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若狭一時終息



 若狭国熊川郷に来ている。

 まぁ、山だな。海がある国といえども、ここからでは海風は届かない。そして海も見えない。少し残念だ。熊川自体が山と山に挟まれた盆地であり、特段何かの特産がある訳でもない。しかし街道さえ整備出来れば、立派な宿場になるだろうな。

 やはり、この場所に小さな城を建てたいものだ。


「お初にお目に掛かります。沼田弥七郎統兼でございます」


「これはこれは、外様詰衆と名高い沼田弥七郎殿がそのようになされる必要はございませぬ」


 熊川郷を領する国人である沼田弥七郎が俺の横で膝を突いた。本来、彼は幕臣であり、俺と同格の家柄である為、膝を突く必要はない。だが、外様衆とは足利一門でも元来の家臣でもない家柄という意味で、詰衆とは将軍の警護役を意味する物と考えれば、正直役目を全うする事の出来ない名誉職のようなものだと考えられる。

 実際に、この熊川地方を有しているとはいえ、元々下司の出である沼田氏が六角家と対等だと云われても、誰も納得はしないだろう。


「いえ、畏れ多くも公方様より外様詰衆を任じられてはおりますが、お役目を全うする事も出来ず、名ばかりの物でございます」


「いや、この熊川の様子を見るに、沼田殿はしっかりとこの地を治めておられる様子。某、感心致しました」


 熊川は本当に穏やかに時が流れているのではないかと思う程にゆったりとしていた。畑の数は近江の比ではないくらいに少ないが、それでもしっかりと整備されており、稲刈りを終えた田には稲の根が残り、風情のある風景が広がっている。

 この男ではこれ以上にこの熊川を豊かにすることは出来ないのかもしれないが、現状を見ればしっかりと統治されていると思う。飢えなどで命を落とすような民もいないだろう。

 現在の若狭の状況を考えれば、食料の徴収なども頻繁に行われ、野盗、山賊、落ち武者などのならず者の被害も少なくはない筈。にも拘らず、これだけ収穫できているのであれば、統治が為されていると見るのが当然だ。


「御屋形様、但馬守様がお戻りになられました」


「うむ。では、沼田殿、また後程」


「はっ」


 話の途中ではあったが、後瀬山城へ赴いていた後藤但馬守が戻って来た知らせが入ったため、六角の陣幕が張ってある屋敷へと入る。この熊川に陣を張り、いつでも若狭に攻め入る事が出来る兵の数は約六千。近江一国、伊賀と北伊勢の一部を領有する六角家としては少ない兵ではあるが、少し気がかりな部分もある為、近江に兵を残しているのだ。


「御屋形様、只今戻りました」


「ご苦労であった。して、首尾は?」


「はっ、伊豆守殿、治部少輔殿、互いに和睦に同意。治部少輔殿は伊豆守殿の家督相続を正式に認め、出家して後瀬山麓にある武田氏館へ入る事となります。また、これらを両者の花押を入れた書面とし、若狭国内の国人領主へ配布致します」


 史実よりも1年早い和睦となったか。これ以降、武田治部少輔信豊は表舞台に出てくる事はなかった筈。朝倉が若狭に入っても、彼は武田氏館で暮らしていたという説もあるぐらいなので、この世界でも表舞台から降りたと言えよう。

 正直、若狭から近江に逃げ、近江で色々と動きはしても何も出来なかったという無力感があるのだろう。一度か二度、六角へも助力の依頼があったようだが、六角も浅井や三好の緊迫の中で若狭へ力を回す余力はなかったのだ。


「そうか。対馬守!」


「はっ、煽りますか?」


「いや、下手に煽って松永備前守長頼に出張られても困る。兵を引くか引かぬかだけを確認せよ。引かぬとあらば攻める。丹波からの松永軍が若狭へ入る前に終わらせなければならぬ」


 今は松永軍の動きは丹波で止まっている。逸見は依頼をしているのだろうが、丹波とて完全に平定したわけではない。守護代である内藤家の家督を継いだとはいえ、丹波には波多野もいれば荻野もいる。隙を見せれば三好としても丹波の拠点を失う事となる。

 丹波の松永軍単独では若狭を取る事は出来ない。局地的な勝利と若狭での足掛かりを作る事は出来ても、六角が出張った情報も入っているだろうから、大きな軍事的行動には出る事はないだろう。


「も、申し上げます!」


 そんな話をしていると、突然陣幕が翻り、一人の使い番のような物が入って来た。その慌てぶりを見る限り、碌な知らせではない事が解る。周囲にいる者達の表情に緊張が走った。


「申せ!」


「高島より急使。『堅田蜂起』」


「なんと!」


 やはり動いたか。近江堅田衆は琵琶湖の水運を使っての商いを主としている。主にその交易相手は越前朝倉、北近江浅井であった。

 浅井が六角に滅ぼされた事により、塩津浜にも今浜にも上陸できず、荷を水揚げできない。越前までの陸路も利用できない為に商売にならなくなっていた。更に、船木、今津、磯山、栗見、今浜の港を六角が抑えている為、琵琶湖を横断も縦断も出来ない。正直堅田としては進退窮まっていると言っても過言ではない。だからこそ、いずれ蜂起するとは思っていたが、如何に堅田一向宗とはいえ、近江一国を領した六角に歯向かうには後ろ盾が必要であり、何者かの口車に乗らなければ有り得ないと思っていたのだが…。


「御屋形様…」


「対馬守か?」


「はっ。愚息からの知らせによれば、幕臣摂津中務大輔の使いが本願寺へ入った形跡ありとの事、また堅田が延暦寺へ使者を出しましてございます」


「な、なんだと! そもそも若狭出兵自体が幕府からの要請ではないか!?」


 三雲対馬守が齎した情報は、六角重臣さえも驚愕する内容であった。現に先程まで幕府の要請によって後瀬山城へ赴いていた後藤但馬守は声を荒げて怒りを顕わにしている。

 予想はしていたが、まさかここまで阿呆が揃っているとは思わなかった。自分達は何をやっても良いとでも思っているのだろうか。ましてや堅田の側には高島郡があり、その中には公方が逃げ込んでいた朽木荘もあるにも拘わらずだ。恩を仇で返すとはこの事か。


「何を言っても惚けるだけよ。船木には平井加賀守がおり、その後詰めとして田屋石見守もおる。これに乗じて高島党の何家かが反旗でも翻せば面白いが」


「御屋形様、そのような暢気な事を」


「観音寺には父上もおるのだぞ? 何を恐れる? 堅田を潰す絶好の機会を貰ったと喜べ。ついでに叡山でも燃やすか」


「な、なんと」


 流石に延暦寺焼き討ちは言い過ぎたか。だが、現代人の感覚であれば普通だが、この時代に戒律を破っている延暦寺の僧兵達はどうあっても許されるべきではない。肉食ぐらいは別に良いが、寺に女性を連れ込み乱交を繰り返し、子供を産ませ、銭に困れば里に下りて兵士の真似事をして人を殺す。それは現代人の感覚でも『僧』ではない。

 ましてや延暦寺の本尊は薬師如来であり、『この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめん』と誓い、仏に成ったと説かれている。その延暦寺の高僧達は、肉を貪り、女性を犯し、人を殺している僧達を放置しているのだ。僧達の一部がという話では終われない。それを統率するのもまた、上に立つ者の仕事だからだ。


「鎮護国家を謳い、権威と権勢を意のままにして来たのが叡山である。だが、天下乱れ、戦乱が絶えぬこの世で、祈りもせず、民を救いもせず、己の欲望のまま動く僧など、最早僧ではない。我ら武士(もののふ)と一緒よ。ならば、我ら武士(もののふ)の流儀でお相手を致そう。盛者必衰、それが武士(もののふ)の有様よ!」


「御屋形様の申される事、御尤にござれば、その御決意も本物であると心得まする。しかし、叡山には歴史があり、心を寄せる民達もおります。叡山を焼けば、民心離れまする。御屋形様のお言葉通り、堅田一向宗と叡山の僧兵どもは、我ら武士(もののふ)の流儀にて必ずや殲滅致します故、何卒御再考の程、お願い申し上げます!」


 俺の決意を口にした時、陣幕内は水を打ったように静まり返った。暫しの静寂の後、俺の目の前に一人の男が滑り込み平伏する。そして口にした内容は、先程の俺の言葉を否定する内容であり、彼らからすれば主君の上意を拒む内容である。下手をすれば懲罰を覚悟しなければならない程であった。

 それを敢えてこの場で行った人間とは…。


「…や、山城守殿」


 後瀬山城へ赴いていた後藤但馬守や三雲対馬守と共にこの若狭まで同道してくれていた、進藤山城守賢盛その人であった。今回の遠征に、蒲生下野守、平井加賀守、目賀田摂津守は同道していない。近江の守りと、高島群への備えの為である。

 六宿老の内、半数を同道させたが、その進藤山城守が俺の前で今も尚平伏している。

 俺はこの進藤山城守を侮っていたようだ。彼は後藤但馬守のように自身の力を過信はしていない。『自分が訴えれば通る筈だ』というような傲慢さはない。その証拠に、平伏している彼の手は微かに震えていた。それでも、彼は俺に対して諫言をしている。彼が熱心な天台宗の信者であるという話は聞いた事がない。とすれば、彼の言葉通り、六角と近江の民たちの亀裂を懸念しての諫言なのだろう。


「あいわかった。山城守の言、受け入れる事と致そう。但し、堅田衆と叡山の僧兵達の殲滅は行うぞ。それに容赦はせぬ。我が近江の民を苦しめた報いを受けさせる。良いな!」


「はっ」


 未だに平伏を続ける進藤に倣うように、皆が頭を下げる。ただ、そのまま近江に帰る事は出来ない。現在若狭武田親子の和睦が成立しただけで、逸見が兵を引いた訳ではない。このまま六角が兵を引けば、逸見が動き、それに合わせて松永軍が若狭へ入ってくる可能性もある。六角健在を知らせるためにも後瀬山城へ入場する必要があるだろう。

 近江はそこまで荒れないだろう。船木が孤立する事もなく、観音寺には父承禎入道がいる。六宿老の内の二人は父の側に居り、一人は現地船木にいる。北近江が荒れる事もなく、朝倉の進出も抑える兵は置いている。大丈夫な筈だ。


「山城守!」


「はっ」


「その方の諫言、誠に見事。褒めて遣わす。近江に戻りし際には、堅田への先陣を任す故、奮戦せよ!」


「有難き幸せ! 某の言葉、偽りなき事を証明致します!」


 この時代の人間と、現代と言われる時代の人間とでは感覚が違う。先陣と言えば、敵と真っ先に当たる為、一番死に近い場所となる。現代の感覚だと、捨て駒という感覚があるが、この時代は誉れ高いという物であった。寝返り者を先陣とする事もあるが、それは特殊な場合であり、忠を示す場所として活用される。本来は主君の信頼する物、武勇に優れる者が先陣を賜るという考えのようであった。


「後瀬山へ向かうぞ。逸見が兵を引かず、後瀬山へ来なければ、戦だ」


「はっ」


 六角全軍が後瀬山へ向かう。

 帰路を考えると、戻った方が良いのだが、高島郡が落ちる事はないだろう。高島党の残党が蜂起したとしても、平井家、田屋家、山中家がある以上は後れを取るようなことはないだろう。

 心配なのは、堅田付近だが、真野城の真野氏が孤立する可能性が高いが、明確に六角へ恭順している訳ではない以上、自己責任で戦ってもらう他ない。この戦が終われば、恭順の意を示して来るだろう。

 そして延暦寺勢力、やはり坂本に城が欲しい。京への入り口と叡山勢力との対峙の為にもあの場所は重要な拠点だ。史実では、叡山の焼き討ち後に明智光秀が坂本の土地を与えられ、築城しているが、現在はまだまだ叡山の影響力と兵力は健在だ。築城しようとすれば邪魔をするだろう。やはり焼くか…。




 結果的に、逸見は兵を挙げた。進退窮まったのだろう。如何に前当主である武田信豊を押していたとはいえ、他勢力を若狭国内に呼び込む動きをしたのだ。それは若狭を守護する武田家としては許される行為ではない。しかも和睦後の信豊は完全に隠居し、家督を義統に譲った事により、義統の正統性は仲立ちした佐々木源氏六角家の名の下に全国諸大名へ通知された。逸見に残った道は、松永家を頼って丹波に落ちのびるか、若狭国人として自身の立ち位置を明確にするかのどちらかしかなく、独立領主として牙を剥く以外に道はなかったのだろう。


「逸見駿河守、丹波に落ち延びた模様。砕導山城に伊豆守殿が入られました」


「そうか、六角の兵を前に出さぬからよ。これ以上の功績を上げられる事を嫌ったのだろうが、完全に悪手だな。逸見は戻って来るぞ。松永軍がどうするか次第ではあるが、若狭が落ち着く事はなかろう」


 武田伊豆守義統は、六角の兵を使う事を嫌った。ここで六角に手柄を上げられれば、領地割譲も視野に入れねばならない事を危惧したのだろう。六角家六千の兵は、武田軍の後方から睨みを利かすように陣取り、戦闘は武田家と逸見家のみで行われた。懸念していた松永軍の動きもなかったため、逸見単独で勝利する事は叶わず、武田家の勝利となるが、肝心の逸見本人の首は取れず、ご丁寧にも後の禍根をしっかりと残しての勝利となったのだ。

 史実通り、五年後には再び戻ってくるだろうな。その時朝倉が手を貸すか、それとも六角が呑み込むかは分からないが、若狭武田の命運尽きたと言っても過言ではないだろう。


「伊豆守殿に伝言! これより、六角は近江へ戻る」


「はっ」


 近江では未だに堅田の騒ぎが収まっていない。長く放置すれば国が荒れ、人が荒れる。船木から平井加賀守は出陣している。だが、観音寺から大津を回っての承禎入道の出陣は、叡山の僧兵三千に足止めを喰らい、堅田を包囲するには至っていない。

 最早、腐り落ちる寸前の若狭などに構ってはいられないのだ。幕府の希望通りに親子喧嘩を和睦させ、逆臣逸見の追放も行った。これ以上とやかくは言わないだろう。もし、万が一にも言ってくるようであれば、摂津中務大輔の首を所望する事と致そう。今回の悪ふざけは度が過ぎているし、命を賭した遊びであれば、最後まで付き合ってやらねば可哀想である。




 六角の帰還に関して、武田伊豆守義統以下、武田家臣達から不満や不平は出なかった。これ以上六角に居座られても、若狭武田にとって良い事はないという事だろう。今回の報償にと若狭の領土を要求されては困るし、これ以上の功を上げられて報奨金が跳ね上がっても嫌なのだろう。まさか、謝礼金もよこさないという事はないと信じたい。

 熊川で休み、そのまま現在は舗装もされていない道を辿る。水坂峠を越えた辺りに陣幕が張ってあるのが見えて来た。陣幕の家紋は六角と同じ『隅立て四つ目結』。六角一門がこのような場所で陣を張る訳がない為、警戒しながら近づいた。


「六角右衛門督殿、若狭までのご活躍祝着至極にございます」


「これはこれは、このような場所に『隅立て四つ目結紋』の陣幕、どなたかと思えば、朽木民部少輔殿ではございませんか」


 陣幕前でこちらの到着を待つように立っていたのは、朽木民部少輔稙綱であった。家臣数名と立っている事から、こちらを攻撃するつもりがない事は解るが、伏兵がいないとも限らない為、周囲を警戒しながら馬上にて挨拶を交わす。朽木家家臣は少し眉を顰めたが、民部少輔は表情を変える事がなかった。


「右衛門督殿、いえ、右衛門督様、我らに敵意はございませぬ。もとより、我ら朽木に六角勢と争える兵もございませぬ。此度の堅田の蜂起により、高島南部が荒れております。公方様の命により若狭にご出陣中の右衛門督様がお戻りになる際にここをお通りになると思い、陣を張り、お待ちしておりました。こちらで暫しのご休憩を頂ければと存じます」


 裏はないのか。いや、民部少輔稙綱ほどの武将がそれだけでこのような場所で六角を待つ訳がないと思ってしまう。だが、朽木家の所領は一万石にも満たない。朽木家単体では兵を三百揃えるのが限界だろう。そもそも奇襲をかけるのであれば姿を現さずに矢を撃ちかければ良いのだ。


「御疑いは御尤も。ただ、この高島郡のほぼ全域が既に六角家の手中にございます。我ら朽木家に何が出来ましょう。叶いますれば、我が朽木家も右衛門督様を御屋形様と仰ぎたく、御許し頂ければと存じます」


 馬上のまま考え込んだ俺に対して、民部少輔稙綱は膝を突いた。簡略的ではあるが、俺に対して臣下の礼を取ったのだ。これを無下にする事は出来ない。それをしてしまえば、家中に『心無き主君』と広まってしまう。

 ならば、これを機とし、少し大げさに演技でもさせてもらおう。俺が馬上から降りると、周囲の家臣達も降り始める。


「なんと、長年この高島にその人ありと謳われた朽木民部少輔殿を六角家に迎えられるなど、この右衛門督弼頼、感に堪えませぬぞ」


「有難き幸せ」


 大げさに喜ぶと、朽木民部少輔が深く頭を下げる。

 これは、本気で臣従の意を表しに来たのか。だが、何故この時期にという疑問が浮かぶが、現状の朽木家の立場は決して良い物ではない。

既に三好との和睦を行い、足利義輝は京都に戻っている。朽木家に残っていた幕臣達も全て京に入り、朽木家は近江で孤立し掛けているのだ。そして、今回の堅田の蜂起。これによって六角家には堅田を鎮圧する大義名分が出来、堅田付近の領土も手中にする事が出来る。そうすれば、朽木谷は完全に近江で孤立してしまい、僅か一万石にも満たない領土では家を保つ事が出来なくなるだろう。そう考えての決断だとすれば、納得が行く所もあった。


「こちらに水と握り飯も用意しております故」


「これは忝い」


 民部少輔に誘導されて陣幕へと向かう中、俺の側近達が前に立ち、いざという時の盾となる為に周囲を警戒する。陣幕が上がる時には若干腰を下げた姿を見るに、しっかりと側近としての訓練を受けているのが解り、口角が上がってしまった。

 陣幕の中では軽装の武士達がおり、皆が甲冑などを身に着けてはおらず、全員が膝を突いて待っていた。傍にいくつもの台を置き、台の上には湯気が上る握り飯と水があった。ここまで来て、ようやく民部少輔の言葉が真実である可能性が高いと知る。それでも握り飯の中に毒を仕込む可能性もない訳ではないが、この朽木民部少輔がそこまで愚かであるとは到底考えられない。幕命であったとしても、毒殺をするとは思えないのだ。


「民部少輔、もてなし感謝する」


「はっ」


 先程までとは異なり、朽木民部少輔に対しての敬称を外す。臣下として認めた証拠であり、六角家として朽木家を受け入れた証拠でもあった。再度俺の横で跪いた民部少輔は朽木家臣達へ合図を送り、それを受けた朽木家中の者達が六角家臣達へ握り飯と水を配り始める。

 強行な行軍ではなかったが、それでも若狭から山道を歩き続けていた兵達は皆、温かな握り飯に飛びつくように手を伸ばし、冷えた水で喉を潤していた。

 床几が用意され、そこに腰を下ろした俺の側に朽木民部少輔ともう一人の少年が近寄って来る。少年の年頃は十二、三といったところだろうか。小さな手にお盆を乗せ、その上に二つの握り飯と水を乗せている。溢さぬように強張った身体と表情に場が和んだ。


「御屋形様、我が孫の竹若丸にございます」


「お、お初にお目に掛かります。朽木竹若丸にございます」


 朽木竹若丸。後の朽木元綱であろう。確か、今の年齢は十一、二ぐらいだった筈。見た感じ、本当に普通の少年という印象だ。いきなり紹介された事で若干慌てたのか、持っていた盆をひっくり返しそうになって、今度は民部少輔が慌てる番になっている所など、本当に祖父と孫だろう。


「其方が竹若丸か。宮内少輔殿が早くに亡くなられた後、齢二つで家督を継いだと聞いておる。苦労されたな。俺も十二で家督を継ぎ、右も左も分からずに四苦八苦であった。其方の辛さ、よう分かるつもりだ」


「有難う存じます。ですが、某には祖父がおりました故」


 ふむ。史実で語られる『粗忽者』という評価が正しいのかどうかは分からないが、年齢よりもしっかりとしている印象がある。だが、後半の言葉はいらなかっただろうな。俺には家督相続後も父親が健在である事を考えれば、その反語を発する事で、六角右衛門督が父親を疎んじているという印象を与えてしまう。その辺りが粗忽と評価される一因なのかもしれない。

 まぁ、後世で最悪な評価を受けており、ゲームなどでもその能力値が最低の部類に入る山陰地方の山名豊国にまで『粗忽』と評価されるぐらいであるから、相当なものであったのだろう。

 竹若丸から握り飯と水を受け取り、一口嚙り付いた後に民部少輔へと視線を向ける。


「民部少輔、竹若丸の元服は?」


「未熟者にて」


「それでは其方に何かあった時、苦労をするのは竹若丸ぞ。堅田を片付けた後、竹若丸を連れて観音寺まで来るが良い。烏帽子親は父承禎入道が努めよう。諱は俺が考えておく」


「はっ、有難き幸せ」


 祖父と共に頭を下げた竹若丸は、そのまま下がって行く。

 兵達の休養も取れただろう。

 ここからは戦になる。出来れば夜の下山は行いたくはないのだが、明朝には船木に入り、兵達を休ませたい。そして一気に堅田を片付ける。


「民部少輔、馳走になった」


「お役に立てた事、至高の喜びにございます。ただ、御屋形様、堅田の一向宗が叡山に接触しているとの噂もあります」


「叡山が一向宗を匿うか…。有り得ぬ事だが、有り得るか」


 延暦寺と本願寺は相容れない。一時、延暦寺は『本願寺蓮如』を仏敵とまでしており、それにも拘わらず本願寺蓮如を匿った堅田本福寺とはそれ以上に敵対視していた。一度は延暦寺によって堅田が焼き討ちに合う程であったから、相当なものだろう。

 そのような相手に接触しようとしているという事は、堅田もかなり焦っているという事だ。蜂起はしてみた者の、六角側に焦りはなく、堅田へ攻め込もうとしている。焚き付けた幕府側の人間も六角の怒りが恐ろしく音沙汰がない。逃げ場を無くした堅田は、藁にも縋る想いで叡山を頼ったのかもしれない。

 そして、おそらく今の叡山はそれを拒まないだろう。それは『救いを求める者に敵も味方もない』というような綺麗事ではなく、僧兵を抱えてこれまで諸大名達と渡り合ってきたという自負と、欲にまみれ、肥大し切った自尊心からであろう。


「どちらでも良い。俺の前に立ち塞がるのであれば、それが叡山だろうが、堅田だろうが同じことだ」


「…叡山を攻められるおつもりですか?」


「必要であれば、そうなろう。だが、あの生臭坊主どもは後退した事がない。一当てすれば尻尾を巻いて巣穴に逃げ込むわ」


 俺の言葉に朽木民部少輔は言葉を失った。

 今更ながら、俺の下に着いた事を後悔しているのだろうか。人間、分からないという事は恐怖になる。分からない、理解出来ない、見えないからこそ、それが怖くなる。そして怖いからこそ排除したくなるのだ。織田信長の最後もそんな感じだったのではないだろうか。


「民部少輔、六角の傘下に入るのなら、朽木を受け入れる。まだ時間はある故、俺が堅田を片付けるまでに考えておくのだ。覚悟が定まれば、観音寺の広間で会おうぞ」


 正直、朽木など家臣になろうが、なるまいがどちらでも良い。態々兵を率いて潰す必要もなければ、それ程欲しい土地でもない。琵琶湖に近い訳でもなければ、京都へ続く道を邪魔している訳でもない。来るなら拒まぬが、来ないのならば放置していればいずれ干からびるような存在であり、気にする必要もない。

 史実の朽木元綱も最後まで1万石ほどの所領しかなかったが、それが彼の資質だったのか、それとも信長や秀吉、そして徳川家康にとっても、俺と同じような認識だったのかは分からない。ただ、その時の支配者が俺の考えと同じだったとすれば、余程の手柄を上げなければ、上にまで評価が上がって来なかっただろう。

 上司に恵まれない平社員のようなものだったのかもしれない。そうならないように気を付けよう。下の人間の噂にも耳を傾けられるような主君になろうと静かに決意を燃やす。


「筑後守、船木に入る前に叡山の坊主どもと戦だ。種子島はあるな?」


「はっ、二百はございます」


「叡山まで攻め入る必要はないが、半数は三途の川を渡って貰うとしよう」


 俺が笑うと、側近として傍にいる木村筑後守が顔を青くした。気づくと、周囲にいる武将たちの顔色も良くない。これは俺に恐怖しているのか、それとも仏罰を恐れているのか判断に迷う所だ。

 この時代は死が近い。だからこそ、色々な迷信が生まれ、それが信じられて来る。鶏を神の使いとしているが、仏に拝むなど、神仏が融合というよりもごっちゃになっている時代だ。


「全ての六角将兵へ告ぐ! 仏罰を恐れるな! 全ての罰は俺が引き受ける! その方らはこの俺の命に逆らえずに戦うまで。この戦に限り、僧を殺そうが、寺社を壊そうが、その罰は俺が引き受けよう! 恐れず進め!」


「おおおおおお!」


 そういう時代だからこそ、集団心理も強く出る。気持ちが上がれば恐れも弱まる。そして人間は慣れる生物であるのだ。僧も兵も人間であり、畏れ多い事であるが、人間一人がどうなろうと仏や神が何かを思う事はない。現代人の感覚だとそういう物だ。僧兵を殺した事で仏罰を降す仏であれば、この時代に飢えで苦しむ子供達を真っ先に救ってくれる筈。

 当然何もないだろう。石に躓いた、襖の角に足の小指をぶつけた程度の仏罰はあるかもしれないが、それは仏罰なのか不注意なのか分からない。


 若狭遠征を終えた無傷の六角軍が高島郡へと入る。

 淡海が見える。夕日となり始めた光を受け、赤く染まる湖が煌めいていた。

 六角弼頼としての一つの分岐点となる戦が始まる。


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― 新着の感想 ―
比叡山攻めが終わったら、そのまま入京して御所巻きですかね?
頼みを聞いたら罠に嵌めてくるとか、三好と組んで将軍家滅ぼすまであるだろ 独断だろうが摂津の首も渡さずになあなあで済ますとかあり得んぞ 進藤山城守がビビりながらも諫言するとは……正直かなり意外だった …
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