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江南の夢(不定期連載)  作者: 久慈川 京


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16/22

決別宣言




 我ら六角勢は、三好勢の足止めのお陰で無事山科へ戻る事が出来、そのまま時を置かずに近江へと兵を進めた。瀬田へ入った後はそのまま観音寺へ向かい、山科を出て五日後には観音寺城で寝る事が出来た。

 しかし、そんな俺の心の安寧も束の間。直ぐに幕府からの使者が観音寺へ訪れたのだ。いや、本当に恥知らずというか、面の皮が厚いというか、どのような神経をしていれば、あの後で使者を送る事が出来るのだろう。それも、謝罪や弁解の使者ではない。三好との会談についての追求だというのだ。

 呆れたね。本当に馬鹿ではないかと。公方である義輝の考えなのか、幕臣共の考えなのかは解らないが、これ以上六角を敵に回して、幕府に何の利があるのだろう。


「それで? 蜷川殿は何をおっしゃられたいのですかな?」


 幕府よりの使者は蜷川(にながわ)親長。父である蜷川親世は政所代を務めている男。義輝が京に戻った事で政所執事を解任された伊勢貞孝の下で働いていた者である。親長はその嫡子となる。年齢は三十に届いていないだろう。

 可哀想に、貧乏くじを引かされたのだろう。幕臣の摂津、進士、三淵などの有力な者達に逆らう事が出来ず、尚且つ以前は伊勢家の下で働いていたなどで、反論が出来なかったのかもしれない。しかも、嫡子であっても未だ官位を得ていない者を六角家の使者として送る事で、自分達の小さな誇りを護ったとしか考えられない。


「ば、幕府としては、右衛門督殿の真意をお尋ねしたいとの事にございます。此度の三好との会談が、室町に一報なく行われた事について、公方様はご不快に思われておられます。また、畏れ多くも征夷大将軍がおわす山城国への兵の侵入についても謀反を疑う声が上がっており、御当家の為にもなりませぬ。ここは右衛門督殿に二条御所へ足をお運び頂き、公方様へ拝謁されるが宜しかろうと存じます」


 声が震えているぞ、蜷川殿。三十路前の男が十代半ばの男を前に震えているという訳ではないだろう。この謁見の前には多くの六角家臣がいる。だが、その全ての家臣達が蜷川を睨みつけている。

 既に三好との会談の後であぶれ者達に襲われた事実は家臣一同周知しており、それが幕臣の策謀であった事も三雲家の情報により発覚している。今度は進士一族の仕業のようだ。三好長慶の暗殺も進士一族が担っていた事もあり、そういう考えをする者達なのだろう。これが公方の命であれば、逆にやり易いのだがな。


「態々命を狙う者達のいる御所へ向かえと? いやはや、何処まで六角を虚仮にされるおつもりなのか。これまで忠義を尽くして来た当家に対して行われた数々のご無体。それを忘れたかのような言上。某も疲れ申した」


 本当に疲れた。現代でもいるよ、そういう人。こちらの道理を全く聞かず、自分の要望希望だけを言い続け、希望通りに行かなければ不機嫌になる人。そういう人を相手にするのは気力が削れ、本当に疲れる。そして人は離れて行くのだろう。


「蜷川殿、申し訳ございませぬ。今後、某が山城へ赴く事はございませぬ。公方様の御心を色々と煩わせた事については、お詫び申し上げます。その詫びとして幾ばくかの金品を献上致しますので、帰りにお受け取り下され」


「お待ち下され! 公方様は御当家を頼みにしております。近年、越後長尾家当主が関東へ兵を出兵し、関東にて勝手を行って来た北条家の諸城を攻め落としており、間もなく関東を平定されるでしょう。然すれば、長尾の上洛も近くございましょう。その時には、長尾、六角にて三好を打ち倒し…」


「蜷川殿、それは脅迫ですかな?」


 足利家使者の言葉を遮った。本来は不敬に当たる事ではあるが、俺の声と表情を見た蜷川新右衛門親長は言葉を詰まらせた。だが、長尾が関東を制して軍を率いて上洛するのであれば、六角も敵になるなら踏み潰すぞと聞える。それは脅迫以外何物でもないだろう。

 確かに昨年の桶狭間の戦いが史実通りに起こり、今川治部大輔義元が討ち死にした事で、駿、甲、相の三国同盟の一角が崩れた事により、越後長尾景虎が北条氏康討伐の為に関東へ兵を送っており、上野国の厩橋城を拠点として越年している。既に関東諸国の豪族や守護を含め、十万近くの軍勢となって相模国へ入ってはいる。

 だがしかし、史実を知る身分としては、結局小田原は落ちず、北条を滅する事なく終わるだろうと考えていた。関東へ俺は介入していないからな。長尾景虎にも会っていないし。


「なんでも長尾家は小田原城へ十万近くの兵を引き連れているとは聞いております。北条が滅びれば、長尾が関東を平定するのでしょうかな?」


「も、もはや小田原城も落城寸前と聞いております。関東八州の武家達も長尾弾正少弼殿に忠誠を誓い、刀や馬を贈っていると聞きます」


「それは贈りましょうな。関東八州は広いと言えども大小多くの豪族達が未だに自領を治めていると聞きますし、機嫌を損ねて行きがけの駄賃にされては困りましょう」


 この時代、関東と近畿の距離感覚は現代とは程遠い。情報を意図的に掴みに行かなければ、ひと月前の情報が最新などざらにある。おそらく既に長尾景虎は小田原城を落城させる事を諦め、鎌倉で関東管領襲名と上杉家との養子縁組を終わらせている筈だ。

 何せ、既に秋に入っている。史実では春には上記の事が起きていた筈だから、情報が遅すぎるな。意図的に六角に対して隠したいのか、それとも本当に知らないのかは解らないが、それにしても愚かの極みだと思う。


「なんにせよ。小田原が落ちて北条家が滅しようが、落ちずに長尾家が軍を引こうが、どちらにしても、長尾家が上洛など出来ませぬぞ」


「な、何故にございますか!? 関東を平定すれば、長尾家の軍を止める者などおりませぬ!」


 ふむ。政所で働いていたからなのか、軍事に明るくないのか。それとも幕臣共全てが希望的観測で物を語る癖があるのだろうか。ここで理由などを述べても良いが、別に優越感に浸りたい訳でもないから曖昧に誤魔化すか。


「長尾軍十万近くが上洛すれば、この近江も戦場となりますぞ!」


 だが、内にある六角義治が目を覚ましてしまった。

 十万? 本当に馬鹿なのか、それともただただ我慢できずに吠えているだけなのか。それにしても六角を潰すとまで言われ、黙っている程に大人ではない。更に義治が目を覚ましたのであれば、この使者斬ってしまおうかとさえ考えている。


「蜷川殿、お言葉にはお気を付け下され。斬って捨ててしまいそうですわ」


「!?」


 正直、既に幕府からの使者に対しても上座を譲っていないのだから、俺が幕府に対してどう考えているのかぐらい理解出来るだろう。それを考えようともせず、この六角本拠地で六角への宣戦布告をするなど、自殺行為以外の何物でもない。


「まずは関東平定が成ったとして考えましょうか。先程、蜷川殿は長尾軍十万と語られましたが、関東諸国の者達が長尾家に呼応し、上洛する事など有り得ますまい。それどころか、長尾軍は関東にも兵を残さねばならぬ故、精々二万が限度でしょうな。また、年を超えての出兵であった故に、即時二万の上洛などは不可能でしょうし、それを強行すれば、長尾家の屋台骨が軋みますぞ? また、関東に出兵した者達は、関東諸国で乱取りを行っている模様。関東八州の民達は『上杉、長尾憎し』で固まっている事でしょう。近年は関東では不作、凶作と聞いております。そんな時に無理やりの乱取りを行われ、戦が終われば北条を除いた関東諸国の武家に更に徴収される。関東は疲弊し、とてもではないが数年で回復する事はございませぬな」


 蜷川新右衛門は何かを言おうと口をパクパク開いているが、言葉が出て来ないのか、目を見開き馬鹿のように口の開閉を繰り返している。この間に居る家臣達も俺の物言いに驚きの表情を浮かべ、宿老達は驚きながらも言葉の内容を吟味し、『然もありなん』と首を動かしていた。


「関東を平定できなければ、上洛など夢のまた夢。北条は息を吹き返し、長尾が越後に戻り次第、関東八州を取りに動くでしょう。その時には長尾に付いた小豪族達は掌を返します。駿、甲、相の三国同盟の一角が崩れたと言えども、今川が滅びた訳ではなく、未だに駿河と遠江を領有しております。次の関東遠征では、今川も落ち着きを取り戻し、新しき当主の下、北条へ援軍を送りましょう。とてもではないが、越中、加賀、越前、近江を超えて上洛など出来ませぬな」


 色々な文献、小説などを以前に読んでいたような気がするが、この長尾家関東平定後の上洛について論じる読み物が多かったような気がする。だが、論じるだけ無駄なものだと思うのだ。長尾が上杉となり上洛するとなっても、越中、加賀には長尾家天敵の一向門徒が多くいる。幕府側が本願寺との停戦を斡旋したとしても、一万を超える軍勢が越中加賀を通るというのは難しい。以前の長尾景虎の上洛は供が少なく、加賀一向宗も了承出来ただろうが、一万を超えるとなると、そこまで単純ではないだろう。

 朝倉は、重い腰を上げて上洛軍に同行するかもしれないが、一向門徒が従う訳がない。ましてや加賀尾山御坊には七里頼周が率いており、かなり専横が酷いという話もある。本願寺の意向にそのまま従い続けるとは限らないだろう。

 万が一、越前まで来る事が出来ても、長尾二万、朝倉一万、若狭武田五千で三万五千だ。それが六角の所有地である近江を通るのだから、六角義賢がそれを許すかというと簡単には頷けない。色々な感情があったとはいえ、足利義昭を奉じた織田、徳川、浅井の連合軍四万に対して抗ったのだから、長尾上洛軍に抗ったとしても不思議ではないだろう。


「もし、上洛が叶ったとすれば、上洛軍から謝礼は頂きますが、我が領地の通過については許可致します。但し、領内での乱暴狼藉があった場合はその限りではございませぬ。長尾は兵糧や馬、武具に至るまで現地調達の考えが強いようですので」


「公方様へ弓を引くという事か!?」


「落ち着きなされ、蜷川殿。先日より、某は何度も申し上げておりますぞ。その度に異なる使者殿である為か、同じ文言を口にしなければならないのですが、『六角は室町公方様に対して兵を挙げる事はございませぬ』と再三申し上げております。但し、某の主君は足利義輝公ただ一人。如何に主君である公方様の用命であろうとも、某が治める近江国を荒らす者であればそれは賊徒と同じ。そのような賊徒を主君である公方様近くに侍らす事こそ最大の不忠と心得ますれば、某自ら討伐致しましょう」


 側に居る相談役となった蒲生下野守を筆頭に宿老達の表情が引き締まる。六角家として、望まぬ事があれば、長尾家であろうが、関東管領上杉家であろうが、戦いを辞さずと表明したのだ。


「話が逸れてしまいましたな。蜷川殿、某は公方様に恥ずべき行動は致しておりませぬ。故に御所への参上はご遠慮申し上げます。ましてや、二度も命を狙われたとあっては、某のような小心者は恐ろしくて近寄れませぬ故」


 今回の会談後の襲撃について、蜷川新右衛門は把握していないのかもしれない。二度もという部分に少し反応をし、怪訝な表情を浮かべた。だが、何も言わないという事は、その可能性を否定できないのか、それとは別に暗殺の類で人を雇っているのか。既に人を雇っているのだとしたら、三雲新左衛門尉に警戒を強めるように指示を出さなければならない。

 三雲も蒲生も代替わりをしたし、新たに官位を依頼するのも悪くないな。三雲賢持の『新左衛門尉』など官位ではない通名であるし、しっかりとした官位である『左衛門尉』でも良いだろう。


「し、しかし、弾正少弼殿は、畏れ多くも先帝より御剣と天盃を下賜されております。それを賊徒などと…」


 ありゃ、まだその話を続けたいのか。俺的にはもうお腹が一杯なのだが、一杯過ぎて胸やけまでしそうだ。確かに天文21年(1552年)に初上洛した長尾景虎は、そのまま参内し、天皇である後奈良天皇より御剣と天盃を下賜されている。その時は、天皇は長尾景虎についてどのような説明をされたのだろう。

 1552年と言えば、関東を追われた関東管領を越後で匿った年であり、関東遠征に出始めた頃だろう。越後の青苧や越後布で財政は潤っていたとは思うが、石高は北と南を合わせても四十万石程。それ程の期待を受ける立場ではなかったのだが、その頃から軍神と呼ばれていたのかね。


「長尾殿を賊徒扱いしてはおりませぬ。ただ、自国の領民への狼藉は許さぬと申し上げているだけにございます。他人の土地で乱暴狼藉をすれば、それは山賊と同じでございましょう。そのような事を長尾殿がなさるとは思えませぬが、万が一起きればという話」


「六角は三好討伐には加わらぬと? やはり、今回の会談で盟約を結ばれたか!?」


 煩いな。五月でもないのに蠅が飛んでいる。五月蠅くてかなわぬ。

 六角がどこの国と、どこの大名と盟約を結ぼうと咎められる謂れはない。この時代、どの武家も守護であろうが、独立独歩でやっており、政府の中枢である幕府は機能しない為に独立採算制でやって来ているのだ。

 そんなに諸大名に口を出したいのであれば、少なくとも援助の無心ではなく、援助の押し売りでもしろ。無償の奉公ばかりを求めておいて恩賞も与えず、何を言っているのだ。もう、この使者の首を室町へ送りつけてやろうか。


「蜷川殿…。六角が三好と盟約を結んだなどという事実はございませぬ。ございませぬが、例え結んでいようと、其の方に叫ばれる謂れなどないわ!」


 我慢の限界。

 何を偉そうに、六角家へ内部干渉をしようとしているのか。怒りが限界に達し、爆発してしまう。


「堅田への干渉に、今回の三六会談後のあぶれ者を雇っての襲撃、いずれも室町よりご説明がござらぬ! 公方様が与り知らぬか否かの問題ではなく、これが二百年続いた幕府のやりようかと嘆いておる!」


「そ、それは…」


「上の者が下の者に釈明など出来ぬ、代々幕府に尽くして来た六角家などよりも、傍におられる幕臣の方々の方が大事だと言われるのであれば、相応の覚悟を持たれよ! 管領代のお家柄として幕府へ尽くして来た佐々木六角家を虚仮にするのも大概に致せ!」


 感情が大爆発した。内にある六角義治の精神と未来の世界を生きて来た弼頼の精神が合わさり、抑えきれない激情となって溢れ出してしまった。

 本来、当主たるもの、このような事ではいけない。これでは敵ばかりを作ってしまうし、逆に侮られてしまう。最早六角は百万石に手が届く大大名なのだ。これから家を大きくするのであれば、このような事で感情に任せて良い訳がない。この面会の前に出されていた冷めた茶を口に含み、冷静さを取り戻す。


「蜷川殿、申し訳ござらぬ。言葉が過ぎ申した」


「こ、こちらこそ誠に申し訳ございませぬ。某の勝手な憶測による発言、平にご容赦頂きたく。本題に入る為にも、右衛門督様、引いては佐々木六角家のご真意を量りたく、言葉が過ぎてしまいました」


 本題? なんだと! 未だに本題に入っていないだと!

 もう疲れたよ。もう、終わらせてくれ。

 いつの間にか、蜷川新右衛門の俺への呼び方が『殿』から『様』に変化している。そういえば、山科に使者として訪れた細川兵部大輔も俺への呼び方がいつの間にか変わっていたように思う。


「…して、本題とは?」


「然れば、三好家とのご関係を今後どうなさるおつもりなのか、右衛門督様のご真意は解りませぬが、三好に陰りが見えております事、御存じでありましょうか?」


 溜息が出た。

 それでこの時期に観音寺を訪れ、長尾家の上洛についても口にして来たのか。情報も遅すぎるし、頭の回転も遅すぎる。流石にこの内容の使者であれば、少なくとも官位を持つ者を寄こすべきであろう。蜷川新右衛門には申し訳ないが、これでは幕府にとって六角など気を遣う必要のない家という事になる。様々な事への意趣返しなのかもしれないが、お粗末過ぎる。


「蜷川殿、まさかとは思いますが、この使者のお役目、ご自身で名乗り出られたのでございますか?」


「は? い、いえ、此度のお役目は進士美作守殿から公方様よりのお達しとして承ってございます」


 少し、この蜷川新右衛門に好感が持てた。正直過ぎるとは思うが、この男のそういう部分は政務官としてはとても重要である。外交官としては少し不安ではあるが、内政にはこのような男が不可欠だ。足利もこの男を内政の実務者として働かせておき、しっかりと報告を吟味していれば、もう少し良い(まつりごと)を行えた筈だ。しかもまだ三十路前、様々な経験を積めば、外交官としても役に立つだろう。

 だが、六角へ勧誘するわけにもいかないだろうな。今の六角は淡海を行く船の着場の賑わいが凄まじく、そこを管理する代官の数が足りていない。磯山、今浜、船木などは良いが、観音寺城麓にある栗見の港周辺を管理する者がいない。現在は浅井与次郎政元を代官として置いている。真面目でそつなくこなしてくれてはいるが、あの者を代官程度で終わらせるべきではないと考えていた。


「蜷川殿、先程の某の失言を水に流して頂いた恩がございます故、ご忠告申し上げる」


「い、如何致しましたでしょうか?」


 別に俺の激昂を蜷川新右衛門が聞かなかった事にしてくれた訳ではない。だが、こう言えば、聞かなかった事にせざるを得ないだろう。

 俺としても、この正直者を幕臣の阿呆共の道連れにさせたくはない。おそらく、蜷川新右衛門は事の内情などまでは把握しておらず、表面上の事しか伝えられていないのだろう。だからこそ、これだけ能天気に話が出来るのだ。


「蜷川殿がおっしゃる『三好家の陰り』とは、十河民部大夫殿の事ではございませぬか?」


「そ、その通りにございます」


「十河民部大夫が討ち死にしたという話は聞いた事がござらぬ。であれば、病なのか、事故なのか、はたまた暗殺、毒殺の類なのか…」


「あ、暗殺…」


 おそらく、ここに来たのが摂津や進士であれば、この手の話になっても狼狽える事無く、惚けるだろう。事の真相を知っている人間であれば、それを隠すのは容易い。また、この辺りは外交官としての経験なのだと思う。やはり、今はまだ蜷川新右衛門は内政官向きだな。


「三好側はそれを疑っております。だが、六角は関与しておりませぬ。となれば、疑われているのは、畠山尾州家と…」


「…室町にございますか?」


「もし、此度の件、公方様が喜びを示しておられるのであれば、御諫め為されませ。人の死を喜ぶようでは、将軍の器にあらずとでも言えば宜しかろう。もし、これに乗じて挙兵するというのであれば、御覚悟召され。三好を滅するか、足利が滅するかでしか決着致しませぬぞ」


 遺恨が強い。三好長慶に会ってみて分かったが、あれは相当に憔悴していた。齢十を超えた程度で当主となり、頼りになる三人の弟と共に三好家を大きくして来たのだ。他三人の弟同士の仲は解らないが、三好長慶にとっては、三人とも頼りになる可愛い弟達だったのだろう。それが、事故や病ではなく、暗殺、毒殺の類で殺されたとなれば、恨みも一入だ。

 父、三好元長の仇として、一向宗を煽る謀り事をした細川晴元や三好政長への恨みを隠そうともしない男だ。


「此度の三好との会談後に某たちを襲撃しようと策略した者も既に割れております。もし、この襲撃によって、我が父承禎入道が凶刃に倒れていた場合、某は室町にその者の首を要求したでしょう。そして、その要求が堅田の時のように呆けられたとすれば、二条へ軍を進めた筈です。御所巻きなどという甘いものではなく、六角家の明確な敵として」


「そ、それは…。し、しかし!」


「蜷川殿、六角家も三好家も武家にござる。同じく征夷大将軍である公方様を主君としておりますが、主君であれば何をしても良いという訳ではございませぬ。主君に身内を殺されれば、恨みに思うでしょう。主君に侮られ、その家臣達にまで誹られれば、怒りも致します。そして、我らのような国主となっている武家は周辺国家から侮られる訳には行かぬのです。侮られれば、治めている国の民達が泣く事になる」


 蜷川新右衛門は絶句している。声も出ないのだろう。俺の宣言に対して表情を浮かべているのは、父である承禎入道だけかもしれない。あの襲撃の帰りにて今後の六角家の立ち位置と進むべき道を父と最終確認した。足利とは今後関りを薄くするのは共通認識として行い、もしもの時は、朝廷への征夷大将軍解任について詰めて行くという最終着地にまで話は進んでいた。流石に将軍の討つとなれば、主殺しとしての悪名が付いて回り今後の統治にも影響があり、周辺諸国との連携も不可能になるだろう。

 今のままでも足利義輝が勘気を起こし、討伐令のような物を出す可能性もあるが、それより前から対立している三好に対してもそのような動きがなかった事を考えると、可能性は無いに等しいだろう。近江周辺国家で足利家と連動しそうな家は、今のところは若狭の武田のみ。伊勢の北畠は足利尊氏と争った北畠顕家の末裔を謡っており、官位も将軍よりも上にいる所謂公卿家である。

 もし、可能性があるとすれば、俺が滅ぼした浅井家の縁戚になる西の斎藤家だろうが、その斎藤家は先年足利義輝に謁見し御相伴衆に列せられているが、その斎藤義龍は今年に死没している。嫡男である斎藤龍興は俺より年下で、ここから五年は織田家との戦いに追われる筈だ。


「三好も同様でござろう。大事な弟を謀略によって失ったとなれば、その原因を辿りましょう。そして、その首を要求する筈です。それが叶わないのであれば、武家の矜持に則った行動をなさる筈」


「如何すれば…」


「正念場でございましょうな。まずは公方様を御諫めするべし。それが聞き入れられず、挙兵に至ったのであれば、畿内から三好を追うような生温い事ではなく、阿波、讃岐へ攻め入り族滅させる必要がある。それが出来なければ、先行きは暗かろうと存ずる」


 蜷川新右衛門の表情がいよいよ泣きそうな程になっていた。絶望を感じているのかもしれない。俺の語る事が事実であった場合、そうなるであろうと予測出来る範疇の中身だったのだろう。


「御屋形様、そこまでに…」


 蜷川新右衛門の身体が小さく震えだす頃、横に座っていた後藤但馬守が口を差し入れて来た。本来当主と使者との会話に家臣が物を申すなど考えられる事ではない。その辺りがこの後藤但馬守の傲慢さなのだろうと思ったが、よくよく周囲を見れば、この場にいる評定衆達の顔色が悪い。

 誰もが想像もしていなかった状況に陥っているのだろう。そんな家臣達の心の声を代弁した後藤但馬守の額にも大粒の汗が滲んでいた。


「すまぬ、但馬守。少し話に熱が入ってしまった。蜷川殿、先程の失言に続き、重ね重ねご無礼致しました」


「ご忠告、忝く存じまする。しかし、余りにも大き過ぎ、某では判断出来かねます」


「でございますか。では、細川兵部大輔殿にでもお話をされるが宜しかろう。蜷川殿とは御年も近く、公方様の御側におられるでしょう故。もし、万が一にも蜷川殿が公方様や幕臣共に咎められ、疎まれるような事になれば、某を御頼り下され。その時には、この六角右衛門督弼頼、蜷川殿を心より歓迎致しますぞ」


「真に有難きお言葉。胸に刻みまする」


 蜷川新右衛門の最初の傲慢さは鳴りを潜め、俺の前で平伏するように頭を下げる。同席していた後藤壱岐守へ指示を出し、二条御所への献金、献上品の荷詰を行わせた。荷詰が終わるまでは、他愛もない季節の話、京の町の話を交わす。ようやく荷詰が完了した事が告げられた頃には、蜷川新右衛門の表情は幾ばくか柔らかなものになっていた。

 蜷川新右衛門個人に対して、近江で取れる特産品などを少量渡し、『またお会い出来る事を楽しみにしております』と声を掛けると、少し嬉しそうに微笑んで、退室して行った。


「御屋形様、某、冷たい汗を掻きましたぞ」


「某もでございます。小便でも漏らしてしまったのかと…」


 俺が一つ大きく息を吐き出すと、周囲からも息を吐き出す小さな音が聞えて来る。近くにいた蒲生下野守が口を開くと、皆が引き攣った笑みを浮かべて同調した。この時代で征夷大将軍というのは、やはりまだまだ禁忌に近いのだろう。それを害する宣言をするなど、肝が冷え、身の縮む思いをするのかもしれない。


「御屋形様、ここで御小休(おこやすみ)と致しましょう」


「あいわかった。一刻ほどの休止とする。皆、それぞれ飯を食うなり、茶を飲むなり致せ。俺は席を外す」


 そういうなり、俺は立ち上がる。皆、足利からの使者への対応に対して思う事があるだろう。その場に俺がいれば自由な発言も出来まい。ならば、外の空気でも吸いに外へ出た方が良い。謁見の間を出る為に歩き出した俺に向かって家臣全員が平伏するのを横目に、陽が高くなって来た空を見上げて廊下へと出た。



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― 新着の感想 ―
征夷代将軍は鎌倉で2代目、3代目、室町でも6代目が殺されたのですがどうしてこうも自信過剰なのでしょうか? 特に8代目以降は有力大名の庇護なしではやっていけないのに最大の味方にこの扱いはない。 それは愛…
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