1-5. 梓恩、養生慢活を始める
「子午流注、といって、1日のなかの決まった時間帯に決まった臓腑が活性化する、という考え方があるんですよ。その時間に合わせて生活すると、養生に良い…… 朝食は、からだの巡りを良くするものを控えめにとり、脾胃に負担をかけずに栄養を全身に行き渡らせます。だから、お粥。お粥には十の功徳があると、慈覚大師もおっしゃってます」
「誰ですかそれ?」
「宋の偉いお坊さんですよ、寧凛さん」
「宋なんて辺境の坊主がなんだっていうんですか!?」
あー…… この国では宋って辺境なのか。
深くは、つっこまないでおこう。
「からだの巡りを良くする、という意味で、朝食には湯や果物もおすすめですね。
そして、もっともたくさん食べるのは、昼。昼食のあと軽く昼寝できれば、心の安定につながって、より効果的です。夕食は、消化の良いものを控えめにとるといいです。夜はからだを休める時間なので、脾胃や腎に負担をかけないことが、大切なのですよ」
寧凛にうんちく(※諸説あります)を垂れつつ、秋刀魚の頭を思い切りよく切り落とす。
今日のお昼ごはんは、秋刀魚づくし ――
今朝がた、莉妃の実家から氷漬けにされて大量に届いたものである。が。
魚を食べる風習のない他の地方出身の妃たちの反応は、よろしくなかった。
おかげで余ってしまい、司膳でも困っていたのを全量タダで引き受けてきたのだ。食費節約!
それに、ニキビが気になるときには肉より魚のほうがいいはず。
―― けれども。
悪意解釈するのはなにも、妃たちに限らなかった。
わたしの隣の熱血ツンデレ美少女顔さんも、である。
わたしが秋刀魚を次々さばく横で、ごりごりと大根をすりおろしてくれながらも、めっちゃ引いてる。あ、生姜もおろしてね、寧凛さん。
「こんな不気味なものを、皇太子殿下に本当にお出しする気なんですか……!?」
「秋刀魚には胃を丈夫にし、血の巡りを良くする効能があるんですよ。骨はカリカリに焼けば牡蠣と同じように、精神を安定させる作用が期待できますし」
牡蠣 (カキの貝殻) 、石膏、竜骨 (古代動物の骨の化石) ――
漢方ではビックリするようなものが薬になっている。が、ようはカルシウムだと、わたしは思う。
その証拠に、カルシウムの働きのひとつである精神安定は、これらの薬に共通する作用だ。
ならば、秋刀魚の骨だって……!
わたしは、前世のゲームで友人がプレイしていた嵩妃を思い出していた。
嵩妃にも、もちろん魚を食べる習慣はない。そういえば、前世のゲームでは、莉妃の実家から魚が献上されるたびに 『嫌がらせだわ!』 とか、ひきつって叫んでいたっけ……
「嵩妃も、もっと魚を召し上がっていれば、あそこまで莉妃を悪意解釈することもなかったかもしれませんね」
「魚はどうかわかりませんが…… そもそも莉妃が、嵩妃をねたんで嫌がらせをしている、という噂ではありませんか。後宮に入る前に夫を3人も死なしめた悪女でありながら、お子をなした嵩妃より位が上なのも…… あざとく皇帝陛下にねだったから、だそうですよ?」
「うーん…… 莉妃、ぜったいそんな子じゃないと思うけどなあ」
すっぱり3枚におろした秋刀魚を食べやすい大きさに切って、骨抜きで小骨をとる。この辺が皇太子殿下にお出しする食事ならではの気遣いだ。万一でも、喉に骨が刺さったら大変だからね。
水気を拭き取り、薄く片栗粉をつけて油に落とす。じゅっ、と油が泡立つ。魚の焼ける、いい匂い…… しっかり火を通したら引き上げて、重ねた紙の上で休ませ、よぶんな油を吸わせる。骨の部分も同じく、時間をかけてカリカリにあげる。
「塩を振って…… と。はい、前菜できましたよー名付けて炸海竜骨……とか、どうですかね? 炸蓮根片添えです」
「骨!? この骨が前菜!? ふざけてるんですか?」
「まあ食べてみてくださいって。美味しいから」
おそるおそる骨をつまんだ寧凛。
ぱりぽり、良い音させてるね。
「……! ……! ……! ま、まあ…… これは、そうですね…… 坊っちゃまがお気に召さなければ、そのときには責任とっていただきますから……!」
ツンデレあざます!
たくさん作ってあるので、あとで使用人みんなでいただきましょうね。
さて、揚げた魚の身の部分は、別に作ったタレに入れて軽く煮込む。
おろし生姜とおろし大根、季節のきのこと細長く切って素揚げした青椒を醤油とハチミツで甘辛く味つけしたタレは、秋の季節感満載。油を使ってはいるけれど、それ以上に身体を潤し巡らす効果のほうが高いはずだ。
「はい、主菜完成です。秋刀魚の揚げ煮と塩焼き、それから秋刀魚餃子」
「三種しかないではないですか!」
「わかってますよ。五種、いるんでしょう? 全部、秋刀魚にするとクドいので、あとの二種は卵でいきました。百合根の蒸蛋と、馬歯莧の卵焼きです」
「馬歯莧……」
「ご存じでしたか。ちょうどお庭の隅に生えていたので…… はい、味見」
馬歯莧、前世の日本ではスベリヒユと呼ばれていた野草だ。熱をさまし毒を消し、体内の余分な水を外に出してくれる。
隙をみて寧凛の口に卵焼きをひときれ、放り込んであげると、美少女顔にまたしても、美味しそうな悔しそうな表情があらわれた。
「野草とは思えないほど、良い味でしょう?」
「……っ! ……っ! ……っ! まあ、お出しするのはかまいませんがっ! もし、坊っちゃまのお気に召さなければ……」
「まあ、まあ。肌の炎症にも効果あるといわれていますので、丘疹対策にもバッチリですよ、馬歯莧」
湯には、野菜たっぷりの秋刀魚のつみれ汁を用意。上にのせた柚子の皮がふわっと香って、平和な気分になる一品。
主食は、秋刀魚の豆乳粥。ネギと生姜で匂いを消し、しあげに春菊をさっと散らす。春菊の香りって好きなのよね。
魚のうまみと爽やかな香りで、すんなり食べられちゃう、〆にふさわしいお粥だ。後宮は、食材が豊富で楽しいな。
巽龍君の食事はすでに始まっていて、寧凛が次々と給仕してくれている。
巽龍君は、どうやら美味しく召し上がってくれてるようだ。食事が進むほどに、寧凛の表情が悔しそうになっていく ―― 正直なとこ、ちょっと楽しい(笑)
そして、残るメニューは甜点のみになった。
最後なので、寧凛にかわって、わたしが甜点を給仕しがてら、巽龍君に挨拶する。
「坊っちゃま、甜点でございます」
「おう、梓恩。実に美味であったぞ! すべて秋刀魚を使っていると聞いて驚いた。特に炸海竜骨か? あれは美味であった!」
「おそれいります」
拱手して頭を下げながらも、つい口元がニヤニヤしちゃう。
そうよねー。この年齢の子ってたいてい、塩味パリパリが好物よね。読みどおりっ。
油を使ってるから食べさせすぎると丘疹がひどくなっちゃうけど、少しだけだったから、たぶん大丈夫。
ほかの食材で、これでもか、っていうくらい巡りを良くして体内のよぶんな熱と水分をとってるはずだしね。
「して、この甜点は?」
「梨と銀耳、大棗、枸杞の白葡萄酒煮でございます。身体を潤し滋養を与え、気・血・水を巡らして邪を退ける作用が期待できます」
「常に深く考えられておるのだな…… しかも、美味である! これからもよろしく頼むぞ、梓恩」
「かしこまりました。精一杯、つとめさせていたただきます」
いよっしゃ、勝利……!
ああもう、いま寧凛がどんな顔してるのか確認したくてしかたない…… きっとめちゃくちゃ (悔しそうで) かわいい予感。
―― このあと、わたしは再び寧凛の監視のもと殿下の夕食を作り 「美味である! 温かい!」 とまたしても絶賛された。
翌朝の仕込みを終え、後片付けを終えたときにはもう隅中初刻。
現代日本でいえば夜9時くらい ―― 朝も早いし、なんか、前世よりも社畜になったかも、って気はする……
けど、1日中、養生のことを考えてられるし同僚はかわいくて面白いし、主はごはんを美味しく食べてくれるし、自分もついでに美味しいもの食べられるしで。
癒癒慢活感が、ひしひしと……
うん。もうこれは、養生慢活って言っちゃって、いいと思う。
―― さて。
明日は、皇太子殿下と熱血ツンデレ美少女顔ちゃんに、何を食べさせてあげようかな。
え? 暗殺? なんの話? (全力で知らないふり)