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【18話】前世の話 ※新出礼良視点


 黒一色に染まった空に綺麗な三日月が浮かぶ、そんな夜。


「玲良! 結婚を前提に、俺と付き合って欲しいんだ!!」


 夜景の見えるおしゃれなレストランで、私――新出礼良(にいいでれいら)は告白された。

 

 私に告白をしてきたのは二十三歳の男性――真田亮(さなだりょう)

 名の知れた総合商社で働く会社員で、私の同期だ。

 亮とは半年ほど前から、一緒にごはんを食べに行くような関係となっている。

 

 亮は真面目で優しい、誠実な人間。

 彼の素敵な人柄に、私は惹かれていた。

 だからこうして告白してくれたことが、本当に嬉しかった。

 

「私でよければ、ぜひお願いします!」

「よっしゃ! ありがとうな礼良! この先何があっても、ずっとお前と一緒にいるから!!」


 亮は大きな声で決意表明する。

 

 その声があまりにも大きいものだから、周囲の人たちにも聞かれてしまった。

 歓声と拍手が、私たちのテーブルへと向けられる。


 なんて恥ずかしい真似を……! まったく亮ったら……ふふふ。


 注目を浴びて恥ずかしい気持ちはあったが、それだけ大きな声で愛を誓ってくれるというのはやっぱり嬉しかった。

 大喜びしている亮へ向けて、私は満面の笑みを浮かべる。


「うん! 絶対だよ!」


 おじいちゃんとおばあちゃんになっても、きっと私たち、いつまでも仲良くしているんだろうな。

 

 誠実な亮は嘘を吐かない。

 大声で誓ってくれた通り、私たちは死ぬまで離れることなくずっと一緒にいるのだろう。


 

 それから二年は、穏やかな日々が続いた。

 特別な出来事はこれといってなかったが、亮と過ごす毎日は幸せだった。

 カレンダーをめくるにつれ、この人と夫婦になりたい、という気持ちがどんどん強まっていった。

 

 けれども、そんな晴れ間ばかりが続いていた日々が陰り始める。

 

「……今週も会えないのね。これでもう三か月よ」

 

 亮から送られてきたメッセージを見た私は、手に持っているスマホに向かって小さなため息を吐いた。

 

 これまで亮とは、少なくとも週に一度はデートしていた。

 それなのにもう、三か月も続けてデートしていない。

 なんでも、仕事が忙しくて私と会う時間が作れないのだそうだ。

 

 亮は営業部のエース。

 私とは部署もフロアも違うから実際の仕事ぶりは見たことがないが、いつも忙しそうにしていると人づてには聞いている。

 

 会えなくて寂しい……けど、落ち込んじゃダメよ!


 デートできないのは、亮が遊んでいるからではない。

 仕事を頑張っているからだ。

 

 亮が頑張っているなら、その分私も頑張らないと……!

 

 きっと亮も私に会えなくて辛いはずだ。

 それなのに毎日仕事を頑張っている。

 

 それなら私も、落ち込んではいられない。

 頑張っている亮を、元気づけてあげる場面だ。

 

 だってそう、私は亮の彼女なんだから!

 

「『大変だろうけど、お仕事頑張ってね』、と」

 

 寂しい気持ちを必死に押し殺しながら、私はメッセージを送る。

 きっとこれが彼女としての役割――そう信じて。

 

 それに対しての返信が来たのは、一週間も後のことだった。

 

 

 亮と会えない日々が続いて、半年ほどが経ったとき。

 食堂でランチを摂っていた私の耳に、少し離れたテーブルで食事をしている中年社員たちの会話が入ってきた。

 

「新卒の姫宮(ひめみや)さんっているじゃん」

「おお。アイドルみたいに可愛い子だよな」

「その姫宮さんと営業部の真田がさ、どうも付き合ってるらしいんだわ。毎日のようにデートしているんだとよ」

「マジかよ!? 真田、超勝ち組じゃん! ……あれ? でも確かあいつって、総務部の子と付き合ってるんじゃなかったっけ?」

「別れたんじゃねえの? 知らねぇけど」

「姫宮さんに乗り換えたのか。真田も悪いヤツだな! ハハハ!」


 耳を疑いたくなるような話だった。

 急に息苦しくなって、うまく呼吸ができなくなる。動悸が治まらない。

 

 そんなのデタラメよ! 亮は誠実な人なの! 私を悲しませるようなことをするようなこと、絶対にしない!!

 

 しかし。

 心の中でいくら叫んでみても、頭は認めてくれなかった。

 

 姫宮さんとの時間を優先したくて、私とのデートを断っていた――そう考えれば、つじつまが合ってしまう。

 

 それに、姫宮さんのことは何度か見かけたことがあるが、庇護欲をかきたてるような本当に可愛らしい女性だ。

 私とどっちが可愛いか――そんなものは、比較するまでもない。

 

 否定したいのに、考えれば考えるほど状況は黒と言っていた。


 動悸がさらに激しくなる。

 締め付けるような激しい痛みが胸に走る。

 

 確かめないと……! このままじゃ私、どうにかなっちゃう!

 

 スマホを取り出した私は、震える手でメッセージアプリを起動した。

 

 

 綺麗な三日月が浮かぶ、二年前のあの日とそっくりな夜。

 私のアパートのリビングでは、私と亮が向き合って立っていた。

 

「緊急の用ってなんだよ? 忙しいんだから手短にしろよな」

「……聞きたいことがあるの」

「聞きたいこと? それがお前の緊急の用事ってやつか? そんなのメッセージで聞けば済む話だろ」


 目に見えてイライラしている亮が、舌打ちを鳴らした。

 以前はこんな態度をする人じゃなかったのに、この三か月で随分と変わってしまった。


「ごめん。でも、どうしても直接会って聞きたかったことがあるの」

「ふざけんなよ! いつも言ってるだろ、俺は忙しいって! ……来て損した。馬鹿馬鹿しい。俺は帰らせて――」

「姫宮さん」


 その名前を出したとたん、亮の表情が凍った。

 

 …………姫宮さんとの話、本当だったんだ。

 

 もう二年以上もの間、亮と付き合ってきたのだ。

 それくらいのことは分かってしまう。

 

「亮と姫さんが付き合っているっていう話をね、たまたま聞いちゃったの。…………仕事が忙しいっていうのは嘘だったんだね」

「……」


 亮は何も言わない。

 バツが悪そうに目線を逸らしている。

 

 聞かずとも、その反応はもう答えを言っているようなものだった。

 

 でも私は、

 

「それは違う、って否定してよ! 俺がそんなことするような男に見えるのか、って怒ってよ! お願い!! お願いだから、そう言って……!」


 信じたくなかった。

 亮のことが本当に大好きだからこそ、彼の口からハッキリと否定して欲しかった。

 

 嘘でもそう言ってくれるなら、少しは救われるような気がした。

 

「なんでよ! どうして何も言ってくれないの!?」

「…………ハハッ」


 こらえるような笑い声が、亮の口から漏れる。

 

 私が望んだ通り、亮の沈黙が終わる。

 けれどそれは、私が求めていた反応とはかけ離れていた。

 

「……何がそんなにおかしいのよ」

「いやさ……意外とバレなかったな、って思ってさ。ハハハハハ!」


 浮気を認めた亮は謝るどころか、なんと開き直ってきた。

 大きな笑い声がリビングを埋めていく。

 

 …………誰よこの人。こんなの、私の大好きな亮じゃない!

 

 目の前にいる人間が急に誰か分からなくなる。

 真面目で優しく、誠実な人間――私の知っている真田亮は、もうどこにもいなかった。

 

「どこで聞いたか知らないけど、大正解だ! そうだよ、礼良の思っている通りだ。俺は姫宮さんと付き合ってる。お前から乗り換えた理由は色々あるけど――」


 私を捨てた理由をペラペラ語りだす亮は、まったく悪びれていない。

 何がそんなに楽しいのか、頬がにんまりと上がっている。

 

 そんな彼の言葉は、私の頭にはいっさい入ってこなかった。

 頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、とても物事を考えられるような状態じゃなかった。

 

「じゃあな」


 二年以上という交際期間を締めくくるにしてはあまりにも短い言葉を口にして、亮はアパートから出て行った。

 

 幸せな日々と思い描いていた未来は、この日、粉々に砕けて散った。

 

 

 一人取り残された私は、何をするでもなくポツンと立ち尽くしていた。

 そうして、どれくらいの時間が経った頃だろうか。

 

 ゴロゴロゴロ、と雷が落ちた音が聞こえてきた。

 窓から外を覗いてみれば、かなりの土砂降りとなっていた。

 

 道路の端には、大きな水たまりがいくつもできている。

 状況からして、今さっき降り始めたという訳ではないらしい。

 

「こんな大雨に、今の今ままで気がつかなかったなんてね」

 

 時計を見てみれば、時間は深夜帯。

 亮が出て行ってから、かなりの時間が経っていた。

 

 小さくため息を吐いた私は、パソコンの電源を入れる。

 

 ベッドに入ろうかとも考えたが、あんなことがあった後だ。

 まともに寝られる気がしない。

 

 それに今は、心の内に溜まった黒いモヤモヤを発散したかった。

 

「どうせなら新作を書こっと」


 モヤモヤの発散方法として選んだのは、趣味で書いているウェブ小説の執筆。

 不幸な女の子が幸せになるようなストーリーを作ろうと考えた。

 

 現実で辛いことがあった分、せめて物語の中では幸せになりたい。

 だからこそ、救いのあるようなストーリーにしたかった。


「えっと、名前は――」


 まずは主人公の設定から作っていく。

 

 そうして出来上がったのが、レイラ・シンデュリオンだった。

 

「次はヒーローの設定だけど……その前に」

 

 喉の渇きを覚えた私は、冷蔵庫へ向かう。

 しかしそこで、大きなため息を吐いた。

 

 扉の中に入っていたのはカレーの食材だけ。

 目的である飲み物は何もなかった。

 

「……仕方ない。コンビニに行くか」


 外は相変わらずの土砂降りだ。

 激しい雷も鳴っている。

 

 こんな天気の中を出かけるというのは非常に面倒。

 しかし、これから長丁場になることを考えると、飲み物には代えられない。

 

 それに、コンビニは徒歩五分の距離にある。

 ささっと行けば、ずぶ濡れになることはないだろう。

 

 ビニール傘を広げた私は、コンビニまで早足で向かっていく。

 

 そうして、目的地が目と鼻の先にまで近づいてきたとき。

 

 私の頭上で、鋭い閃光が輝く。

 それが私――新出礼良の、人生最後の光景となってしまった。

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