【14話】まさかそんなふうに思う日が来るなんて
彼女のドレスを見繕ってくれ――ローゼス様からそう頼まれた店員が選んだのは、ラベンダー色のタイトドレスだった。
シュッと引き締まったシルエットが、大人の雰囲気を醸し出している。
高級感溢れるそれは、私の目を一瞬で釘付けにした。
なんて素晴らしいのかしら! それにこの色! ミリスのドレスと同じだわ!
もし一緒にパーティーに出ることがあれば、お揃いになるわね!
同じ色のドレスを着て、並んで会場を歩く――そうなったときミリスは、どんな笑顔を見せてくれるのだろうか。
きっと満面の笑みを見せてくれるに違いない。想像するだけでも楽しくなってくる。
「このドレスを気に入ったようだな」
「はい! とっても! ありがとうございます!!」
満面の笑みを浮かべて頭を下げる。
「……それなら良かった」
恥ずかしそうに顔を逸らしたローゼス様は、
「このドレスと先ほどのドレス、その二着を購入する。支払いをするから窓口まで案内してくれ」
と少し焦ったような口調で店員に伝えた。
恥ずかしくて、この場から逃げたかったのかもしれない。
店員と一緒に窓口に向けて歩いていくローゼス様の背中に、私はもう一度深く頭を下げた。
買い物を終えたあと、私とローゼス様はドレスショップを出た。
購入したドレスは、後日、屋敷に届けられるような手筈になっているらしい。
到着するのが今から楽しみだ。
「これで今日の目的は果たせたな。それでは先ほど言った通り、王都を案内しよう」
「お願いします!」
美術館、高級酒場、噴水広場――ローゼス様に案内される形で、色々な場所を訪れていく。
ローゼス様は、そこについての簡単な説明や豆知識を教えてくれた。
おかげで、どこへ行っても楽しい。常に心が躍っていた。
しかし、せっかくの楽しい時間に水を差すような出来事が起こってしまう。
「いってえなおい!」
前方から向かってきた大柄で筋肉質の中年男性が、私とのすれ違いざまに急によろけた。
その結果、私と中年男性の肩がぶつかってしまったのだ。
「どこ見て歩いてんだよ!!」
中年男性が声を張り上げた。
大声とともに漂ってきたのは、鼻をつまみたくなるくらいのすさまじいアルコール臭。
酔っぱらっているせいで、足元がおぼつかなかったのだろう。
ぶつかってきたのはそっちじゃない! どうして私が文句言われなきゃいけないのよ!
ムカつきながらも私は、申し訳ございませんでした、と謝る。
非常に不本意ではあるが、面倒なトラブルを避けるにはこれが一番だ。
せっかく楽しい時間を味わっている最中なので、トラブルは起こしたくない。
穏便に済ませたかった。
あとは去ってくれるのを待つだけだ。
「謝って済む問題じゃねぇだろ! 罰金だ! 金を置いてけ!!」
最悪だわ……。
せっかく謝ったというのに、思った通りにはなってくれなかった。
面倒な展開になってしまう。
どうしよう、と困っていたら、中年男性は下品な笑みを浮かべた。
舐めまわすような気持ち悪い視線を、私に向けてくる。
「へへっ……よく見りゃあんた、かなりの上玉だな。俺と遊んでくれるっていうなら、特別にチャラにしてやってもいいぜ」
なにそれ!? ムリムリムリ!!
生理的嫌悪感の波が、一気に体全体に広がっていく。
あまりの気持ち悪さに、全身に鳥肌が立つ。
恐怖のあまり手足が固まって、声さえも出なくなってしまう。
そんなとき。
「おい。どこからどう見ても、悪いのは貴様の方だろう」
私の隣から、頼りがいのある重低音が聞こえてくる。
それは、ローゼス様の声だった。
私は大きく安堵。
彼の声を聞いたとたん、全身の鳥肌と感じていた恐怖がフワッと消えた。
「彼女に速やかに謝罪し、この場から立ち去れ」
「あぁ!? 俺は今この女と話してんだよ! 関係ねぇ野郎は引っ込んでろ!」
「彼女は俺の妻だ。関係なら大いにある」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!!」
鼻息を荒くした中年男性が、ローゼス様に踏み込んだ。
丸太のような太い腕を振り上げ、おもいっきり殴りかかる。
対するローゼス様は、その場から動く様子がない。
構えもせずに、じっとしている。
このままだとローゼス様はどうなるか。
私の頭に、良くない未来が映ってしまう。
「危ない! 避けてローゼス様!」
「案ずるな。この程度、まったく問題ない」
ローゼス様はスッと片手を上げると、中年男性の拳を易々と受け止めた。
受け止めた拳を、ローゼス様がギュッと握る。
「なんだと!? クソっ、放しやがれ!」
中年男性は拳を引き抜こうとしているが、ローゼス様はびくともしていない。
怒っていた中年男性の表情に変化が起こる。
焦りと恐怖が次第に浮かんでいく。
「なんだコイツ、すげぇ力だ……! てめぇ、何者だ……!」
「もう一度言う。ここから消えろ」
中年男性の声に、ローゼス様はまったく構う気はないようだった。
拳を握る力を、徐々に強めていく。
ローゼス様の瞳はとてつもなく鋭い。
本気で怒っていることがビリビリと伝わってくる。
「わ、分かった! 分かったからもう放してくれ!! このままじゃ俺の手が潰れちまう!!」
中年男性はついにギブアップ。
苦痛に歪んだ口元から悲痛な叫びが上がる。
けれどローゼス様は、静かに首を横に振った。
「いいや、ダメだ。貴様はまだ、大切なことを忘れている」
「た、大切なこと!?」
「くだらん行いで迷惑をかけたこと――それを俺の妻に謝っていないだろうが。忘れたとは言わせんぞ」
ハッとした中年男性は、急いで私の方へ顔を向けてきた。
「すまねぇ! 変な絡み方をして悪かったよ! もう二度とこんなことはしねぇ!! 頼むから許してくれ!!」
中年男性の目から、大きな涙がボロボロと地面に落ちていく。
嘘偽りを感じない、本気の謝罪だった。
謝罪された私は、コクコクと頷く。
それを見たローゼス様は、中年男性の拳から手を離した。
「二度とその姿を見せるな」
「ひぃいいいい!」
背を向けた中年男性は、悲鳴を上げながら走り去っていった。
「怖い思いをしたな。大丈夫か?」
「はい。ありがとうございました」
私を気遣ってくれるローゼス様は、いつもの彼だ。
先ほどまでの鋭く尖った雰囲気は、既に消えていた。
本気で怒っているところを初めて見たけど、ものすごい迫力だったわね。ちょっと怖かったもの。……でも、かっこよかったわ。
まさかのまさか。
ローゼス様に対してこんな感情を抱く日が来るなんて、思ってもいなかった。
でも彼は、大きなピンチに陥っていた私を助けてくれた。
そう見えてしまうのも、きっとこれはしょうがないことだ。




