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江南の夢(不定期連載)  作者: 久慈川 京


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19/21

織田家来訪



 早朝、庭で木刀を振るう俺の横には、木刀の薙刀を振るう萩がいる。

 悲しい事だが、未だに萩の事を侮る者達が家中にいる。俺の耳に入って来た者達は有無も言わさずに六角家から追い出してはいるが、陰口を止める事は出来ず、それが萩の耳に入る事もあった。

 俺の前では常に笑顔を絶やさない萩ではあるが、やはりどこか鬱々とした想いがあるのだろう。それを見かねて『俺と共に早朝の鍛錬でもするか?』と問えば、満面の笑みで大きく頷き、翌日には木刀の薙刀を用意して俺より先に庭で待っていたのだ。


「そろそろ、終えるか」


「はぁ、はぁ…はい」


 俺が二つ手拭を取り、もう一つを萩に渡せば、息を切らしながらそれを受け取る。まだ鍛錬を始めたばかりの萩は薙刀の振り方も無駄が多い。無駄に力を入れており、振り上げる時も振り下ろす時も、全てが全力。だからこそ息が切れる。

 俺も剣の達人ではないし、その域にも踏み込んではいない。師を付け鍛錬は行っているが、人を斬った事もなければ、刀を抜いて対峙した事さえもない。だが、今の萩が無駄な力を使っている為にかなり身体に無理を強いているのは解る。

 それでも、息を切らしながらも清々しい笑みを浮かべる萩を見ていると、それでも気分が晴れるのであれば、今は良いかと思ってしまう。

 未だ整わない息遣いに、首筋に流れる汗、身体から立ち上る湯気が何とも艶めかしい。今年も終われば、萩は十九となり、俺も十七。現代人の感覚と異なり、十九の女性が何処かに嫁いでいなければ『行き遅れ』という扱いを受ける。十四、五で子を産む女性もいるぐらいだ。萩とは何度も肌を重ねてはいるが、未だに子が出来ず、それもまた萩への陰口となっていた。もし、俺がこの時代へ来た事への弊害によって子を残せないのであれば、それによって萩に重荷を背負わせてしまっている事が心苦しく思う。


「ふぅ、いかぬな。お萩と共に鍛錬をしていると、其方の色香に惑わされてしまう」


「まぁ。嬉しい事」


 ころころと笑う萩の顔に陰りは見えない。心から喜んでいるように見える。だが、冗談ではなく、彼女の魅力に心も身体も吸い寄せられてしまいそうだ。このままでは一日中部屋にこもってしまいかねない。

 一度頭を振って、思い切り上段から木刀を振り下ろす。拭き取り切れていない汗と共に盆網も振り払うように振り切った木刀が風を斬り、音を上げた。


「よし、朝餉だ。お萩、しっかりと汗を拭き、衣服も着替えて身体を冷やさぬように」


「はい。四郎様もお気を付けくださいませ」


 最近、お萩は俺に対しては少し余裕を持っているように思う。年上の余裕なのか。今も逃げるように縁側へ上る俺に余裕の笑顔を向けていた。屋敷に上がると、萩付きの侍女であるよねが足を洗う為の水桶を準備していた。


 そのまま朝餉の場所へ向かう。この慣習のその内に変えたい。お萩と共にゆっくりと朝餉を取りたいのだが、今も朝餉はむさ苦しい爺様達と取らねばならない。その必要性も重要性も理解しているが、こんな朝早くから仕事しなくても良いだろうと思うのだ。

 広間に入ると、既に本日の朝餉の供は揃っていた。俺が上座に座ると、侍女達が朝餉に準備の為に広間に入って来る。各自の前に膳を置く。基本は一汁一菜。だが、前よりは良くなり、最近では一汁二菜になる時もある。二対八から三対七の割合の雑穀米をたらふく食べて腹持ちを良くするという食事ではなく、味を楽しみながらも健康的な朝食へ変化しているように思う。


「うむ。味噌汁が美味いな」


 今日の味噌汁の具は、淡海で獲れたしじみ。しじみからもしっかりと出汁が出ており、味噌は薄めだが、それでも前までの汁物とは比べ物にならない。美食家ではないが、毎日の食事はせめてこのぐらいの楽しみは欲しい。

 山盛りの雑穀米、塩辛い漬物、塩を入れただけの汁物では活力も出ない。青菜のお浸しに大根の煮物があるだけでも全く彩りが違う。


「そうですな。これも御屋形様が小浜から昆布を多く取寄せられたお陰ですな」


「然り。このような朝餉を食せるのですから、某は御屋形様と食事を共にできる日を今か今かと楽しみにしておりまする」


 本日の朝餉の供は、目賀田摂津守忠朝と馬淵兵部少輔建綱。馬淵は元々佐々木一族の一つで百年ほど前まで近江守護代の職に就いていた家でもある。観音寺城内にも屋敷を持っており、本貫である馬淵城も観音寺城から近く、今回の栗見の港の整備及び街道の整備の指揮を取って貰っていた。俺の祖父である六角定頼の時代には、六宿老達に権力で負けていたが、俺の指示を的確にこなしてくれる事もあり、評定衆に連なる事になった。

 馬淵兵部少輔が口にするように、まだまだ食事の改良が進んでいるのは観音寺城内であって、民どころか家臣達にも浸透はしていない。それはまだ六角城下町の市で食材が潤沢に売られていない事と、その値もやはりまだ高い事が原因なのだろう。

 少しずつでも食への対処をして行きたい。贅沢はしないが、必要最低限の生活は心の安寧の為にも必要だ。

 この時代の昆布は、主に蝦夷地である現在の北海道から仕入れる。宇須岸の港からの船で来る物が小浜の港へ水揚げされるのだが、それをほぼほぼ買い占めた。淡海の利権が丸ごと六角に入る事になり、六角城下の市は更に活気付いている。税の取り方も少しずつ変化させている為、観音寺にはしっかりと銭が入って来るのだ。


「さて、朝餉の後は織田弾正忠家からの使者と面会か。どのような使者であるか楽しみであるな」


 今日は朝から織田家の使者と面会だ。現代では戦国時代で最も有名な武将と言えば、織田信長だろう。今は尾張一国さえもまだ掌握し切れていないのに、ここから僅か20年でほぼ日本全国を領するまだになった男。

 1582年に本能寺の変で命を落としているが、既にその頃には東北からも織田への献上品などが送られており、あのまま行けば、あと十年信長が生きていたら、確実に日本は統一され、天下布武は成り立っていただろうという説もある。

 その大英雄もまだこの時代では、二十六、七の若武者である。家臣達も奇抜な出身の者も多いが、まだまだ父親時代の家臣達が幅を利かせている頃だろう。果たして誰が使者として来るのだろうか。楽しみである。


「しかし、織田弾正忠家と言えども、元々守護代織田大和守家の家臣筋。それが佐々木六角家へ直接使者を送るなど…」


「然り。美濃も尾張も嘆かわしい。今や美濃守護家の土岐殿は当家にてお預かりしており、尾張守護である斯波武衛家においては、先年織田弾正忠家より追放の憂き目にあったとか」


 ああ。佐々木源氏六角家は名門だ。代々近江守護を担っているし、その直臣となれば少なくとも家の格としては、織田信長よりも上である。昔からの感覚であれば、どうしても侮ってしまうのだが、最早そんな時代ではないのだ。織田家には地侍に毛の生えたような家臣もいれば、農民出の家臣もいる。草の者もいれば、河の者もおり、山の者もいるかもしれない。

 能力があれば何でも使うというのが織田信長の信条だとすれば、とてもではないが、六角家臣達と合う訳がない。だが、そのような考えでは、最早この時代を生き延びてはいけないのだ。


「下剋上よの。だが、この時代は力がなければ残れぬ。力とは何か? 銭であり、米である。豊かさこそが力だ。豊かであれば富が生まれ、富があるところに人も物も集まる。人が集まるという事は周辺が寂れるという事よ。寂れた場所を豊かな者が奪い取り、それがまた新たな力となる。領地は一郡が二郡となり、二郡は四郡となり、いずれ国になる。国の大きさになっても同じだ。この時代、家格だ家柄だと他者を蔑むのは幕臣達だけで結構。我らはそうであってはならぬ。家格、家柄に拘れば、全て呑み込まれるぞ」


「はっ…。申し訳ございませぬ。確かに、いつの間にか我らが嫌う幕臣共と同じ事も申しておりました」


「お恥ずかしい限りでございます」


 俺の言葉に目賀田摂津守は即座に頭を下げ、馬淵兵部少輔も後に続く。こういう家格思想は年齢が上であればある程強くなる。特に六角家のような代々守護をになった家であれば、家臣達にも同族が多く、その誇りは強い。いくら当主がそう言おうと、心の中にあるそういう差別感は消えないだろう。

 武家としての血脈は彼らの誇りであり、己を支える柱の一つ。それを無理やり破壊すれば、己という屋根を支える物が無くなり崩れる。史実の織田家は急激に成長したために人材が少なく、様々な者を登用し、重用した。それにより、古参の者達の中には冷遇される者も少なからずあっただろう。

 林家、佐久間家の追放はまた別の話ではあるが、文献に残っていない昔からの織田家家臣は多くいた筈だ。ただ、その数が六角家よりも圧倒的に少なったために、出来た登用でもある事は事実だろう。


「よい。其の方らの家門への誇りは理解しておる。だが、その誇りを驕ってはならぬ。俺にも言える事であるが、『驕れる者久しからず』だな。権勢を誇った平家も、同じく皇族から臣籍降下した源氏に討たれ、その源氏の世も臣下であった足利に壊された。俺も其方らと共に気を引き締め直さねばならぬな」


「平家物語ですな…。そう考えれば、我らが生きるこの時代も下剋上によって作り出された世という事ですか…」


「美濃も尾張も御屋形様の御言葉通り、『時代に吞み込まれた』という事でしょうな」


 何やら深刻な朝餉の時間になってしまった。

 俺は、織田家の使者が誰なのかを楽しみにしているだけなのだが、二人にとっては何やら心に響く物があったようで、箸を置いて考え込んでしまう。

 仕方ない。少しぬるくなった味噌汁に再度口を付け、漬物と煮物を口に入れながら雑穀米を食べる。醤油もやはりしっかり作れるようにならなければならないな。味噌、醤油、豆腐はセットだな。今後はこの生産に力を入れよう。その為にも塩が必要。海を手に入れねばならない。





 広間に続く廊下を歩きながら、自分の身体に嫌な力が入ってしまっている事を感じた。

 これは緊張だな。

 ここまでの生活で、緊張する事など余りなかった。初陣と呼んでも良い佐和山攻めの時もここまで身体に力は入っていなかった。織田家の使者と面会するという事で俺は緊張しているのか。

 自分でもかなりの驚きだ。


「右衛門督様、御成りにございます」


 小姓の声を聴きながら広間に足を踏み入れる。両脇には六角家評定衆の面々。そして中央に二人の男が鎮座していた。この二人が織田家よりの使者なのだろう。

 ふむ。そこまで年を取っていないな。という事は、織田家宿老のような者が来た訳ではなさそうだ。

 上座に座り、もう一度息を深く吐き出す。


「皆の者、面を上げよ」


 家臣全員が面を上げる中、使者の二人はまだ平伏したままだ。これも儀礼の一つという事なのだろうが、正直現代を生きていた人間としては、本当に面倒である。何度も同じ事を言うのも疲れるし、その行為によって慰められる自尊心も持ち合わせてはいない。


「使者殿も面を上げてくれ。俺は儀礼的な行動はどうも苦手だ。面倒だと常々思っている故、俺から直接使者殿へ語り掛ける故、直に返答をして頂きたい」


「はっ、右衛門督様の御言葉、忝く存じます。某、織田上総介が家臣、織田三郎五郎信広と申します」


「村井吉兵衛貞勝と申します」


 顔を上げた目の前の使者は、織田信広と名乗った。織田信長の異母兄であろう。母親の身分が低い為に正室となれず、長子でありながらも庶子であるある為に家督相続権もない。その癖、父である信秀からは最前線に送り込まれるなど、正直不憫に思わざるを得ない男だ。だが、織田一族の血は確かに引いているのだろう。面長ではあるが切れ長で若干の釣目に薄い唇。美男の家系である事は解った。この頃、三十路を超えたくらいだろう。脂の乗った良い男ぶりである。もう一人は村井貞勝。後に京都所司代にもなる、織田家の文官としては頂点に近い場所にいる男だ。

 腹違いとはいえ実兄と文官のトップを送り込んでくるというのは、なかなか六角を評価しているという事なのだろうが、もしかすると信長本人が来るのではないかと緊張していた俺は少し肩透かしを喰らったような気になった。


「…御屋形様」


「はっ! す、すまぬ。もしかすると織田上総介殿ご本人が来られるのではないかと思っていた故、少し呆けてしまった」


「それは…」


 後藤但馬守の呼びかけに我に返った俺は咄嗟に言い訳を口にしたが、それが良くなかった。面前の使者二人の顔が瞬時に強張るのが見え、家臣一同に若干の緊張が入るのが分かる。これは完全な失言であったな。これでは、『織田上総介信長本人が六角に恭順に来るのかと思った』と口にしているような物だ。


「重ね重ね申し訳ない。織田上総介殿のお噂は常々耳にしておる。自身がご興味を持たれたものには貪欲で、己が目で確かめられるとお聞きしていた故、もし六角にご興味を持たれたのであれば、ご本人が直接来られる事もあるのではと思うたまで。よくよく考えれば、尾張一国の太守となれば、そのような軽はずみな行動など取れぬ事など分かりようなもの。無作法の段、御許し下され」


「とんでもござらぬ。当初は主自ら近江に行くと言い出し、家臣一同で御諫め致し、何とか御止めする事が出来申した故、右衛門督様の御考えに間違いはございませぬ」


 俺の謝罪を受け入れた三郎五郎信広は、信長の行動は否定しなかった。彼も苦労人なのだろう。一度は信長への謀反を企て、斎藤家と密約を交わした事もあるそうだが、今は織田家一門衆筆頭として、しっかりと織田家に根付いているのだろう。

 しかし、織田信長本人がここに来る可能性もあったのか。一度会ってみたかった。この時代の有名人物に会える機会は本当に少ないからな。国を掛けて戦をしていても、相手の総大将の顔を見た事もないというのは普通にあるだろうし、この近畿、東海は有名武将の宝庫だからな。


「して、此度の用向きは?」


「はっ、然らば。我らが主、織田上総介は六角家との誼を持ちたいと考えております。先程も申し上げましたが、主上総介は、右衛門督様の御考えに感銘を受けております。叡山僧兵への仕置き、堅田一向宗への仕置きには、膝を叩いて顔を上気させておりました」


 織田家も西に伊勢の願証寺の一向宗、南に三河の本宗寺の一向門徒と一向宗に囲まれているからな。今はまだそれ程苦しい状況ではないが、いずれは大敵になる事を予感しているのだろう。織田信長が何処かの宗派に属していたという話も聞いた事がない。師である沢彦和尚を開山として平手政秀の菩提を弔うために建立した政秀寺が臨済宗である為、強いて言えば臨済宗なのかもしれない。


「元々、主上総介は、前管領代様に敬意を持っておりました。前管領代様が行った楽市楽座を尾張でも取り入れ、自由な商いを推奨しております。その六角家に現ご当主である右衛門督様と誼を通じ、より良き関係を築ける事を願うております」


「ふむ。祖父雲光寺様をそのようにご評価いただいている事にお礼申し上げる。だが、当家と誼を持つというが、今の当家には美濃まで援軍を出す余裕はござらぬぞ。美濃に入るには不破関を超えねばならぬ。今須城の長江氏、菩提山城の竹中氏を超えて美濃入りは難しい」


 この時代の竹中氏の当主は有名な竹中半兵衛重治。正直、今孔明と後世で語られる男を抜けて美濃に討ち入る事が出来る自信はない。斎藤勢の援軍が無ければ、今須城までは取れるだろうが、六角軍にも相応の被害が生じる。伊勢、若狭へ目を向けている六角としては面倒な話であった。


「美濃への援軍に関しましては不要にございます。六角と織田が誼を通じたと齋藤が警戒するだけでも十分にございます」


「さようか。可能であれば、末永くこの関係が続く事を願うておる」


 史実での浅井との盟約よりもその重要度は高いだろう。既に近江一国は六角の下で纏まっている。その分、斎藤は西への警戒を強くする必要があるだろう。三好へ近江への進軍を打診しても、三好長慶、義長親子が存命である内は、六角との戦は避ける筈。となれば、斎藤は自力で織田と戦う中で、西からの六角へも注意を計らなくてはならない。


「だが、上総介殿にご忠告を。西と東の坊主共には注意されたし」


 この時代ではまだ尾張国内にある蟹江城も服部左京進友定が入っている筈。元々尾張国人であったが、頑強に信長に抗っていた。長島城も今は服部左京進が入っているかもしれない。願証寺と組めば一大勢力となる。蟹江から熱田までは近く、熱田は織田家の貴重な財源だ。美濃国に入り込んでの戦の最中に蟹江、長島が蜂起すれば、急反転して尾張国内に戻らねばならず、相当な被害が出るだろう。


「ご忠告、有難く。主上総介にしかと伝えまする。然らば、この誼の証に…」


「あいや、待たれよ。その儀は無用に存ずる。三郎五郎殿の言葉を遮る形となり申し訳ござらぬが、その儀だけは最後まで申されるな」


 危なかった。絶対に今、婚儀の話を持ち込もうとしたな。人質を送りますなどと言う事は有り得ないため、婚姻同盟の申し出である事は確かだ。そうなれば、織田信長の親族を俺に嫁がせるつもりだろう。俺に正室がいないという事を把握しているのだ。

 後世では、信長の妹である市姫は色々と言われている。一度目の婚姻である浅井家では男子を産んだ記録はなく、三女を産むがお家は滅亡。二度目に嫁いだ柴田勝家時には齢三十五を超えていた事もあり、子を産む事はなく、僅か一年で柴田勝家と共にこの世を去っている。

 そして彼女の長女である茶々は、後に豊臣秀吉の側室となり、秀吉の死後に豊臣家と共に大坂城で自害している。御家を潰すという逸話を面白おかしく語られている事が多い。

 だが、二女の初は京極高次の正室となり生涯を全うしているし、三女の江は三度の婚姻の末、天下人である徳川秀忠の正室となり、三代将軍である家光も産んでいる。故に、お市の家系がお家を潰すなどは絶対に有り得ないのだが、俺にはこれ以上の婚姻話は不要だ。


「右衛門督様、主上総介は…」


「織田三郎五郎信広殿、申し訳ござらぬ」


 尚も続けようとする織田三郎五郎に静かに頭を下げた。俺に正室は不要。それは萩との約であり、この時代に来てしまった人間としてのけじめである。もしそれでも織田家が婚姻での両家の結びつきが必要とあれば、弟の次郎に嫁がせる他ない。その婚姻によって、俺が六角家当主の座を奪われるような事になっても、甘んじて受け入れる他なし。


「畏まりました。主上総介にはそのように伝えまする」


 これ以上、婚姻の問題に関しては話を続ければ、正室と側室の話になり、最後には家臣筋の娘のみを室とするのは云々という所にまで及びかねない。そうなれば、六角としても後には引けなくなるのだ。

 六角の家臣筋と言えども、平井家は元々佐々木一族の支流であり、守護職である六角家の宿老の役職を担っている。如何に今は尾張一国を領有しているとはいえ、守護代家の家老職の家である織田弾正忠家よりも家格は上になる。朝餉の時間で家格に拘るなと目賀田、馬淵の両名には話したが、それでも『守護代家の家臣筋の家が何を申しておる』となり兼ねない。

 それでは互いに利が無くなるし、嫁いでくる娘も幸せには慣れないだろう。

 幸い、三郎五郎ににじり寄った村井吉兵衛は俺の考えを察したのか、小声で三郎五郎へ何かを話し、それを受けた三郎五郎は静かに頭を下げた。


「では、相互不可侵の盟約という形でよろしいか?」


「はっ、異論ございませぬ」


 この辺りが潮時だと考えたのだろう。織田三郎五郎は静かに頭を下げる。その後は盟約を記した書状を書き、それに俺の直筆の花押を入れる。

 俺も三郎五郎も、この盟約が未来永劫続くとは考えていないだろう。もし、婚姻を結ぶことがあれば俺が西へ、織田は東へとなるのかもしれないが、それがなかった以上、所詮は紙一枚の盟約だ。大義名分が揃ってしまえば、争う事になろう。

 将軍擁立などもっともらしい名目になるだろう。


「三郎五郎殿、願わくば、何処かで一度、上総介殿ご本人とお会いしたい。美濃の大垣城が織田殿の手中に入った後でも良い。いつか、直接話をしてみたいのだ」


「…右衛門督様のご要望、この三郎五郎信広、確かに承りました。力を尽くしまする」


 願わくば、織田と敵対する前に織田信長という人物に会ってみたい。後世で語り継がれる人物像は家臣である太田牛一が著した『信長公記』が元になっている。だが、一人の目から見た人物像は、他者から見たそれとは異なるだろう。

 その先進的な考え、合理的な考え、時に冷徹で、時に感情的、それを踏まえて後世では遥か未来からの転生者のような扱いを受ける事もある人物。もし、今の俺と同じように意識だけでも現代から来た人間なのか、それとも本当にこの戦国の世に生まれた麒麟児だったのかを知りたい。


「本日はこの観音寺でゆるりと過ごされ、明日尾張へ向かわれれば宜しかろう。本日の夜に軽い酒宴もご用意させて頂く故、楽しんで下され」


「誠に有難く存じます」


 これで織田家の使者との会談は終わった。

 織田家が三河松平家とどのような会談を行うかは未知だが、いずれ必ず織田家とは対立する事になるだろう。織田家を抑えるのであれば、美濃斎藤家と結び、織田家の拡大を防げばよいのだろうが、今回の織田家の盟約同様に、六角には現在他家の支援に回す兵力はない。であれば、自力で美濃を平定した後即時に敵対する事になるよりも、盟約という壁がある方が時間を稼げる。

 伊勢と若狭は必須だな。織田と朝倉が結ぶ可能性は皆無に近い以上、挟まれる事はないだろう。まずは北伊勢を制し、それに対抗して来た工藤長野家との争い、そしてそれに乗じて北畠を取るのが急務だな。


「織田との盟約はなった。皆の者もそう心得よ」


「はっ」


 家臣一同が平伏する姿を見ながら、俺は静かに思考を深める。

 六角が最も大きくなる方法。この東西南北を敵に囲まれた近江という国で、どうやって家を大きくすれば良いか。何処から広げて行くべきなのかを。




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― 新着の感想 ―
残念ノッブではなかった。 主人公もあるいは御本人がやってくるか期待していた模様。 覚悟ガン決まりの三六会談よりソワソワしてらっしゃる。 チェーン店の朝定食の様な食事でもこの時代ではご馳走です。 密かな…
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