佐和山城
今、佐和山の城を見上げている。令和の時代でいうところの彦根城にほど近い場所にある。彦根城は、佐和山城を嫌い、居城を移す事を計画したまま没した井伊直政の意思を継いだ家臣達が徳川家康の許可を得て築城を始め、足掛け19年の年月をかけて完成させた城である。何故、井伊直政は佐和山城を嫌ったかと言えば、この城の前城主が彼の有名な石田三成であったという部分が大きいのだろう。
『三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近に佐和山の城』と云われたほどに、戦国末期では佐和山の城は石田三成の印象が強かったのだろう。だが、石田三成が佐和山に入城したのは1591年頃と云われているから、10年未満の統治期間だった筈だ。
「御屋形様、八町城が落ちましてございます」
「わかった」
ここは『で、あるか』とでも言っておくべきだったか?
いや、あれもまた、太田牛一の記した『信長公記』の一場面で書かれていただけだから、本当に織田信長が言っていたかどうかも怪しい。正直、後世で語られる信長の人となりは、『信長公記』の影響が大きいのだ。
「磯野善兵衛、籠城のようですな」
「城に籠れる兵数も少なかろう」
「御屋形様の迅速な出馬により、徴兵も間に合っておらぬようですな。城内には300程の兵しかおらぬようにございまする」
城を見上げたままの自分へ周囲の家臣達が口々に話し出す。この時代の佐和山城主は『磯野善兵衛員昌』。後世の某戦国ゲームでも、武力と統率が70後半から80前半ある程の戦上手として知られている。それも、1570年代の姉川の合戦という織田対浅井、朝倉の戦いの時の『員昌の姉川十一段崩し』という逸話が原因と言っても過言ではない。
多少の誇張はあるのであろうが、その後の織田家での扱いに関してみても、磯野員昌という人物が戦上手である事は間違いないだろう。
「対馬守、その方の手の者達に佐和山周辺を探るように指示を出せ」
「…伏兵でありますか?」
傍に控える家臣達の中にいる、三雲対馬守に指示を出した。
一歩前に進み出た対馬守は、片膝をついたまま自分を見上げる。佐和山の城から視線を外すことなく、周囲の家臣達にも聞こえるように言葉を発した。
「善兵衛員昌と言えば、浅井家中でも名の知れた戦上手。此度の浅井の離反の話が通っていない筈がない。であるならば、離縁の直前に徴兵は済んでいる筈だ。それが籠城する人数が300にも満たないなど有り得ようか」
「御屋形様、しかしながら我らは肥田城、高野瀬城の兵も含め、八千近くの兵数となります。如何に磯野と言えども、おいそれとそのような手を使えるとは思えませぬ」
私の言葉に後藤但馬守が口を開いた。既にここまでの道すがら、肥田城と高野瀬城を領していた高野瀬秀隆は弁明の後で従軍している。やはり既に浅井から調略の手が伸びていたようだが、返事を先延ばしにしていたようだ。そこに六角本体を含む六千余の軍が迫って来たのだから、大慌てで浅井からの密書を持って弁明に参上した。
当初参上した高野瀬秀隆は、本陣に承禎入道がいない事、中央に座っているのが右衛門督義弼であるのを見て、表情を変化させた。侮ったのだろう。『この馬鹿であれば、上手く誤魔化せば無罪放免になり、また機を見て浅井に返答すれば良い』と。だが、いざ弁明を始めた秀隆は、右衛門督を囲む家臣達に違和感を覚えた。
伝え聞く右衛門督であれば、激昂して斬りかかるような事もあるだろう。そしてそれを防ぐために家臣達もいつでも動けるように身構えているものだが、秀隆の弁明を聞いている家臣達は床几にどっしりと腰を下ろし、誰も表情を変化させない。不快感さえも示さないのだ。『何かがおかしい』と感じた時には既に手遅れであった。
「肥田城は召し上げる」
「なっ!?」
突然の状況に声を上げた高野瀬秀隆であったが、俺が発した言葉に対して重臣達に一切の動揺が見られなかった事を見て、この場で助け舟が出る事がない事を理解した。横暴とは言えない。密書が届いていた事は事実であり、本来主筋である六角家に報告の義務は生じるのだ。それをしないという事は離反の意思があった事を自ら告白したに等しい。
「其方の父が築城した城故、思い入れもあるであろうが、先祖伝来の高野瀬城は安堵致す故、今後は六角の為、一所懸命に励め」
「…はっ」
「今から、肥田城の人員と共に高野瀬城へ向かう。この裁定に不服であれば、高野瀬にて挙兵せよ」
「…御屋形様へのご報告を怠った某の不徳。御屋形様のご裁断に不服はございませぬ」
最早機は逸した。これ以上、この場で六角家と対立しては高野瀬家自体が世から消えてなくなると自覚したのだろう。その顔には諦めの色こそあるが、不満や恨みのような感情はないように見えた。
元々高野瀬氏もまた佐々木家の系譜である。厳密にいえば六角家の家臣筋という訳ではないのだ。それが佐々木六角家の興隆によってその下に付く事になるが、それ程に重用されているとは言い難い扱いだったのだろう。六角定頼の命で肥田城を築城し与えられたとはいえ、六宿老は藤原氏の出自が固めており、三雲家に至っては下賤と云われている忍びの出自。名門佐々木源氏を祖に持つ高野瀬氏としては思う所も多かった筈だ。
「名門高野瀬氏の今後の働きに期待している。奉公には恩にて応えよう」
「っ! …粉骨砕身、六角家の御為に働きまする」
このやり取りで、明確な主従の関係が確立する。最早、高野瀬氏は地侍ではなく、独立領主でもない。この時を持って、六角家臣の内の一家となったのだ。
現在に戻ろう。
高野瀬秀隆率いる高野瀬軍は、既に肥田城を召し上げられたため、高野瀬城の領地の兵だけで従軍しており、その数300にも満たない。だが、それでも名誉挽回、失地回復の為にも彼は先陣を願い出て来た。
現代人の感覚では理解しがたいが、この時代の先陣は栄誉である。名を上げる機会であり、手柄を上げる機会でもあり、戦相手の家に名を轟かせる機会でもある。故にこそ、我こそはと思う戦上手は先陣に名乗りを上げるのだ。
だが、もう一つの側面として、寝返りを疑われている者を先陣し、後ろから刺されないようにするという名目もあり、疑われた者達の汚名返上の機会でもあった。
「備前守に逸る事のないように伝えよ」
私の言葉に伝令が走る。その後ろ姿を見送って、もう一度佐和山城を見上げた。
信長の統治後の佐和山城は有名であるが、まだこの時代はそこまでしっかりと作り込まれてはいない。二の丸、三の丸がある訳ではなく、平凡な山城である。ただ、山城であるが故に攻めづらい。
「…ご報告!」
「申せ!」
「佐和山城大手門近くの森に伏兵あり。その数約500」
後世に残る文献の大手口よりも小さな門構えを取り囲むように配置された先方隊の右手にある森から数羽の鳥が飛び立っていた。石田三成が領有していた1590年代であれば、三の丸、二の丸があったであろう場所は、今はまだ鬱蒼とした森が広がっている。
鳥が飛び立つという事は、その場所に鳥以外の何かが居るという事。数千の人間が集結しているのだから、獣がうろついているという事はあり得ない。ならば残る可能性は人が潜んでいるという事になる。
「大手門に取り掛かる時に先方隊を引き入れて、挟撃をするつもりか」
「そのまま伏兵諸共に門の中に入り、間髪入れずに門を閉めるか…」
報告を受けた者達が横で口々に相手の思惑を読み解こうとしている。だが、その言葉自体が無意味なのだが、それをここで論じても不快感を持たせるだけだろう。
どれだけ奇策を用いようとも、所詮は千に満たない勢力。肥田城、高野瀬城の兵力も加え、八千近くの勢力となった六角勢を跳ね退ける力はない。後詰として浅井の軍勢が来れば良いが、おそらく、まだ浅井は小谷城を出てはいないだろう。
六角勢が兵を挙げる事は想定していたとしても、ここまで早くに軍を動かすとは考えてもいなかった筈だ。
「……森に火矢を射掛けよ」
「お、御屋形様?」
小さな息を吐き出して正面の城門を見つめながら口を開く。隣に立っていた後藤但馬守が訝し気に声を掛けて来た。皆の視線が集まるのを待ち、もう一度口を開く。
「正直、佐和山の城が焼け落ちても構わない。佐和山までの道の障害は全て取り除いた。管領代様に倣い、磯山の陣所に砦を築いても良い。磯山まで行けば、鎌刃城も近い」
「…なんと」
佐和山城なんていらない。と言えば、周囲の家臣達が絶句したのが解る。佐和山城はそもそも佐々木六角氏の一族が築城した城であり、浅井との争いの中で何度も六角と浅井の間で所有者が揺れた城でもある。古参の家臣達の中にはかなり思い入れを持つ者も多いだろう。この城を落とすために、祖父である管領代と共に奮闘した者もいる。
だが、現代の利便性で考えるのであれば、後世で築城された彦根城の方が数段優れているし、どうしても防備の面で山城を求めるならば、北近江からの移動を遮るように立つ磯山に城を築くのも一つの手なのだ。
「し、しかし御屋形様…」
「大殿のご意見もお聞きしてからでも遅くはないかと」
現在、ここに参陣している家臣は、父である承禎入道の頃と変わって来ている。後藤但馬守賢豊の横には、元服も既に住んでおり、官位も持っている嫡男である後藤壱岐守が控えている。彼は父親諸共に観音寺騒動で命を落とす者だ。というか、俺が殺すことになるのだが。
平井加賀守とその嫡男は既に高島方面を攻略し、朽木以外の七頭の調略及び鎮圧を行っている為にこの場にはいない。三雲家に関しても諜報活動を含めて動いてもらい、嫡男である三雲賢持に関しては、与力として平井加賀守に付いている。
今後を担う者達を数多く同道した陣ではあるが、まだまだ古参の家臣達も多く、独立意識の高い者達も多かった。御屋形と呼ばれる俺の言葉に対して反対の言葉を口にする事も、先代である承禎入道への意見伺いを唱えるのも、そう言った意識が強いからだ。
織田家があれだけ急速に領土を広げて尚、信長の元にある内は破綻しなかった理由は、全ての家臣が織田上総介信長に服従していたからであろう。
「お前達は、この場に何をしに参ったのだ? その方らが、観音寺の広間で儂に向かい、意見したのであろう? 浅井の討伐を!と、如何に如何にと騒ぎ立てたのではなかったか?」
「そ、それは…」
観音寺城の一室で意識が戻ってから、最早かなりの時間が流れている。いずれ覚めると考えていた夢は、夢の中で何度眠ろうとも覚める事はなかった。その間、六角右衛門督義弼として生きて行く中で、流石にうんざりし始めていたのだ。
それは何かというと、周囲からの侮り、嘲笑。そういったものが日々、何処にいてもそれを感じるのだ。日頃の行いの証であり、一種の自業自得なのだろうが、それでも『お前こそ誰だ?』、『後世のゲームでお前の名前など聞いた事ないぞ?』、『そもそも文献に名前すら載ってないだろう?』というような人間にまで嘲られる事はストレス以外何物でもなかった。
僅か十年ちょっとしか生きていない人間に余計な重荷を背負わせていること自体アウトなのだ。そして、正直に言うと、現在の六角家は先代である承禎入道が家を維持する事が精一杯であったことが原因で、家臣から舐められているのだ。正直、負け戦の数は、六角義賢が圧倒的に多い。そんな基盤が崩れかけていた六角家だからこそ、早々に家督を譲ったのだろうが、悪手であった。
「火を放て! その後に燻されて逃げ出して来る磯野勢を叩く!」
「は、ははぁ」
弁明に慌てる家臣達を一瞥することなく、軍配で森を示し、火を放つように命じると、伝令部隊が森周辺に陣取る舞台へと走り出す。諸将達も、火計を警戒して飛び出てくるであろう磯野勢を警戒し自陣へと戻って行った。
「対馬守」
「…ここに」
三雲対馬守定持。六宿老の一人である。越前への流言に関しては、その重要性を再確認し、自らが越前に赴こうとしていたのを俺が止めた。流言程度の仕事で彼を戦場から離す訳にはいかない。既に齢40を超えてはいるが、それでも鍛錬を怠っていないのが見て分かる程の体格をしており、忍びの差配に関しても、まだまだ現役である。
そして六角六宿老の一人であるという実績は、かなりの強みとなるのだ。
「鎌刃へ走れ。城代である堀遠江守に六角へ下るように文を書く。それを持っていけ。否と言えば、燃やす。鎌刃もそれほど惜しい城でもない。佐和山の末路を見れば降るだろう」
「はっ、しかと」
幸い、六角の財政は悪くない。管領代である雲光寺(六角定頼)殿が実施し、領内に浸透させた楽市楽座と琵琶湖からの収入があるからだろう。だが、まだまだ足りない。高島郡を取り、琵琶湖の所有を主張できるようになれば、それだけで莫大な利益を生む。
まぁ、その前にあの勢力を片付けなければならないだろう。堅田の一向門徒と叡山の僧兵。この二つが大津から高島郡への道の邪魔となる。今回は使者をわざわざ送り、通行料を支払ってはいるが、近江全体が六角の領地となれば容赦をする必要がなくなる。
第六天魔王呼ばわりは嫌だが、近江にて大きくなろうと思えば、避けては通れない問題である。
「放てぇぇ」
思案に耽っていると、既に準備の出来た部隊が大手門の近場にある森に向かって火矢を放ち始めた。生きている木々には簡単に火が付く事はない。だが、油を含んだ火矢は落ちている落ち葉などに火を点ける。それを一つ一つ消火する事は難しく、伏せている兵の髪の毛などに点火すれば大騒ぎとなるだろう。
「来るぞ」
森の中で生活をしている小動物たちが動き始める。まずは鳥、そして小さな獣。そして、最後に人が動き始めた。
本来、この時代では森に火は放たない。何故なら、木材は貴重な資源であり、資金源でもある。また、火を恐れた大型の獣が襲い掛かってくる可能性もあるからだ。
勿論、今回も初手の火矢を放って以降は二弾、三弾とはなる事はしていない。この火矢は、磯野勢に伏兵は発覚している事を告げるための物であり、本当に燃やす必要はないのだ。
ただ、俺はこの佐和山の城は燃やそうと考えている。下手に残せば、この場所を巡って家中でも揉める可能性があり、もう一歩踏み込んだ場所に拠点を持ちたいと考えているからだ。
可能であれば、今浜辺りまで押し上げて、あの羽柴秀吉が琵琶湖近くに建てた長浜城ぐらいまで行きたいがそれは無理だろう。故にこそ、米原までは勢力圏を拡げて行きたい。佐和山も米原と言えば米原だが、港を得るならば磯山が適している。
小さな砦を作り、鎌刃城を手にした後に城の縄張りをする。その方向で行きたい。
「わぁぁぁ」
地鳴りのような声が響き渡る。
森から突撃してきた500人の人間を押さえつけるように延ばされた槍衾が陽光に輝いていた。槍衾で抑えている間に、後方から矢を放つ。伏兵故に騎乗している者はおらず、後方の部隊は次々と矢を受けて倒れて行った。
どれだけ勢いがあろうと多勢に無勢。しかも準備が整っている部隊に少数で突っ込んでいるのだ。徐々に勢いは衰え、生き残った少数が大手門目指して逃走を始める。
「大手門が開くと同時になだれ込め!」
伏兵部隊の中に磯野善兵衛が居た場合、見捨てる事など出来ない。必ず大手門を開け、敗走部隊を収容するための時間を稼ぐための決死部隊が突撃してくる筈。ならば、こちらはそれに乗じてなだれ込めば良い。
案の定、大手門がゆっくりと開き始め、僅かな隙間から少数の騎馬部隊が突撃して来る。予想していた先方部隊である高野瀬勢は、槍部隊を前に出し、騎馬の勢いを止め、矢を射かける。次々と落馬する者達を槍で刺し、大勢は決した。
戦が始まり、僅か一刻で佐和山城は落城した。元々、六角の動きが想定外だった事と、浅井の援軍が間に合わなかった事が要因であった。
「佐和山が燃えておる…」
「御屋形様の意思は固いのでしょうな」
佐和山城から3里から4里の距離にある鎌刃城の屋敷からも、濛々と立ち上る黒煙が見えていた。鎌刃城もまた、山城であり、本丸である屋敷からも3里先の山が良く見える。本丸の一室で立ったまま呆然と見つめていた堀遠江守秀基は、その様子をおうむ返しのようにつぶやく事しか出来なかった。
その一室には、先程自分に文を持って現れた三雲対馬守定持が控えている。座ったまま堀遠江守が見つめる方角へ視線を動かし対馬守の目に驚きは微塵もなかった。
「右衛門督殿は、近江をどうするつもりなのか…」
「近江を一つに。それが御屋形様の想いにございます。遠江守殿、佐和山が落ちた今、浅井への義理立てもお家の為にはなりませぬ。御屋形様へ臣下の礼を」
まさか、城を落としてもそれを燃やすとは思わなかったのだろう。愕然とした表情で遠くに見える燃える山を呆然と見つめていた堀遠江守は、最終通告を口にする三雲対馬守を苦々しく睨みつける。
浅井家の下に付いているとはいえ、一城の主である。六角六宿老の一人であり、甲賀五十三家の一つの出と言えども、下賤な忍びの出身の者にこのような物言いをされる謂れはない。その想いが現れた表情を見た対馬守は、小さな溜息を吐き出した。
自分を甲賀出身の忍び働きの棟梁程度というような扱いをしたがる人物は六角家中にもいる。そのような扱いにも、蔑みの瞳にも慣れてはいるが、それでもこの重要な場面で尚、そのような些細なことに拘る人物に呆れを抱いたのだ。
「某の物言いにご不満はおありかと思います。ただ、佐和山の煙を見ればお分かりの通り、御屋形様は佐和山の城に必要性を感じておられませんでした。そして、この鎌刃城においても同じと」
「ぐっ」
侮られたと感じたのだろう。なお一層怒りを表情に出した堀遠江守と目が合うように顔を上げた対馬守は、静かに言葉を繋げた。
「堀殿の武勇は伝え聞いております。その武略にて頑強に城に籠られ、戦う事でしょう。この城には水の手もあり、容易に火が広がらないかもしれません。浅井の援軍も鎌刃城に到着すれば、六角とて容易に鎌刃城を落とせないと考えられていると思います」
一度目線を落とした対馬守は、もう一度顔を上げて堀遠江守の顔を見る。その顔を見る限り、まだ彼は六角の下に付く決心が付いていない事が理解できた。
「ですが、その後はどうなさるおつもりで? 佐和山は燃えたのです。六角として新たな拠点をこの米原に築く事でしょう。菖蒲嶽になるのか、摺鉢山になるのか、某には御屋形様の深謀を読み解く事など叶いませんが、太尾山城を加えると、鎌刃城は完全に囲まれる事になりましょう。鎌刃も燃えますぞ」
堀遠江守は小さな唸り声を上げる。その状況が見えたのだろう。佐和山が落ちた情報はすぐに浅井に届くだろう。六角の軍がそのまま北進していない事が分かれば、援軍速度は落ちる。その間に簡易な砦でも築かれてしまえば、鎌刃の進退は極まる。砦作成の邪魔をするために少数で出陣しても、六角の兵に壊滅させられるのは火を見るよりも明らか。
「堀殿のご嫡男は未だ三つとお伺いしております。七つまでは神の子と言えども、ようやく一つの節目を迎えた堀家の大事なご嫡男。このような場所でご子息の道を奪われる事のなきよう、伏してお願い申し上げます」
「……家中の者達と話し合う時間を」
板間に額を付ける形で深く頭を下げた対馬守を見ていた堀遠江守は、未だに黒煙を上げ続ける佐和山へと視線を移し、深く息を吐き出すように言葉を絞り出す。
遠江守の嫡男は、未だ数え年で三つ。元服できるまでに少なくとも十年の時間が必要となる。六角浅井の戦が長引けば、北近江と南近江、そして美濃との境であるこの鎌刃城は激戦に晒される事となる。旗色を定めていなければ庇護の対象にはならず、頼る家を間違えれば一族諸共に滅せられる可能性すらあるのだ。また、既に自身の嫡男の年齢まで調べている六角の手の多さにそれが実現可能な事である証明を感じていた。
史実であれば、六角との縁を切った浅井は佐和山城という南近江への急所を押えており、その後の高野瀬氏の寝返りによって近江国内においては聊か優位に立つ事になる。六角へ攻め込むことは出来ずとも、六角もまた容易に浅井を攻める事が出来ないという状況だ。
だが、佐和山が落ちた以上、北近江への道を抑える術がない。その役目を鎌刃城の堀家に担わされても荷が勝ちすぎている。最早、選択肢は限られていた。
「良きお返事をお待ちしております」
再び平伏した三雲対馬守は、与えられた別室で堀家中の合議の結果を待つ事になる。
その後、待つ事一刻弱。呼びに来た小姓に付いていくと、広間には堀家家臣が揃っており、そこで堀遠江守自ら、六角への恭順の意を示したのであった。