滅亡への道
観音寺城に戻った俺の前に、またもや使者が座っている。
周囲には六角家評定衆。その中には、先日評定衆に列する事になった森田新右衛門浄雲の姿もあった。
結論から言うと、伊賀平定は本当に呆気ない物であった。俺の本隊が柘植に居た父承禎入道の軍と合流してから建築中の丸山城付近まで兵を進めると、仁木軍は既に仁木氏館へ兵を引いていたのだ。
伊賀の中心部に位置する下神戸の地に城を築かれると、仁木氏としても焦りを感じていたのだろう。六角家への意思表示のような形での破壊活動であった。一昔前であれば、それは小さな小競り合いをし、和睦という形で矛を納めていたのだが、最早そのような時代ではないという事を仁木氏は理解していなかった。
数名の死者が出た以上、六角としては敵対行為と見做す。そしてそれは和睦などでは終われない。相手は伊賀守護職にある者ではあるが、こちらも近江守護職を持つ大名である。守護職が相手の守護職の領土に攻め込んだのだ。それはこれからの世では存亡を賭けての戦いになる事を理解しなければならなかった。
六角軍は止まる事無く、仁木氏館へ攻め込んだ。元々防衛設備を備えた城としての形態を持っていない仁木氏館は数刻で落ちる事となる。仁木氏当主である、仁木四郎長政は生け捕られ、その親族も全て俺の前に並べられた。
名ばかりではあるが、仁木長政は守護職である。別に殺しても良いのだが、また室町が五月蠅くなるだろうと考え、観音寺城へ一族全てを連れて来たのだ。
仁木氏館改築。城としての備えをする事を命じた。史実でもこの場所が伊賀上野城になった故、そのまま上野城と名付けよう。城主を誰にするかと考えていた所での使者来訪である。六角家臣全員の予想通りの場所からの使者であった。
「細川兵部大輔藤孝にございます」
「お久しぶりにございます。蜷川新右衛門親長にございます」
案の定、幕府よりの使者。その使者は細川藤孝と以前使者として赴いた蜷川親長。若い二人が使者となっている。本当に馬鹿にされているなと感じる。三十路に届かぬ若者を今や近江、伊賀の二国と北伊勢を領する六角家への使者としているのだ。
細川藤孝は兵部大輔の官位を有し、現将軍の側近として若い頃から仕えているが、蜷川親長は官位もなく、実績もないに等しい。そういう扱いなのだろう。蜷川殿も六角も。
「お二人とも久しいの。京では雪が積もったとか。春が待ち遠しい限りだ」
既に年は明け、永禄五年となった。西暦で言えば1562年となる。正月も過ぎ、皆が動き始めてはいるが、この近江でも雪がちらついていた。
この時代の冬は本当に寒い。京都でもしっかりと雪は積もるし、この近江でも雪景色を見る事が出来る。しかも裸足で薄着だ。それでは体調を崩して風邪をひき、治らないまま命を失う者も出て来るだろう。
伊賀を平定したのは年末に近い頃ではあるが、室町からの使者が遅れたのは雪事情などもあったのだろう。年末には京ではかなり雪が降ったようだった。
「二条御所の周りも珍しく銀世界となり申した。火鉢だけでは寒さを凌げず、六角家より融通して頂いた綿の入った外襦袢が離せずにおります」
「右衛門督様には、某のような者にまで外襦袢を都合して頂き、感謝が絶えませぬ」
今年から近江で綿花の栽培を始め、その収穫が秋に出来た。布団を大量に作ることは出来ないため、半纏を作ろうとしたのだが、この時代に半纏という物は存在しておらず、女性が使う長襦袢を二枚重ねその間に少量の綿を入れる事によって簡易的に半纏を作成した。それを家中の者達に加え、この二人にも送ってやったのだ。
蜷川親長は以前の面会で俺が気に入っていたし、細川兵部大輔は三六会談で山城へ入った際に会った時、酷く憔悴していた為に労いも込めて贈ってやった。勿論、その他の幕臣達には贈っていない。一応公方には贈った。贈りたくはなかったが、細川、蜷川に贈るのであれば、公方だけには贈らなくてはならないという家臣達からの進言があったためだ。
それらを贈る前に、朝廷には既に献上済みであり、帝の物も含めて数枚を献上してある。誰に渡すかは帝の心次第として贈っている為、おそらく公家衆には回っていないのだろう。今、かなり公家衆から要望という名の脅迫文が六角に届いていた。
「気に入って頂けて何より。当家の中には寒さで弱音を吐くなど武士に非ずと怒る者もおってな」
ちらりと横目で見ると、後藤但馬守、蒲生下野守が視線を逸らした。この二人は昔気質の人間である事もあってか、『寒い寒い』と口にする俺を軟弱だと意見している。外襦袢の作成を始め、それが出来上がるまでその小言は続いたが、いざ雪がちらついた頃に出来上がった半纏もどきを真っ先に父承禎入道に贈った俺に口を閉ざし、その半纏もどきを着物の上に着た父の喜びように完全に閉口した。
「公方様へもお贈りはしたが、『田舎武士の如き』と着用はされておらぬと聞いておる。蔗軒日録なる書物に『心頭滅却すれば火もまた涼し』などと言う言葉があるようだが、そこまでくれば最早人ではあるまい。日ノ本には暑い夏があり、夏が終わって風が冷たくなり始める秋があり、そして全てが寒さに覆われる冬があるからこそ、温かな木漏れ日漂う春が待ち遠しいのだ。夏には夏の、秋には秋の、そして冬には冬の楽しみもある。身体を暖かくしながら熱い白湯を飲み、雪景色を眺めるのもまた一興という物であろう」
「…右衛門督様の御言葉、真に御尤も。しかしながら、とても某よりもお若いとは思えませぬ」
確かに爺くさい物言いであったかもしれない。だが、寒いものは寒いし、暑いものは暑い。現代でも『寒い』、『暑い』を口にすると怒る人間はいたが、仕方ない事だと思うのだ。
人間は毛皮を持っている訳ではない。ならば上からそれに代わる何かを着なければならない。暑ければ脱げば良いが、寒ければ着込まなければならないだろう。
「して、此度のご来訪の目的は? 外襦袢であれば、今は外注を受ける余裕はござらぬぞ」
「外襦袢の追加は是非とも欲しい限りです。某の外襦袢は妻に取られてしまいました故」
俺の本題に入ろうとする言葉を流し、冗談を口にする兵部大輔もやはり幕府内の人間なのだろう。勿体ぶっているのではないだろうが、回りくどい。早く本題に入って欲しい。俺も暇ではないのだ。
そういう気持ちが顔に出ていたのかもしれない。蜷川親長の顔が強張り、細川兵部大輔が表情を引き締めた。
「右衛門督様には正直な某の気持ちをお話致しますが、かなり無理なお話となります。某も蜷川殿もこのような使者のお役目はご免蒙りたいのでございますが、先にお話を致しました外襦袢の件もあり、某と蜷川殿に白羽の矢が立ち申した」
「ふむ。良かれと思い其の方らに贈ったが、それが仇となってしまったか」
「いえ、外襦袢を頂きました事、感謝以外にございませぬ。ただ恥ずかしながら、それを面白く思わない者達が多くいるという事にございます」
今、摂津中務大夫や進士美作守が六角への使者として観音寺に赴いていたとすれば、話の内容次第ではあるが、場外で斬って捨て、鴉の餌にでもなっていたかもしれない。それ程に両名への不信感は大きく、それを許せないと思う六角家臣は多い。俺が一声かければ、嬉々として刀を振るう者も多いだろう。
外襦袢は、幕臣達には贈っていない。細川、蜷川の他には、朽木民部少輔にしか贈ってはいなかった。それが幕臣達の誇りを傷つけたのだろう。しかし、元から人付き合いをしてきていないのに、付届け以外に何かが貰えると思っていること自体が凄い事だと思う。
「それで?」
「はっ。これよりは公方様よりの御言葉となります。『此度の伊賀守護への狼藉は如何なる所存か。仁木氏は幕府より正式に叙任された伊賀守護である。即刻、伊賀を仁木氏へ返還すべし』との事にございます」
六角家臣達の顔色が変わる。それと共にこの広間の空気も張り詰めた。細川兵部大輔の額には珠のような汗が浮かび、その後ろに控える蜷川新右衛門の顔を青褪め始める。俺としてはそれ程不快に思っていない。何故なら予想していたからだ。馬鹿じゃないかという呆れはあるが、最早相手をしても仕方のない部類の者達という認識である為、頭には来ないが、実際に銭と米と労力を使った家臣達の怒りは相当な物だろう。
「ふむ。であれば、俺も兵部大輔殿故、腹の内を語ろう。ここからは公方様への諫言となる」
「はっ」
別に怒りはないが、不快である事は確かだ。正直、もう将軍家の御守りは御免であり、百害あって一利なしの将軍家など関わりたくもない。完全な縁切りだな。
「守護職から国を奪ったと糾弾するのであれば、美濃、尾張、三河にまず使者を送りなされ。美濃の守護の土岐氏は今や関東の縁戚を頼り、上総国へ下向致しました。尾張守護の斯波武衛家は先年尾張を追放され、今や何処におられるのやら。三河も二百年前であれば仁木氏が守護であったかと。紆余曲折あって足利御一門の今川氏が三河を治めておりましたが、それも松平に奪い返されました。そういえば、遥か昔であれば、丹波守護も仁木氏でありましたな。その後は細川に移りましたが、現在は誰であったか分からぬ程国内が乱れております。守護職を正したいのであれば、全国に使者を送りなされ」
室町幕府の発足時から守護職を持ち、その地を治めている家など、今は日本全土でも数える程しかない。特に中央であるこの近畿、東海であれば、伊勢の北畠と近江の六角ぐらいなものだ。紀伊は同じ畠山でも河内畠山氏と尾州畠山氏が入り乱れている。それもこれも幕府が気分次第で守護職を与えていたからだ。近江だとて京極に守護職が与えられた事もあり、正確には六角が近江全土の守護であり続けたかと言われれば否となるのだ。
「仁木四郎長政とその家族は、現在この観音寺で部屋を与えております。引き渡します故、室町で禄を与えなされ。六角は、自領である下神戸での築城を仁木氏の攻撃によって中断しております。その仁木四郎を伊賀に戻し、伊賀国全土を与えよと申されるのであれば、仁木による下神戸の攻撃は室町の命と捉えますが宜しいか? 清水山城の高島氏の事をもうお忘れなのか。六角は公方へ忠を示し、清水山城を高島に返還致しましたが、その結果は散々たるものでありましたな」
広間に俺の声だけが響く。細川兵部大輔も蜷川新右衛門も口を挟むつもりがないのか、じっと俺の話を聞いている。家臣達も同様で、静かに使者へと視線を向けていた。
最早、足利と六角の間は修復不可能なほどの亀裂が入っている。これ以上力を入れれば、粉々に砕け散るだろう。それを目の前の使者二人は解っているのだ。だからこそ、一言も発しない。弁明もしなければ、抗弁もしない。
「更に言えば、守護職であった京極氏から北近江を奪った浅井は、元々京極家の家臣。更には六角から佐和山を奪い、高島郡も覗っておりました。その際に、室町は浅井へ使者を通して返還の命を行われたのですかな? 幕臣共の六角憎しという個人的感情に流されておるだけではありませぬか? それ程に六角家の忠義を疑い、縁切りをお望みとあらば、主君の望みを叶えるのも臣下の役目。これ以降、六角に付いては御放念頂きたく、お願い申し上げる」
完全なる決別宣言。
静かに聞いていた家臣達の息を吞む音が聞こえた。
使者の二人はというと、蜷川新右衛門は目を見開いていたが、細川兵部大輔は予想していたのだろう。静かに俺を見ていた。
「以後、献金、献上の類もご遠慮申し上げる」
誰一人口を開く事はない。俺の内にある六角義治の精神さえも暴れ出す事もなく、静かに佇んでいる。その為か、表面上も内面も怒りの感情など無く、冷静であった。本当に冷静過ぎて自分でも驚く程に静かで冷たい声が出ていたと思う。
「もし、公方様近くに仕えている仁木与四郎義政を伊賀に入れよというお話があれば、以後、仁木与四郎及び、修理大夫義秀を六角一門とは認めず、六角姓を名乗る事も許さぬ。但し、別家を立て、この右衛門督弼頼に仕えると申すならば、それを認める」
与四郎義政は、所謂嫡流の流れだ。俺の祖父六角定頼の兄である六角氏綱の次男。そして、氏綱の長男である六角義実の嫡男が修理大夫義秀となる。
向こう側からすれば、本来、嫡男筋である六角義実が成人した際に家督を譲るべきであった六角定頼が管領代となっていたためにお家を継ぐ事が出来ず、その子である六角義賢へ受け継がれてしまった事を乗っ取りであるというかもしれない。
だが、既に体制は定頼の系譜で落ち着いているのだ。それを覆す事は最早難しい。史実通りに六角義治が馬鹿な事でも起こさない限りは、六角氏綱の系譜が近江守護を継ぐ事は出来ない。
俺が六角姓を名乗る事を許さないと言ったところで、向こうは『六角本家は自分だ』と言うだろう。元服時には六角義賢が後見となり、本来であれば、今この場所に座っているのが修理大夫義秀であったのだが、三好との戦の中、徐々に六角義賢と不仲となっていた。史実では織田家から嫁を貰っているのだが、この世界では既に六角と将軍家の仲が拗れていた為、仲介役がなく実現していない。史実であれば、六角修理大夫義秀は観音寺城に居るのだが、この世界では六角家当主が完全に六角義弼になっていた為、元服後も義秀は幕府に出仕していたのだろう。
「傲慢、増長と言うのであれば、言えば良い。だが、この時代、そうでなければお家を護れぬ。家臣達の家も土地も護る事は出来ぬ。それは、兵部大輔殿、新右衛門殿が良くお分かりであろう」
細川兵部大輔、蜷川新右衛門の両名が静かに首を動かした。
彼らは足利家に仕えてはいるが、自身の所領を持っている訳ではない。荘園のような物は持っているだろうが、それだけだ。それは何故かというと主家が弱いからであり、落ちぶれているからである。
「兵部大輔殿には腹の内を語ると申した故、俺の正直な想いを語るが、仁木与四郎も修理大夫義秀も我が一門衆である。本来であれば、共に手を携えてこの近江を強くしたいと願うておる。だが、今、俺の座るこの場所を明け渡す事は出来ぬ。今の六角は近江半国の領主ではなく、近江、伊賀、北伊勢の太守となった。その舵取りを他者に委ね、領民家人を路頭に迷わす訳には行かぬ。時代は変わっておる。臣下としてであれば受け入れるし、功には報いる」
一気に話し切り、一息付いた。小姓に白湯を用意するように伝えると、広間に居る全員に一杯の白湯が用意された。それで喉を潤すように飲むと、広間に居るほとんどの人間が白湯に手を伸ばしている。彼らにとっても尋常ではない話であったのだろう。
細川兵部大輔も蜷川新右衛門も同様のようで、出された白湯へ手を伸ばし、一気に飲み干している。暫し、誰も口を開く事なく、ただ喉を潤す音だけが響く。
「…右衛門督様の御考え、しかと承りましてございます」
細川兵部大輔が一度深く平伏した。
幕臣として、幕府の使者として来た者の振る舞いではない。まるで臣下のような振る舞いに俺は少し戸惑った。そして、顔を上げた兵部大輔の目には憐憫のような色が差しているのに気づく。俺の何を憐れんでいる。ふと内にある六角義治の精神が起き上がりそうになった。
「その上で、公方様よりの御言葉を続けさせて頂きます」
間抜けな声が出そうになった。これ以上、何を言うつもりだ。何を言っても無駄である事は細川も蜷川も理解している筈だ。態々火に油を注ぐ必要があると言うのか。本当に理解が出来ず、細川兵部大輔への返答が遅れてしまった。
「『山城の雪解けを待ち、三好駆逐の兵を挙げる。六角も同道すべし』との事にございます」
思わず脇息を殴ってしまった。
かなりの力で殴ったのだろう。脇息が真ん中より真っ二つに折れ、俺の左手からは血が滴り始めた。折れた脇息の破片も刺さっており、太刀持ちの小姓が慌てて俺の傍に寄って来る。
これ程に怒りを感じたのは、内にある六角義治ではない。確かに六角弼頼本人の意思だ。俺の本気の怒りを感じたのだろう。傍に寄って来た小姓は恐怖に震えながらも俺の手の傷を見て手当を始める。怒りによって痛みを忘れ、左手が熱を持っている事だけは辛うじて分かった。
「…御屋形様、落ち着きなされませ」
同席していた父承禎入道が声を発した。この場所で今、俺に声を掛ける事が出来る人間は先代当主である六角左京大夫義賢しかいないだろう。宿老達は昔から俺の癇癪に付き合ってきている事もあり、大した動揺は見せていないが、新たに評定衆に加わった者達は癇癪ではない明確な怒りに動揺をみせていた。
「ふぅ…。細川兵部大輔、それは確かに公方様よりの御言葉か?」
「はっ。現在の三好は、一柱である十河民部大夫殿を失い動揺しており、畿内より三好を駆逐する絶好の好機。その為には六角氏の助力が必要とのお考えでございます」
「蜷川新右衛門、俺の警告を兵部大輔に伝えたのか?」
「はっ。右衛門督様のご懸念は余す事無く細川殿へお伝え申し上げました」
今の俺に、目の前の使者二人を気遣う余裕などなかった。二人とも、俺に呼び捨てにされても、微動だにせず答えを返して来る。彼らもそれをこの場で咎めれば、収拾が付かなくなることを理解しているのだろう。
蜷川の返答を受け、俺は細川藤孝を睨みつける。俺の警告を聞いたにも拘わらず、上申しなかったのかと。
「右衛門督様の御考え、某から公方様へはお話出来ませぬ。義兄三淵大和守には話を通しました。ですが、十河民部大夫殿の死に公方様自身は関与されておらず、確たる証もなく諫言をする事も出来ませぬ」
「暢気なものだな…。足利家存亡の危機だというのに、其の方ら幕臣共は何も理解しておらぬ。今も尚、将軍家は害される訳はないとでも思うておるのか。足利家は他の家や人を害して良いが、他家は足利家を害してはなるまいと? 虫唾が走るわ」
因果応報という言葉を知らんのか。
下剋上で生み出された世で下剋上を否定するという矛盾を二百年続けて来たのだ。その歪は年を経るごとに大きくなり、既に崩壊寸前にまで来ているのだ。
今のこの日本で、その事に気付いていない者はいない。そして、その権威を利用しようとする者はいても、その権威を守ろうとする奇特な人間は少ない。全く気付いていないのは幕臣達だけだろう。
「細川兵部大輔藤孝、公方様が挙兵すれば後戻りは出来ぬぞ。公方様の御命も危うく、最悪足利将軍家は滅びる。最早屈託なく話すが、現公方様の代わりは居るのだ。一乗院には覚慶様が居り、三好の本貫である阿波には平島公方も居る。畏れ多い事ではあるが、その方々を担ぎ出せば名分は立つ。暗殺という手を使った今の室町に大義はない。公方様の与り知らぬ事で済む段階は疾うに過ぎているのだ」
何故、ここまで暢気でいられるのだ。挙兵すれば勝てるとでも思っているのか。そもそも勝った後はどうするつもりか。
三好を畿内より駆逐? 駆逐した後、摂津、河内、和泉、大和の一部を誰がどう治めるつもりだ。幕臣を守護としておくつもりか? 尾州畠山家が河内、和泉を治めきれるのか?
領土は広がれば良いという訳ではない。そこを治める為の計画も必要なのだ。そして、防衛に必要な銭、米、兵が必要になる。防衛の為の拠点も考えれば、とてもではないが現在の将軍家にどうにか出来る事ではない。
冷静になって来ると、途端に左手が痛み出す。既に小姓による手当も進み、清潔な手拭にてきつく縛られてはいるが、じくじくとした痛みと熱が左手を覆っていた。
「この状況になった以上、公方様に跡取りが出来る事はあるまい。例え誰かが懐妊しても無事御生まれになるか…。もし御生まれになられても元服や髪結いは難しかろう」
「…それ程でございますか」
「故に何度も申しておる! 其方らの考えが甘いのだ! 今の公方様では阿呆共を統制する事は出来ぬとなれば、公方様は挿げ替えられるぞ!」
将軍誅殺というのは大罪のように考えがちだが、三百年前の鎌倉将軍は簡単に暗殺されている。三百年経てば、時代も変わり、景色も変わるものだが、この頃の日本は三百年経過しても、世の中はそこまで変わっていない。飛躍的な経済発展がある訳でもない。だからこそ、根底にある考えは変わっていないと考えるべきなのだ。
「公方様を直接暗殺などという事は無かろう。だが、挙兵すればその限りにあらず。我らは武士なのだ。降りかかる火の粉は払わなければならぬ。ここまでは如何に不当な扱いを受けようが、蔑まれようが、実質の支配者は三好であった故、修理大夫殿も京を追う事はあっても直接公方様の御命を奪う事はなかった。だが、その前提は崩れた」
三好も十河一存を失い、余裕がない。尾州畠山家が動き始めれば、大和の筒井も動くだろう。丹波から若狭を狙っている兵をそのままにする余裕はないだろうが、若狭武田が足利と合流しようと援軍を出せば、若狭を再度覗う動きを見せる筈。そうなれば朝倉が出て来る事になり、若狭は更に混乱するだろう。
「六角は伊賀、北伊勢の統治を優先するため、出兵は出来ぬ。伊賀の統治を認める代わりに出兵せよと申されておるならば、某に最早語る言葉はござらぬ。公方様への最後のご奉公として、挙兵の御考え直しを諫言致す」
「…最後のご奉公でございますか」
「これまで祖父雲光寺様の代より、佐々木六角家は足利将軍家に尽くして参った。その忠義に対して足利将軍家より頂いたのは、仇のみ。雲光寺様の時代では京極の北近江の統治を容認し、父左京太夫義賢の代では度重なる出兵に対しての恩賞は通字の下賜による栄誉のみ。俺の代に至っては、要請に応えた者に対して一向宗を煽り、山城では命を狙うあぶれ者まで差し向けられておる。そこまでして尚、室町は忠義を望むのか?」
この時代の人間にとって、通字の下賜は領地や金品などよりも価値があり、俺の言葉は不敬以外何物でもないのだが、それでも名誉、栄誉では腹は膨れない。兵を揃えるのも、その糧食を揃えるのにも、そして軍備を整えるのにも莫大な銭が掛かっている。故にこそ、その準備の為に家臣達が日々働いているのだ。
将軍の我儘に付き合って何度も何度も戦を行い、その度に消えて行く銭や米を補うために政をしていたから、六角は今まで大きくなれていない。いつも前借した戦費の補填を行うからこそ、豊かになっていないのだろう。
「不忠と叱責をされるのであれば、これまでの行いを省みよ。幕府を、幕臣を信ずるに値するという証を見せてみよ。不信は身から出た錆である」
もう良いだろう。
これ以上、不毛なやり取りは御免だ。早々にお帰り頂こう。
左手の手当てを終えた小姓に小さく礼を言い、脇息を壊した事を詫びる。脇息を壊したにもかかわらず、左手の骨に異常がなさそうであったのは僥倖であろう。手は裂けたが、血が流れている個所が化膿しなければ良し。
立ち上がろうと膝に力を込めると、細川兵部大輔が平伏した。
「この細川兵部大輔藤孝、右衛門督様に伏してお願い申し上げます。室町御所へご参内頂き、右衛門督様から公方様へ直接ご諫言を!」
「何を馬鹿な事を。俺のような若造がいくら正論を説いても、幕臣共は誰一人聞く耳を持たぬわ。そもそも命を狙われると解っているのに山城国へ入ろうとも思わぬ。命を賭した諫言などするつもりはない」
命を賭した諫言などするつもりもなければ、その価値もない。それ程の価値を幕府に認めてもいないし、求めてもいない。
諫言をしても、『増長者』と誹られ、『臆病者』と蔑まれるだけだろう。俺にとって何一つ利がない。百害あって一利なしという言葉を最近は身を持って理解する事が多いと思う。
「細川殿、蜷川殿…。もし、其方らの言葉が公方様へ届かないのであれば、それまでだ。其方ら二人であれば、六角に迎え入れよう」
俺はそのまま立ち上がる。
これ以上、この場所にいても仕方ない。
おそらく俺がこの場にいる限り、細川、蜷川の両名は席を立てないだろう。ただ、そこまでの覚悟があるのであれば、それこそ足利義輝に直訴すれば良いのだ。側近中の側近である細川兵部大輔藤孝にそこまでされれば、幕臣共が騒ごうと耳を貸す筈であり、それさえもしないのであれば、最早何をしても無意味だと理解出来るだろう。
おそらく六角が動かなくても、義輝は挙兵するだろう。曲がりなりにも山城国を領しているのだ。それなりの兵は集まる筈。三千、四千でも集まれば、芥川山城は無理でも飯盛山城を脅かす行軍は出来る。それを持って畠山が動けば、三好もそちらに兵を向けるしかなくなる。その時を待って若狭武田と丹後一色が丹波へと兵を進める。三好は四方から囲まれる形となるだろう。
俺であれば、十河一存を失った讃岐で反三好である安富氏などを焚き付け挙兵させるだろう。今は阿波を本貫とする三好実休も畿内におり、畿内に力を入れるとなれば、自ずと四国が手薄になる。畿内勢力を失う事より本貫である四国を重視するかは賭けだが、それでもやらない手はないだろう。
そこまで出来れば、六角の兵が無くても足利が一矢報いる事は可能かもしれない。
広間を出る際に、顔を上げていた細川兵部大輔と目が合うが、何処か諦めのような色をした目をしていた。彼の頭の中には、これから起こるであろう苦難が渦巻いているのかもしれない。だが、それでも六角家を護る為に直接手を差し伸べる訳にはいかない。
公方が殺されるかどうかも分からないが、足利が三好を滅ぼす事は絶対にない以上、それも時間の問題だろう。




