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第八話 追われて

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 どこからともなくあらわれて、日下始を追いかけまわした、あいつらの正体が。いま世間を騒がせている、例の三頭の灰色の犬であるのは、疑う余地はなかった。

 犬たちはきっと、日下のもとにいる、仲間の灰色の雌犬の所在を。どうやってさがしたのかはわからないが。なんとかしてつきとめたのだ。

 そして犬たちは、こう考えたのだろう。

 仲間の雌犬は、あの日下とかいう人間につかまっている。

 だったら、つかまっている仲間を助けるために。日下のもとに出向いて、奴をおどしてやろう。

 きっと日下の奴はふるえあがって、仲間を解放する。これで、つかまっている仲間を救い出せる。

 そう考えて、犬たちは、あんな真似をしたのではないだろうか。

 ところが、助けに行ってみると。雌犬は。仲間であるはずの三頭の犬たちを拒絶した。

 それどころか、雌犬は。こともあろうに。自分たちと逃げるのではなくて。敵であるはずの日下を守るために。自分たちと戦おうとした。

 三頭の犬たちは、プライドを傷つけられてしまい。ひきさがるよりなくなった。そういうことではないか。

 でもまさか。イヌと名付けた、あの雌犬が。自分の身を助けにきてくれるとは。日下は考えてもいなかった。それを予想すらしなかった。

 喜ぶべきことなのに。日下は。雌犬がとった勇気ある行動に感動したり、感銘をうけるよりも。自分が襲われたことに強くショックをうけていた。


 あれから、雌犬とアパートの自室に帰った日下は。自分の身に起きたおそろしい出来事のせいで、心身ともに参ってしまった。

 おかげで、その夜は、日下は布団をかぶってふるえてすごした。

 翌朝、日下は。ゲッソリと焦燥した顔で。先に起きて、朝からなにやら考え込んでいる様子の犬に、食事をあたえてから。いつものように、役所に出社をした。

 その日、日下は。文章のデータ化の仕事に、ちっとも身が入らなかった。

 昼休憩になる頃には。それでも昨夜の出来事に対して、前述のような、自分なりの解答を導きだした。

 とはいえ。襲われた理由について、納得がいく答えがみつかって。疑念が晴れたからといって。それで不安や恐怖心が消え失せたり、心のわだかまりが解消するわけではない。

 終業時間が近づくと。日下は。もしかすると、今日もまた。駅から歩いて帰る途中で、灰色の犬たちに追いかけられるのではないか。という不安な気持ちにとりつかれた。

 そこで、日下は。次のように、自身に言いきかせて。不安な気持ちをまぎらわせる。

「いいや。そんなわけがない。二日間も続けて、あいつらが、おれを襲ってくるはずがない……。

 そんな真似をしたら。同じ場所に出現するせいで。それだけ、つかまる危険性や、リスクが高まる。そうじゃないか?

 あの三頭は、保健所の追跡をたくみにかわして逃げおおせる。ヒトを翻弄するくらい、かしこい奴らなんだ。そんな奴らが、迂闊な失敗をするはずがない。

 いや。でも、待てよ。もしかしたら……。

 考えてみれば。相手は。ヒトの理解や価値観が通じない行動原理で活動している、未知の野生動物みたいな存在なんだ。

 野生動物なんだから、なにをするのかはわからない。おれたちが想像もしなかった、とてつもなく残忍で。残酷なことをしてもおかしくない。そう考えるとだ。

 もしも、またあの犬たちが。帰宅中にあらわれて。襲ってきたら。おれは、野生動物に襲われた犠牲者みたいな目にあうんじゃないだろうか……?」

 そう自身に言いきかせてはみたものの。野生動物に襲撃された犠牲者たちが、どういった目にあうのか。身近に経験者がいないので。日下にはよくわからなかった。

 せいぜい、あの凶暴な犬たちに食いつかれたり、噛みつかれて。大ケガするくらいしか、彼には想像できない。

 そんなことを思い巡らせていたせいだろう。終業時間が訪れても、日下は椅子から立って動きだせない。

 いつもなら、物置部屋に押し込められて、些末な仕事をさせられている自分の境遇をなげいて。一刻も早く、こんなところから出ていきたい。と愚痴を言っているのに。

 今日にかぎって。自分がいるこの狭い部屋が。とても居心地がよい。安全な場所に思えてきて。どうしても離れられなかった。

 しかし、いつまでも。そうしているわけにはいかない。

 なかなか帰らないアルバイトに業を煮やして。やってきた上司の甲田に、壁の時計を指さされて。日下は、しかたなく、腰をあげる。

 日下は気付いていなかったが。知能が高くて、慎重な性質をした野生動物であっても。それでも同じ場所に姿をあらわすことはあるのだ。

 特に、三頭の犬たちの行動は。犬がとる、感情や欲求にまかせたものではなかった。

 姿を見られないように日下を追ったり、追いつめた日下をあざ笑ったり。一般的な犬とは異なる行動だった。

 犬たちの行動が。犬たちの独自の規範や、彼らの特殊な目的に基づいて行われていることに、日下はまだ気付いていなかった。

 さすがに、二日間も続けて姿をあらわさないだろう。と思いながら、最寄り駅にまでもどってきて。駅から外にでた日下は。

 駅のロータリーの目立つ場所に寝そべって、自分がやってくるのを待っていた、三頭の犬たちの姿を。街灯のあかりのもとで、目にすることになった。

「ええぇぇっっ……!」

 大声でなにかを言いかけたが、その言葉は尻切れとんぼになってしまう。

 驚きの表情で、その場で硬直していた日下だったが。

今日一日中、考え続けていた、いろいろな出来事を思い返して、その顔が恐怖に変わる。

 彼は、犬たちに背をむけると、走って逃げだす。


 犬たちは、今日は身を隠すこともせずに。昨日のように、時間をかけて念入りに脅す方法とは異なる。三頭で協力して、性急に追いたてる方法で、逃げる日下を走らせにかかった。

 三頭は、低く身構えると、鼻面にシワをよせた怒りの形相で、歯列をむきだし、唸り声をあげて。背後から日下をとりかこむかたちで、日下を追いたてる。

 犬たちは、なぜだか大声で吠えることはせずに。唸り声と、走らなければ噛みつくといった連携による威嚇の行動で、日下を走らせた。

 日下がへたりこみそうになると、背後から唸り声をきかせて、彼を立ちあがらせて。走りだした日下のまわりを、右や左に跳んで移動しながら。アパートの方角に走らせようとする。

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