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4.

 ――次の日。


 航太は陽翔を連れて先に家を出る。それからしばらくして、海斗が高校へと向かう。高校は自宅から徒歩で二十分前後。八時十五分から朝自習の時間となるから、それまでに登校すればいい。部活動に入っている生徒は、朝練などもあり早めに登校しているようだが、海斗は時間ギリギリを狙って家を出ていた。


 ほんのわずかな一人の時間を堪能したいという思いもあったからだ。そのわずかな時間を読書の時間に充てているし、時間がくればアラームが鳴るようにスマートホンをセットしていた。


 ずしりと重いリュックを背負い、家を出る。五月の風は、まだやわらかい。これがあと一か月も経てば、朝だというのに痛いくらいの日差しと生ぬるい風が、肌に襲いかかってくるだろう。


 学校が近づくにつれ、同じような制服を着た生徒の姿が多くなる。学校の敷地内に入る前に、スマートホンの電源を切る。学校で音を鳴らしたら、反省文ものだ。


「おはようございます」


 事務的に挨拶をして、海斗が教室に入る頃には、三分の二くらいの生徒らが席についていた。そのほとんどが自席で勉強をしているか本を読んでいるか。


 普段は意識しなかったのに、なんとなく空が気になった。窓際の後ろから二番目の自席に向かうまでの間、ざっと教室内を見回す。


 廊下側から二列目の前から前から四番目。それが空の席だった。

 外見はヤンチャな空だが、そもそもこのクラスに所属している時点で、彼も進学希望であり成績も上位者なのだ。


「おはよう」


 隣の席の生徒に声をかけてから、席に着いた。窓が開いているのか、外からは緑のにおいが交じった風が、カーテンを揺らす。


 右斜め前に視線をチラリとむければ、空の姿が目に入る。問題集を開き、ノートにその問題を解いている。なんとなく、教室内も昨日までとは違う風景に見えた。


 学校にいる間、空か声をかけてくれないかだなんて、海斗は淡い期待を抱いていた。

 今まで接点のなかった二人だ。いきなり海斗から空に話しかければ、周囲の人が驚くだろう。

 それに、昨日、タッパーとスープジャーを貸した。それを返してもらわなければ、これから海斗の弁当が貧相になってしまう。


 休み時間のたびにそわそわとしていたものの、結局その日は、空から声をかけられることはなかった。

 なぜか海斗の心はずしりと沈む。


 何を期待していたのか。


 今までだって、学校で空と話をしたのは数える程度。同じクラスになって二か月が経とうとしているのに、それだけの関係だった。

 だというのに、一度くらいご飯を一緒に食べたからと、調子にのっていたのかもしれない。


 とぼとぼと背中を丸めて、児童クラブへと足を運ぶ。


「こんにちは」


 いつもより、ほんの少しトーンを下げた挨拶だ。


「こんにちは、櫻井くん。今日もお願いね」


 海斗の姿を見つけた代表は、朗らかに返す。


「はい。お願いします」


 いつものロッカーに荷物を詰め込んで、子どもたちのいる和室へと向かう。いくつもテーブルが並んだこの部屋は、子どもたちが学習に取り組む場所。


「あ、海斗先生~」


 陸が元気よく両手を振っている。


「宿題、見てください」


 いつもと変わらぬ陸の態度に安堵しつつも、その顔に空の面影が重なって見える。


「はい。先生、確認して」


 陸の隣に正座をして座ろうとしたところ、彼はずずいとノートを差し出してきた。


「昨日、兄ちゃんに言われた。あんまり海斗先生に迷惑かけるなって。宿題は自分でやれって。わからないところだけを聞けって」

「そうなんだ……」


 陸からノートを受け取り、宿題を確認する。


「陸くん、すごいね。全問、正解」

「わ、ほんと? やった」

「海斗先生、ぼくのも見てください」


 違う生徒がやってきて、宿題を見てほしいと言う。算数が苦手なこの子は、計算間違いが多い。

 その子に宿題を教えているうちに、陸は外遊びに行ってしまった。


 五時半になれば、海斗は帰り支度をする。


「お先に失礼します」


 職員らに声をかけてから靴を履き替える。

 今日の夕食は何にしようかと考えながら玄関を出たところで、空がいた。


「よかった。間に合った」


 はぁはぁと肩で息をしながら、空は紙袋を手渡してきた。


「これ。昨日の夕食のやつ。親父が、美味かったって喜んでた。あの人のあんな顔、久しぶりに見たわ」


 空の目尻が垂れ下がり、どこか泣いているようにも見えた。


「学校で渡そうかと思ったんだけど、ほら、他のやつになんか言われても面倒だし。ここなら、オレとおまえしかいないから」

「あ、うん。わざわざありがとう」

「礼を言うのはこっちのほうだって。昨日は、陸も喜んでたし。何よりも、久しぶりに美味い飯を食べた。サンキューな」


 そんなことを面と向かって言われれば、嬉しいやら恥ずかしいやら。


「こっちこそ。陽翔を見てくれたから助かった。そういえば、お金。やっぱりもらいすぎだって」

「んなことない。親父にも弁当代を櫻井に渡したって言ったら、それだけの価値があるって言ってた」


 海斗は眼鏡を右手の人差し指で押し上げた。これは、照れくささを隠すための行為だ。


「あ。秋山くん。父さんが、また秋山くんたちを誘ってもいいって言っていたから……よかったら、まら、一緒にご飯食べない?」

「お、おぅ。次は手土産を持参していくわ。それよりも櫻井。昨日、連絡先を聞くのを忘れた」


 空が上着のポケットからスマートホンを取り出すと、通話アプリの連絡先コードを表示する。それを読み取れば、そのアプリでやりとりができるようになるというもの。


 海斗もたどたどしい手つきで、そのコードを読み取った。


「お。櫻井が追加された。悪いな、急いでるところ引き留めて」

「あ、うん。大丈夫。でも、そろそろ行かないとだから」

「ハルにもよろしくな」


 たったそれだけのことなのに、ずしりと重かった心が羽でも生えたかのように軽くなった。現金なものだと、海斗自身、そう思った。


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