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真野城炎上



「御屋形様、ご無事のお戻り祝着至極にございます」


 陽が完全に落ち切る前に六角本隊は船木城へ到着した。

 一度の出陣の後には城へ戻っていた平井加賀守の嫡男である、平井弥太郎高明が俺の出迎えに参上していた。加賀守は、現在急遽本貫である粟太郡に戻り、兵を整えて父承禎入道の軍に合流している。故にこそ、船木の城と兵は嫡男である弥太郎に全権を委ねている形になっていた。

 正直、堅田に近く、叡山との距離も近い船木を息子に任せるというのは、高島党の取り纏めとして任じた俺に対しての不敬になり兼ねないのだが、ここ最近の加賀守の動きを見ていると、俺が世代交代に向けて動いている事を察しているような節がある。

 蒲生下野守も家督を嫡男である左兵衛大夫賢秀に譲り、正式には隠居を示している。今は俺の相談役として出仕しながら、左兵衛大夫への引継ぎを行っているという形になっている。その内、加賀守も家督を譲る旨を願ってくるだろう。いずれ生まれて来るであろう俺の子は加賀守の孫だ。孫の笑顔を見ながらのんびり暮らせるようにしてやりたいとは思うが、もう暫く先の話になるだろう。


「堅田は?」


「陸での動きは真野城を落とした後にそこまで動きはございません。ですが、淡海で略奪行為を行っております。六角の荷も何隻か奪われております」


「うむ。叡山は?」


「はっ、現在坂本近くにて大殿の軍と睨み合いになっております。大殿率いる軍は約五千。叡山の僧兵は四千強と思われます」


 船木城代の名代として平井弥太郎が堅田の状況を答え、その後を続くように船木に入っていた田屋石見守が叡山の僧兵について答える。

 田屋には六角評定衆としての役目を与え、長法寺周辺の土地も与えている。今では立派な六角家の中軸の一つだ。


「御屋形様、御所に動きもございます」


「阿呆共が懲りずに…」


 そして、諜報を重視するために新城である今津城へ入れた山中大和守が更なる情報を口にする。この情報は他二人にも共有されていたのだろう。平井、田屋共に驚く様子もなく俺の様子を見守っていた。


「ここで叡山や堅田との和睦でも斡旋しようとでも言うつもりか? 自作自演の猿芝居に付き合わされる身にもなってみよ。全くもって舐められたものよの。公方様自ら六角との手切れを願ったのだ。若狭出兵だけでもお釣りが来る。京からの文、使者、全てを拒絶せよ。しつこいようなら斬れ!」


「ははっ」


 三人が慌てて平伏する。

 俺の怒りが正確に伝わったのだろう。田屋、山中に動揺はないが、子供の癇癪ではない俺の怒りを初めて目の当たりにした平井弥太郎は動揺が表情に出ていた。

 今後は俺の義理の兄となるのだ。この程度で動揺を面に出すようでは、加賀守に再教育してもらわねばならぬぞ。頼むぞ、義兄よ。


「兵は交代で休ませよ。明朝には船木を出るぞ、そのまま堅田に進み、一向門徒の寺は全て破却する。向かって来る僧兵は撫で斬りだ」


「しかと」


 そのまま奥の部屋に通され、甲冑を脱いで仮眠を取る。

 何度かこの時代の戦を経験し、本当に昔の日本人は凄いなと尊敬する。戦の最中であれば、この重い甲冑を着たまま座して眠り、寝不足のまま全力で殺し合いをするのだ。

 自身が思っている以上に疲労していたのだろう。甲冑を脱いで横になった途端、意識が闇に吸い込まれて行った。




「仏敵を滅せよ!」


 翌朝、起きた俺はそのまま甲冑を着けた後に湯漬けを食し、そのまま船木城から出陣をする。そのまま各軍と合流し、真っ直ぐに近江を下って行く。予想外だったのは、この騒動の中で高島党の何家かは反旗を翻すだろうと考えていたが、そのような家は一つもなかった。これは平井加賀守の統治が良いのか、それとも俺の癇癪を恐れているのか判断が付かないが、想定外であり、予想外であり、期待外れであった。

 これを機に完全に高島郡を掌握しようと思っていたが、やはり数百年もの時間、家名を残してきただけある。機を見るに敏だな。

 真野城を落とし、その城を拠点に息を巻いている一向宗は、現状を理解していないのだろう。真野城を落としたと言っても、堅田一向宗だけでは千にも満たない。僅か数百で六千強の軍を相手にしようというのだ。

 攻城戦は守り手の三倍の兵力が必要というが、既に十倍近くの軍が近づいているのに逃げようとしない。何を期待しているのか、何を待っているのか。


「御屋形様、叡山の僧兵が見えましてございます」


「そうか」


 昨夜、山中大和守に指示し、父承禎入道の下へ飛んでもらった。

 『堅田一向宗、叡山僧兵、悉く殲滅致したく候。父上には瀬田でお待ち頂きたし』と。要は、叡山僧兵の足止めを外し、瀬田まで軍を引いて欲しいという依頼を出したのだ。

 それを受けた父承禎入道は、まだ空も明け切れぬ夜中に陣を引き、夜明けには僧兵達の前から姿を消した。叡山を恐れたと感じた僧兵達は、意気揚々と堅田へ足を進め、六角本隊との対峙に挑んできたという訳だ。

 だからこそ、堅田の息は荒く、真野城の中では今も怒号が鳴り続けている。このまま和睦や講和が結ばれるとでも考えているのだろうか。寺を敵に回せないと、六角が膝を折るとでも考えているのだろうか。甘い、実に甘い。


「弥太郎!」


「はっ」


「其方に千の兵を預ける、其方の兵と合わせ、真野城を包囲せよ。一人たりとも城から出すな。僧兵を片付けた後に真野城は燃やす」


「は、はっ」


 丁度よく、一向門徒数百が真野城に全て収まっている。叡山の僧兵を打ち破った後に六角本体で全て包囲し、真野城という箱ごと燃やしてしまえば、一挙に片が付く。

 犠牲者六百人を出す放火事件だな。つくづく、俺の精神がこの時代に慣れて来ている事を実感する。いや、元々の六角義治と同化してきたというべきだろうか。遥か未来の現代人の感覚は残っているものの、考え方や感じ方が徐々に戦国武将に近くなっていると考えるべきだろうか。人の命の軽さに慣れてしまったというべきかもしれない。


「我ら武士(もののふ)であれば、対峙していた軍が引いたとはいえ、後顧の憂いを残したまま新たな軍と対峙しようとは思わぬ。大した戦もせず、弱き者に力を振るい続けて来た故だろう。まさか、叡山の僧兵に向かって本気で戦を仕掛ける馬鹿はいないとでも思っているのだろうな」


「昨夜も大殿との軍と対峙しながら、坂本の町へ入って行く僧兵達もおったようでございます」


「益々、僧ではないな」


 対峙しながら時間が経過すれば武士たちは軍を引くだろうと思っているのかもしれない。圧倒的に優勢な状況での戦いしかしてきていない影響だろう。史実で叡山僧兵がこの頃に大きな戦に加わったのは、森可成が浅井・朝倉連合軍と戦った宇佐山城での戦いだが、あれは、浅井朝倉連合軍三万に対して、森可成の兵は僅か千であり、僧兵が助力しなくても圧倒的兵力差があった物であり、僧兵の乱入にて崩れた森軍は大将可成他、多くの将を失い、壊滅した。

 そういう圧倒的優位でなければ動かず、動けば勝つか、相手が引くから調子に乗る。


「近江の地を荒らす無法者め! 仏に代わり、成敗してくれよう!」


 だから、こういう馬鹿が湧いて来る。夏の虫と同じだな。どちらが近江の平穏を乱しているのか。確かに、俺は堅田の利益を荒らしたかもしれぬが、近江に必要なのは、堅田ではなく、俺だという自負がある。堅田の町は潤っていたが、それを還元する事はない。この近江の為に使う事はなく、ただ己の利にしか目を向けていない。ならば、近江に不要なのは、俺ではなく、お前達だというのに。


「仏様というのは、それほどまでに傲慢なのか?」


「御屋形様は、流石にそれは…」


 俺が生きていた遥か未来でも、『神様仏様』という言葉がある。『困った時の神頼み』という言葉もある。神様や仏様というのは、俺達生者とは別の次元にいる御方達というのが俺の想いであり、『〇〇に成り代わって××する』など、只の人間の自己陶酔に過ぎないとも思っている。本当に、神様や仏様はそれを望んでいるのか?と。

 もっともっと今の幸せを感じる事が出来るようになれば、この世に生きている事を楽しい思う事が出来れば、民達は心安らかになるだろうか。こんな生臭坊主の阿呆共の口先に騙される事無く、静かに神や仏に祈り、平穏に暮らせるだろうか。


「近江の民を口先で死地へと向かわせ、死後の世界が褒美だとのたまう糞坊主どもには、我らが真っ先に死後の褒美を与えてやろうぞ!」


「おおおおおおおお!」


 真野城を取り囲む平井弥太郎高明を残し、六角全軍が前進する。先程まで聞こえて来ていた罵詈雑言が一瞬で消え、静寂が広がった。まさか即時に前進するとは考えていなかったのか、それとも準備万端なのかは分からないが、戦端は切って落とされた。

 前進を続ける各陣の足軽の後方に弓隊を付けている。比較的浅めの真野川を挟んで対峙が完了する前に、叡山側から弓が放たれるが、持っている木盾にて防ぎ、六角軍は前進を続けた。


「弓隊放てぇぇ!」


 前線を指揮している進藤山城守の陣から矢が放たれる。上空に向かって放たれた矢は重力に従って加速をつけて僧兵へと降り注ぐ。十分に届く距離である為、後退できない僧兵達の先陣は渡河を始めるしかなかった。

 渡河を開始していた山城守の足軽は足を止め、河へ入って来る僧兵達の動きを見つめて後方へと下がる。後方の弓隊がもう一放ち矢を絞った後、降り注いでいく矢を見る事無く、後方へと下がった。


「まだ撃つなよ…。まだだ」


 陣の後方の曼陀羅山麓で前方の戦いを見ていた俺は、無意識に手を握りしめていた。進藤山城守の動きは、俺が伝えた通りに実践している証。

 山城守には、ここ1年で鍛錬を続けて来た俺直属の鉄砲隊を貸し与えている。彼らには1年間、鉄砲の鍛錬と鉄砲を持って逃げる為の脚力訓練のみをさせている。この時代の高価な鉄砲を投げ捨てられては困るからだ。しっかりと鉄砲を持って帰れば、それの補償も支払う決まりになっている。


「今だ!」


 俺の独り言と共に、前方で雷が落ちたような轟音が鳴り響く。全ての鉄砲から放たれた轟音は重なり、大地を揺らすほどの揺れとなる。そして立ち上る白煙が収まる前に鉄砲隊が後方へ下がるのが確認出来た。

 良く調練されている。調練の指揮を取らせた永原太郎左衛門重虎に褒美を考えよう。今の六角家には、まだまだ六宿老の派閥が残ってはいるが、その宿老の当主が代わり始めているこの機会に派閥の解体に動いても良いだろう。


「騎馬隊進め!」


 曼陀羅山から下の部隊に声が届く訳もないのだが、俺は大声で叫んでいた。その声に呼応するかのように、後藤隊の騎馬部隊が鉄砲隊の引いた隙間を抜けて渡河を始める。騎馬に続くように進藤隊の足軽が続き、混乱に混乱を重ねた叡山僧兵達を薙ぎ倒していくのが見えた。


「御屋形様、崩れました」


「追撃じゃ! 陣太鼓を叩け!」


 本陣の陣太鼓が追撃、突撃の音を放つ。六角六千の兵から雄叫びのような鬨の声が轟き、全軍が一気に渡河を始めた。既に鉄砲によって倒れた僧兵の血が真野川を赤く染め、続く僧兵の死体がその色を更に濃くして行く。

 勝ちしか知らない驕り高ぶった僧兵の陣は阿鼻叫喚に陥っている。僧兵に対し、地獄の責め苦にあって泣き叫ぶ様を表す『阿鼻叫喚』を使う事は皮肉にもならないが、そうとしか言えない程の状況がここからでも確認が出来た。


「叡山に引くような構えを見せれば、そのまま押し込め! 奴らはどうせ叡山の入口までも辿り着けまい」


 陣太鼓の音は先程よりも大きく、強くなって行く。その音に高ぶった兵達の勢いは増すばかりで、僧兵達の中には逃げ惑う姿を晒す者達まで出始めた。

 1561年前後は、まだまだ戦場で鉄砲自体を使う事がない。有名な雑賀衆でさえ、まだ鉄砲を使いこなせてはいない時代だ。数百の鉄砲が音を成す姿など聞いた事も見た事もない者達ばかり。天の怒り、天罰と考えても可笑しくはない。

 その天罰が、仏敵と声高に喧伝していた六角弼頼にではなく、自分達僧兵に向けられたのだと考えれば、慌てふためくのも無理はないだろう。


「大殿の軍、坂本に入られた模様」


「大和守、大儀」


 一度瀬田へ引いていた父承禎入道の軍が、再び北上を初めて、坂本へ着陣する。叡山からの新たな兵を警戒する事も然る事ながら、押し出され逃げ出してきた僧兵を討ち取って貰う役目も負って貰っているのだ。


「真野城の門開きましてございます!」


「弥太郎に任せよ! 石見守へ弥太郎の後詰を打診!」


 流石にこのままではまずいと考えたのか、真野城へ籠っていた堅田一向宗が飛び出して来た。最早、決死の突撃だろう。死兵となっている者達も多い筈。見るからに勝ち戦となっている六角軍の兵は死にたくない為、この死兵に対しては弱くなる。

 だが、死兵の突撃は慌てず、騒がず、じっくりと囲うように詰めて行けば対処は難しくはない。弥太郎高明には、真野城に詰めている一向宗の倍の人数を預けてある。だが、功を焦れば危うい為、歴戦の将である田屋石見守明政に後詰を依頼した。

 田屋の陣は六角本陣の近くに陣取っている。方向転換しても場を混乱させる事はない。


「申し上げます!」


「申せ!」


「叡山僧兵首領と思しき僧の首を取りましてございます!」


「でかした!」


 僧兵達の取り纏めを行っていた僧の首を取ったとの報。それはこの戦の終わりを告げる物であった。その報告が正しかった事を示すように僧兵達の慌てぶりに加速が掛かっているように見える。最早、軍の統制が取れておらず、渡河を終えた六角軍に次々と討ち取られて行った。


「田屋石見守に再度伝令! 出て来た堅田衆は再度真野城へ押し込むだけで良い!」


「はっ」


 旗指物を背中に刺した伝令が飛び出して行く。

 淡海方面にある真野城では場外に出て来た堅田衆と平井軍が争ってはいるが、田屋の援軍によって堅田衆の勢いも衰えているのが分かる。逃がすのではなく、もう一度真野城へ戻す。


「御屋形様、叡山の僧兵、散り散りに逃げ出し始めました」


「引き太鼓を叩け! 戦は仕舞じゃ!」


 最早戦う気力も余力もない僧兵達が蜘蛛の子を散らすように方々へ走り去っていく。手にしていた薙刀を捨てて走る姿を見ると無性に腹が立ってくる。あのような者達に陽動され、自分が死ぬ事でより良い世界になるのだ、救われるのだと信じて死んで行った民達は、誰も逃げ出さず、臆せず、槍に付かれ、弓で射られ、命を落として行ったというのに。

 やはり、真野城に籠る一向門徒、そしてそれを指揮する糞坊主だけは生かしてはおけぬ。


「愚か者共は、父上にお任せ致そう。尻拭いばかりをさせている気もするが、それも出来の悪い息子を持った父親の定めであろう。我らは堅田に入るぞ! 堅田にある寺院は全て破却せよ!」


 父親をからかうような冗談に、側に居た側近達から笑い声が上がるが、その後に続いた言葉に周囲は静まり返る。寺を破却するという行為はこの時代タブーではないが、善い行いとは言えない。

 松永弾正忠久秀も奈良東大寺大仏殿を燃やした逸話もあるが、俺は流石に寺社内で戦をする勇気はない。


 軍を整え、向かった先は真野城。既に田屋の援軍もあり、堅田衆は真野城へと押し込まれていた。こちらの被害はほとんどなく、淡海を背にした真野城は多くの兵達に囲われている。先程までの威勢はなく、城は通夜のように静まり返っていた。


「御屋形様、真野城から再三降伏の使者が来ております」


「弥太郎、許すと思うのか? 武士(もののふ)で無き者を煽り立て、武士(もののふ)の理の中に引きずり込んだ者達を」


「い、いえ、出過ぎた真似を致しました」


「焼け」


 叫ぶ事無く、冷静に言葉を発したつもりだった。だが、真野城を見上げていると、無性に怒りが頭を支配して来る。これは元々の六角義治の意識なのだろうか。自分を侮られた時の比でない程の怒りだ。

 俺の言葉に弥太郎高明は委縮し、続けて発した命令に周囲が絶句する。僅か一言ではあったが、それは相当な迫力があったようだ。


「山城守、良いな?」


「御屋形様、堅田の全寺社の破却は、某にお任せあれ。真野城を燃やす事も異論はございませぬ。ただ…」


「ただ…何だ!?」


「城に居る僧達は、武士(もののふ)の理にて、城と共に燃えるが宜しかろうと存じます。しかし、堅田の民達はお許し下され。堅田の民も近江の民であり、御屋形様の民でありまする。御屋形様の民という事は、御屋形様の子であります。親であれば子の過ちは、叱りこそすれ、許さねばなりませぬ」


 試しに叡山焼き討ちを命がけで諫言した進藤山城守に話を振ってみた。完全な戯れであった。だが、返って来た答えは予想外の物であり、ただただ俺の考えを否定する物ではなく、どことなく諭すような物。その物言いに、俺の中で何処か力が抜けて行く。


「ふふふ…山城守、面白き事を言うな。この戦国の世では、親も子も兄弟さえも殺し合うというのに」


「それもまた事実にございます。某は不出来な子でございました。父である先代山城守にすれば、頼りなく、愚かな子であった事でしょう。何度叱られ、何度叩きのめされたか覚えておりませぬ。何度も許され、何度も叱責され、そしてまた許され、今がございます」


「そうか…。其方、俺もまた同じと言いたいのだな?」


 山城守は真摯に話しているが、やはり少し残念な所は残っていた。こやつは、俺もまた過去の過ちを父承禎入道に何度も許されて、今六角家当主として立っているのだと暗に伝えたいのだろう。六角義治だった頃であれば、観音寺崩れの原因はこの山城守の殺害になっていたかもしれない。

 だが、この年になっても人は成長するのだと思った。進藤山城守は俺を見つめたまま何も言葉を返さない。それは肯定とも取れるが断定は出来ない。


「あいわかった。俺の負けよ。山城守の忠言通りに致そう。しかし、その言葉には責任を持て。堅田には代官として駒井八右衛門を置くつもりだが、其方は坂本に城を築き、堅田と叡山の監視を申し付ける」


「…身命を賭しまして、務めさせて頂きまする」


 主君に対しての二回の諫言。これは俺が問いかけたのが悪いが、その諫言で主君の主張が二回も覆された。これは正直、余りよろしくはない。主君六角弼頼の威厳という部分ではなく、進藤山城守の立場的にという意味でだ。例え六宿老の一人とはいえ、何度も意見が通れば増長に繋がる。山城守自身にその気がなくとも、周囲がそう思う事を止める事は出来ない。

 故にこそ、進藤山城守自身の裁量で坂本に築城させる。この頃に城一つ築城するのにはしっかりとした物を作ろうとすれば莫大な資金が掛かる。ましてや近江とはいえ、京に近く、今争っている叡山の麓。邪魔が入らないとも限らない。

 その見返りとして、この坂本の地を与えるという恩になる。

 これを機に、平井、進藤の本貫である粟田郡は召し上げるという事も考えるべきか。いや、それは船木、坂本での基盤がしっかりしてからで良いだろう。


「真野城へ使者を送れ。坊主以外は許す。改宗の必要はなし。但し、今後如何なる理由があろうと、一向宗坊主に従い蜂起をした場合は族滅する。もし、坊主と共に極楽へ向かう為、城に残ると言うのならば、それも許す」


 真野城へ使者を送り、返答を待つ。

 正直、自分が言っている事が現代人の感覚では考えられない事だと頭では理解している。人を生きたまま焼けと命令しているのだ。遥か未来で生きていた頃の精神では耐えられないし、許せないとも思う。だが、内にある六角義治の精神の影響なのか、これは当然の結果であり、当然の処置であるという認識もあった。

 徐々にこの戦国時代の認識に染まって行く自分が、自分でなくなる感覚が怖くもあり、そして楽しみでもある。


「使者と共に、城内の民達が出て参りました」


「一人一人、調べよ。時間が掛かっても良い。坊主が紛れ込んでいないか、徹底的に調べよ。流石の糞坊主であっても、そこまで恥知らずな行いはしないとは思うがな」


 結果、わらわらと出て来た。

 民に交じり、坊主どもが出るわ出るわ。数人はいるかなと思ったが、十人以上になると、城に残っているのは何も知らない民だけではないかと疑いたくなる。

 全員を捕え、殴り飛ばして俺の前に連れて来させた。坊主を守ろうとしている民もいたが、ほとんどの者は坊主が混じっている事を知らなかったようで、困惑の表情を浮かべていた。


「この罰当たり者が! 仏に仕える者にこの所業、許される事ではないぞ!」


「はぁ」


 俺の前で縛られ、喚き散らす馬鹿共を前に、俺は一つ溜息を吐き出した。

 心底呆れている。何故ここまで己が正しいと思えるのだろうか。俺は大丈夫だろうか。家臣達の声にしっかりと耳を傾けているだろうか。横暴になっていないだろうか。独りよがりになっていないだろうか。


「俺に仏罰が降るのならば、それで良い。お前達は自分の行動を正しいと考えているのだろうが、俺からすれば、俺が正しく、お前達が狂っている」


「戦狂いの武士風情が!」


「無礼者!」


 最早、なんなのだろう。

 坊主って、これ程に偉そうなのか。現代を生きていた頃の御坊様は、こんな感じではなかったな。爺さん婆さんに拝まれてはいたが、他者を見下すような人はいなかったように思う。

 側近の狛修理亮が坊主を蹴り飛ばすのを見て、静かに手を上げた。六角家臣全員が、その手を見て、静寂を取り戻す。


「一つ聞きたい。そもそも、其方らが信仰しておる一向俊聖を祖とする一向派の教えには、人を殺す事は正しい事だとされておるのか? 人を殺そうが、人を犯そうが、人から物を奪おうが、死ねば極楽へ行けると教えておるのか?」


「貴様ら武士がそれを言うのか!?」


武士(もののふ)だからこそ問うておる。人を殺し、奪うのは武士(もののふ)の理よ。俺は常々、武士(もののふ)として生きた者が、真面目に田を耕し、恵みを生み出し、子を成し、老い、死んで行く民達と同じ極楽へ行けると思う事が烏滸がましいと思っておった。一度の過ちであれば、仏の許しも得られよう。償い、罰を受ける覚悟があれば、やり直しの機会も与えられよう。だが、二度三度となれば、それは過ちではなく生業である。生業とした者が救われる事はあってはなるまい」


「…な、なにを」


「だから問うておる。お前達は僧なのか? 真面目に生き、仏の下へ行ける者達を誑かして我ら武士(もののふ)と同じ道を歩ませようとする事が僧のする事なのか? 殺生はおろか肉食さえも禁じられている仏教において、『人を殺せ!』と叫び続ける其方らは、本当に仏に仕える僧なのか?」


「我らはこの世の極楽を作る為に…」


「この世は地獄じゃ。仏の教えでは、現世は修行の場とも云われておるらしい。この世に極楽など作れはせぬ。だが、それでも民達が平穏な生涯を全う出来るように、俺は今励んでおる。その邪魔をするならば、僧であろうが、仏であろうが、許さぬ。だが、家臣に近江の民は俺の子同然であると諭された故、民達の過ちは許そう。一度であれば、仏様も許してくださろう。だが、お前達のような生業とした者達は、我ら武士(もののふ)と同じよ。武家の流儀にて戦を終わらせる。武家が滅ぶ際、当主や一族が首を差し出し、その首を以て領民家臣達の許しを請うのだ。それを貴様らの行動はなんだ!?」


 今まで静かに語っていたつもりだが、最後の最後で、六角義治の精神と六角弼頼の精神が合致してしまった。怒りが脳を揺らし、怒りで手先が震える。俺の怒声に側近達の身体が跳ねた。宿老達三人は静かに坊主どもを見ているが、坊主たちの中には失禁をしてしまった者もいるようであった。


「自身が信じた僧と共に果てようと覚悟を決めた民達を城に残し、己の命惜しさに、民に紛れて逃げ出すなど、恥を知れ! 其方らなど、我ら武士(もののふ)以下の畜生よ! 畜生には畜生なりの死を与えてやろう。但馬守、こやつらを油の染み込ませた藁にて簀巻きにし、真野城内に放り出せ!」


「…畏まりました」


「鬼じゃ…。六角弼頼は現世に下りた鬼じゃ」


 静かに頭を下げた後藤但馬守が部下に指図し、坊主どもを引きずって行く。最早過半数以上が失禁をし、茫然自失になっている中で、その中でも高僧の地位にいるような一人の坊主が俺に対して恐怖の表情を浮かべてうわ言を呟いていた。俺の諱を許可なく口にするくらいだから、相当困惑していたのだろう。

 傍に控えていた種村三河守が持って来た水を一気に飲み干す事で、ようやく熱くなっていた頭と身体を冷やす事が出来た。


 降った民達には、一度集まってもらい、六角の考えを口頭にて伝えた。改宗の必要はない。自身が信じた仏様なり、神様を信仰する事を禁ずる事はない。但し、武力による蜂起に至った者は、今後は我ら武家と同等の扱いを致す。この近江を皆が生き易いように変えて行く事に尽力する故、今後は精一杯生き、極楽へ行けるように励むべしと。

 民全員がその言葉を信じたかどうかは分からないが、『武家と同等の扱い』というのが何を示すのかという事を、彼らは今、目の当たりにしている。陽が傾き始めた琵琶湖のほとりにある一つの城が真っ黒な煙を空へ靡かせながらも真っ赤に燃え上がる姿を。


 城の中がどうなっているか分からない。半狂乱になる者もいれば、一心不乱に念仏を唱える者もいるだろう。中には既に刃物で命を絶っている者もいるかもしれない。これは俺の業であり、俺の生業である。

 何故、俺が六角義治になったかも解らないし、何故俺がこのような業を背負わなければならないのかも解らない。それでも業を背負った以上、死後は地獄だろう。そもそも現代で生きていた俺自体が死んでここに来たとすれば、既に地獄に来ているようなものだ。

 あと何年、この時代で生きるのか分からないが、少しでもこのような事がない土地を作りたいと改めて思いながら、立ち上る黒煙を見続けた。



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