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朽木城




 朽木城。

 城とは言っているが、少し防備施設を整えた館だな。二の丸、三の丸のような出丸もないし、塀はあってもそこまで強固ではない。2千程の兵で攻め込まれれば、一日持つかどうかという感覚だ。

 城と言っていいのかと疑問に思う。正直、城というよりは荘園と言った方が良いような気がする。だが、この時代の豪族たちの拠点はこのような物が多かったのだろうな。将軍一行を迎える館を新設しているだけ凄いという感じだな。


「六角左京太夫様、六角右衛門督様、お見えにございます」


「うむ。お通しせよ」


 朽木にある岩神館の一室に通された父と俺は、中から響く声を聴き、開かれた襖を通って中に入る。中央に座る男が有名な足利義輝なのだろう。彼を頂点にピラミッド型に家臣達が座っている。

 幕臣ねぇ。この頃の幕臣達は何の仕事をしているのだろう。何で給与を貰っているのだろう。何の見返りでそれは支払われているのだろう。疑問が尽きない。

 値踏みするようにこちらに視線を送る幕臣達の不快な態度に、徐々に俺の中の苛立ちが募っていく。

 最近分かったのだが、この時代に来る前の俺は、ここまで気が短くなかったような気がする。元々の六角右衛門督という人物との融合が原因なのか、少し気持ちに余裕がないという感じになっていた。元々の俺が短気でなかったとはいえ、何も気にしないという人間でもなかったからか、若干ではあるが右衛門督の性格に引っ張られているのかもしれない。


「ご無沙汰を致しております。出家し、承禎入道と名乗っております」


「右衛門督義弼にございます」


 家督譲渡の際、正式に足利将軍家に許可を願い出てはいるが、直接対面をしていた訳ではない。史実では、1558年に朽木で挙兵し、この時期は既に京の将軍山の砦に居る筈なのだが、今現在朽木に居る。

 桶狭間の戦いで有名な1560年には、二条御所を完成させ、京都にいる筈なのだが、何故未だに朽木谷に居るのか。ここは本当に俺の知っている過去なのか怪しくなっている。

 バタフライエフェクトという言葉があるが、足利義輝が朽木で挙兵し、それに父左京太夫義賢が協力するのは俺の意識がこの時代に来る前の事だ。故に、俺の行動が歴史を狂わせるような事はない筈なのだが、かなり恐怖を感じていた。

 その為、ここまでの道中で父である承禎入道に再確認という口実で現在までの大まかな流れを聞いたのだが、かなり衝撃的な話で合った。

 本来の歴史では、京都へ進軍し将軍山で大きな被害を出しながらも三好を撃退し、将軍山に砦を築き、その後に三好と和睦して京に入り、二条御所を築くという流れになるところが、目の前の将軍は、将軍山で完全敗北をしたらしい。史実では和睦の際に父承禎入道が間に入るのだが、それも出来ずに、未だに京は三好に抑えられているとの事だ。


「良く参った」


 俺が頭を下げたまま思考に耽っていると、勿体ぶるようにようやく足利義輝が口を開く。これが織田信長であれば、義輝は直接口を開く事はなかっただろう。だが、六角家は足利将軍家の直臣なのだ。立場としてはこの場所にいる幕臣達と同等であり、実力で言えば比較対象にすらならない。

 織田信長の家である織田弾正忠家は、元々尾張守護の斯波家の家臣である守護代の織田大和守家の家臣。つまり、守護から見ても陪臣であり、その上の将軍家からすれば、陪々臣となるのだ。家臣の家臣のそのまた家臣という感じである。そりゃあ、将軍様からすれば直接会話をするに値しない相手となろう。

 そういう血筋しか誇る物がない幕臣達からすれば、『田舎武士が』となる。


「面をあげよ」


 一度目の声掛けに少し顔を上げ、二度目の声掛けで更に顔を上げ、三度目でしっかりと最後まで上げる。これは二度目でも良いとか様々のようだが、現代人の感覚からしたら、本当に面倒くさく、くだらない。この時代の帝であれば別だが、将軍家は武士の頂点とはいえ、人である。何を偉そうにと心のどこかで思ってしまう自分がいた。


「直答を許す故、余の問いに偽りなく答えよ」


「はっ。然れば、此度のご下問、倅であり現六角当主である右衛門督よりお答え申し上げます」


 義輝の言葉に、父である承禎入道が間髪入れずに答えるが、その言葉に俺も含む全ての人間が驚いた。まさか、征夷大将軍である足利への答えを当主とはいえ、若造の右衛門督に任せるとは思わなかったのだ。

 幕臣達の視線が一斉に自分に向けられる。仕方ないと腹を括り、もう一度頭を下げた。痛いのは嫌だが、まだ俺の中では『ここは夢の世界』という感覚が抜けていない。どうせ死んだとしても、もう一度現世に戻るか、それとも普通に死ぬかのどちらかである。この時代に居る事でも一度死んだようなものであるため、目の前の武士達に恐怖を感じる事もなかった。


「不肖、この右衛門督義弼、公方様からのご下問に嘘偽りなくお答え申し上げます」


 もう一度頭を下げると、一つ大きな溜息が聞こえてくる。それは公方なのか、それとも幕臣なのかは分からないが、失礼な話である。正直、この時期の幕臣達に侮られるような生活は元々の六角右衛門督義弼もしていない筈だ。後継者として厳しい生活を送っていた筈だし、早朝より合議を行い、政に真剣に取り組んでいた筈なのだ。

 その行い、発言などから軽んじられがちではあるが、あの頃の六角領内は安定していた筈であり、それは右衛門督義弼が曲がりなりにも当主として一家を束ねていた証拠である。この頃の寄生虫のような幕臣達に侮られる謂れなどは欠片もない。


「では、某から。高島郡の出兵についての弁明を」


 てっきり公方が口を開くのかと思えば、誰だこいつ。

 本当に侮られているのだな。


「某から? はて、公方様からのご下問ではありませんでしたか?」


「ぶ、無礼な!?」


「無礼なのはそちらでは? 某とて、近江守護を公方様より認められし、六角家当主にございます。如何に幕臣と言えど、侮られる謂れはございませぬぞ。それとも、幕府では某を守護として認めておらぬとでも?」


 毅然とした態度で、視線を外すことなく睨みつける。六角家中にいる宿老達の方がよっぽど怖いわ。当主の器なしとなれば、当主すげ替えのために容赦なく幽閉、殺害をしそうだからな。向こうも負けじと俺を睨みつけるが、怒りや苛立ちを顔に出す事なく睨み返す。


「左京太夫、良いのか?」


「はっ、畏れながら、この場は倅に一任しております。もし、咎めある場合は某の首にてお許しくださりませ」


 俺の態度と言動に義輝は承禎入道へ問いかける。それに対する言動には俺も驚いた。この朽木谷に来てから驚かされてばかりだな。

 そこまで腹を括ったのか。ならば、男としてそれに応えなければならない。六角家当主として、近江守護として、毅然と立ち向かわねば。


「まずは、お名前をお伺いしても?」


「無礼な! 摂津中務大輔である!」


 知らんわ。

 初見でなかったとしても、覚える気もない。

 六角家中でさえ、ようやく顔と名前が一致したというのに、他家の家臣達まで覚える余裕はないわ。しかも、こちらを下に見るような輩なら尚更だ。


「若年にて、幕臣の方々にお会いする機会も少ない為、御許しを。して、なんでしたかな? 高島郡への出兵への弁明でしたか?」


「畏れ多くも公方様がおわす朽木谷近くで諍いを起こし、その領地を接収するなど言語道断。如何なるつもりか!?」


 ふむ。本当に俺は戦国時代に居るのだろうか。あの頃、必死に文献などを読んだり、ゲームをしたりと憧れを抱いていた時代なのだが、その時代で生きている人間の言葉とは思えない。領地の接収? そんなもの、この時代日本全国どこでもやっているだろう。更に言えば、高島郡は六角旗下の領地であり、大きく見れば六角の領地なのだ。

 その領地でふんぞり返っているこいつの頭は蛆でも湧いているのか?


「良く分かりませぬな…。中務大輔殿は何をおっしゃりたいのか。そもそも、高島七頭は六角旗下にある者達。此度の浅井の離反によって六角に反旗を翻した者達がいた為にそれを誅しただけの事。更に言えば、公方様のおわすこの朽木谷近くでの諍いを起こしたと叱責をするのであれば、その矛先は浅井へ向けるのが筋かと。佐々木六角家は、武士でございます故、侮られては面目が立ちませぬ」


「では何の責もないと申すか!?」


「中務大輔殿にそこまで声を荒げられる謂れはございませぬな。そもそもこの朽木荘領主である、朽木民部少輔殿とて、雲光寺様の代では六角に服属しておりました。しかし、公方様が朽木谷に赴かれ、幕府奉行衆として召し抱えられた故、同格の直臣として考えておるからこそ朽木谷への使者を送る事はしなかったのですぞ」


 割と自分の近くに座る年を取った者が少し身体を動かした。あれが朽木民部少輔稙綱か。幕臣の一人かのような顔で座ってはいるが、その序列は下にされている。これだけ金と労力をかけて幕臣を含めた一行を養っているのに、その扱いでは悲しくなるな。

 俺の物言いと、摂津中務大輔の剣幕に、周囲の空気が緊迫して来ている。この場で刀を抜く事はないだろうが、それ相応の咎めがあるかもしれない。

 しかし、この時代の足利将軍家は各大名家を大きくするためには厄介な存在である。既に形骸化している征夷大将軍という職にしがみつき、武家の頭領であるという大昔の感覚を持ち続けているのだ。


「畏れながら、近江守護職をお預かりしている以上、この近江を統一するのは六角家の責務であり、公方様への最大の奉公と心得ます。幕臣ともあろうお歴々がそれを咎められるとは…」


「…ぐっ」


 守護とはその国を治める役職である。現代に例えると、幕府が国、守護が県、地頭が市という感覚だろう。つまり近江守護とは、滋賀県知事のようなものだ。この時代だと、粟太郡などのように近江国も多くの郡に分かれており、その群が市だとすると、浅井は市長のようなものであり、その市長が幾つもの市を纏め、勝手に税金を着服して、ここは滋賀県ではなく、別の県だと訴えているような物なのだ。

 それを許せば、県知事である者の立場がない。この時代の象徴のような言葉でもある『下剋上』とは、そういった市長達や市の職員達が勝手に税金を着服して私腹を肥やし、いつの間にか県知事よりも力を持つようになって、最後には県知事を追い出してしまうようなものである。

 今までの摂津中務大輔の言葉は、国がそれを認めるのと同意。つまりは下剋上を許しているという事であり、そうであれば、近江守護である俺も将軍家に対して礼を尽くす必要がないとなるのだ。


「右衛門督の言い分、しかと理解した」


「公方様、出過ぎた真似を致しました」


 ここでそれまで無言であった義輝が偉そうに口を開く。悔しそうに顔を歪めた摂津中務大輔が頭を下げて下がった。色々な書物などを読んではいたが、幕臣ともあろう者達がそんなに醜い筈がないと思っていたが、実際にこの時代に来ると酷い物だ。

 要は、この者達は暇なのだろう。暇だからこそ他者の粗を探す。粗を探して貶めて、辱めて笑う。その結果、相手が命を落とそうとも、自分が直接手を下した訳ではないから関係ない。ガキの虐めに近いな。


「して、右衛門督、高島越中守は何処に?」


「さて? 己が居城を護る事もせず、そこで懸命に戦っている将兵を置いて逃げ出した者の行方など興味もなく、捨て置いております」


 幕臣達から様々な反応がある。不愉快そうに顔を歪める者、含み笑いをする者、侮蔑の視線を送って来る者など様々であるが、総じて俺に好意的な物ではなかった。

 ああ、やはりここに逃げ込んだか。

 朽木谷までの道中で父とその可能性について話していた。将軍の庇護があるとなれば、その命を奪うことは出来ない。所領であった清水山城に戻せと言われれば断る事は難しいというのが、父承禎入道の考えであった。


「その越中守であるが、余にその方の無体を訴え出て来ておる」


 溜息が出るな。正直、『だから何?』と聞きたくなる。要件があるならはっきり言えよと。言葉の中で察せよという日本人特有のチート能力の要求だとしても、このやり取りは面倒くさくなる。何を望んでいるのかをはっきりと主張してもらった方が楽と言えば楽だ。

 まぁ、情緒はないけどな。


「畏れながら申し上げます。某、公方様に恥ずべき行いは微塵もございませぬ。六角家中にて高島七頭を正式な家臣として迎えるにあたり、我が六角家宿老である平井加賀守の与力として傘下に入るよう命じたまで。それを不服として兵を挙げた越中守は、守るべき領民や将兵を盾に自らの命惜しさに逃げ出した臆病者。そのような者の訴えに如何ほどの価値がおありか?」


「控えよ!」


 別の幕臣が騒ぎ出す。

 怒り心頭というような表情で俺を睨んでくるが、どうでも良い。無視だ、無視。


「公方様、某に何をお望みでしょうか。佐々木六角家は、先々代である雲光寺様の代から必死に将軍家に奉公して参りました。管領代の職を頂いた雲光寺様は、六角家の隆盛よりも将軍家の復興の為、財と兵を惜しみなく捧げております。それは、父承禎入道の代でも変わりありませぬ」


「それは…」


 幕臣達の声が静まり始める。正直、お前らが今、飯を食って、愚痴を言って、寝て、起きていられるのは、六角からの支援があってこそなのだ。それにも拘わらず、何を追求しようとしているのか。一度、将軍に付き従う者達は三好に知行を没収されているのだ。

 お前らは、誰を相手に大言を口にしているのか、本当に解っているのか?


「公方様、越中守の訴えを聞き入れ、某に越中守を清水山城に戻せと申されるのであれば、そのように致しましょう。ただ、そうなれば、六角家は内に不穏を抱える事となり、外へ目を向ける事も出来なくなりましょう」


 まだ周囲の幕臣達が騒いでいる。『若造が』や『増長者が』などの声が聞こえる。鳥の囀りだな。鳥の方が気分を良くする分、優秀であろう。

 目の前の義輝は周囲へ目を向け、その鳥たちの囀りの内容を聞いているようであった。これでは幕臣達が増長するのも仕方ないな。


「右衛門督、高島越中守へ清水山城及び、その周辺の領地の返還を命じる」


 なる程、六角との手切れをお望みか。いや、理解していないのか。横を見ると、承禎入道は目を瞑ったまま、身動きもしない。以前話した将軍家との決別の時が来た事を察したのだろう。


「はっ、委細承知致しました」


 俺が頭を下げると、幕臣達の顔が愉悦に歪む。

醜い顔だな。人として終わった者達の顔だ。俺が歯噛みをしながら頭を下げているとでも思っているのだろう。これが自分達の首を絞める事になる事を理解していない。自分達の寿命のカウントダウンが始まった事を理解しているのは、この中で何人いるのだろう。

 顔を上げてみると、嫌味な笑みを浮かべている幕臣達の中で、切羽詰まったような表情を浮かべる人間が二人ほど見受けられる。この者達はこれから起こる事が見えているのだろう。


「此度の件にて、公方様にご苦労をお掛け致しました事、お詫び申し上げます。尽きましては、公方様より賜りました『義』の通字をこのまま我が名に頂きます事、誠に畏れ多く、以後、右衛門督弼頼と名乗ります事、御許しを頂きたく」


「な、なんと無礼な」


 全員が絶句しているのが解る。この時代、どの家にも通字がある事が多い。皆が知っている織田信長の織田家は、『信』の字がそれに辺り、代々『信』の字を諱に付けている。それは尾張の織田一族のほとんどがそうであり、信長の親族だけではなく、守護代の一族も『信』の字を通字としている。

 足利将軍家の通字は『義』の字であり、代々将軍家は諱の前に義の字を置くのだ。その『義』の字を我が父である承禎入道が元服時に偏諱として時の将軍足利義晴より賜り、義賢となった。そして、義弼もまた、元服時に義輝から偏諱を賜り、義弼と名乗るようになったのだ。

 通常偏諱を受ける際は通字を避けるのだが、足利将軍家は幕臣達には通字以外を与える事が多く、各大名達には通字を与える事が多かった。この辺りで各大名達に優越感を与えていたのかもしれない。

 故に、この時代は、各地に『義』の字を持つ大名達が多かった。


「高島越中守には、城は空けておく故、戻られるようにお伝えください」


「城に入った途端に六角が兵を挙げるのではないか?」


 一番近くに座っていた、先程やりあった摂津中務大輔に声を掛けると、また馬鹿な事を言い出す。こいつら本当に一度痛い目に合わなければ分からないのだろうか。


「摂津中務大輔! その方、六角との戦をお望みか! ならば、それに応えようぞ。我が佐々木六角家、これまで一度たりとも公方様との約を違えた事など無い! 雲光寺様然り! 父承禎入道然り! その六角家を愚弄するならば、その方にそれ程の覚悟があると見える。今すぐに己の館に戻り、戦支度を致せ!」


 うん。内にあった六角右衛門督の堪忍袋の緒が切れてしまった。

 公方の御前ではあるが、自分でも驚く凄まじい怒号が轟いた。目の前の摂津中務大輔が呼び捨てにされた事に顔を赤く染めるが、その後に続く俺の言葉に、青を通り越して白く変化させた。


「その方らも武士(もののふ)であろう。腹を括るのだな」


「そこまでにせよ!」


 最後勧告を中務大輔に告げると、真っ白な顔色のまま小刻みに震え始める。今更になって自分が発した言葉の重みを理解したのだろう。足利将軍である義輝に兵を挙げれば謀反となるが、その家中の者だけを討つのならば別である。しかも、このやり取りを大勢が聞いており、摂津中務大輔が六角家を誹った事も皆が知っている。

 あとは腹を切るか、首を落とされるかの違いだけであろう。

 そんな空気の中、義輝が口を挟んできた。もっと前に口を挟むべきだったな。そうであれば、摂津中務大輔の言葉は摂津中務大輔個人の物言いとなるが、このようになるまで口を挟まなかったという事は、義輝自身がそう考えているという事になる。

 足利家と六角家の亀裂は決定的な物になった。


「右衛門督、まずは家臣の言、深く謝罪する。その方の申す通り、これまで六角家は良く仕えてくれた。その忠義を忘れたかのような中務大輔の発言、余からきつく言い聞かせておく」


 結局何の咎めもないと。

 謹慎などされれば良い方かと考えていたが、これでは駄目だな。露骨に安堵したように顔色を戻していく中務大輔は、自分の安否が確認されたと分かれば、徐々に怒りを表情に乗せ始めた。

 だが、分かっているのだろうか。先程まで目を瞑っていた承禎入道が、今や能面のような表情に変わっているという事を。ここに公方がいなければ、斬って捨てられているのだという事を。


「だが、右衛門督は若い。感情に流されぬようにせねばの」


 足利義輝に諭されたよ。

 『自分は相手を殺して良いけど、自分は将軍だから相手が殺しに来るのは駄目』という認識で三好長慶の暗殺未遂を何度も行い、兵を挙げ、京の周辺の領民達を苦しめ続けた張本人が何を言っているのだろう。『何を言っても、何をやっても、自分は殺されない』という気持ちがあるのかもしれない。


「…精進致します」


 笑いを嚙み殺し、頭を下げる。

 何とか吹き出しそうになるのを堪え、無表情に戻せた事を確認してから面を上げ、再度退出の挨拶をしてから立ち上がる。同時に承禎入道も立ち上がるが、彼は最後まで摂津中務大輔へ冷たい視線を送っていた。





 朽木荘を出る時、三好長慶暗殺未遂と同様の図り事があるのではと警戒していたが、そのようなことはなかった。無事館を出て、馬に乗り、高島郡へと入る。先には清水山が見え、その城下町も微かに見えた。今はもう廃墟に近い形になっており、清水山周辺の領民は、新たに大きく縄張りを作った船木城に組み込んでいる。清水山城の支城であった新庄城などは全て破却し、その廃材を船木城の増強に使用していた。


「ふぅ、冷や汗を掻いたぞ」


「ふふふ。その割には父上も中務大輔へ厳しい視線を送っておりましたが」


 馬に乗って歩みを進め、父と笑い合う。

 六角家臣達はそんな俺たち二人の雰囲気とは別に警戒を強めている。義輝本人が何かを指示する事はないかもしれないが、幕臣共が何らかの策謀をする可能性もある。特に摂津中務大輔に関しては、多数の前で恥を掻かされたとでも思っているだろう。帰り道であぶれ者達を差し向ける可能性もあるかと思ったが、そこまで馬鹿ではなかったのかもしれない。

 だが、三好長慶の暗殺未遂を考えると楽観視は出来ない。なんせ、放火未遂に、殺傷未遂なのだ。それを指示したのは義輝と言われており、長慶が伊勢貞孝を招いた酒宴中の放火未遂、伊勢邸に長慶が招かれた時には、幕臣である進士賢光を刺客として送り込んでの殺傷未遂。とても征夷大将軍のする事ではない。

 立場が弱いという言い訳もあるだろうが、このような事が公になってしまえば、征夷大将軍としての品格も疑われ、更に立場を悪くするのだ。だが、それでも先程のように自分の命令は絶対だとでもいうような物言いが出来る人物は、もしかすると本当の大器なのかもしれない。


「高島越中守、そのまま清水山に戻して良いのか?」


「六角家臣や他の高島七頭の生き残りからも少なからず不満は出ましょう。ですが、それも僅かな時のみです」


「というと?」


「高島越中守は、武士にあるまじき行為をしました。六角勢が押し寄せる中、城内の将兵を置いて公方のいる朽木谷へ逃げ込んだのです。公方の仲立ちを願いに行ったとしても、それをどれほどの家臣に伝えていたのでしょう。もし、それを重臣達に告げていたとしても、その重臣たちは、他の将兵の命を救うために命を落としております。多くの将兵からすれば、武士にあるまじき主君の代わりに、自分達の為に命を差し出したと思うでしょう」


 高島越中守の心中がどうであったかなど、俺も知らない。重臣などは知っているのかもしれないが、それでも逃げ出すときに妻や子供も連れて行ってしまっているだけに誰もが、我が身可愛さに逃げ落ちたと思うだろう。そして、高島家重臣達のほとんどが死んでいる。死人に口がない以上、高島越中守が自らの潔白を証明する術はないのだ。

 とすれば、他の将兵たちの怒りの矛先はどこへ向かうのか。領民達のほとんどが船木へ移動している中、清水山城下の町に人が溢れることはない。復興も出来なければ、開発も出来ない。そんな場所にしたのは誰かとなれば、六角右衛門督ではなく、それに従わず、最後まで戦いもしなかった高島越中守となる。


「城へ入っても何もできず、一両日中には命を落とすでしょうな」


「…四郎、恐ろしき男になったの」


「まぁ、多少の工作は必要でしょうが、その辺りは対馬守に一任致します」


 おそらく、高島越中守は非業の死を遂げるだろう。これは六角が手を加えなくても起きる必然である。その後、空いた城へそのまま入っても良いし、清水山城を廃し、他の城を築城しても良い。

いっそのこと、今津辺りに城を築いてしまうのも良いだろう。そうしよう。今津に城があれば、清水山城を囲むことも出来て一石二鳥。田屋城ともそれ程距離がある訳でもなく、対浅井の拠点としては持って来いであろう。磯山城の大枠が出来たら着手するように手配しよう。


「しかし、高島越中が死ねば、また幕府が騒がぬか?」


「ふむ。今回のお詫びとして三好との仲立ちを務め、幕臣共には京にお戻り願いましょう。多少銭は掛かりましょうが、湖西を制した事で収益も増えております。何とかなるでしょう」


 父承禎入道が呆気にとられたような表情を浮かべて俺を見る。確かに将軍ご一行をまるで『邪魔だから京都にでも行って来て』とでもいうような発言なのだから、そんな表情にもなるかもしれないな。

 だが、あの剣豪将軍は、朽木に居ても、坂本に居ても碌な事をしないのだ。常に六角を巻き込んで騒ぎ立てる。

 最早、父も隠居し出家しているし、俺も通字の『義』を返還した。役職も管領代などの面倒くさい物ではない。ただ働きをする謂れはない筈だ。京に入っても山城国全てを掌握する力はないのだから、何も思うようには出来ないだろう。無力を噛みしめてくれ。


「なる程、その為に朝廷に献金をしておったか」


「いえ、朝廷には今後も献金を行うつもりです。帝を護る役目を持つ公方が、帝のおわす京を荒らす要因となっているのです。全ての足りぬ主君の尻拭いをするのも家臣の役割かと」


「ふふふ……わはははは!」


 先程までのやり取りで、想像以上に承禎入道の鬱憤は溜まっていたのだろう。一度零れた笑いを止める事が出来ず、馬上で天を仰ぎ見たまま大声の笑い声に変わっていった。

 管領代のお家柄というだけで、彼もまた相当我慢をし、気を張っていた筈だ。偉大な父の背中が大き過ぎ、周りからの期待と失望に苛まれながらも、六角家という大家を維持してきたのは、誇って良い功績だと俺は思う。


「父上、笑い過ぎですぞ」


「す、すまぬ、すまぬ。先程まで中務大輔に腸が煮えくり返る想いであったが、そなたの物言いを聞いていると、アレが哀れに思えてきての。己の未来すら見えぬ愚か者が何を言おうと何をしようと、滑稽にしか映らぬな」


「それは我らとて同じ。アレらの行いを見て、自身の行いを顧みらねばなりませぬ。特に私は以前まではアレらと同じ愚か者でした故」


 俺の言葉に、急に父入道は表情を改めた。

 祖父の管領代を父に持つ六角義賢は、その父の偉大さに常に悩み続けただろう。だが、それは六角義治とて同じだろう。彼にとっても父義賢は偉大な父親であったに違いないのだ。

 その父の跡を継ぐために懸命に励んでも認められず、大きな期待とそれよりも大きな失望を受け、心を殺していったに違いない。彼もまた時代の被害者なのではないかと思う。織田信長や、浅井長政のような若き頃より能力を発揮する傑物とは異なり、凡人であれば耐えられぬ重圧の中で苦しんでいたのだと俺は思う。


「今の其方であれば、何も心配はいらぬ。儂など疾うに超えておるし、我が父雲光寺様もいずれ超えるであろう。其方にこの近江は狭すぎる。早く日ノ本へ飛び立て」


「それにはまだまだ父上のお力が必要です。隠居をなされたとはいえ、楽隠居はさせませぬぞ」


「くくく……わははは! 酷い息子を持ってしまったものだ。だが、良い。こんな悩みであれば、死ぬまで続いてほしい物よ」


 承禎入道の晴れやかな笑い声が高島郡の空へと響く。今後、この高島郡は正式な六角領として続いていくだろう。今回の一件で、六角が足利将軍家の為に銭と兵を使う事はなくなる。将軍家が蜂起したとしても六角はそれに続かない。という事は、近江よりも東の大名達は、六角と争わなければ京に入る事が出来ない事になる。余程の馬鹿でない限りは兵を起こす事はないだろう。

 もし、それでも兵を起こす時は六角包囲網になってしまう可能性があるという事だろう。

ならば、東側のどこかと同盟を結ぶ必要が出て来る。武田が良いか、朝倉が良いか、それとも織田か…。


 この1559年の出来事が、俺の知る史実を大幅に変えていく事になる。


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― 新着の感想 ―
【あの】六角ですら見限る。 この意味を理解できないとは……ホント終わってますね。 落ちるべくして堕ちたのか。 落ちぶれたから腐ったのか。 実感するのはいつになるか。大変楽しみですね。
幕臣の連中見限られたの気が付いてないのでしょうね。 義の字を返上するなんてあからさまな事なのに、朽木さんは冷や汗かいてそうですね。
おおっと!? 私達の史実とは少々(?)異なる過去への転生……色々と想像と妄想が掻き立てられます。
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