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江南の夢(不定期連載)  作者: 久慈川 京


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20/21

北伊勢平定



 伊勢国朝明郡にある梅戸城に入った。この梅戸城の城主であった梅戸左近大夫高実が先年に亡くなっており、今は次男である梅戸実秀が城主となっている。この梅戸高実は六角高頼の息子であり、俺の祖父となる六角定頼の弟となる。つまり、現当主である梅戸実秀は、父六角承禎の従兄となるのだ。

 やはり、この時代の六角の縁戚計画はややこしい。だが、それによりこの北伊勢への入国も比較的楽だった事を考えれば、悪い事ばかりではないだろう。

 梅戸に六角軍が入ると、北伊勢はかなり騒がしくなった。梅戸城とは宇賀川を挟んだ位置にある大木城の大木氏、金井城の種付氏が六角への恭順を示して来る。

 北伊勢は、小豪族の集まりであり、何処か大きな家がまとめている訳ではない。表向きは伊勢国司である北畠を盟主としているが、封建制度が確立している訳ではないため、各自が独立独歩で成り立っていた。だからこそ、織田家の北伊勢侵攻時は成すすべがなかったのだ。


「御屋形様、桑名からは?」


「何もない。以前と同様に何もないと思うているのだろう。六角が本気で北伊勢を取りに来ているとは考えておらぬのだ」


 梅戸周辺は既に六角家の色が濃い。独立領主が多いが、既に柿城の沢木氏は滅びているし、南に下った神戸城の神戸氏、亀山城の関氏は蒲生と縁戚であり、六角への恭順の意を示している。明後日には臣下の礼を取りにこの梅戸へ来る予定になっていた。

 だが、実際に、この地に六角譜代の臣を置いている訳でもなく、一門衆がいる訳でもないため、六角家の所領としての認識が薄いのだ。だからこそ、六角本体が近江に帰れば今まで通りという浅い認識の下、使者を送って来ない。それではこれからの時代で生き残れない事を理解していないのだろう。


「だが、好都合だ。桑名までは一気に取る。長良川は渡らず、長島へ押し込めてしまえ。桑名城は六角直轄とし、願証寺への備えとするには良い機会だ」


 これを機に、長島城を孤立させ、願証寺も同様に孤立させる。長良川と木曽川の両方の河口に挟まれた場所にあり、近江と北伊勢を六角が制すれば、西側からの遮断は可能であり、西に本拠がある一向派はかなり苦しい状況になるだろう。

 今回の六角動員数は一万二千。留守居役を父承禎入道に任せ、少なくとも八千から一万二千の兵を残している。再び何処かが騒ぎ出しても十分に対処は可能であろう。堅田の一向門徒は消え、叡山の僧兵も解体に向かっている事を考えれば、怖いのは朝倉と斎藤だが、斎藤は織田との戦の最中である為、無理は出来ないだろう。


「観音寺からはまた幕府からの使者が来ているとの知らせもございますが…」


「良い、放っておけ」


 相変わらず、幕府からの使者は後を絶たない。

 『挙兵するから兵を出せ』、『三好を討つ機会を逃すのか』、『幕府の命を蔑ろにするとは何事だ』と回を重ねる程に酷い物になっている。

 挙兵したいのであれば、勝手にしろ。六角の兵を当てにするな。どれだけの恩賞を用意できるのだ。空手形はいらぬ故、明確にして欲しい。という事をやんわりと伝えているのだが、全く理解されない。

 その上、六角が伊勢へ出兵した物だから、いつの間にか六角への糾弾へと変化していっている。既に史実よりも公方の挙兵時期は遅れているため、どうなるのか分からないが、かなり史実とは異なる流れになっている事は確かであった。


「御屋形様…」


「新右衛門か、如何した?」


 そんな話をしていると、傍に一人の男が寄って来る。森田新右衛門浄雲である。伊賀衆は明確に六角への恭順の意を示し、後日に百地丹波守、藤林長門守の二人が観音寺城へ赴いた。それを受け、百地、藤林には士分を与え、観音寺城下での屋敷の建築を許し、早々に下神戸の丸山での築城を命じた。

 築城の監修を後藤但馬守に命じ、その城の城主を百地丹波守にする事で明確に南伊賀が六角の領有地である事を示す為だ。六角が築いた城に入るのだから、独立独歩を謡うことは出来ず、百地丹波守正西を含めた伊賀衆の家臣化が進んで行く事になるだろう。

 伊賀国には百地丹波、藤林長門を在住させ、観音寺城下の屋敷には森田、植田を在住させて出仕させる事とした。


「伊賀にて仁木が動きを見せております」


「はぁ…。また幕臣が動いたか。あの阿呆共は何をしたいのだ。幕府への不満と怒りが増すだけではないか」


 伊賀守護の仁木氏が動くという事はその裏に幕府がいると考えて良いだろう。しかし、幕府の命を無視して、他へ出兵するとは何事かという意思表示なのだろうか。それだとすれば、本当に阿呆以外何物でもない。もう倒れそうな親会社に気を使っている場合ではないのだという事を一体いつになれば理解するのか。

 早く、三好に公方を討って欲しいものだが、そうもいかないだろうな。


「仁木氏が挙兵すれば、対処に当たらねばなりませぬな。しかし、どちらにしても当家にとって利になる事はないような気も致します」


「ふむ。伊賀の仁木氏を滅ぼせば、幕府から与四郎を伊賀に据えよというお達しがあろう。そのまま放置すれば伊賀での六角の求心力は衰える、という事か」


 六角の血を引く、仁木与四郎義政は公方の近くで仕えているが、伊賀守の官職を持っており、伊賀守護としての資格を有している。現在の伊賀守護である仁木四郎長政を六角が討てば、新たな守護として仁木与四郎を幕府が送り込んで来るのは明白であり、六角の血を継いでいるだけにこれを六角家が拒否する事は難しくなるのだ。

 だが、六角の血を引いているとはいえ、俺の祖父定頼の兄である氏綱の系譜になり、本来の嫡流に当たる。そしてこの嫡流と俺の父である承禎入道の仲は決裂しているのだ。一門ではあるが、一門として認められていないというのが実情であり、仁木与四郎を伊賀に入れても六角に従う事はないだろう。


「まぁ、良い。伊賀の仁木が伊賀衆に向けて兵を起こすのであれば、六角として伊賀の平定を名目に仁木を討つ。その後の幕府の対応は適当にあしらう。無理を通そうとするのであれば、それなりの覚悟を持っているという事だろう。仁木氏の討伐に掛かった費用を幕府へ請求するまで」


 他人の兵力を我が物のように振舞うのであれば、それなりの責任は負ってもらう。費用割増しで幕府に請求する。いい加減に、兵を起こす場合にどれだけの銭が掛かり、どれだけの米が必要なのかを理解させなければならないだろう。一声かければ無限に兵が集まると考えている阿呆共に現実を見せねばなるまい。


「伊賀の対処は父上にお任せする。我らの退路が絶たれる事はない。仁木単独での挙兵であれば、伊賀衆だけでも対処は可能だ。我らは北伊勢の平定を急ぐ」


「はっ」


 北伊勢の平定だけでもひと月は掛かるだろう。その間は父承禎入道に持ち応えてもらうしかない。おそらく俺の不在中に仁木家を潰す事はしないだろう。伊賀衆への攻撃に至らないように圧力と牽制をする筈だ。だが、他家が動けば分からない。もし、朝倉が動くようであれば、伊賀に兵を割く余裕はなくなるだろう。

 本当に他人の嫌がる事ばかりする。嫌われる人間の代表格のような者達の集まりだな。だが、本当に足利が無くなった際にはどうするつもりなのだろう。史実でも幕臣達の中で有力であった者達は後世に名を残した者の方が少ない。きっとどこにも雇ってもらえなかったか、殺されたのだろうな。恨みを買うのもほどほどにしなければならないという戒めだな。


 その後、亀山城から関盛信、神戸城から神戸友盛が兵を連れて合流。相談役である蒲生下野守定秀の仲介により、二家が六角へ臣従を表明した。二人とも蒲生定秀の娘を娶ってはいるが、これ程呆気なく臣従を願い出るとは思わなかった。織田家の伊勢侵攻時もかなり頑強に抗っていた事からも独立領主としての誇りが強いのではないかと考えていた。

 正直、関氏が領する亀山城も、神戸氏が領する神戸城もかなり重要な場所にある拠点だ。伊勢を領するのであれば、この二城には六角譜代を置きたいと思う程に重要な拠点なのだが、ここまで従順に臣従を申し出られては、致し方ない。

 本領安堵と共に、太刀を一振りずつ与え、六角の北伊勢領有の為に入る予定である六角若狭守賢継の与力を申し付けた。六角若狭守は、父承禎入道の庶子であり、俺の腹違いの兄にあたる。先日観音寺に来訪した織田信広と同じ立場の人間である。

 一門衆に連なっており、武勇に優れた男である。俺を御屋形様と仰ぎ、懸命に働いてくれている。それに応えるように所領を与えたいと考えていた。近江塩津浜城をとも考えたが、経験の差で、同じく一門衆の六角中務大夫賢永に与えたため、近江国外になってしまうのだが、前もってその旨を話すと、信頼の証として捉えて貰え、大いに張り切っていた。


「鼓ケ浦の港を整備したい。白子に城を築くぞ」


「…御屋形様の悪い癖が始まりましたぞ」


各務(かがみ)殿もお気の毒に。常に資金の悩みが尽きませぬな」


「然り、然り。今では御一門の安養寺殿も補佐をされておるようですが、銭の出入りが激しいと嘆いておりましたな」


 各務兵部少輔は、六角の分家の一つで古くから六角に仕えている家の出身である。観音寺に入る税や銭の管理などを任せてはいたが、近年の税の徴収方法の変化や、商人達からの税収の管理など仕事が急増したため、その補佐を何人かつけている。その内の一人に元浅井家臣である安養寺家がいた。この安養寺氏は各務氏と縁戚にあり、一門として括る事も出来たため、補佐としては筆頭扱いになっている。

 税の徴収方法も、現代であれば非効率的な徴収方法を止め、その徴収台帳も全て統一した。この辺りは表としてまとめるように見本を作り、それを管理させる。しっかりと給与を支払い、中抜きなどが無いようにした。

 それでも不正をする人間はなくならなかったが、見せしめとして斬首、十日間の晒し首とした事もあり、そこからは激減している。


「たわけ! 俺が城を築く場所はしっかりと栄える場所だ。道が交差し、商いが盛んになる場所。または、船などが着く港を整備できる場所だ。城を築き、城下町が生まれれば、それらの費用など瞬時に返って来る」


「御屋形様、だからこそでございます。出が増えても、それ以上の返りがある故、各務殿以下、勘定衆が休まる事はないのでございます」


 何も悪い事はしておらず、むしろ六角家にとってはこれ以上ない良い事をしているのに責められるのは納得が行かない。

 六角は徐々にではあるが、確実に豊かになっている。元々、淡海の利権や京の隣の国であり、若狭や越前を通る品を京に運ぶために通らなければならない国という利権、そして祖父の管領代定頼が施行した楽市楽座の制度などにより、他の大名よりも豊かではあったが、従来の方式を変えた事によって利益が増し、また農業方法にも手を入れた事によって収穫も増え、産業も多く起こした。特に澄酒の利益がまだ続いているのが大きい。

 誰にでも真似出来る物ではあるが、そもそも酒に回す事の出来る米を確保する事が難しいのだ。自国の収穫量の増大と、他国の米を買い入れる事の出来る金銭の確保。この二つがあるからこそ、六角の豊かさの伸びが飛躍的になっているのだろう。

 豊かだからこそ、皆の心にも余裕が出来る。だが、それは一歩間違えれば慢心になり兼ねない。その辺りは当主として注意をして行かなければならないだろう。いずれ、完全なる兵農分離を目指さなければならない。その為にも農民達のしっかりとした利益も確保しながら、商人達の財にも手を入れる必要がある。

 六角家として事業も起こして行かなければならないだろう。何の事業が良いだろう。この時代であれば、何を始めても先進的なものになるだろうし、戦をするよりも楽しい事になるだろう。うむ、段々楽しくなって来たな。


「鼓ケ浦で水揚げされる海産の加工場も作るぞ。何が良いだろう。蒲鉾が良いか。蒸蒲鉾を作ってみるのも良いな。蔵人大夫、其の方の神戸城からは海が見えるのか? 鼓ケ浦で揚がる魚はどんなものなのだ?」


「は、はい、主に鰯が獲れ、海老や蛤などの貝も有名かと」


 神戸城主である神戸蔵人大夫友盛に問いかければ、即座に回答が返って来る。打てば響くその返答に俺の機嫌も更に良くなって来た。蛤の吸い物など絶品ではないか。鰯は魚に弱いと書くほど、この時代の収穫量は多かったようだが、現代では既に高級魚の仲間入りを果たしている魚だ。鰯は何でも使える。身を磨り潰して蒲鉾にも出来るだろうし、干物にして食べても良い。所謂めざしだな。

 海の小魚達は雑魚と言われるが、それを煮て干して『煮干し』とすれば良い出汁の元になるし、畑の肥料にだってなる。蛤の貝殻だって細かく砕いて畑に撒けば、量にもよるが良い肥料になる。海は宝庫なのだ。


「驚いたか。この御方が我らの敬愛する御屋形様よ。この北伊勢も大きく変わるぞ。其方らにとってその変化は心地良いものではないかもしれぬが、必ず領民達は笑顔になり、其方らの家も豊かになる。豊かになれば、伊勢国司殿もおいそれと北伊勢に手を出せ無くなろう」


「某には御屋形様が何を言っておられるのか、半分も分かりませぬ。ですが、余程に楽しい事が待っているのだという事は解り申す。この北伊勢にはそれだけの何かがあるという事なのでしょうか?」


 俺があれこれと海産物での事業について思いを馳せている横で、蒲生下野守が関、神戸の両名に語り掛けている。だが、まだ関氏も神戸氏も俺が見ている北伊勢の姿が見えていないのだろう。半信半疑の面持ちで下野守に答えていた。

 だが、これから道が整備され、俵物の加工が進めば、大変な賑わいになるだろう。もし白子に城を築き、その周辺を港町とすれば、その加工物は神戸城周辺を通り、梅戸城周辺を通り、近江の蒲生家本貫の地を通る事になる。また、関氏の亀山城周辺を通れば、伊賀に入り、そこから大和国へ抜ける事も出来る。


「関安芸守盛信、神戸蔵人大夫友盛、其方達が六角家中の者となる事、嬉しく思う。これより、この北伊勢を栄えさせるぞ。その旗頭として兄である六角若狭守賢継を置くが、北伊勢をよく知る其方達の力が必要だ。頼むぞ」


「はっ」


 その後、順調に六角軍は北伊勢を進軍していく。基本的に前もって臣従を打診して来ていた家はそれを認めたが、兵が動いてから申し出て来た家は潰した。桑名を領していた三家に付いても同様で、伊藤家に至っては、桑名を捨てて長島へ逃亡している。

 長島願証寺から苦情の使者が届くが、別段寺領に兵を差し向けている訳ではないため、その苦情を聞き入れる必要はない。ただ、もし、長島一向門徒が蜂起した場合はそれに戦わざるを得ないだろう。

 幸いな事に、未だ一向門徒が寺を出て六角軍に向かって来る素振りはない。俺たち六角軍が寺周辺に手を出していないからという事もあるだろう。長島城を取る為に川を渡るつもりもない。重要な拠点ではあるが、それ程欲している訳でもなく、長島城まで六角領になってしまえば、織田も警戒せずにはいられないだろう。

 盟約の兼ね合いもあり、織田家には事前に北伊勢にて不穏がある為、桑名までは六角で制する旨を伝え、それには織田信長の直筆で了承の返答を頂いている。

 あの織田信長直筆の書状だ。最早家宝として扱った方が良いのかと悩んでしまう。だが、六角家当主ともあろう人間が、一地方の領主の書状を大事に取っておいたら、家臣達から侮られてしまうだろう。


「御屋形様、伊賀守護仁木四郎長政、兵を起こしましてございます」


「そうか、父上は?」


「はっ。大殿は兵四千を率いて柘植にお入りになられました」


「ふむ。山城守(進藤)へ叡山への警戒を強めさせろ。加賀守(平井)と連携し、叡山僧兵が動かぬように致せと。中務大夫(六角)には朝倉への警戒、左兵衛大夫(蒲生)にも同様」


「承知致しました」


「待て。伊賀衆は仁木対策で動けぬ。甲賀で若狭に人を入れよ。室町の阿呆共が若狭に余計な事を吹き込みかねん」


 近寄って来た三雲新左衛門尉が伊賀で動きがあった事を告げて来る。これで伊賀も完全に統一出来るだろう。幕臣達が仁木与四郎義政を送り込もうとしても拒絶できるだけの布石は打っている。堅田の件、三六会談後の襲撃の件、既に証拠は揃っており、それに対しての幕府からの弁明がない以上、六角が足利に従う理由がない。例え主従と言えども、越えてはならない一線があるのだ。

 そんな幕臣達に踊らされて、若狭武田家が六角領に無断で入って来るような事があれば、更に吉。既に東の安全は確保しているため、若狭まで一気に領土を広げる事が出来るだろう。


「若狭守、其の方は白子に城が築かれるまで上箕田城に入れ。関安芸守盛信、神戸蔵人大夫友盛を頼りとせよ。北畠への防衛線は其方らが頼りだ。これから変わる北伊勢を護るため、気張れよ」


「はっ。この若狭守賢継、御屋形様のご期待にお応え出来るよう努めまする。安芸守殿、蔵人大夫殿、何卒よろしくお願い致す」


「六角ご一門衆であられる若狭守殿にそこまでされては、我らの立つ瀬がございませぬ。若輩者にはございますが、若狭守殿のお力になれるよう尽力致しまする」


 関安芸守盛信でまだ三十過ぎ、神戸蔵人大夫友盛は未だ二十台前半。これからが働き盛りである。北伊勢で大きな勢力を持つ関一族。それらを与力として上手く回す事が出来れば、北伊勢の統治も進むだろう。豊かになった事でそれを奪おうと考えれば潰される事を今回の北伊勢遠征で俺は示して来たつもりだ。一度潰すと決めた家は族滅となる姿を見て尚、六角に歯向かうのであれば、それでも良い。その時は六角直轄領が増えるだけの事。


「梅戸の叔父上、手助けをしてやって下され」


「お任せあれ。若狭守殿への助力、惜しむような事はござらぬ」


 更に梅戸実秀に助力を請うておく。血縁上、実秀の父である梅戸高実が俺の父承禎入道の叔父に当たるため、俺からすると高実が大叔父に当たり、その子である実秀は従叔父(いとこおじ)となる。だが、そのような呼び方はおかしいため、叔父と呼ぶ事にした。

 頼られる事が誇らしいのか、笑みを浮かべて頷いている姿を見る限り、反乱などを起こす事はないだろう。

 そうなれば、次は伊賀だ。本当にこっちを叩けば、あちらが出て来てというモグラ叩きをしているようだ。鬱陶しくて仕方がない。やはり大元を絶たねば永遠に堂々巡りになってしまうのだろう。打倒三好で挙兵したら、京へ攻め上ってやろうかと思うわ。


「工藤に注意致せよ。今回の六角の動きを良くは思ってはいなかろう。今の当主は伊勢国司殿のご実子であるからな」


「では、やはり伊勢国司が出て参りますな」


「若狭守、其方は長野工藤家の古参の家臣達に調略を掛けよ。長野工藤家は明確に北畠に乗っ取られたのだ。現当主である長野具藤は、長野工藤家の血は流れておらぬ。それを不満に思う者達も多い筈。特に先代当主長野藤定の弟である雲林院慶四郎や細野源九郎には思う所も多かろう。その辺りを攻めよ」


「畏まりました」


 不平不満のない職場などはない。これだけは万国共通の絶対である。小さな不満は膨れ上がり、大きな不満となる。積み重なった不満は組織を揺るがすほどの病原体となり、内側から腐敗を始め、最終的には崩壊させる事になるのだ。

 それを外側から少し加速させる。それがこの時代の謀略なのだと思う。『謀り事多きは勝ち、少なきは負ける』は有名になった言葉ではあるが、実際にこの時代の人間が言っていたかは分からない。だが、その通りだとも思うのだ。


「若狭守に兵三千を預ける。頼むぞ」


「はっ」


「桑名は、東城に狛修理亮、西城に木村筑後守、三崎城に建部日向守、金井城に種村三河守を入れる。長島城の伊藤家と願証寺への警戒を怠るなよ」


「あ、有難き幸せ!」


 狛、木村、建部、種村は俺の側近として付けられた者達だ。まだまだ二十代前半と若輩ではあるが、ここで相応の力を付けて貰いたい。狛、建部などは兄が家督を継いでいる為、本貫を継ぐ事は出来ないため、今回新たに別家を起こさせたようなものだ。六角家の重臣達は、まだ新天地で領土を貰い、旧領を返上するというような感覚は出来上がっておらず、それを強行する事は難しい以上、飛び地となる領土をあまり望まない。近江の六角直轄地を割譲するしかないのだが、それをし過ぎると本拠である近江国内での六角の力が落ちてしまう。

 だからこそ、若輩者ではあるが、側近であった者達に城代を命じる事になってしまうのだが、今回功の有った者達へも報償を与えねばならないため、かなり頭が痛いのも事実であった。


「御屋形様、仁木が築城中の丸山に攻め込んだとの事。丸山に兵はおりますが、五百程。持ち応えるのは難しいかと」


「わかった。壊されたのならまた築けば良い。急ぎ、掛田城まで兵を下げよ。富増伊予守に兵を出させよ。直ぐに我らが伊賀入りを致す」


 伊賀衆の臣従を機に、掛田城を持つ富増氏も六角へ臣従した。掛田は南伊勢から伊賀に入る海道の根元となる城であり、北畠氏の影響も大きかったが、公卿家としての北畠のやり方に常々不満を持っていたようで、伊賀衆から声が掛かると、即答で六角に靡いた。

 現代の伊賀街道は未だ北畠領である南伊勢から入る為、俺に率いる本体が通る事は出来ない。一度南近江蒲生郡へ戻り、そこから父承禎入道と合流後に伊賀へ入る他ない。それまで南伊賀で堪えてくれれば、仁木氏を挟撃出来る。


「者ども、これより急ぎ蒲生郡へ入るぞ! 下野守、日野にて兵達が休めるように支度致せ!」


「はっ、承知致しました」


 今では蒲生下野守は相談役として常に俺と共に行動している。五十を過ぎているというのに元気な事だ。逆に昔よりも生き生きとし、若返っているのではないかと疑う程であった。

 さてさて、既に六角包囲網でも敷こうと考えているのか。六角が動けば常に室町からの邪魔が入る。北伊勢から本体が引けば、今度は伊勢国司殿か願証寺でも動かすのだろうか。他人の足を引っ張る無能程理解出来ぬものはないな。

 北畠と一向門徒への対策は少なからずしている。三千の兵があれば、容易く負ける事は有るまい。桑名に関しては長良川という天然の障壁がある為、やすやすと攻め込んでは来ないだろうし。警戒すべきは北伊勢豪族の反乱ではあるが、関、神戸、梅戸以外であれば、それ程大きな問題ではないだろう。


 伊賀を完全に平定出来れば、六角の動ける方向が広がる。経済も回るし、物の流通も激しくなるだろう。益々栄えて行くであろう街並みを想像し、少し口元が緩みかける。

 伊賀の街道の整備は最優先だな。石を敷き詰める訳にはいかないが、泥濘などが余りできない形で作りたい。その辺りは相談を重ねながら作って行くしかない。幸い六角には銭がある。しっかりとした働きをする人足には報償を与えよう。その銭が市場に出回り、結局六角の蔵に戻ってくるのだ。


 俺達は馬を走らせ、兵達は駆け出す。若狭からの帰路よりも若干速い速度ではあるが、兵達に無理をさせないギリギリの速度で蒲生郡へと戻った。



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― 新着の感想 ―
順調に伊勢を攻略。 唯一の心配は幕府が血迷って刺客を主人公に放たないかですね。 和田さんとか貧乏くじ引きそうなのがね。
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