上がり、飛び出すように陣幕を出る。その後ろから新たに吹き出した笑い声が背に降りかかる。
嘲笑ではない。寧ろ、主君として認められたが故の笑いなのだろう。軽んじられる訳にはいかないが、現代人の意識が残っている俺には、後世に残る織田信長のような恐怖政治は出来ない。まあ、あれも後世の誇張の入った逸話であり、本当の信長は情の深い人だったという説もあるが…。
線を引くところは引き、それ以外は多少緩んでいても良いだろう。新たな六角家を作っていくのだ。
「御屋形様、大殿をお待ち申し上げずに宜しいのですか?」
「ふむ。父上には此度朝倉への対処をお願いした故な…。待たねばならぬか」
陣幕は出たが、馬に乗って観音寺へ走る訳にも行かない。側近である木村筑後守の問いかけに、思わず唸ってしまう。あれだけ勢い良く陣幕を飛び出したにもかかわらず、再び戻る訳にもいかず、ぼんやりと琵琶湖の方へと視線を向ける。
この時代は高い建物がない為、この場所でも琵琶湖は見え、最早海のようにしか見えない。家臣達の前では『淡海』と称してはいるが、やはり琵琶湖という方がしっくり来るな。しかし、本当にこれは潮風のない海そのものだな。向こう岸など見えないし、船も浮かんでいる。陽の光に照らされ、キラキラと輝く湖面は、本当に神秘的であった。
「近江全体が六角の物となった。お爺様も喜んでくれようか」
どれだけ湖面を眺めていただろう。無意識に口にした言葉は俺の言葉であったのだろうか。俺の心の奥深くにある、六角義治の物であったのかもしれない。誰に問いかけるでもないそんな呟きが光る湖面に吸い込まれて行く。
「勿論だ。今頃父上は諸手を上げて喜んでおろう。『四郎、ようやった。流石は儂の孫じゃ!』とでも叫んでおるかもしれぬな」
「ち、父上、お戻りでしたか!?」
いつの間にか後ろに立っていた男は、父承禎入道である。頭を剃り上げ、髭なども剃り、本当の坊主のような姿で甲冑を着込んでいる姿は異様であるが、その顔に浮かぶ表情はとても柔和な物であった。
俺の横に立ち、琵琶湖へと視線を向けた父親の眼は、うっすら濡れており、それを誤魔化すように、目を細める。
「生来、何度となくこの淡海を見て来たが、今日ほど美しいと感じた事はない。其方のお陰で、西からの淡海、北からの淡海、そして東からの淡海も見る事ができた。近江とはこれ程に広い国であったのかと改めて驚かされたわ」
「それでも七十ある国の一つです」
「ん? ふははははは! そうよな。この近江のような国が日ノ本には七十もあるのか」
本当は感動している父親に水を差すべきではないと分かっている。だが、何となく口にしてしまった。それでも、承禎入道は大声で笑い、まるで果てない遠くを眺めるように空へと視線を向ける。
「下野守の隠居を突き返したらしいの? 其方の夢に付き合う我ら老人は、骨が折れるのう」
「老人などと…。父上はまだ四十にも届いておりませぬぞ。『人間五十年』と云えども、まだ十年以上もございます」
「たはははははは! 誠に扱き使う気でおるのだな!? 頼もしい限りよ」
一頻り笑った後で、承禎入道が表情を引き締める。暫しの無言が続く中、親子揃って暮れていく琵琶湖を眺めていた。
「悔しいのぉ。儂には近江統一など考える事さえも出来なかった。江北には浅井がおり、高島郡は独立意識が強い。更には堅田の一向宗に、比叡山の僧兵。儂には南近江を維持する事が精一杯であった」
「私も堅田の一向宗と比叡山には頭を悩ませております」
「そうか、其方も同じか。だが、猿夜叉が平井の娘を送り返したあの日から、僅か一年で、其方は高島郡を平定し、京極までも従わせ、そして浅井を滅ぼした。驚きと喜びと同じく、いやそれ以上に悔しさがある。儂の十年余は何であったのだろうと…」
その瞳には憐憫の色がある。それは他者への感情ではなく、己に向けた感情なのだろう。六角義賢という武将を憐れむ。それは現代で歴史の全貌を知る事が出来ていた俺にとっては許容出来ない物だ。
管領代を担い、京を動かすほどの力を持っていた六角定頼を父に持ち、その死を持って正式に家督を継いだのが1552年。そして、子である六角義治に家督を譲ったのが1557年。この承禎入道は実質5年しか六角家当主としてその座に座ってはいないのだ。
だが、その能力がないとは思わない。定頼の晩年は共同統治を行っていたし、義治に家督を譲った後も実権は握っていた。何度戦で敗れても、統治を崩すことなく、大国三好と互角に渡り合い、三好と対抗出来るのは六角だけであったのだ。
「父上がおられたからこそ、今があるのです。私は偉大な父が安定させていた南近江という基盤と、掌握していた家臣達がいたからこそ、近江を統一出来たのです。そのような悲しい事を言わないでくだされ。私は、雲光寺様よりも父上を尊敬しております。父上より武士とは何かを学んでおりまする」
織田信長の上洛に抗い敗れ、観音寺城を奪われても甲賀に逃げ、何度となく織田家を責め立て、織田に和睦を決断させるほどに追い詰めた承禎入道を尊敬している。落城する城から何度も逃げ延びてはいるが、それでも彼の下には何度も家臣達が付いて来ている。結局豊臣の天下を見届け、秀吉と同年に死去するまで生き続けたのだ。それは、この時代に生きる者達として、生を全うしたと言っても過言ではないだろう。
「父親を泣かすでないわ…」
横から鼻を啜る音が聞こえてくる。いや、横からだけではないな。後ろからも聞こえてきている。側近たちや父の家臣達も聞いていたのだろう。
「儂の十年余も無駄ではなかったか…」
一人噛みしめるように言葉を漏らし、暫し天を仰ぐ。涙が零れないように上を向いているのかもしれないが、それを指摘するのは野暮というものだろう。
だが、この後の言葉は俺の予想の遥か斜めに飛んで行った。
「塩津浜に城を築くと聞いた。儂の隠居城は塩津浜にしてもらおうかの。近江の北と南で六角がおれば安定するのではないか?」
「むしろ六角が荒れまする。父上を扱き使うとは言ってしまいましたが、私が父上を邪険にし、外へ放り出したと思われかねませぬ。それに江北に親族を置けば、佐々木一族の二の舞になります」
慌てて否定すれば、この爺も意地悪そうな笑みを浮かべる。本気ではなかったのだな。年の功なのか、先程の蒲生下野守といい、この坊主といい、腹の立つ。
「磯山、今津、塩津浜の城代、城主はまだ其方の中で固まっておらぬのだな。ならば、観音寺までの道のりでゆるりと考えようぞ。最終的に決定するのは其方であるが、相談役として意見を述べねばな」
十五、六の若造に『扱き使ってやる』と言われた事への意趣返しなのか、中々に底意地の悪い嫌味を言いやがる。先程までの影響で潤んだ眦をそのままに笑う承禎入道の顔が何とも憎らしい。悔し紛れに鼻を鳴らすと、笑い声まで発する始末。
ふむ。実際に塩津浜に送るのも有りかもしれん。
そこから今浜辺りまで移動をして一泊し、観音寺まで戻る道中で、六角家中の配置を承禎入道と共に考え、何度も突合せを行った。