凶報①
結果的に、松永弾正忠久秀の実弟である内藤宗勝は出馬していなかった。
六角軍一万が若狭高浜へ到着すると、既に砕導山城には逸見軍二千弱が攻め寄せていた。砕導山城は若狭でも有数の山城であり、かなり広範囲に砦や櫓を築いている。千、二千の兵があれば万の大軍でも守り切れる程にしっかりと作られた山城であった。
だが、現状の砕導山城には二百も兵が居らず、全ての防衛拠点を機能させる人手が足りていない。その状況では十倍の戦力相手に防衛戦を行える筈もなく、最早風前の灯であったと言っても過言ではないだろう。
「御屋形様」
「うむ。摂津守に四千の兵を預ける。潰して参れ」
後瀬山を出る前に、帰路を確保していた目賀田摂津守を本隊へ戻し、別の者と交代させている。元々の目賀田家の軍千に四千を預け、城攻めに躍起になっている逸見軍を後方から叩く。予想以上の速度での六角軍襲来に逸見軍は混乱を極めた。
六角軍の若狭入りの情報は甲賀者の働きによってかなり制限されている。情報を止めることは出来ないまでも遅らせる事は可能なのだ。逸見軍は内藤家から借りた兵と共に若狭入りをし、砕導山城へ到着した頃に若狭入りの話を聞いたのだろう。六角軍が到着する前に砕導山城を取り、防衛の拠点としようと考えていたのかもしれない。上手くいけば、俺が砕導山城を逸見家に安堵するとでも考えたのかもしれない。
それゆえ、力攻めに等しい乱暴な城攻めを行い、かなり兵を消耗させながらもようやく本丸に入ろうとした頃に後ろから六角軍の強襲を受けた形となった。
「一人とて逃すな。此度は六角家が差配しているのだ。逸見駿河守を決して逃がすな」
逸見軍の後方から責めかかる目賀田軍を囲うように、六角本隊五千が逸見軍を覆いつくす。兵は追い詰めれば死兵と化すが、今回ばかりは逸見昌経を生きて帰す訳にはいかない。今後若狭は六角領となるのだ。いつまでも旧領を狙う輩を放置する程馬鹿ではない。
丹波内藤家は実質三好傘下のような物ではあるが、それは名目上での話。加えて自領となる若狭を攻められたのであれば、非は内藤家にあり、このまま丹波に攻め込まない限り、六角が糾弾される事はないだろう。
「逸見駿河守昌経、討ち取りましてございます」
「大儀!」
戦を始めて半刻も経過していないだろう。俺の元に逸見駿河守昌経の首を上げた報告が齎された。五千対二千という戦力差があったとしてもここまで早いのは想定外だ。
基本、逸見軍の大半は内藤家の兵であり、逸見家の兵など百にも満たないだろう。それ故に、手伝い戦で死ぬ事の愚かさから兵達の逃亡が相次いだことと、完全に後方を取られた事による混乱を鎮めることも出来ず、逸見駿河守は大して戦う事もなく殺されたという事だ。
「砕導山城は如何致しましょうか?」
「摂津守に接収を任せる。俺は高浜の港を確認する」
逸見が死ねば、この若狭侵攻も名分がない為に止まるだろう。武藤氏の居城である石山城にも二千の兵を送るが、例え逸見に落とされていたとしても六角軍が到着する頃にはもぬけの殻になっている筈だ。
高浜も小浜に劣らない大きな漁港である。貿易船などの停泊は入り江になっている小浜の方が優れているだろうが、高浜は新鮮な魚介類が水揚げされている。港を整備し、その周囲に町を作れば、賑わう港町が出来上がる筈だ。
この砕導山城にも城下町はあるが、逸見家がそこまで熱心ではなかったのか、漁港の方までは伸びてはいない。だが、俺は逸見駿河守昌経を侮っていたのかもしれない。
「…駿河守、既に縄張りに着手しておったのか」
いざ高浜の漁港に辿り着くと、そこから東に見える海沿いの山に築城に取り掛かっている形跡が見えたのだ。遠すぎて詳細までは分からないが、低くはあるが山の麓に道を作り始めているのが見える。
後方は海、西も海、東も海となれば、あの城に攻め上がるには一方からの攻撃しかない。攻め難く、守り易い要塞となるだろう。難点を上げれば、少し不便という事と、津波が襲った際は暫く城から動けないという点。戦国末期に入り、巨額な資金を持つ者が現れた場合、海の水を引けば孤立無援の状態に落とす事も可能と言えば可能だ。とんでもない費用と労力が必要にはなるが。
「高浜城か…。この城を完成させるか」
「御屋形様…」
砕導山城も高浜漁港を管理するには問題はなく、防衛拠点としても高浜城よりも優秀ではある。だが、今回の攻防でかなり損傷しており、これを修繕するぐらいならば、高浜城を完成させた方が日数も費用も掛からないだろう。今回を機に、砕導山城は廃城としよう。
側に居た三雲対馬守にそれを話すと、納得できる部分もあったのだろう。勘定方へ話を通しますと返答があった。
高浜の漁港は傍で戦があったにも拘らず、賑わいを見せていた。既に日も傾きかけて来ている時間帯である為、入港する船はないが、市場のような場所はまだやっており、本日水揚げされた魚などが僅かに残っていた。
「…なに!?」
市場を見て回る俺の側で突如として声が上がったのは、俺の身なりを見た店の者が声を掛けて来るのと同時であった。声の方向へ視線を送ると、三雲対馬守が離れた場所で部下に耳打ちされているのが見える。厄介事か…と溜息が出そうになるのを堪え、三雲対馬守へ近付いた。
俺の存在に気付いた三雲家家臣が膝を付き、三雲対馬守が静かに頭を下げる。
「対馬守、何があった?」
「申し訳ございませぬ。疋檀城を目指しておりました江北衆が疋檀城を落城させ、そのまま北上致しましたが、朝倉軍に阻まれ、そのまま戦端が切られました」
「疋檀城を落としたか…。早いな」
「兵もそれほど残っておらず、然程兵を損なうことなく落城させたそうですが…」
ここまで聞く限り、それ程悪い知らせではないように思うが、対馬守の表情が固い。強張っていると言っても良いだろう。
疋檀城は越前と近江の境にある越前側の城だ。朝倉が近江に入る為には絶対に必要な拠点であり、そして近江からの防衛にも必要な拠点である。そこが手薄であったという事に引っ掛かりを覚える。
「…空城の計か」
「…疋檀城の中に物資は一切残っておらず、城の外に出て北上を開始した時には周囲を朝倉軍に囲まれた模様。そのまま戦となり、御味方は大敗。蒲生下野守様重体との事にございます」
朝倉も賭けに出たのか。俺であれば疋檀城が無血で手に入ったのであれば、物資が城内に無くとも、数日城で待ち、近江からの補給が届くのを待って完全な拠点とするのだが、中務大夫が逸ったのか、それとも江北衆が煽ったのか。
蒲生下野守を相談役として江北衆に残したのは、息子である左兵衛大夫賢秀が小谷城代として江北衆に同道している事もあるが、それよりも中務大夫への抑えでもあったのだが。
「下野守は生きておるのか!?」
「…はい。重体であるもののご生存されております。ただ、御味方は疋檀城の北にある鳥越城へ逃げ込む形となりましたが、鳥越城にも物資は残されておらぬようであり、南の疋檀城、東の御庵山城を抑えられ、救援も届けられぬ状態にございます」
編成した兵数が仇になったか。
約八千の兵で構成された江北衆である。甲賀者が大敗と口にするのだ、四千程が負傷、もしくは逃亡をしたと考えても良いだろう。もしかするともっと多いかもしれない。最悪で三千程の兵が鳥越城へ逃げ込んだと考えるべきだろう。
国境の城など、それ程の大軍が入れるように作られてはいない。ましてや物資が一切ない状態であれば、数日が限度だ。
この知らせがこちらに届いたという事は、既に二日近くの時が経っている事になる。だが、近江から父である承禎入道に出馬を依頼するのは危険過ぎる。本拠を空にすれば、伊勢、伊賀も含め六角領内を危険に晒す事になるだろう。
「全軍に伝えよ!これより、若狭を東進し、越前に入る!」
言葉と同時に馬に乗り、砕導山城に向けて一気に走り出す。俺に続くように諸将も駆け出した。疋檀城へ向かった江北衆は北近江軍ほぼ全軍である。将も含めこの戦で失えば、北近江が実質空となる。そのまま朝倉軍に雪崩れ込まれれば、塩津浜を取られ、近江への拠点を作られてしまうだろう。
西側から何としてでも止めなければならない。
「与次郎!其方に砕導山城の城代を申し付ける!」
「お、御屋形様」
砕導山城に戻ってすぐに城代を決める。周囲から何やら雑音が聞こえるが完全に無視だ。浅井の生き残りだとはいえ、既に栗見代官として実績を残している。今回の戦にも同道し、数十人の小さな軍ではあるが、将として役目を果たしている。
近江に残す訳にはいかないが、国境の城を与えるぐらいなら、いつでも踏み潰すことも出来る。この場所に残すには適した人材なのだ。
「与次郎、其の方のこれまでの働き、見事。いずれは高浜に城を築き、その城を与える事も考えておる。この砕導山城は丹後、丹波からの兵にも備えなければならぬ。頼むぞ」
「は…はっ、有難き幸せに存じます。この与次郎政元、身命を賭して御屋形様のご期待に応えまする」
「うむ。摂津守、兵を纏めよ。千の兵を砕導山城に置く故、その編成も急ぎ致せ。そのまま若狭国吉城を目指す」
「畏まりました」
こうなった俺は何を言っても無駄だという事は理解しているのだろう。即時に目賀田摂津守が軍の編成に移る。俺はそのまま馬を走らせ、後瀬山に向かって駆け出す。その横に護衛となる兵が続いた。
護衛として永原家の軍が続き、それに並走するように三雲対馬守も動いた。先行して後瀬山に向かうのは約三千。その後を摂津守が先頭となり約六千の兵が続く。先触れとして後瀬山に残した次郎左衛門と石見守に兵が休憩を取れる準備をさせるように指示を出し、馬を走らせた。
秀吉の中国大返し程の距離はないが、それでも若狭国の端から中央まで駆けるのだ。馬を潰さぬようにはしているが、それでも走る足軽達にはきつい状況だろう。
陽が完全に落ちる頃にようやく辿り着いた後瀬山城は、篝火が焚かれ、城門前では炊き出しの準備がされていた。この準備を次郎左衛門がしたのであれば、本当に頼もしい将に育ってくれたものだと思う。
「御屋形様、ご無事で何よりにございます。陣屋にてご休憩を。今温かな汁と握り飯をお持ち致します」
「助かる。飯と共に次郎も石見守を連れて陣屋に来て欲しい」
馬を降り、ご苦労であったと声を掛けて鼻先を撫でれば、『疲れたよ』とでも言いたげに一度嘶きを発し、厩番に連れられて行く愛馬に笑みを溢す。陣屋は火も起こされており、暖かな空気で満ちていた。
三雲対馬守、永原太郎左衛門も小姓たちを連れて同じ陣屋に入って来る。護衛と肉壁の役目を担っているのだ。甲冑を脱ぐ事はしないが、座った事で一気に疲労が襲い掛かって来る。まだ横になる訳にはいかないが、それでもこれで腹を満たせば睡魔が襲って来る事だけは確かだろう。
「御屋形様、御食事をお持ち致しました」
「うむ。次郎も石見守も座ってくれ」
汁は本当に簡単な物だ。出汁も取らず、野菜を煮た汁に味噌を少量溶かした物で、握り飯も具などは入っていない単純な塩むすびである。塩が少量振ってあるだけでもマシであろう。温かな薄い味噌汁を啜ると味噌の塩気が身体全体に染み渡るようだ。そのまま塩むすびを齧れば、米の甘みと塩分が入り交ざり、至福を感じる。
「次郎、石見守、詳細は聞いておるか?」
「はい。甲賀衆より疋檀城での詳細を聞き及んでおります」
後瀬山に置いた兵は千。熊川までの街道を抑えている兵も千。併せて二千程度であれば、救援にも向かう事は出来ぬだろう。後瀬山城を放置して単独千の兵で救援に向かっていたら、更に状況は悪化していただろう事を考えると、次郎と石見守を褒めてやりたいぐらいだ。
「俺はこのまま国吉城まで向かう。国吉城の粟田は朝倉に靡いてはおらぬだろうが、六角に降らぬのであれば落とすしかない。熊川までの街道を抑えていた千を戻し、連れて行く。次郎、其方も同道せよ」
「はい」
ここまで一気に話し終え、俺の中で遂に新たな試みを実施せざるを得ない状況に追い込まれた事を実感し、一つ大きく息を吐き出した。
これから話す内容は、六角家だけではなく、この戦国の世でも珍しい事であり、どのような反発が起こるか分からないのだ。先の歴史を知る俺であってもだ。
「石見守、此度、浅井与次郎政元を砕導山城の城代に任じた。ゆくゆくは砕導山城は廃城とし、高浜に縄張りが進んでいた場所に城を築き、その城を与次郎に与えるつもりだ」
「…左様にございますか」
本来、浅井の名跡はこの田屋石見守明政が継ぐべきであった。血筋も正統性も彼こそが相応しい。だが、俺は浅井の名を与次郎政元を生かす事で残してしまった。彼にとっては屈辱であったかもしれない。だが、それでも彼は六角家評定衆として責務を全うしてくれている。
俺はそんな彼の誠実さに応えたい。
「石見守、現在其の方が領有しておる田屋城周辺を六角に献じる覚悟があるか?」
「それは、如何なる所存で?以前に御屋形様が高島党への処断の際にお話しくだされた事にございますか?」
「そうだ。其の方にこの若狭国を任せたい。与次郎には城を与えるつもりではあるが、其の方の寄騎とする。其の方はこの後瀬山城を本拠とし、小浜での商い、そして若狭からの物流の管理を行い、若狭全体を差配して貰いたい」
若狭は江戸末期まで行っても最大で八万数千石の石高しかない。それでもこの国は港を整備し、船の来航を管理し、商人達の商いなども統制出来れば、莫大な利益を生む国でもある。その重要な拠点を任せるには、正直六角古参の人間でも楽市楽座の性質をしっかりと理解している人間でなければならず、そういう人間には既に近江国内で領地を与えている。
今の六宿老である、平井加賀守、蒲生下野守、後藤但馬守は既に次代を担ぐ事を伝えているし、その次代に一国を与えるにはまだ早い。となると、評定衆でも俺のやり方に理解を示している田屋石見守しかいないというのも事実。そして、浅井与次郎に城を与えても、それを寄騎として与えれば、彼の不満も幾分でも和らぐであろうというのも一つ。
あとは古参の者達からの不満を如何に抑えるかという点のみなのだが、それを現在の領地を六角に献上し、新たに若狭を貰うという体を取る事で押さえようと考えている訳だ。
現在の田屋家の所領は多く見積もっても二万石強。およそ四倍の石高の差配を任せるのだ。大躍進に違いないが、それでも先祖伝来の土地を離れるというこれまでの武家価値観からは考えられない仕置きとなる。
「御屋形様のお計らい。この石見守、深く御礼申し上げます。御屋形様のご期待にお応え出来るよう懸命に努めまする」
「そうか、受けてくれるか!?」
まさか即答で受け入れてくれるとは思っていなかった。先祖伝来の土地と城、それはこの時代の武家にとってそれこそ命よりも重要な物であり、何に変えても守らなければならない物である。それをこの男は即答で捨てると言った。例え四倍の石高の領地になると言っても、断腸の思いであったに違いない。
「済まぬ。其の方の働きには今後も報いる事を誓おう」
「高島党への処断の際、『今後は領地に拘れば、他の者が大きくなるのを見ているだけになる』とお話し下された事が真であったのだと嬉しく思います。これからも御家は大きくなるのでしょう。その先駆けとなれた事、田屋家が後世まで誇る事となれましょう」
後世にまで残すさ。祐筆に言って、このやり取りを残させる。六角家にとって最も功績を残したのはこの若狭への領地替えを受け入れた田屋石見守明政であると。
感謝の意を示す為、石見守へ軽く頭を下げると、流石に慌てたように『御屋形様!』という叫び声を上げた。
「文字通り、これで石見守は一国の主だ。港の整備に関しては、指示を出させてもらうが、頼むぞ」
「はっ、身命を賭して努めまする」
これで憂いは無くなった。少し身体を休め、夜明け前に後瀬山を立つ。守将として石見守を後瀬山に残し、若狭入りした六角全軍を持って、国吉城へ向けて駆ける。
甲賀衆に命じ、鳥越城に籠る兵達に向けて指示を送る。糧食は少ないだろうが、三日耐えて欲しい旨。城を出て戦っても良いが、全面衝突は避ける事。それと同時に甲賀者に江北衆の中で朝倉に繋がっている者の炙り出しもさせた。
夜中に門を開けるような裏切り者が出れば、六千の兵が壊滅するだろう。
そして、最後に蒲生左兵衛大夫宛に文を認めた。下野守の前で文を読む事。俺が到着するまで下野守がこの世を去る事をけして許さぬ事。傷口をしっかりと水で洗い清潔な布で固定する事。
消毒薬もなく、傷口を縫う事も出来ない。自然治癒を待つしか方法がない以上、生存率はかなり低いだろう。しかも戦で使う槍などは将などでなければ手入れもされていない物が多く、錆や泥などが付着した物ばかり。そのような刃物で傷つけられれば、雑菌が身体に入り、破傷風、敗血症、様々な危険が伴う。
「国吉城へ先触れを送れ!六角に抗うのであれば門を閉じておれ、降るのであれば開門して待てと。それと、朝倉陣に六角本隊の情報が行かぬように情報を封鎖せよ」
「畏まりました」
三雲対馬守に指示を出し、甲賀者が先を走る。馬で走っている俺からも瞬時で見えなくなる。この時代の忍者はどういう身体の構造をしているのか疑問に思う。
後瀬山から国吉に向かう為には山を幾つも越えなくてはならない。一度鳥浜まで出て日本海沿いに国吉を目指す。途中の城には『今降れば本領安堵、敵対すれば後に滅ぼす』と伝え、降るのであれば参陣するように申し付ける。参陣しない者達は後々潰して行くつもりだ。
本領安堵と言っても僅か五百石、千石程度の所領だ。大勢に影響はない。小浜周辺、鳥浜周辺だけでも既に石見守の現在の所領の倍近くになるだろう。
「鳥浜、田名の宮司共にも触れを出せ。六角は神社に危害を加える事はせぬ。心健やかに職務を全うせよと」
「はっ」
再び甲賀衆の何人かが散って行く。
朝倉軍の総数はおそらくは一万を下らないだろう。朝倉家が持つ越前一国の石高はこの時代で約四十五万石。単純計算で朝倉家総兵力は一万三千から一万四千が限度となる。だが、単純に石高計算だけではない。無理をすれば増やす事は可能だ。
ただ、加賀一向宗の問題もあり、全力を向ける事の出来ない朝倉家が最大で出せても一万が限度だろう。史実での姉川の戦いで朝倉家が出した兵力は一万八千と云われているが、あれは若狭一国を入れ、いくらか銭で雇った兵も入れての兵数と考えれば、やはり今回の戦いでは一万が限度であろう。
今、鳥越城に籠る六角軍が六千程だとする。減っていても四千を下回る事はないだろう。それと本隊である九千が合流すれば戦えない兵力差ではない。
鳥浜の神社にて小休止を取り、中山を抜けて美浜に入る。美浜まで来れば国吉城まで僅かだ。ここまで来るのに、既に日は傾いていた。西に沈み始めた太陽の光によって久々子湖が赤く輝いている。この五湖が水路で結ばれたのは江戸時代だったか。本当に美しい光景だな。こんな忙しない状況でなければ、ゆっくりと眺めていたい風景だ。
土井山を越える頃には完全に日が落ちてしまった。先頭を歩く者達が灯す松明の灯りを頼りに進み、国吉城のある城山と天王山が前方に見えて来たのを確認して、兵達を休ませるための陣所を築く。
簡易な陣所ではあるが、敵地と考えて警戒を解く事なく、交代で兵を休ませる。国吉城の城主である粟屋越中守勝久が六角に敵対した場合、夜襲を仕掛ける他ないからだ。
「対馬守、国吉城へ送った者はまだ戻らぬか?」
「はっ、国吉へ向かわせた後、そのまま鳥越城へ向かわせました為、未だ戻りませぬ」
国吉城で拉致されたか、殺されたかと思ったが、鳥越城への使者とは別に状況を確認させるために向かわせたのだろう。本来は国吉城の回答を持ち帰らせるべきなのだが、それを要求しなかった俺の落ち度か。
今、夜襲を受けて戦闘に入れば、如何に相手が寡兵と言えども、疲れによって苦戦しかねない。これで国吉城を攻めなければならないとなれば、かなりの時間を消費するだろう。史実でも何度も押し寄せる朝倉軍をこの国吉城に籠った粟屋勝久は撃退し続けているのだ。
「御屋形様、国吉より使者が参りました」
「通せ」
面倒だなと考えていた所に国吉からの使者の来訪が告げられる。
間髪入れず応えれば、そのまま陣幕の外から三人の使者が顔を出した。
「…お初にお目に掛かります。某、粟屋越中守が臣、安田源三郎勝長にございます」
「六角右衛門督弼頼である」
正直、粟屋家家臣までは知らない。憶える事は出来ない。しかし、それでは足利将軍と同じになってしまうな。陪臣など憶えるに値しないなどと言えば、それはあの公方と同列に落ちてしまう。
「主、越中守よりの言上をお伝え致します。『国吉にて食事と陣屋を用意してお待ち申し上げております』」
「よし、大儀!」
粟屋越中守勝久は六角に降る事にしたようだ。史実では朝倉を若狭に入れようとした武田義統に反乱を起こし、国吉城に籠って朝倉軍との籠城戦を行った程の男。今の六角家も強引に若狭入りした部分は変わりない為、反発するのではないかと思っていたが杞憂であったようだ。
既に義統は父信豊との家督相続争いの際に朝倉の援軍を願う意思を表していたし、それに対して反対をしていた粟屋は朝倉軍と数度戦をしている。それ故に朝倉憎しが勝っていたのかもしれない。
褒美と称して幾ばくかの金子を渡し、使者を国吉城へ戻した。
「対馬守、国吉城へ向かう」
「お気を付け下され。罠の可能性もございます」
「うむ。朝倉と手を組む事は無かろうが、用心は致す」
三雲対馬守の警告を受けはしたが、ここで本隊が行かないというのは臆病者の誹りを受ける。国吉城の兵力など多くても五百前後だろう。無理をしても千までは届かない筈だ。こちらに疲労があるとはいえ、それでも相手になる兵力差ではない。朝倉軍が美浜に入った報告もなく、問題はないと思うが、それでも最大の警戒をしながら国吉城へ向かった。
国吉城下は騒然としており、朝倉軍の動きは詳細までは分からなくとも、動いているという事は掴んでいるのだろう。そして六角軍が若狭に入り、既に後瀬山城も支配下に置いている事も理解していると考えて良いだろう。
国吉城も山城であり、日本海側にある天王山程の標高はないが、山の上に本丸がある城である。関東平野の城は平城が多いが、やはり山の多い地域になれば、ほぼ山城が多いだろう。そんな国吉城ではあるが、六角軍が城下に辿り着くと、国吉城主自ら城下にまで降りて待っていた。
「…国吉城主、粟屋越中守勝久にございます」
「うむ。六角右衛門督弼頼である」
城下の陣幕に案内され、白湯と握り飯を出された後、俺の前に一人の男が参上した。歳の頃で三十過ぎ。今流行りの月代を作っている所を見れば、中々の傾奇者なのだろう。朝倉軍とも対等な戦いを演じて来た男が今は六角家当主に跪いている。
正直、彼が本心から六角に従うという事に疑問は持っている。だが、彼は史実でも織田には従い、若狭を与えられた丹羽家に仕えるようになっている事を考えると、時代の流れにはしっかりと対応していたのだという事は解る。もしかすると、単純に朝倉が嫌いだったのかもしれない。
「此度の伊豆守殿の訃報を受け、不遜にも若狭を侵略しようとした逸見駿河守は討ち取った。既に先代である治部少輔ともお話をし、若狭は六角が差配致す事でご同意を頂いておる。以後、治部少輔殿と奥方は近江で過ごされ、伊豆守殿のご嫡男である孫犬丸はこの右衛門督の側仕えとなる。元服後には武田の名跡を継がせ、六角の将として励んで貰うつもりだ」
「手厚いお計らい、若狭国人衆の一端として御礼申し上げます。以後、この越中守勝久、右衛門督様を御屋形様と仰ぎ、励む所存にございまする」
「うむ。本領である国吉城及び、美浜は其の方に任せる。だが、若狭後瀬山城には田屋石見守を入れ、若狭一国を差配させるつもりだ。寄騎として石見守を助けてやってくれ」
「…畏まりました」
不満そうには見えない。若狭一国を与えられるとは考えていなかったのだろう。現状では六角に抗えば一族の族滅となろう。朝倉と共闘すれば万が一が発生する可能性もあるが、それは完全に博打に近い。一族の命運を賭けるには利よりも損が大き過ぎるとの判断なのかもしれない。
しっかりと六角家中で励んでくれれば、それ相応に報いても良いのかもしれない。それだけの価値がある将のようだ。
「明朝、関峠を越えて敦賀に入る。越中守、同道せよ」
「委細承知にございます」
朝倉へぶつけて消費させる訳ではない。六角の戦を見せる時だ。今までの若狭の戦は国人衆達の小競り合いでしかなく、朝倉との戦もまた国境の小競り合いに過ぎない。この戦で敦賀を取る。後世の敦賀城は平和になった時代の城であり、本能寺の変後に築かれた城だ。故に平城であり、朝倉家がある以上、防衛拠点としては心許ない。
やはり敦賀を取るならば、金ヶ崎城を取らなければ防衛は厳しいだろう。今回は疋檀城を取り、そこを対越前の最前線拠点としよう。今回の戦はそこまでで終いだ。
「越中守、敦賀の地図はあるか?」
「はっ、簡易な物ではございますが」
粟屋家臣が墨で描かれた簡易な地図を持って来る。本当に簡易な物で、山があり、城の場所なども大まか。遥か未来のように縮尺も均一ではない為、距離感も掴みにくい。何処に何があるかだけが朧気に分かる程度だ。
それでも関峠を越えた先にある金山城はしっかりと記されていた。史実では朝倉が若狭に攻め入ろうと国吉城を攻める為に築城されたと云われており、この時代ではまだ築城されていないかもしれないと考えてはいたが、まだ砦のような扱いではあっても存在はしていた。ここも越前攻略の最前線に出来るだろう。
「金山の砦を奪うぞ。ここを拠点とし朝倉と対する。朝倉にも我らが国吉に向かっている報は届いているだろう。我らが鳥越城への救援に辿り着く前に助高川付近で戦となるだろう。何としてでも退け、鳥越へ向かうぞ」
皆の同意を受け、握り飯の残りを口に放り込んだ後、俺が立ち上がる。しかし、その出鼻を挫くように最悪の報が届いた。
甲賀者が陣幕に飛び込んで来て、三雲対馬守へ報告を入れる。それを俺が聞くという面倒さに嫌気が差し、怒鳴りつけるように直に報告をするように指示を出す。それに対して返って来た甲賀者の報告に俺は言葉を失う事となった。




