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3.

 手元にある二千円をどうしとうか悩んだ海斗だが、父親が帰ってきてから相談すればいいだろう。


「ハル。お風呂の用意するから、もう少し待ってて」


 テレビをつけて、動画配信サービスから幼児向け番組を選ぶ。

 陽翔が、歌のお兄さん、お姉さんの動きに合わせて身体をゆすり始めたから、しばらくは夢中になって見ているだろう。


 ざっと室内を見回して、陽翔が触って聞け名ものがないかを確認する。


 以前、飲みかけのお茶をそのままにして風呂の準備をしてしまったため、戻ってきたときには陽翔がそれをひっくり返して大変な目にあったものだ。


 バスタブに湯を張りつつ、海斗は洗濯物を畳む。その間もちらちらと陽翔を気にする必要はあったが、テレビに釘付けだった。


「ただいま~」

「ぱぁぱ」


 九時頃になると連絡があった父親――航太が帰宅した。慌てて時計を見れば、まだ八時を過ぎた頃。


「おかえりなさい。お父さん、早かったんだね」

「うん。海斗の友達に会いたいなって思ってね。でも、もう帰ったんだな」

「だって、あまり遅くなると、帰り道で補導されちゃうから」

「なるほど……って、ハル、こら。引っ張るな」


 陽翔は航太に抱っこをせがんでいる。


 父親が陽翔を抱き上げる様子を見ながら「お父さん。先に、ハルと一緒にお風呂に入ったら?」と声をかける。


「その間に、ご飯、準備しておくから」

「そうだな。ハル、パパと一緒にお風呂に入るか?」

「ぱぱ。おふろ。はいる」

「海斗。ビールもよろしくな」

「びーる。めっ。よ」


 キャッキャッという陽翔の楽しそうな声は、浴室へと消えていく。


 夕飯を温め直しつつ、二人がお風呂に入っている間に食器も洗ってしまおう。

 そう思い、シンクの前に立つと、一気に虚無感が襲ってきた。


 海斗は航太の実子ではない。つまり、血縁関係がない。

 櫻井家の家族構成は少々複雑だ。なによりも航太が二回結婚し、二回とも失敗しているからだ。

 海斗は、航太の一回目の結婚相手の連れ子である。当時、海斗は六歳、航太は二十四歳。それでも航太は、海斗を養子とした。だからそこに、親子関係が成り立っている。


 しかし、結婚して二年目に、航太は離婚した。そこで海斗が母親側についていけばいいものの、海斗は置いていかれたのだ。そんな海斗を、航太はやはり息子のままとして受け入れてくれた。


 そして三年前。陽翔の母親と再婚したものの、やはり一年前に離婚した。


『あいつは、母親よりも女でいることを選んだんだよ』


 当時、一歳になるかならないかの陽翔を寝かしつけながら、そんなことをぼやいていた。


『俺って、女運、ないよな?』


 離婚が成立してすぐに、この家に引っ越してきた。陽翔を預けられる保育施設があり、買い物もしやすく、海斗の高校も近く、航太の職場もそこそこ近い場所。

 それがここだった。


 航太の話を親身になって聞いてくれた不動産屋が、四月になれば空きが出る物件をおさえてくれたのだ。それが去年の四月。海斗の高校入学ぎりぎり三日前。


 幸いにも同じ市内から市内への引っ越しということもあり、もともと決まっていた陽翔の預け先だけは四月になってすぐに受け入れてもらえた。

 航太は仕事へ行き、誰もいないうちに陽翔が引っ越しの片づけをした。


 そして男三人で暮らして一年が経つ。血のつながりのない海斗をこうやって高校まで通わせてくれる航太には感謝しかない。


 それでもときどき虚しくなる。


 航太と陽翔のつながりは、航太と海斗にはないもの。それがうらやましいとかそういった気持ちではなく、ただただもどかしいのだ。この複雑な感情を表現する適当な言葉が見つからない。


「海斗~、ハルをお願い~」


 浴室から航太の声が響いてくる。

 洗い物も終わったし、夕食も皿に盛り付けた。


「にぃに」


 バスタオルをマントのように肩にかけた陽翔が、浴室の扉から勢いよく飛び出した。

 海斗は腰を落として両手を広げ、そのまま陽翔を抱きしめる。


「つかまえた。ほら、身体を拭いて、着替えるよ」


 残念ながら、陽翔はまだおむつがはずれていない。こども園でもトイレの練習中だと言っていたので、できるだけ自宅でもトイレに行かせようと声かけはしているところだ。


 紙おむつをはかせた。薄い長袖のパジャマは、テレビアニメのキャラクターが描かれ、暗闇で光るものだ。


「あ~、喉、渇いた」


 タオルでごしごしと頭を拭きながら、航太がリビングへとやってきた。そのまま彼の足は冷蔵庫へと向かう。


 プシュッと缶ビールを開ける音がしたかと思うと、すぐさま陽翔が反応する。


「ぱぱ~。びーる、めっ。くちゃい、くちゃい」

「そんなこと言うなよ。ハルには麦茶をあげよう。パパと同じ麦汁だ」


 プラスチックのコップに麦茶を注いでもらった陽翔は、不満そうに顔をゆがめた。


「お父さん。ご飯、温めておいたから」

「はぁ。腹が減ってたんだよ。ありがとう。できのいい息子がいると、助かるな」


 海斗の心の中にある底なし沼がぐずりと音を立てた。

 航太がそうやって海斗を褒めるたびに、その言葉は底なし沼へと引きずりこまれていき、素直に喜ぶことができないのだ。


「あ、お父さん。そういえば友達が……」


 先ほど、空が二千円置いていったことを伝えた。


「友達って誰? 俺が知ってる人?」

「どうだろう? この辺の人だから、中学からの人じゃないよ。秋山空くんって、今年、進学クラスで一緒になった人だから」

「秋山……?」


 その名前に心当たりがあるのかないのか、航太が口の中でもごもごと呟く。


「その弟の陸くんが、僕が言っている児童クラブに通っていて」

「へぇ。そんな偶然もあるんだな」

「僕も今日まで、二人が兄弟だなんて、全然、気がつかなかった。あ、ハル、眠い?」


 リビングのラグの上で陽翔がゴロゴロし始めたら要注意。このまま眠ってしまうことが多いからだ。まだ歯磨きをしていない。


「歯磨き、しようか」


 ぐずぐずし始めた陽翔を洗面所へと連れていき、子ども用の甘い歯磨き粉でなんとか歯ブラシを動かす。


 そのままベッドへと連れていって、布団をかける。


「にぃに」


 隣で添い寝をしつつ、寝かしつける。この時間が一番つらい。へたすれば、海斗も一緒に眠ってしまうからだ。


 ぽんぽんと背中をなでるようにして静かにしていると、眠気に負けた陽翔からはぷぅぷぅと寝息が聞こえてきた。

 海斗はそろりとベッドから下りて、部屋の電気を弱める。


 隣の部屋から着替えを用意して、浴室へと向かう。


「お父さん。お風呂、入るね」

「あぁ」


 テレビからはお笑い芸人の笑い声が小さく聞こえてきた。


 ゆっくりと湯船に入った海斗は、大きく手足を伸ばす。こんなにのんびりと風呂に入るのも三日ぶりだろうか。平日はいつも、陽翔と慌ただしく入る。


 それだけでも、今日はいつもと違う一日だ。

 なんで空たちを夕食に誘ったのか、自分でもよくわからない。


 そんななか、気になっているのは空が置いていった二千円だろう。本当にもらってしまっていいものかどうか。


 父親には伝えてはみたものの、その後のことについては具体的に相談していない。だから、心の中にもやもやが集まってくる。


 中学時代のジャージがパジャマがわりだ。胸元の櫻井海斗という名前は、半分取れかかっている。誰に見せるわけでもないから、そのままにしてあった。


「お父さん」

「ん?」


 海斗が風呂を終えてリビングに戻ると、テーブルの上にはビールの缶が二本置いてあった。


「飲み過ぎ」

「俺は、これくらいじゃ酔わない」


 その言葉が事実かどうかは知らないが、航太がべろんべろんに酔った姿を海斗は見たことがない。こうやって晩酌をしていても、父親の表情はいつもとかわらないのだ。


「あのさ。友達が置いていった二千円。どうしたらいいかな?」

「あ~」


 航太も缶ビールを目の高さまで持ち上げて、何やら考え込んでいる様子。

 お金の切れ目は縁の切れ目とも言われるくらい、使い方を間違えてはいけないもの。だから、絶対に金の貸し借りはしてはならないと、航太はしつこく言っていた。


 それを小さなときから聞かされていた海斗は、こうやってお金をもらうことには敏感になっていた。それはお年玉も然り。


「友達はさ。なんて言って金を置いていったわけ?」

「弁当代だって。今日、使う予定だった弁当代。でも、今日の夕飯に、これだけの材料費はかかってない。二千円はもらいすぎ」

「じゃ、千円返す?」

「返そうとしたけど、友達はいらないって」

「う~ん」


 唸った航太は、くいっと缶を傾けた。喉仏がゴクリと上下する。


「じゃあさ、また、食事に誘ったら? って作るのは海斗だけどな」


 ははっと航太は笑う。


「いいの?」


 また誘ってもいいと言われるとは思ってもいなかった。


「別にかまわないよ。悪いやつ……っていうと語弊があるな。別に犯罪者とか、これから一緒に悪巧みをするとか、そういう関係じゃなかったらかまわない。いつも言ってるだろ? 海斗は海斗の好きなことをしていいいんだって。それが友達を呼んでの食事会だなんて、健全じゃないか」


 何と比較して健全かはわからないけれど、父親にそう言ってもらえると安心する。


「だけどな、海斗」


 航太が真面目な顔でじっと見つめてきた。


「俺の分も作ってくれよ?」


 航太は料理が苦手だ。


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