2-3. 梓恩、排を届ける
「ただいま戻りました、梓恩さん」
「お帰りなさい、寧凛さん。牛さんたちの病気は、どうでした? 司牧の役人から話は聞けました?」
「それより、梓恩さん。坊っちゃまに奇妙なものをお出ししていないでしょうね!?」
「なにをいまさら」
「お出ししたんですか!?」
「坊っちゃまは絶賛くださいまして、おかわりもされましたよ」
「くぅっ……!」
夕食がすっかり終わり、朝食の仕込みを始めたころ、寧凛が戻ってきた。
ネズミモチの実を天日干ししたあと ――
わたしは寧凛に頼んで、牧場まで行ってもらっていたのだ。白牛の様子をみて、牧場の役人から話をきくためにね。
(お礼は大きめに切り分けた苹果排)
意外と素直に頼みをきいてくれた寧凛だが、やはり巽龍君の食事は、気になっていたんだな…… からかうと反応が面白くて、かわいい。
まあ、遊ぶのは、ほどほどにして。
「で、寧凛さん。司牧の役人は、なんと言っていたんですか?」
「牛がたおれる前日に、侍女の桜実さんが白牛の乳を求めにこられたそうです。莉妃の胃痛をやわらげるため、との理由で……
ところが彼女は、司牧丞が牛乳を用意させている途中、奇妙な行動をしていたそうです。白牛をなでまわしたり顔を埋めたりして奇声をあげていたとか…… あのときに呪いをかけていたんだろう、と 「いや、ないでしょ」
つい、寧凛にツッコミを入れてしまった。
「それってどう見ても、ただの動物好きじゃん」
「ですが、その直後、なでまわされた白牛たちの皮膚が赤くただれたようになり、倒れてしまったんですよ。どう見ても呪詛だ、と司牧丞は言っていましたね」
「えええ…… それ、たぶん偶然ですよ。きっと、真相は違いますって……」
「どっちにしても、明後日には、莉妃も桜実さんも処刑だそうです」
「はやっ」
「呪詛の元凶を早めに断つことで、呪詛を解くのだとか」
「いや、それは牛さんの生命も大切だけどさぁ……」
「まあ、ほかの妃ならともかく、莉妃は悪女と名高いひとですから」
もう、がまんできない。
わたしは包丁の柄を、寧凛の手に押しつけた。
「ちょっと行ってきます!」
「ちょ、師匠! 朝食の仕込みは?」
「寧凛さん、やっといてください!」
「はああ!? なにふざけてるんですか!」
いやいや、これはチャンスだよ寧凛くん。存分に実力を発揮してみたまえ。大丈夫。
どんなまずいものを作ったとしても、お姉さんが美味しくリメイクしてあげるからね!
わたしは、寧凛の怒鳴り声を背に、片手に苹果排の皿を持ち、急ぎ足で本殿へと向かった。
―― 目指すは、大理局。後宮の裁判所 兼 警察だ。
「失礼いたします。皇太子殿下づき内侍の梓恩と申します。大理局長官よりご注文いただきました、サクサクとろとろの苹果排をお届けにまいりました」
「は? 端木将軍が? なんでなん」
大理局の係官の正しいツッコミ。
まあ、そうだよね…… こっちは皇太子の名と注文してない出前だけで長官に 『何かある』 と思ってもらうだけの作戦なんだから。ダメでもともと。
「直接お届けするようにと言われてまして。なので、そうお伝えいただければ、わかるかと」
「そうですか…… では、少々お待ちください」
いったん奥へとひっこんだ係官。
最悪、このまま無視されるとかもありうるよね……
そう覚悟していたが、彼はしばらく経つとまた出てきてくれた。
「どうぞ。待っておられたとのことです」
あれ? 大歓迎っぽい?
大理局長官、なにか知ってるんだろうか…… それか、よほどの苹果排好きか。
係官について長官室に入る。机では、品の良さそうな青年宦官が書類を読んでいた。
大理局長官 端木啓―― 通称、端木将軍。
武の名門、端木家出身。かつては本物の将軍だったが、戦いで捕虜になった折、敵方にナニを斬られてしまったらしい。
寝返らねば斬ると脅されても聞き入れなかった結果である。表面は穏やかそうだが、中身はこの国でもいちばんの忠猛の士。賄賂はきかない。
―― 暗殺者組織こと夷家のおやっさんから叩きこまれた、重要人物リストより。
ちなみに前世のゲームで端木将軍は、悪女である莉妃を断罪する役目だった。セリフのみで、顔出しなしのモブ長官だ。
ただし莉妃のルートでのみ、攻略可能な隠しヒーロー的存在であるらしい。前世の友人情報ね。
莉妃は嫌いだが、彼を攻略するために莉妃ルートをとるユーザーもけっこう多いとか。
「待っていたよ。おいしそうな苹果排だね」
端木将軍は書類を置くと、ちょいちょいと手招きしてきた。
まさか、本気で食べるつもり。
「どうぞ。旬のとれたて苹果で作りました」
「さっそく、いただくとしよう。えーと梓恩どの、だったか。しばらくここに残って、皿の回収をしていってくれ…… あ、きみはもう戻っていいよ。ご苦労さん」
係官をさっくり追い払うと、端木将軍は苹果排をひょいとつまんだ。
え。本気で食べるんだ……
「ふーん…… 普通においしい」
「ありがとうございます」
「毒も黄金も隠されていないというのは、いいね」
「養生の道にそむくことは、いたしません」
「そうか…… だったら、私になんの用なのかな。奇妙な口実で面会にきた新人宦官どの」
排をもぐもぐしている端木将軍の目は、すべてを見透すように、冴えざえと澄んでいた。




