1-1. 梓恩、前世を思い出す
「これ、 『梓恩』 だ。 『皇国の七妍』の……!」
自宅の部屋の鏡に映った己の姿に、わたしは息をのんだ。
そこにいたのは、前世で友人がプレイしていたゲームの脇キャラ。
美少年宦官の梓恩 ――
目にしたとたん、おぼろげな記憶がはっきりと形をとりはじめる。
『皇国の七妍』 は、中華風の後宮ゲームだった。
内容は、プレイヤーが7人の妃のいずれかになって皇帝の寵愛を競うもの。陰謀策謀が満載のノベルゲーム、ミニゲームでの自分磨き、それに着せ替えやメイクなどのキャラクリエイトが楽しめる。
イケメンたちとの恋もあるにはあるが、重点は恋愛要素よりもむしろ、どろどろ要素を含んだスローライフに置かれていた ――
いや、以前から、思ってはいたのよ。
ときどき、ふっと頭に思い浮かぶことだとか自分の見る夢だとかが、この国の現実とかけ離れすぎじゃね? ―― とか。
医術や養生術のことだと自分でも不思議なくらい、よく覚えられるんだけど、もしかして生みの親は医者だったのかな? ―― なんていうことは。
そっか。転生者だったのか、わたし。
そういえば、ジョカとかいう女神さまが 『子猫ちゃん助けたご褒美に転生させてあげるねっ』 みたいなこと言ってたわ、死んだあと。
―― 前世のわたしは、『漢方食養士』 という民間資格の試験を受けにいく途中に木の上から降りられなくなった子猫を助けようとして木から落ちる、というベタな死にかたをしたんだった。
それで 「せめて、子猫ちゃんの無事を確認しなきゃ死んでも死にきれないぃぃ!」 と悶絶してたら、女神さまが転生させてくれたのだ。
(子猫ちゃん助かったみたいで、まじよかった)
たしかそのとき女神さま、この世界のことを 「電子遊戯に激似てるけど、二次創作みたいなもんだから! 物語壊すとか気にせず、好きにやっちゃって」 とも言っていたっけ…… 今ごろ思い出すなんて。
というか、女神さま。
思い出すわけないんじゃない?
だって、わたしが転生したのは正統派ヒロイン妃でも嫌われ妃もまったく関係ない、暗殺者一家の養女だったんだから。モブすぎてわからんかったわ。
(妃に生まれたかった、と嘆くには、あのゲームの妃はハードすぎるので、まあいいけど)
で、暗殺一家の養女がどうして宦官の姿をしているかというと ―― まあ普通に、宮廷の宦官募集の試験に合格してしまったせいだ。
宦官って男性がナニ切ってなるものじゃね?
…… と思ったそこのあなた。正解です。
なのにどうして、性別まぎれもなく女子のわたしが宦官になっているかというと。
つまりは、次の暗殺対象が後宮内で暮らす、やんごとなきお方 ―― 皇太子殿下だからだ。
この世界の宮廷では、女官は妃や女性皇族に、宦官は皇帝と男性皇族に付くことになっている。
したがって、皇太子を暗殺するには宦官となって後宮に潜り込むことが必須。なのだが。
プロの暗殺者である家の者は誰ひとりとして、ナニを切りたがらなかった。
おやっさん (わたしの養父かつ家長) が土地買えるほどの成功報酬を約束しても、無理だった。
そこで、わたしが目をつけられてしまったのだ。
『いや、そもそも、皇太子のお仕事なんて引き受けないでくださいよ、おやっさん』
『それがだな、夷家に大恩ある筋からの依頼でだな。先先代が誓約書まで作ってしまってるんで、断れんのだ』
『でもですね。わたし、それより養生知識で、みなさんのお役に立ちたいんですけど。お仕事の訓練も、受けてませんし』
『毒を使えば、訓練など要らん。毒を少しずつ盛って、病気に見せかけて死なす。これなら、おまえの知識も役に立つだろう、梓恩』
『えーと…… そうだ、そもそも、わたし、女の子なんですが』
『おまえなら大丈夫。ぜったいにごまかせる! その顔なら試験もパス確定だな』
―― というやりとりを経て、今に至る。
おやっさんの最後の発言がどういう意味かと聞く必要などなかった。今世のわたしは美少年顔なのである。くわえて、絶壁。
宦官募集試験もなにひとつ疑問を持たれることなくパスし、めでたく (?) 皇太子づきとなった。
そして今日が、わたしの宦官としての初出勤日なのである。
―― たったいま、鏡で身だしなみチェックしたことがきっかけで、前世の記憶がよみがえってきた、というわけ。
ゲームの脇役宦官 『梓恩』 が実は女の子だったなんて、自分がなるまで知らなかった……
だが、わたしにとってはある意味、朗報だ。
記憶がよみがえる前までは、皇太子暗殺なんて任務を負わされたのがイヤでしかたなかった。
毒は盛るフリだけ。本当は殺さない。なんなら、ほかの暗殺者から守ってあげればいい。
そう決めて受けた仕事だけど、それでもイヤだった。
―― でも。
わたしが後宮ゲームの宦官 『梓恩』 だとするならば。
皇太子暗殺を、なんとか止められるかもしれない。
それに、わたしだけは、あの子の味方についてあげられる。
―― 莉妃。
この世に生まれたときから悪女の宿命を背負わされてしまった、癒し系の清楚地味美女。
別にものすごく好きとかではないけれど、莉妃は悪い子じゃないと思う。
なのに、あのゲームでは悪いことはぜんぶ、莉妃のせいにされていた。
設定だからって、かわいそうすぎる……!
そうだよ。せっかく後宮に行くんだから、皇太子の暗殺を止めて、ついでに莉妃をこっそり推してあげよう。
たしか莉妃のルートでは皇太子は死ななかったはずだから、わたしの計画 (毒盛るフリだけして殺さない) とも合致する。
よっし。決まりだ。
鏡に映った 『梓恩』 は、にっこりとうなずいていた。
「梓恩」
階下から義兄の呼ぶ声が聞こえた。
「梓恩、そろそろ出ないとな。殿下の朝食には間に合わないと、なんだろ?」
「はい、兄さん。いま行きます」
階段を降りると、義兄は朝ごはん食べつつ本を読んでいた。
朝ごはんは、わたしが着替える前に作っておいた枸杞と小葱のお粥。
『不老長寿の薬草』 ともいわれている枸杞を使った、血の巡りを良くしてからだを温めるお粥だ。秋分をすぎて、ぴりっと寒くなってきたこの季節の朝にぴったり。
からだや心にちょうどいいものって、幸福値を増すよね。
食べるときだけじゃなく、作ってるあいだも幸せだった……
「ん? なにみてる?」
わたしの視線に気づいた義兄が、本から顔をあげた。
やや癖のある髪に通った鼻筋。眼鏡の似合う、切れ長の目の整った顔立ち ―― 暗殺者一族、夷家の長男、博鷹。
これまで普通に家族だと思ってきたが、ばっちりと、ゲーム 『皇国の七妍』 の数少ない攻略対象だった。しかも、もげてない。
(ここ重要。なぜなら後宮ゲームという性質上、宦官でない攻略対象は彼と皇帝しかいないのだから)
―― 皇太子を狙って後宮にしのびこんだ暗殺者、それがゲームの博鷹だ。前世の友人いわく、彼を告発せずに匿うと、恋愛に発展するらしい。
だがここでは、義兄は家業を捨てて中央の役人になるべく、科挙受験中 (おやっさんは賛成してる。親心だな) 。
勉強と暗殺任務の遂行を監視するため、禁城近くの街中に、わたしとふたりで住んでいるのだ。
―― もしかしたら、捨て子だったわたしが夷家のおやっさんに拾われたことで、ゲームの設定が微妙にかわったのかも。
ジョカとかいう女神様が 『二次創作』 とのたまっていたのは、この辺の事情だろうな。
義兄はふたたび本に目を落とし、口だけを動かした。
「梓恩おまえ、任務がいやで初日からサボりたいのか? だったら附子と貝母を合わせてのんでみろ。死ねるぞ」
「知ってますけど義兄さん、そうじゃなくて」
「じゃあ、なんだ」
「お粥、美味しいですか?」
「あ、ああ……」
いつのまにか空になっていた椀を、義兄はとまどったように眺めた。
きっと本に夢中で、味なんか考えずに流し込んだに違いない。しかたないんだから、もう。
「うん、うまかったぞ。少なくとも、麸皮粥よりは」
「馬の餌とくらべんな。あと、任務はまじめに取り組みますよ」
「いや、まあ…… そう気負うな。毒はなににした?」
「これです」
宦官服に縫い付けた隠しポケットから袋を取り出し、義兄に見せる。
ひもをゆるめると、なかには毒々しい黒と茶色の混ざった粉。ほのかに甘い香りがする。
「斑蝥の毒です。これを少しずつ、食事に混ぜる予定です」
「…… そうか、わかった」
義兄はしばらく粉を眺め、それから大きくうなずいた。
「じゃ、まあ、焦らず落ち着いてやれよ。失敗しても梓恩は処分されないように、なんとかしてやるからな。バレたときは、どんな手を使っても逃げろ」
「わかりました」
兄さん、心配してくれてるんだな……
まあ、わたしとしては、失敗しても処分されないだけで、じゅうぶんです。
だって、失敗する予定しかないもんね!
「いってきます」
義兄の顔から目をそらすようにして、外に出る。
夜明け前の空気はしっとりと冷たく、細い月と金星だけがわたしの行く道をほのかに照らしていた。