元服の儀
「右衛門督様、御成りにございます」
観音寺城の謁見の間に足を踏み入れる前に先触れのように小姓が中にいる人間達に声を掛ける。その後に踏み入れると、謁見の間にいる者全てが平伏していた。
当たり前の光景だが、未だに慣れない。中の六角義治の精神に影響ないが、六角弼頼としては、倍以上に年齢が上の人間達がひれ伏す姿が異様に映ってしまうのだ。
「民部少輔殿、お待たせ致した。皆の者も面を上げよ」
「御屋形様、此度の戦勝、祝着至極にございます」
皆が顔を上げたのを確認し、朽木民部少輔が祝いの言葉を述べて再び頭を下げる。横に座っている朽木竹若丸もまた、同じように頭を下げた。
朽木谷近くの陣で話した通り、朽木家の正式な臣従及び、竹若丸の元服の儀を執り行う為に、この観音寺城へ赴いている。
「此度、観音寺へ来られたという事は、正式に六角家臣となる決意を成されたと考えて良いのだな?」
「はっ、六角家の末席に加えて頂ければ、これ程の喜びはございませぬ」
この観音寺城に入ったという事はそういう事なのだが、改めて本人の口から聞くために問いかけると、打てば響く太鼓のように即答が返って来た。
その横の竹若丸は若干緊張した面持ちでこちらへ視線を向けている。今の朽木家は彼が当主だ。朽木民部少輔は当主代理、陣代に過ぎない。
「竹若丸殿もそれで良いか?」
突然自分に話が振られた事で焦りが表情に出るが、祖父である民部少輔の顔を見てから、俺に向かって平伏した。
「未熟者にて、御屋形様のご薫陶を頂ければ至上の喜びにございます」
「あいわかった。これより、朽木家は六角家中の者となる。皆の者もそう心得よ!」
「はっ」
俺の言葉に謁見の間にいる全ての人間が頭を下げた。驚いたのは、近くに座る父承禎入道もまた、俺に向かって頭を下げた事だ。今までは、当主が俺であっても、流石に頭を下げる事はなかったが、堅田の平定、叡山僧兵の撃破を終えて観音寺に戻ってからは、父というよりは一臣下の振る舞いに近い物になっていた。
それはそれで寂しいと感じる為、その旨を伝えたのだが、正式な場所においては、隠居といえども臣下の一人と譲らない。仕方なく、公式な場所以外では、今までの父子でいたいという俺の気持ちを伝え、それに了承してもらう事は出来たのだ。
「しかし、民部少輔、俺は公方様と距離を置いておる。朽木へ抗議は来ておらぬか?」
若狭出兵から六角家は完全に足利将軍家と縁を絶った。使者には会わず、文も受け取ってはいない。余りにもしつこく使者が訪れ、最後には使者が激高し、『足利将軍家を愚弄するのか!? これは謀反であるぞ!』と観音寺城内で騒ぎ出したため、一筆文をしたため、使者へ渡して追い返した。
文の内容は、『摂津中務大輔の所業許し難し。更には使者の言上、甚だ遺憾。公方様に於かれましては、京の都に心を砕かれる事こそ肝要』と。正直、自分で書いていても、かなり不味い事を書いているなという自覚はあったが、これ以上舐められるのは六角にとっても良い事にはならない。もし、公方が摂津中務大輔の動きを把握していないで六角を糾弾しているのであれば、それこそ大問題であるし、白日の下に晒す事で足利が良くなるのであればそれはそれで良い。まぁ、無理だろうな。
「摂津中務大輔、公方様へ無断で行っていた模様。某には公方様より中務大輔の所業とは何かというご下問の文がございました」
「独断専行か。己で考え、行うのであれば、それは所属する家や軍にとって良き結果となる物でなければならない。先代の中務大輔元親殿は民部少輔と共に奉行衆に列せられ、中々の人物だったと聞くが、後継の育成を失敗したか」
「先代中務大輔殿とは某も親交がございましたが、良き御仁でございました。ご養女に迎え入れられた春日局殿は公方様の乳母を務めております。現中務大輔も政所執事として幕府を支えておったのですが」
「岩神館で恥を掻かされ、六角憎しで歪んだか」
文を書いてからは、こちらへの使者はない。
足利将軍家が家臣筋である六角へ謝罪など出来る訳がないという想いなのか、それともただ摂津中務大輔を庇っているのか判断が難しい。だが、何も弁明がないとなれば、六角が歩み寄る事はあり得ない。足利公方の要請にて若狭まで出兵をしたにも拘わらず、その足利家重臣によって寝首を掻かれかねない状況に落とされたのだ。将軍家は信用出来ないという実績だけが残ったという形だ。
「何処から漏れたのか、此度の騒動の詳細が各所に轟いております」
「ほぉ、人の口に戸は立てられぬか。公方様の醜聞となるにも拘らず、そのような噂をするなど畏れ多い」
民部少輔の目は真実を理解している眼だな。噂は俺が流させた。六角軍に於いては、一兵卒に至るまで何故一向門徒、叡山僧兵が動いたのかを知っている。その兵達には今回の報償として一時金を渡しており、その金で遊ぶ者達は、酒場などで酒の肴に噂話をする。それを聞いた商人達は各地を歩き、噂を広めて行く。
この娯楽の少ない時代に、噂話は庶民の中の最大の娯楽だ。尾ひれはひれが付き、話は大きくなって行く。今では将軍の器にあらずという話にまでなっており、宮中でもその噂は耳に入るそうだ。帝への献上品を運んだ目賀田摂津守に、山科権大納言様が嬉々として語っていたという。
山科権大納言は、僅か数年前に、足利義輝に家領である山科領を横領されかけている。何とか近衛家の仲裁で事無き事を得たが、あの時の屈辱は忘れたくとも忘れられないだろう。宮中の噂の元はこの人なのかもしれない。
「三好修理大夫殿からも文が来た。あの方も何度も暗殺されかけておるからな。今まではどの武家からも理解を得られなかったのだろう。随分と心を寄せられた良い文を頂いた。いっそのこと、修理大夫殿と共に御所巻きでもやるか」
「お、御屋形様!」
「すまぬ、すまぬ、この場にそぐわぬ転合であったわ。だが、公方様は如何するつもりか。西に三好、東に六角。足利は何処にも行けぬぞ。最早匿ってくれていた朽木も六角だ。俺なら、摂津中務大輔の首を持って頭を下げるか、中務大輔の所業自体が単なる噂であると弁明の使者を送るがな」
「その使者に御屋形様がお会い為されぬのです」
御所巻きは言い過ぎたな。完全に謀反になるし、古今東西、御所巻きをした者は碌な末路を歩まない。冗談にしては度が過ぎたか。反省だな。
そんな俺に対し、後藤但馬守が幾分か責めるような物言いを口にする。なる程、確かに足利からの使者は断っていた。だが、俺の文以降、使者さえも来なかったと思うが。
「御屋形様、この辺りが落とし頃と存じます。六角家の怒りは十分に諸国に伝わりましてございます。これ以上は、足利将軍家を意固地にしてしまうでしょう。公方様は良くも悪くも心優しき御仁故、幕臣達の言葉に寄ってしまわれかねませぬ」
「ふむ。民部少輔の言、一理ある。皆はどうだ?」
「某も、民部少輔殿に同意致します」
「近江一国、まだまだ落ち着いておりませぬ。ここは堪えられる事が肝要と心得ます」
民部少輔の言葉に、宿老達が全員大きく頷きを返す。これでは俺一人が意固地になっているようではないか。正直、今の足利家に何が出来るのかという思いはあるが、流石は数百年続いた権威だ。これ以上は駄目だという認識が家臣達の中で固まっている。
三好が畿内にいる以上、六角包囲網など実現はしないのだが、家臣達総出で口にするのならば、致し方なかろう。
「納得はいかぬが、其方らがそこまで言うのであれば、致し方なし。民部少輔の方から使者と会う旨をお伝えせよ」
「はっ。某の具申、お聞き頂き、有難く存じます」
民部少輔が頭を下げると、隣の竹若丸も頭を下げた。ん? 竹若丸? 完全に忘れておったわ。竹若丸の元服の儀をしなければ。
「すまぬ。竹若丸、待たせたの。直ぐに元服の儀に移る。父上、加冠の儀、お願い申し上げる」
「このまま日が暮れるかと思いましたぞ。民部少輔殿、僭越ながら某が烏帽子親を務めさせて頂こう」
「左京大夫様、過分なご温情、忝く存じます」
その後、一度席を外した民部少輔と竹若丸は正装に着替え、父承禎入道も正装を着用する。俺の前に着座した竹若丸の頭に父承禎入道が烏帽子を乗せ、顎の下で紐を結んだ。周囲の家臣達が皆祝辞を口にし、側近の木村筑後守が竹若丸の前に一振りの刀と祝いの品々を置いて行く。
「竹若丸、これにて其方は一人の武士となる。其方は我が弟である次郎と歳が近い。次郎と共に俺を支えてくれ」
「はい。懸命に励みまする」
「うむ。諱については、俺が考えた。俺は偏諱というものが余り好きではない。故に、俺の名から一文字を与える訳ではないが、それは其方に期待していないという事ではない。其方は朽木家で初めて六角家中の者となる。民部少輔も其方の父宮内少輔殿も六角の傘下にあった事もあるが、明確に臣従していた訳ではない。全てに於いて、其方には初めての事が多かろう。故に其方には『元』の字を贈る。『はじまり』を意味する一文字だ。民部少輔からは其方の父も弥五郎を名乗っていたと聞いた。朽木家の通字である綱と合わせ、以後、『朽木弥五郎元綱』と名乗るが良い」
史実の名に、色々と理由を付けてみた。この時代で後世に名を残している人物の名が変わるのは、どうしても抵抗があるのだ。俺の中で、やはり朽木元綱は朽木元綱であり、名が体を縛るではないが、やはり違和感を覚えてしまう。だが、やはり安易であっただろうか。もっと自分で考えた方が良かっただろうか。
「…御屋形様、某のような外様の者に対し、過分なご配慮、感謝のしようもございませぬ。」
「御屋形様、某からも御礼を申し上げます。朽木弥五郎元綱…本当に良き名を賜りました。六角の一柱となれるよう、一層励ませます」
想像以上に感動された。
民部少輔に至っては、眦に涙さえ浮かべている。正直、一家臣の元服の儀としては異例の盛大さだ。先代である六角左京大夫義賢が烏帽子親となり、元服の祝い品も六角本家から下賜されるため、かなり豪勢だ。一家臣の元服の儀としては破格であろう。
「働き次第では、其方には朽木谷を出て貰う事もあろう。励めよ」
「はい。御屋形様から所領をお預け頂けるよう励みまする」
素直な青年だ。史実のように最後まで朽木1万石弱の領主のままになるか、それとも他国で大きな領地を持つか。まだまだ十代前半。この時代でも日本が統一されるのに、まだ二十年以上の月日が掛かるだろう。その時までに出世できると良いが。
朽木が退出した後、謁見の間に宿老他、評定衆が残る。
高島郡の仕置きと今後の展望を話すのだ。
「山城守、坂本の縄張りは進んでおるか?」
「はっ。現在、大まかな縄張りは終わりが見えております」
「建材などの資材はある程度面倒を見る。作業に従事する者達への報償を渋るな。また、近隣の民に物を運ばせたなら、それに対しても恩賞を与えよ。坂本は叡山と公方の匂いが強い場所だ。気前の良い所を見せ、民を味方に付けよ」
「はっ、しかと承りましてございます」
進藤山城守には、坂本に城を築かせている。史実で明智光秀が築城した頃は既に叡山の焼き討ちが終了していた故に、築城に邪魔など入らず、僅か1年でかなりしっかりとした城を築いたそうだが、まだ叡山が健在である以上、そこまでしっかりとした城は望めまい。
坂本の町は叡山の重要な補給拠点でもある為、周辺の城にはある程度の兵を配置している。今のところ叡山に動きはない。叡山が所有する僧兵の大多数がこの戦で死んでいるからだろう。過激派と呼んで良いかわからぬが、叡山の中には本当に仏に帰依する者も多くおり、今の延暦寺内ではそういう真面目な僧が取り纏めを行っているのだろう。
「堅田は?」
「は、駒井八右衛門からの報告によると、堅田の民心は落ち着いている様子。特に反発もなく、皆が生活を取り戻して居るとの事でございます。一向派の寺社の破却の際には動揺も見られましたが、その後何事もなく、平穏な日々が続いている事で民も落ち着きを取り戻しました」
堅田の一向宗の寺社は破却した。慈敬寺、本福寺など、遥か未来にも残っていた寺も含めて破却している。本福寺などは三度も本願寺から破門されていたが、今回も僧が多く蜂起に参加していた事もあり、破却と相成った。
後世を知っている身としては、戦のなくなった時代のお寺の姿が目に浮かび、心が痛みはしたが、史実では十年後頃には石山合戦で本福寺も参戦しているのを考えると悩ましい。
「しかし、此度の件、朽木へご下問を出しているとは…」
「そうよな。呆れるばかりよ。今、幕府が最も大事にすべきは朽木であった。にも拘らず、堅田を焚き付け、叡山までも動かし、高島郡以下近江の全てが六角の手中に収まったのだ。幕臣としての名だけでは朽木も自家を維持出来まい。若狭出兵の際には幕府から朽木にも六角に馳走する命でも出していれば別だが、最早『公方頼りにならず』と思われても致し方なかろう」
「与り知らぬ事であったでは済みませぬな」
足利は叡山領である坂本に匿われた事もある。そして、足利を最も丁重に匿っていたのは朽木だ。岩神館を建て、幕臣共も含めてその生活の面倒を数年間も見て来た。何の役にも立たないにも拘らずだ。正直、公方がいなかろうと、幕臣共がいなかろうと、朽木谷を欲する者達はいない。故に、戦除けとしても幕府は機能していなかった。それでも朽木は丁重に幕府を養っていた。そう簡単に出来る事ではない。
そんな大事な家を危険に晒した事を理解していないのだろう。しかもその元凶となった所業について直接『下問』という上からの問いかけを行っている。最早、知らなかったでは済まない案件である。
「今回、幕府の使者を受けるが、今後は室町からの要請は一切関与しない。対三好の出兵など以ての外だ」
「ですが、そう致しますと一つ懸念がございます」
俺の宣言にほとんどの家臣は頷きを返すが、後藤但馬守だけは、意見を述べる為に口を開いた。
「申してみよ」
「然れば、六角が対三好から離れるとなれば、畠山単独で三好に当たらなければなりませぬ。畠山尾張守単独では一万の兵が限度、無理をしても二万には届かないでしょう。とすれば、畿内はほぼ三好が領する形になります」
「確かに、摂津、河内、和泉の全土、大和と紀伊の一部に本貫である阿波と讃岐に淡路を持てば、三好単独でも四万から五万の兵を有する事となりますな」
確かに、進藤山城守の言葉通り、三好がそこまで所領を広げれば、所有石高は百万石を超える。目安として百石で三人と考えれば三万程の兵を養える計算だが、摂津、河内、和泉は日ノ本の銭が集まる場所であり、そう考えれば、四万は確実と見て良いだろう。
「摂津に関しては、三好が完全に掌握する事はあり得ぬな」
「本願寺ですか…」
「うむ。三好修理大夫殿にとって本願寺は親の仇のような物ではあるが、正直、三好に本願寺を攻める事が出来るとは思えぬ。坊主を攻める事が出来るのは、俺のような変人でなければ難しかろう」
「ふむ。確かに」
ありゃ、予想以上に皆が納得してしまったよ。そうか、この六角では既に右衛門督弼頼は変人という認識で固まっているのか。誰一人その事に疑問を持つ事なく、『確かに、確かに』と頷いている。何と失礼な奴らだ。
だが、俺の内の六角義治の精神が騒ぎ出さないのは、この場の雰囲気が愚弄や嘲りではないからなのだろう。皆が畏怖を込めて当主を理解していると感じるからなのだと思う。
「御屋形様…」
「三雲対馬守、何かあるか?」
「はっ、和泉国岸和田城に入っていた十河民部大夫、昨今姿が見えませぬ。重い病か、はたまた…」
「既に死んだか…か?」
確か、史実では、三好修理大夫長慶の弟の十河民部大夫一存は、1561年に亡くっている。今年は永禄4年、つまり1561年である。先年の畠山家と三好の戦いの恩賞で岸和田城主になったのだったか?
それが戦の後で徐々に姿が見えなくなったという事。戦で怪我を負ったという話はなかった。病か、暗殺か、何れにせよ、三好の勢いに陰りが見え始めている。
「対馬守、其方の手の者以外の甲賀者に、十河民部大夫の暗殺の依頼が来ていないかを探れ。もしその依頼を受けた者がいれば、全て殺せ」
俺の雰囲気が変わった事を察したのだろう。三雲対馬守が姿勢を直して平伏する。周囲の家臣達からも笑みが消え、緊張の面持ちへと変化していた。
もし、幕府からの要請を甲賀者が受けていれば、十河民部大夫の暗殺への関与の疑いが六角に降りかかる。良きも悪くも甲賀者と六角家臣は結びついてしまう。
「良いか、以後、どのような理由があろうと、幕府からの依頼を受ける事、罷りならん。甲賀衆へしかと申し付けよ」
「はっ、末端に至るまで徹底致しまする」
公方が画策したとは考え難い。おそらくこれも幕臣共の独断専行なのだろう。まだ、幕臣の企てだと決まった訳ではないが、先日まで戦で大立ち回りをしていた人間が、怪我を負ってもいないのに病となれば、何らかの陰謀を思わせる。
現状、三好に対して行いそうな家となれば、畠山尾州家と足利将軍家しか考えられない。特に将軍家と三好は因縁があり、既に二度三好修理大夫の暗殺を企てている。
「御屋形様は、室町の企てと考えておいでで?」
「可能性は高い。先程話が出たが、足利は進退窮まっている。六角に一向宗をぶつけて東への風穴を開ける事が叶わなかった。更にその間に三好は畠山との戦に大勝し、河内高屋城を奪っている。ならば三好の屋台骨の一つに的を絞ったと考えても可笑しくはない」
長男である修理大夫長慶殿には何度も暗殺を企てたが阻まれている。次男である三好豊前守実休は高屋城に入っており、元が敵城であるだけに警護も万全なのだろう。三男の安宅摂津守冬康は本貫が淡路である為、難しい。
そこで上がるのが四男である十河民部大夫一存である。本貫は讃岐十河城であるが、先年の畠山家との戦の大勝の褒美として岸和田城を与えられて城主となっていた。『鬼十河』の異名を取る程の戦上手として名が通ってはいるが、三好兄弟の中ではまだ若く三十路に届くかどうか。狙いどころと考えても可笑しくはない。
「まだ、十河民部大夫が病だと確定はしていないし、ましてや死んでいるかどうかも分からぬ。だが、可能性はあるというだけだ。そして、もしそうなれば、馬鹿共が騒ぎ出す」
「打倒三好ですか…」
「畠山は再起を掛けて兵を挙げるだろう。それに呼応して六角にも出兵要請が必ず来る。馬鹿共は六角の兵力も財力も己の物だと考えておるからな」
「如何されますか?」
面倒だな。本当に面倒だ。
最早、三好と共に京へ攻め込み、幕臣共々足利家を滅ぼすか。現代を生きていた頃に手にしたゲームであれば『足利家は六角家によって滅ぼされました』の一文のみで終わるが、流石に現実では主殺しとしての汚名を否応なく浴びる事になろう。
「六角は動かぬ。暗殺か毒殺か、それともただの病か、あるいは何事もない噂話か分からぬし、どれにしても六角の関与が疑われるのは不快だ。もし、甲賀者の中にそのような依頼を受けた者がいれば、その首を首桶に入れて依頼主へ送ってやれ」
口に出している内に徐々に怒りが湧いて来る。内に秘めた六角義治の精神がむくりと起き上がって来たようにも感じた。
「もし、幕臣の中にそのような依頼をしている者がいたとすれば、今回の摂津中務大輔を許す事など出来なくなる。それこそ、幕臣全ての首が必要となろう。没落するなら、勝手に消えていけ! 懸命に生きている他家を巻き込むな!」
最後には怒鳴り声になってしまった。
六宿老、田屋石見守以外の者達がびくりと身体を跳ねさせる。別に恐怖政治がしたい訳でもなく、侮られていなければ気さくな当主でいたかったのだが、足利のやりようには我慢が効かなくなってきていた。
六角義治を後世では短慮で浅慮と評価しているが、彼が後先考えずに行動しているのは観音寺崩れの一件のみではないだろうか。余程我慢が出来ない事を言われたのか、許せぬ行動を受けたのか、非を六角義治のみに向けるのは間違いではないかと思っていた。
それに比べ、この頃の足利義輝と幕臣の行動は、短慮、浅慮のオンパレードではないだろうか。後世のゲームで足利家家臣の智謀、知略が50以上ある事が信じられない。策謀を巡らせるのは良いが、失敗した時の対処方法を考えずに行動している。それもこれも、将軍だから何をやっても良いという考えが根底にあるからなのだろう。
「御屋形様、御怒りは御尤もにございます。配下の甲賀者の中には室町からの依頼があれば報告するように言明しております為、当家が関与している者達の中にはおらぬでしょう。ですが、それ以外の流れ者、あぶれ者はその限りではございませぬ故、徹底的に調べます。ただ、依頼を受けた者がおるおらぬは別としても、甲賀にこのような不本意な疑いが掛かること自体、某も怒りを感じております。この際、元凶である幕臣共を始末致しましょうか」
「つ、対馬守殿…」
これまで静かに座っていた三雲対馬守が、怒りの籠った目で俺を見つめる。言葉通り、相当な怒りを感じているのだろう。俺が、甲賀者の中にいる可能性を指摘した事への怒りではなく、そのような動きを見せる幕府への怒りでだ。
他家への潜入、暗殺、毒殺も彼ら甲賀衆の仕事の一つであり、誇るような事ではないが、恥ずべきものでもないというのが彼ら甲賀衆の考えなのだ。だが、やってもいない敵将の暗殺という功績が甲賀衆の物となるのは恥なのだろう。これが本当に独断で十河民部大夫を暗殺していたとしたら、それを口にしただろうし、俺もそれに応じて対策を練った。
だが、そうでないとなれば、これは只の汚名にしかならず、どのように弁明しようとも無実の証明は難しい。益々腹が立ってくる。
「阿呆! 其方の仕事を幕臣共の血で汚すぐらいならば、全軍で京を制圧し、公方の首でも上げてくれるわ!」
「…御屋形様、軽率な発言でございました。謹んでお詫び申し上げます」
どうしたものか…。
もし、天下を目指すならば、三好はいずれ戦わなければならぬ相手。だが、まだまだその時ではない。今の六角家単体ではまだ三好には届かず、特に修理大夫が存命であれば、勝てないどころか、滅亡の可能性すらある。
伊賀、伊勢を取ってようやく五分。織田家が美濃を取るまであと6年。それまでには北伊勢だけではなく、志摩までを六角領にし、水軍を手にしたい。水軍を手にしてようやく優勢に立てるという物だ。
「三好修理大夫に文を書き、会談を願う」
「危のうございますぞ」
「百も承知じゃ。それでも今の内に修理大夫殿にお会いしておきたい。父上とは幾度となく戦を行っておるが、三好も六角も代が替わっておる。修理大夫殿の嫡男筑前守殿は俺より三つほど歳が上だと聞いておるし、これ以上、馬鹿共の為に争いを続ける必要もない事を直接お話しする」
「しかし、御屋形様、会談を開く場所が難しくございます」
確かに、こちらから会談の要求をするとはいえ、敵国である摂津の芥川山城や飯盛山城へ赴く訳にもいかない。だが、近江に来てもらうなど有り得ない。どこか適当な場所はない物かと視線を宙に浮かすが、何も出て来ない。史実の知識はあっても、この時代の常識や建物などは知らない。六角弼頼の弱みはもろに出てしまった。
「御屋形様、よろしいでしょうか」
「加賀守、良き場所があるか?」
「京の万寿寺をお借りするのは如何でありましょう」
万寿寺? 知らないお寺だ。
有名なのだろうか。寺社仏閣に興味が無ければ、お寺などはなかなか把握するのは難しい。俺の表情が余程だったのだろう。加賀守の顔が苦笑に代わり、周囲の家臣達からも失笑が漏れる。
今のは完全に馬鹿にされたな。義治、侮られたぞ。怒り狂う場面か?
「京都五山の一角にございます。大殿が帰依しております臨済宗の寺となり、五山の中では第五位ではございますが、公方様が築かれた御所からも程なく遠く、近江からも摂津からも然程距離は変わらぬでしょう」
「ふむ。父上、お願い出来ますかな?」
「承知致しました」
こう見えても、剃髪した承禎入道は仏道に入っている。坊主や僧ではなく、仏道に入り修行をする者である。とんだ生臭で、酒は飲むは肉は食すは人は殺すはだ。まぁ、地獄行きだな。とてもではないが仏様が極楽に引き上げてはくれぬだろう。
だが、寺に場所をお借りしたいと依頼する分には役に立つ。
「公方が御所を築こうが、現在山城を実質支配しているのは三好だ。自身の支配地に近しい国の寺であれば、修理大夫殿も首を縦に振るであろう」
「では、某が使者として赴きまする」
会談場所を指定した平井加賀守が同時に三好への使者も願い出てくれた。六宿老の一人であり、今や現六角家当主の義父でもある。これ以上の使者はいないだろう。
三好側も無碍には出来ず、六角の本気度も伝わるという物。
「加賀守、頼むぞ」
「はっ」
「しかし、伊賀についてと思っておったが、これが片付いてからだな」
「現在、藤林、百地、森田、植田などの有力国人に某の配下を使者として向かわせております。暫しお時間を頂戴致したく」
伊賀国は厄介な国であり、豊かな国でもない為、そこまで必要ではない。ただ、ここで厄介なのが、伊賀国守護は仁木氏が任じられており、この仁木氏の遠縁に六角定頼の兄である六角氏綱の子供が婿養子に入っており、仁木義政を名乗って伊賀守を賜っている。更に幕臣として京にいるのだ。
ただ、実際は仁木氏に伊賀を統治する力はなく、実質は有力国人達がそれぞれ力を有しているのが現実であり、後世で伊賀十二人衆と語られている。
「頼むぞ。それでは父上、京の都でも散策に参りますか」
「我が子と共に歩むには、些か味気ない場所ではあるが、致し方あるまい。幕臣共も肝を冷やすであろうな」
父である承禎入道へ声を掛けると、流石にこの時ばかりは父親の顔になり、微妙な笑みを浮かべた。現当主と先代当主が敵地に行くなど本来絶対に有り得ないのだが、今回ばかりは致し方ない。先方にも、修理大夫と筑前守の二人に出て頂こう。
父承禎入道も、使者となる加賀守もしっかりと理解してくれている。三好との会談は行う。だが、敵地に近い山城国に先代、当代の当主が入るのだ。護衛となる兵は必要。そして三好も同様であれば同数以上の兵を持って京に入るだろう。
実質三好の支配地とはいえ、名目は足利が統治している山城国に合わせれば二万近くの軍が入ってくるのだ。後ろめたい事が無ければ抗議も出来ようが、三好、六角両家に対しての行いを顧みれば、何も出来まい。
どのような結果になるのか、今から楽しみだ。