小谷城
年が明け、永禄3年に入った。西暦で言えば1560年。有名な桶狭間の戦いがあった年であり、織田家が飛躍的に拡大する始まりの年となる。この年の桶狭間を機に完全に統一された尾張は信長の元で一つとなり、美濃へと繋がっていく。
その後永禄の変の後、足利義昭を奉じて上洛する信長と争った六角親子は、観音寺城を捨てて甲賀に逃げるのだが、逃げた当主などが返り咲ける程にこの戦国の時代は甘くない。最終的に六角義治は豊臣秀吉の御伽衆になるのだが、名門意識の強かった筈の人間が、農民出身の秀吉に捨扶持を与えられて晩年を過ごすのだ。その時の心境までは解らないが、盛者必衰の理を感じる。
逃げ出した当主で思い出したが、結局高島越中守は、六角の手によって滅ぼされた。事の顛末は極めて簡単である。足利義輝の命で清水山城を高島越中守に明け渡した六角家は、そのまま船木城を改築し、城下町の整備を行い、港を強化していく。逆に荒廃している清水山城周辺の復興の為、城に戻った越中守とその家臣達は重税を農民たちに課していく。
正直、重税と言っても、それまでの税に比べれば少し上がった程度なのだろうが、六公四民などでも良い地域であった時代、五公五民など余りなかった筈。懸命に作っても半分以上が年貢で持って行かれるのに、一割未満でも上がってしまえば、農民たちは干上がってしまうのだ。そうなれば、残された選択肢は離散である。
城下の村々で人がいなくなり、開発途上の船木方面に人が流れる。もしくは、場所はそのままでも年貢を払う相手を高島ではなく、平井加賀守家に変えてしまう村も多かった。そして、その上で俺が指示を出した今津城の築城である。そして、例の如く三雲対馬守に動いてもらった。『今津に城が出来れば、清水山城など袋の鼠。物の流れも止められて干上がるだろう』という噂を流しに流した。
進退窮った高島越中守は、縄張り中の今津城へ兵を向けた。作業していた人間達に被害を及ぼし、縄張り中の作業場に火を放ったのだ。
既に六角の調停によって、三好との和睦も成立させて京都へ戻っていた足利義輝に向け、六角家として文を送った。『高島越中守が、六角家が築城中の城への攻撃を行ったが、これは幕府の指示なのか』という内容だ。高島家が清水山に戻ったのは幕府からの命である事は近江周辺では周知の事実である。故に、その高島家が六角の築城予定地へ攻撃を仕掛けたとなれば、それは幕府と六角の対立なのかと考えるのが当然であり、管領代家として忠義を尽くしてきた六角家への攻撃の命じたとなれば、幕府の信用も地に落ちる。
その為、幕府側からの返答は『与り知らぬ事である』という物であった。そこで六角家として、高島家への報復活動を行う事となった。今度は逃げる事を許さず、田屋家にも出陣の命を出し、四方から挟むように清水山を囲う。最後には、降伏の使者を出して来る越中守に高島家一族の命を持って将兵達は助ける旨を返答。
余程駄々を捏ねたのか、最後は家臣達に無理やり腹を切らされたようで、苦悶と恨みの籠った表情の首が平井加賀守の元へ届き、家族も同様に殺され、高島家は断絶した。
田屋家にはこの功を持って、長法寺周辺の土地を恩賞として与え、今津の北側の守備を任せる事とした。
「御屋形様、此度の儀、誠に申し訳ございませぬ」
「儂も事を急ぎ過ぎた。加賀守の長年の功績に応えたかったのだが、それが加賀守を苦しめる事になってしまうとは…。やはり儂はまだまだ愚か者のままだな」
今は観音寺城の広間で加賀守の含めた宿老達との謁見を行っていた。何の話かというと、先頃の平井加賀守の娘との婚儀の話である。やはりあの後宿老達は加賀守のいる館を訪ね、娘との婚儀について側室の申し入れをするように説得を行ったようだ。
加賀守も、船木の加増を受けた後で考えていたようであり、宿老達の話を尤もと受け止め、高島郡が落ち着いた頃を見計らって、正室ではなく側室での輿入れを願い出て来たという訳だ。
「そ、そのような事はございませぬ。此度の佐和山攻め、高島郡の平定。全て偏に御屋形様のお力にございます。この加賀守、敬服致しておりまする」
「側室といえども、儂の妻である事に変わりはない。終生大事にする事をこの場にて誓おう。武運拙くこの身滅びようとも、その方の娘だけは救う為に心血を注ごう」
「御屋形様、滅多な事を申されますな。御屋形様に仇なす者あれば、我らがそれを阻みます故」
そんなやり取りを終え、輿入れは卯月に入ってからになる事となった。この時代の卯月中旬から後半は田植え時期に入り、戦も少なくなる。また、小さな豪族であれば民と共に田植え作業を行う者達もおり、比較的平穏な時期を迎えるのだ。
史実であれば、卯月の頃には桶狭間が起きる筈。三雲対馬守の手の者達によれば、駿府館では戦に向けて動き出しており、今川治部大輔義元自ら出兵に動き始めているらしい。その為、尾張も騒がしくなっており、家臣離反の噂まで流れ始めているという事だ。
今川家は『御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ』と云われる程の名門一族。足利一門に数えられるほどの家であり、その家が上洛するための出兵となれば、尾張織田家など蟻の如く踏み潰されると考えられていた。
「今川が尾張を取れば、六角として迎え撃たねばなるまい。その前に近江の統一、そして北伊勢の平定を進める。加賀守には悪いが、婚儀はそれからとなる」
「はっ、家臣一同、御屋形様に従い、近江統一の一助となります」
最早、浅井には単独で六角に対抗する力はない。高島郡を平定した六角は琵琶湖の半分以上を支配している状態であり、堅田に銭を払っている以上、背かれはしないだろう。仮に堅田に背かれれば、それを機に堅田を燃やし尽くそうと考えている。
磯山城も基礎は作られ、砦のような形では既に出来上がっている。この時代、天守閣などまだない為、防備に優れた館のような感覚だ。そして、そこからは服属した鎌刃城の堀氏を加え、徐々に北上している。
高島郡新庄城にて降伏した新庄刑部左衛門直忠の説得と降伏勧告により、朝妻城の新庄新三郎直頼も六角に降伏。ここまで来ると、次々と降伏の使者が観音寺城へ赴き、坂田郡は完全に六角の領土となっていた。
「犬上郡の藤堂、多賀の服属により、小谷までの道への後顧の憂いはなくなり申した。国友城の野村藤左衛門からも内応の密使が届いております。国友が降れば、横山も早々に落ちましょう」
「うむ。近江を統一後に、皆に儂の婚儀を祝ってもらえれば、これに勝る喜びはあるまい」
「お任せあれ!」
そんな家中の話が終わると、家臣達は横に移動し、両端に一列に並ぶ。後藤但馬守が小姓を呼び出し、指示を出す。一つこちらに向けて頭を下げたその小姓は、素早い動作で謁見の間を出て行った。
「京極長門守様、お連れ致しました」
入って来たのは、白髪も多い老人。齢60に届くかどうかという見た目の男である。この男こそ、北近江の守護職を持っていた京極家の血筋の男である。兄との家督争いに敗れ、その兄も味方であった浅井と対立して追放された事で完全に衰退した一族だ。
今は将軍足利義輝に近侍していたが、先日の俺の謁見での立ち振る舞いを見て、六角家の傘下に入る事を決めたのだと言う。今日は改めて俺に膝を折る為にこの観音寺城へと赴いた事になる。
「長門守殿のご来訪、驚きましたぞ」
「改めまして、京極長門守高吉でございます。右衛門督様を御屋形様とお呼びする許しを頂きたく、恥を忍んで参上致しました」
少し頭が痛くなっている俺がいる。俺がこの時代に来てからの行動によって、史実から変化していくのは仕方がないとは考えていたが、まさか京極家が臣下に降る決断をするとは思いもしなかった。
史実でも、1560年にこの男は六角へ赴き、六角の力を借りて浅井へ挙兵している。その戦で完敗し、北近江の支配権を全て失う。その後、浅井久政の娘を正室に迎えて浅井と和睦。正直、この京極高吉は、この1560年で56歳になる筈で、浅井久政の娘は18歳だ。犯罪だろう! しかも、この高吉、70代に入っても子を作っているのだ。現代の感覚で考えると、許せない爺様である。
だが、この時期に六角に臣従する事を決めてしまえば、浅井家と和睦する理由はなく、浅井久政の娘を正室に迎える必要もなくなる。史実では、この京極高吉の血筋は江戸時代を超え、幕末までしっかりと残る。だが、その血筋を生んだのは、浅井久政の娘なのだ。大幅に歴史が変わってしまう可能性もある一大事件であろう。
「元を正せば、我らは同じ佐々木源氏の一族。今は思う所もおありでしょうが、今後は六角家中で長門守殿のお力をお貸し下さい」
「既にこの長門守、右衛門督様を御屋形様とお呼びする覚悟決まっておりまする。以後、某への遠慮は無用にございます」
「そうか。では長門守、本貫である上平寺城はその方を城代とする。城主としてその一帯をその方に預けるかどうかは、今後の働きを持って証明せよ」
同じ、佐々木信綱の子孫として、この近江に根を張って生きて来た一族である。六角家の祖である泰綱が三男。京極の祖である氏信が四男となる。長男の末裔は先日滅びた高島氏であり、次男の重綱の末裔である大原氏は既に嫡流は途絶えており、六角の血筋が養子として入っている。
応仁の乱後に近江守護職を与えられた事のある京極氏としては、同族である六角氏に膝を折る事は苦渋の決断であっただろう。それでもこの決断をした彼に敬意を持って接しようと思った。
蔑みの視線を受ける事も予想されている中この観音寺城へ赴き、大勢の家臣がいる中で下座に座って首を垂れる。彼の言うように本当の覚悟がなければ出来ない行いだ。エロ爺のイメージが強かったが、これは考えを改めるべきだろう。
家臣達の中でも下座に座って背筋を伸ばす京極長門守を見送り、再度出兵の指示を飛ばした。。
そこからの六角の動きは速かった。元々、この広大な南近江を中心に伊賀の一部、北伊勢にまで力を持っていた大家である。家臣達の能力も多岐にわたり、重臣となれば、数万石の所領を持つ者さえいるのだから、総力を上げれば、既に所領が十万石を切っている浅井など敵ではない。
事前に内応を約していた国友の野村が降り、宮部城の宮部善祥坊も降った。史実では最後まで浅井長政に付き従った者達も次々と六角に下って行く。驚いたのは、旧京極家臣である上坂城主である上坂家なども京極高吉の呼びかけに応えた事だ。
既に京極旧臣と言っても、昔の話であり、力のない京極家に従う事などなく、史実でも高吉の挙兵にも従う事はなく、浅井家臣として動いていた。そんな上坂家が六角に降った事で、浅井の敗戦は必至となる。
「御屋形様、雨森城落ちましてございます。雨森弥兵衛尉、自害致しました」
「将兵達への狼藉は許さぬ。追い腹を止めるつもりはないが、生きる気がある者は、六角で生きる道を示してやれ」
俺の言葉に進藤山城守が下がっていく。浅井の『海赤雨の三将』の一角が落ちた。海北善右衛門綱親、赤尾孫三郎清綱、雨森弥兵衛尉清貞の三人が、浅井亮政の代より浅井に仕えた勇将である。史実では全員が織田の小谷攻めの際にそれぞれの場所で討ち死にを遂げている。浅井の支柱と言っても過言ではない武将達であった。
既に六角家の軍勢は本体である俺率いる12000の他に、父承禎入道率いる高島勢を含めた7000が塩津浜から賤ケ岳を超えて、田部山城を落としている。現在の浅井がどれだけ兵を集めようと5000までも届かない。主戦力を相手にしなければならない為、湖西から北を回って来る軍勢に対処する事は難しかった。
先代である承禎入道が率いる7000は、田部山城を落とすと、堂木山の砦へ軍を戻し、朝倉の警戒の為に軍を配置した。浅井への手伝い戦の為に朝倉が万を超える軍を派遣するとは思えない。有名な姉川の戦いでも朝倉は8000の兵で参戦しているし、加賀国の一向宗の警戒を解けない以上、それ以上は無理であろう。先代当主である承禎入道であれば、十分に抑えられる兵力差であった。
「今後、この近江への侵入は許さぬ故、小谷のような山城は必要ないかもしれぬな」
「それでは、佐和山のように?」
俺の目付のように隣の床几に座っている蒲生下野守が、少し厳しい表情で伺を立てて来る。ここ最近の俺は、佐和山、清水山と立て続けに破却している。この時代、城とは多大な銭と労力で作り上げているし、武士にとって一城の主というのはそれだけでも大きな名誉となる物である。現代人の感覚でも一軒家を立てれば誇らしいのに、城となればそこに何十人、何百人と暮らす場所となる。それを容易く破却し続ければ、不満も溜まるか…。
「いや、左兵衛尉と猿夜叉親子が火でも掛けなければ、そのまま残す。いずれは、湖南に観音寺城、湖西に今津城、湖北に塩津浜城、湖東に今浜城で淡海を囲うようにしたい」
「良きお考えかと。その四か所に港と城があれば、完全に船を管理出来ましょう。ただ…」
「うむ。堅田が邪魔であるな。近江を統一した後は堅田へ矢銭を要求しよう。応えれば良し。断れば潰そう」
今はまだ、金払いの良い客として堅田も六角へ接していたが、此度の浅井攻めに関しては、堅田の反応はかなり渋かった。賃料として要求してきた銭の額も大幅に上げて来ている。つまりは、六角に近江を統一される事に難色を示してきたのだ。
こうなると後方への備えも必要であり、今回の江北への軍の中に平井加賀守はおらず、高島郡の兵と共に船木で比叡山と堅田に備えさせていた。
「御屋形様、こちらを」
下野守との対話途中に、対馬守が入って来る。一度下野守へ頭を下げ、そばに寄って来た対馬守の手には、文が握られていた。何か不穏な知らせかと恐々開けば、想像していた物とは正反対の内容であった。
「阿閉淡路守、六角の陣中見舞いとして山本山城を献上しくれるそうだ」
「な、なんと!」
現代のゲームでは悉くに能力値が低く設定されている人物『阿閉貞征』だが、俺自身、何故ここまで低能の設定なのか疑問に思っていた。
織田家の猛攻を山本山城にて一度は防衛し、その能力を見せてから山本山へ織田勢を引き入れ降伏している。降伏後は朝倉攻めの先鋒として功を上げているし、羽柴秀吉の与力とされた後は、加賀に十万石の領地を貰う手筈にもなっていたと云われている。加賀は平定前だったとはいえ、そこまで織田で評価をされ、文献などにも残っているのだからあそこまでの低い評価に首を傾げたものだ。
確かに思慮の足りない発言などはあったのかもしれないし、彼の裏切りが小谷城落城を決定づけたという点などを考慮に入れているのかもしれない。
奇しくも、この世界でも、彼が浅井滅亡を決定付けてしまったようだ。
「罠である可能性もあります。某が山本山へ参ります」
「よろしく頼む」
蒲生下野守が一党を率いて、山本山へ布陣するために軍を動かし始める。ここ最近、平井加賀守に戦功を上げられている為、少し焦っているのかもしれない。あまり良い事ではないな。ただ、蒲生の本貫は中野城周辺。今の日野の辺りになるが、その周辺の領地を与えると言っても、あの辺りは甲賀が近く、三雲家の本貫が近い。これを機に蒲生家を北近江に転封するか。
小谷城が落ちて、そのままであれば、蒲生下野守に小谷城周辺七万石程を与え、中野城を召し上げるというのも手かもしれない。加増には違いない。それを下野守が受け入れれば、今後の六角の方針も浸透するだろうし、平井家も粟田郡の献上を考え出す可能性がある。
そこまで上手くいかないかもしれないが、現状の六角家の体制は変えて行かなければ無理だ。大きな豪族の集まりの盟主扱いでは、とてもではないが近江より外には出て行けないだろう。
「では、我らはゆるりと小谷城へと歩を進める事としよう」
既に小谷城下の支城に関しては、悉く降伏か落城している。最早小谷城は丸裸という状態だ。ここからの巻き返しとなれば、朝倉が全勢力を近江に派遣するか、西の三好が近江や伊賀に兵を差し向けない限りは有り得ない。
赤尾、海北、遠藤と有力な勢力は残っているものの、小谷城に籠れる人数を考えれば、三千にも満たないだろう。城の外で乾坤一擲の一撃を狙うのか、それとも城を枕に討ち死にを遂げるのか。
そのような事を考えていると静かに三雲対馬守が近づいて来た。
「御屋形様、朝倉動きましてございます」
「そうか、兵数は? 左衛門督自ら出馬したか?」
「いえ、大将は右兵衛尉景隆。数はおよそ五千」
三雲家には、引き続き越前の情報を取って貰っていた。その朝倉が遂に重い腰を上げた。かと思われたが、実際に動いたのは、1555年に没した朝倉宗滴に代わって、一向宗相手に兵を率いていた朝倉右兵衛尉景隆であった。中々の強敵ではあるが、兵数が少ない。三雲対馬守に流させた『加賀に不穏有』の噂を否定する根拠がなかったのだろう。
「父上が堂木山におる。朝倉軍の援軍が辿り着く事はなかろう。三好と互角に戦い続けて来た六角左京太夫義賢、甘く見ておれば、深坂を越える事も叶うまい」
「はっ、右兵衛尉も驚きましょう。峠を越えようとした先に、隅立て四つ目の旗が翻っているのですから」
隅立て四つ目は六角の本流が使用出来る軍旗である。つまり、現当主である俺か、先代である承禎入道しか使用出来ないのだ。目の前に六角本体がいるとなれば、手柄首をと士気を上げる者よりも、驚きで士気を下げてしまう人間の方が多いだろう。
朝倉の援軍が塩津浜の土地に入る前に撃退される事になれば、『朝倉頼り無し』となり、朝倉の名声も地に落ちる。今は持ち応えている浅井も覚悟を決めるだろう。
「対馬守、父上の所へ行ってくれ。心配ないだろうが、何かあればこちらの軍を向ける」
「それでは御屋形様が危険では?」
「何も全数を動かす気はない。送っても三、四千程度だ」
『承知致しました』という言葉と共に対馬守が陣幕を出て行く。六角左京太夫義賢は、管領代の定頼という大きく太い幹を亡くして混迷する六角をしっかりと支え続けて来た男である。朝倉宗滴が相手であれば分からないが、右兵衛尉景隆であれば問題はないだろう。
そのまま俺率いる本体は小谷城へ向かって進み出す。若干ではあるが、兵達のみならず、将達にも奢りのような危うい空気を纏い始めている。誰もが勝ち戦を確信しているのだろう。だが、史実にある野良田の戦いもまた、そういう六角の慢心が生み出した敗北だったのだと思っている。
「壱岐守、但馬守らに伝えよ。『慢心するな、常に警戒し歩を進めよ』と。浅井はそれこそ滅するか、生き残るかの決死の想いでこの戦に臨んでいるのだ。それに対する慢心は武士道にあらず。小谷城が落ちるまで僅かな油断も許すな!」
「はっ、各部隊に即座に伝令を走らせまする」
この時代に『武士道』などはないだろう。そもそも力こそ全てであるこの時代の武士は、民たちから見れば野盗とそう変わらない。それが誇りだの、面目だのを口にすること自体が恥ずかしい事なのだが、それも今は良いだろう。
ただ、このままでは浅井はこの時代の歴史から消えて行く。史実よりも早い段階で滅びるだろう。だが、史実でもあれだけ織田家を苦しめた浅井家が、このまま座して滅亡を待つとは思えない。
「山本山には下野守が布陣した。我らは高時川を渡る前に一時休息を取るぞ」
「はっ」
高時川の浅瀬を前に兵たちの休息を取る。天気が良く、日中は現代ではまだ春先にも拘らず、気温が上がっている。兵達を座って休ませ、十分な水分を取るように触れを出す。
皆が勝ち戦を確信している為か雰囲気は良いが、それが油断とならぬように各将達に気を引き締めさせた。
四半刻もすると、周囲が騒がしくなり始め、小さな緊迫感が波を打つように端の兵達へと広がっていく。即座に立ち上がった兵達が将の声に従って隊列を組んでいった。よく訓練されている。隙間なく配置された兵達が隊列を組んで槍を掲げた。
「申し上げます!」
「申せ!」
本陣内に伝令が入って来る。
既に馬上に移動していた俺は、跪く伝令に向かって声を上げる。伝令専用の旗指物を取る事なく跪いた男は、声を大にして報告を口にした。
「対岸に三盛亀甲花菱。浅井本体と見受けられます!」
「相分かった」
どうやら、城を枕にという気分ではなかったようだ。当然か。浅井にとってみれば、六角の支配から独立し、ここから完全な独立領主として戦国の世に羽ばたく筈だったのだから、諦め切れないだろう。
本来の史実でも、浅井は結局独立領主として羽ばたく事は織田信長との婚姻同盟を受け入れた時点で不可能となるのだが、今の浅井長政には分からないだろう。
「浅井とて武士という事であろう。六角全軍を持って相手をしよう。山本山へ使い番を! 阿閉淡路守を先陣とし、下野守も参陣するよう!」
「ははっ」
対岸に互いの全勢力が退陣するまで約一刻。浅瀬を渡ろうとする六角勢を弓矢で牽制する浅井勢に踏み込めないまま、時が過ぎて行った。その頃には山本山から下りて来た蒲生下野守と阿閉淡路守を先頭に配置し、浅井殲滅戦へと意識を切り替え始める。六角の空気が変わった事を浅井も悟ったのだろう。対岸の空気もまた決死の物へと変貌していた。
高時川を挟んで約一万以上の兵達が対峙している。比率には大幅に違いがあり、六角一万に対し、浅井はどう見積もっても四千に届いていない。このまま川を浅井が先に渡れば、渡り切る前に殲滅されるという程に戦力差があるのだ。
「猿夜叉は、この本陣に脇目も降らずに向かってくるぞ! 皆の者、気を引き締めよ! 浅井が勝利するためには、それしかないのだ。勝利こそが目的であり、そこに正々堂々など無いと思え! 容赦など武士には無礼。全力で三途の川を渡らせてやれ!」
「おおおおお!」
地鳴りのような声が響き、それに呼応するように対岸からも鬨の声が上がる。浅井の最後の戦いだ。案の定、高時川の浅瀬に軍を集中させ、鋒矢の陣の切っ先が六角本陣に向けられる。対する六角勢は魚鱗の陣にて迎え撃つ。魚鱗の先頭には阿閉淡路守と蒲生下野守。その後方を高野瀬勢が受け持つ。
鎌刃の堀、宮部城の宮部善祥坊もこの陣に加わっている。雨森城の攻撃に向かっていた六角一門衆である六角中務大夫、六角若狭守の二千強は参陣していないが、現在の六角重臣が勢揃いしている。油断、慢心が無ければ、間違いなく勝てる。それでも軍配を握る手が汗で滑る。籠手を着けてはいるが、それが小刻みに震えているのが自分でも分かった。
佐和山の時は、後方で戦見物をするだけであった。高島郡など家臣任せだ。今回が俺にとって正真正銘の初陣となるだろう。死ぬことが怖くないとは言わない。だが、現代にいた時よりも死を身近に感じているだけに、いつ死んでも可笑しくはないと腹は括れている筈だ。
「下野守には種子島を持たせているな?」
「はっ。御屋形様からと百を持たせてございます」
渡河を始めた浅井軍に先陣の阿閉軍が弓矢を射かける。渡河中に弓矢に貫かれた者が川を下って行く。最早息もない死体が下流へと流されている事に意識を向ける事無く、浅井軍は突進して来る。浅井軍の先頭が川を渡り切るか否かの段階で、それまで弓矢を放っていた阿閉軍が左右に分かれた。
その隙間から鉄砲隊百が顔を出し、浅井軍に向かって一気に全弾を放つ。雷が落ちたのではないかと思う程の轟音がなり、戦場の時が止まった。鉛玉を至近距離で食らった兵が吹き飛び、跳弾が顔を貫いた兵が倒れる。
今までアドレナリンの暴走によって無理やり高揚させていた意識が、急に現実に戻された先頭の兵士たちの表情に恐怖の色が見えた。
「今よ! 全軍浅井を迎え撃て!」
軍配を振るうと、魚鱗の陣全軍が浅井を飲み込んで渡河を始める。恐怖に怯えた浅井の先鋒は次々と川の藻屑と消え、高時川の水を赤く染めて行った。
この1560年はまだどの大名も種子島を大量に所有していない。鉄砲一丁購入するのに8貫から10貫の永楽銭が必要となる。下野守に預けた百丁で800貫から1000貫の資金が必要であり、現代の金銭感覚で考えると、一丁で100万近くするわけだ。百丁であれば、1億という事になる。とんでもない買い物だな。それ故に、鉄砲を軍備に入れている大名はまだまだ少なかった。
幕府への遠慮のなくなった六角は、朝廷への献金に向かわせた目賀田摂津守に、その足で堺まで向かわせ、鉄砲の購入をさせたのだ。まだまだ考えが古い六角重臣は鉄砲という未知の武器に懐疑的であり、それに大金を使用する事を良しとしなかったが、今回の下野守の動きを見て、考えを改める事だろう。
「赤尾の軍が崩れましたな。遠藤喜右衛門、海北善右衛門が支えておりますが、時間の問題でしょう」
「左右の摂津守、但馬守たちの渡河を始めよ。対岸に着いたら浅井を包囲する。だが、小谷城への逃げ道は残せ。死兵の相手をするほど無意味な事はない」
傍に控えていた木村筑後守が冷静に状況を分析する。史実でも六角義治の側近にして重臣として名を残している男だが、この世界でも義弼の側仕えであった。
木村の言葉通り、赤尾家の家紋である『四つ柏』の旗指物が倒れて行く。一度崩れた数百の人間を立て直す事は容易な事ではない。後方にいる遠藤直経、海北綱親の軍が赤尾の兵達を取り込んで踏ん張ってはいるが、最早及び腰になっている兵達を鼓舞するには余りにも形勢が悪い。
「ここで一気に勝負を決めるぞ! 全軍渡河を開始せよ!」
号令と共に、魚鱗の陣のまま、全軍が高時川の渡河を開始する。抑えようとする浅井軍ではあるが、最早その余力もない。瞬く間に遠藤軍、海北軍も崩れ始め、末端の兵達は逃亡を開始し始めた。
六角軍の渡河終わりを狙って三盛亀甲花菱の旗が揺らぐ、浅井もここが最後の機会と腹を括ったのだろう。浅井新九郎賢政が自身の全てをこの一撃に掛けた。
「来るぞ!」
俺の叫びと浅井本体が六角先陣である阿閉軍と衝突は同時だった。阿閉軍一隊では、流石に浅井本体を受け止めるには荷が勝ち過ぎている。案の定、石を投げ込んだ水たまりの水のように、阿閉軍が弾け飛ぶ。
「下野守を支えよ! 摂津守、但馬守の渡河を急がせよ! 渡河が終わり次第、猿夜叉を囲い込め!」
声を張り上げるが、それが前線で戦っている兵士たちに届く訳ではない。歴戦の将である蒲生下野守だからこそ、浅井新九郎の突撃を受け止めているのだ。将だけではなく、従っている兵達も流石は蒲生家の兵と言って良いだろう。
しかし、それでも目の前の数百の軍が弾け飛んで、視界が開けたと思えば騎馬を含めた陣の突進なのだ。戸惑うなというのが無理であろう。戸惑い、困惑の中、耐えていた蒲生勢にも綻びが見え始めた。
少し高い位置で陣を敷いていた俺も乗馬する。ここまで届くか分からないが、逃げるにしろ、戦うにしろ馬に乗らねば何もできない。この時代の馬はサラブレットではない為、乗馬するのはそこまで労力はいらない。
「御屋形様」
「山城守も自陣に戻り、猿夜叉に備えよ。これが近江での最後の戦ぞ」
乗馬した俺を見上げていた進藤山城守が膝を折って一礼した後、そのまま自陣へと帰って行く。六宿老は皆、本陣回りで陣取ってはいるが、俺の側にいるのは側近の者たちだけとなった。
狛修理亮、木村筑後守、種村三河守、建部日向守、後の六角家重臣達。まだまだ年若く、この1560年で死ぬには惜しい。何としてでもこの者達を生き残らせる為にも、この戦は勝利するしかない。
「下野守様の陣、崩れました!」
「…宮部では支えきれぬだろう。摂津守、但馬守はまだか!?」
渡河の途中で軍の方向を変更させる事は危険を伴う。この時代の川底は現代程酷くはないものの、苔はしっかりと生えているし、足を滑らせれば、甲冑を着用している兵は溺死の恐れもある。一度岸を渡り反転してから新九郎の後方から攻撃を仕掛けたい。だが、そんな余裕がなくなっているのも事実。これでは史実の野良田の戦いの再現になってしまう。
ここまで勝ちに勝っている六角軍には、やはり慢心が巣食っていた。これで負ければ、六角が全てを失う。また、この六角義弼の評価が地に落ちる。
そんな事を許すわけには行かない。
「出るぞ!」
「お、御屋形様!」
周囲が狼狽える中、馬上の俺が前へと動く。その一歩だけで、本陣の兵全体が前へと踏み出す。総大将が動けば、その軍もまた一歩前へ出る。本陣が動けば、その前の一隊も動く。魚鱗全体が一斉に前へと進み出した。
魚鱗の陣の真ん中の突き破ろうとしていた浅井新九郎の本体は、急に後方からところてん式に押し出された後方の陣が壁となり、先程までの勢いを失い始める。立ち止まった軍隊程脆いものはない。勢いを失った騎馬隊は周囲を足軽兵に囲まれ、次々と槍を繰り出される。
その内、渡河を終えた目賀田摂津守、後藤但馬守が伸びきった浅井本体を潰していき、救援に駆け付けようとする遠藤、海北の残党を処理して行った。そしてその時は静かに訪れる。
「浅井新九郎、山崎源太左衛門秀家が打ち取ったり!」
高々と掲げられた槍の先には、首らしき物が見える。良く通る声である。山崎秀家か。ああ、後の山崎片家の事だっただろうか。確か、史実の俺との仲は最悪だったような気がする。早くに六角を見限って、織田に付くんだったか。
だが、この浅井家の若き当主を打ち取った手柄は、彼の周囲を一気に変えるだろう。城持ちにでもしてやろうか。そんな思考の余裕が生まれると、身体が一気に重くなる。自分でも気づかぬ内にかなり気力を消耗していたのだろう。馬上で倒れこむ訳にもいかず、もう一度顔を上げる。
最早、戦場は戦場にあらず。逃げる者と追う者がいるだけで、そこに抗う気力を持つ者もなく、浅井将兵の旗と遺体が転がる場所となっていた。
「我ら六角の勝利だ! 勝ち鬨を上げよ!」
周囲の兵達から一斉に声が上がる。史実とは完全に異なる道へと入った。この先どうなるかなど、分からない。本当に桶狭間が起こるのか。織田が美濃を取るのか。永禄の変が起きて将軍足利義輝が弑逆されるのか。そして、義輝の弟である覚慶が還俗し、織田を頼って上洛を果たすのか。
分からないまま進むしかあるまい。何せ、今の俺は、『六角右衛門督弼頼』なのだから。