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2.

 ピロ、ピロ、と陽翔が歩くたびに靴が鳴く。


「ハル、今日のご飯は、オムライスでいい?」

「オム、しゅきよ~」


 どこか間延びした声を聞くと、へにゃっと力が抜けそうになる。そんな魅力が陽翔にあるものの、忙しい時間帯とか勉強したいときとか、逆に苛立ちの原因にもなるのだ。


 途中でスーパーに寄った。自宅、スーパー、こども園、そして高校が二キロ圏内にある。このために引っ越したといっても過言ではない。


 父親にとっては、スーパーとこども園が近くにあるというのが、家探しの条件だった。

 だから、海斗の高校入学が決まった時期に、この辺りで物件を探したのだ。


 そんな父親が帰ってくるのは、八時過ぎだろう。遅い時間でもあるし、年のせいなのかなんなのか、あまり重いものは食べられないと言っていたので、野菜たっぷりのスープを作ろう。


 オムライスとスープ。そこにお惣菜を並べれば、立派な夕食だ。

 そんなことを考えながら、手早く必要なものをカゴに入れていく。


 だけど、お惣菜コーナーで見知った顔を見つけてしまった。


「あれ? 櫻井じゃね?」

「あ、秋山くん……」


 このスーパーで顔なじみに会うのはよくあること。だけど今まで空とばったり会ったことなどなかった。


「どうしたの?」


 海斗が思わずそう尋ねたのは、陸がふくれっ面をしていたからだ


「いや、さ。弁当を買いにきたんだけど、オムライス弁当が売り切れててさ。それで陸がいじけてるだけ。早く、他の弁当を選べって言ったんだけどな、なかなか決めてくれないんだな~これが」

「だって。オムライスが食べたかったんだもん」

「売り切れだってさっき言われただろ? ないものはない。あきらめろ。そういうときもある」


 黙って秋山兄弟の話を聞いていた海斗は、彼らのやりとりの結末が気になりつつも、買い物を終えて陽翔の機嫌が良いうちに帰りたかった。だけど、やっぱり秋山兄弟のことで気持ちが波打って、つい口を開く。


「じゃ、夕飯、一緒に食べない? これから、オムライスを作ろうとしていたんだ」


 海斗からは、自然とそう言葉が出ていた。ただでさえ忙しない夕食の時間帯。三人前作るだけでも大変だというのに、そこに追加で二人分。なぜ、そんなふうに誘ってしまったのだろうか。


 海斗自身にもわからなかった。


「にぃに、オム、おいしいよ?」


 陽翔までその気になっている。


「いや。でも、櫻井の家の人に悪いし……って、櫻井が作るのか?」

「え? あ、うん。父親は帰りが遅いから、夕飯は僕が担当してる」

「え、と。こういうこと聞いていいのかわからんけど、母親は?」

「あ、うん。いない。父と陽翔と三人暮らしだから」

「じゃ、ボクんちと一緒だね」


 陸が明るい声で言う。


「ま、そういうことだから、弁当選んでた。その……ま、あれだ。迷惑じゃなかったらご相伴にあずかってもよろしいでしょうか」


 空の口からそんな言葉が飛び出してきて、海斗はおもわず噴き出した


「あ、うん。一応、父さんには連絡しておくし。多分、父さんもダメって言わないし。帰ってくるのは八時過ぎるから……」


 言うや否や、海斗はすぐさまスマートホンを取り出し、メッセージアプリを立ち上げた。


 ――友達と一緒に、我が家で夕飯を食べてもいい? 僕が作るんだけど。


 このメッセージに気がつけば、すぐに返事が戻ってくる。会社とはいったいどのような場所なのかと思ってしまうくらいに、父親からの返事は早い。


 ――いいよ。だけど、俺の分も残しておいて。九時くらいになりそう。


 泣き顔のうさぎのスタンプとともに、すぐに返事がきた。


「父さんもいいって連絡があったから、遠慮しないで。だけど買い物は急いでしないと……」


 三人分から五人分に。いや――。


「秋山くん、秋山くんのお父さんの分はどうする?」


 先ほど陸は、秋山家も櫻井家と同じような境遇だと言っていた。つまり、子二人に父親との三人暮らし。


「あぁ、弁当買おうと思ってた。俺の親父も、毎日、遅いんだよね。それでも、八時くらいには帰ってくるけど」

「じゃあさ、秋山くんのお父さんの分も作るから、持って帰って」


 五人分が六人分になろうと、さほど変わりはない。


「お、おぅ」


 空は戸惑いながらも返事をした。その様子が、どこか照れているようにも見えた。


「カゴ、寄越せ。持ってやる。おまえにはチビちゃんがいるだろ?」


 空が手にしていた中身のないカゴは陸に押しつけ、海斗の買い物カゴを奪い取る。


「ありがとう」


 片手が空くだけで、だいぶ楽になる。

 鶏もも肉を追加で買う。卵は家にあるし、人参もある。玉ねぎは半分だけ使おうと思っていたけれど、まるごと一個使えばいい。


 スープにいれる野菜は、もやしとキャベツとコーン。そして挽肉を丸めて肉団子にする予定だった。

 レジで会計をすませると「あとで精算して」と空が言った。


「弁当代、親父からもらってるからさ」

「わかった。じゃ、ご飯を食べてから計算する。急がないと、陽翔がぐずるから」

「おぅ」


 買い物袋は何も言わなくても、空が持ってくれた。

 海斗はしっかりと陽翔と手をつなぐ。


「にぃに、りゅう、そら」


 陽翔は陸と空の名を嬉しそうに口にする。だけど「りく」は発音しにくいのだろう。いくら陸が「りく」と教えても「りゅう」になってしまい、とうとう陸もあきらめたようだ。


 マンションの二階、3LDKの間取り、それが櫻井家だ。


「どうぞ」


 玄関を入るとまっすぐに伸びる廊下の先にはダイニングがある。そして廊下の両脇には各部屋が配置され、それぞれ一人、一室使っているはずなのだが、やはり海斗は陽翔と同じ部屋で眠りにつく。


「へぇ。すげぇ。キレイにしてるんだな」


 きょろきょろと周囲を見回し、空は感嘆の声をあげた。


「トイレはここ。適当に座って。すぐにご飯の準備をするから」


 空は買い物の袋を、キッチンの上にどさっと置いた。


「秋山くん。悪いけど、陽翔をお願いしてもいいかな?」


 毎回、食事の用意をするときに、陽翔に呼ばれるのがわずらわしかった。幼児向けテレビ番組を見せてはいるものの、それだっていいところ二十分しかもたない。


 陽翔はすぐに飽きて、海斗に「あしょぼ、あしょぼ」と言ってくる。


「まかせておけ。陸もいるしな。お子ちゃまはお子ちゃま同士、仲良くしてくれるだろ?」


 そう言った空の視線の先には、なんだかんだでじゃれ合っている陸と陽翔の姿がある。


「汚れるから着替えてくる」


 自室に戻った海斗は、ささっと着替えをすませた。制服で料理をしたり、まして陽翔にご飯を食べさせたりしたなら、明日はご飯粒を制服につけて登校しなければならないだろう。


 キッチンへ戻りエプロンをつけたときには、先ほどスーパーで買ってきたものがカウンターの上に並べてあった。空が使いやすいようにと出してくれたのだ。


「ありがとう」


 すぐに鶏肉を細かく刻み、人参も玉ねぎもみじん切りにしてチキンライスを作る。二合のお米はタイマーセットで炊き上がっているが、あと追加で二合は必要だろう。ボールにご飯をうつして、手早く追加分をセットする。特急モードで炊き上げれば、問題ない。


「すげぇ。櫻井、手慣れてるな」


 チキンライスの材料を痛めている間に、スープを作る。


「秋山くん。この挽肉をスプーンですくって、この鍋に入れてくれる?」

「お、おぉ」


 ぎこちない手つきながらも、空は言われたとおりにスープにビー玉サイズくらいの挽肉の塊を、どんどんと入れていった。


「秋山くん。テーブルの上、拭いてもらってもいい?」


 布巾のある場所を視線で訴えれば、空にも通じたようだ。


「……テーブル拭いてきた。他に、何かやること、ある?」


 買ってきたコロッケを温めて半分煮切ってほしかったが、空は高校の制服姿のままだ。


「制服、汚れると困るから。あとは僕がやるよ」

「じゃ、上。脱ぐわ」


 そう言った空は、ブレザーを脱ぎワイシャツ姿になると、腕まくりをした。五月下旬というこの時期であれば寒くはないだろう。


 そこまでして何かしようとする空の気持ちが、海斗にとっては素直に嬉しかった。


「えっと。コロッケを温めて、半分に切って、皿に盛ってほしいんだけど」

「了解」


 海斗が指示を出せば、空は嬉々として動く。

 あっという間に食事の準備が整った。


 人数分のオムライスを作るのではなく、チキンライスの上に大きな半熟オムレツをのせるスタイルにした。


「はい、できたよ。手を洗って」


 大皿のオムライス。そしてスープとコロッケ。

 テーブルに並べるのは空にまかせ、さらに陸と陽翔の手を洗ってほしいと頼んだ。


 その合間に、海斗は次のチキンライスを手早く作る。


「すごぉい。これ、海斗先生が作ったの?」


 自宅にいるのに、先生と呼ばれるのはむず痒い。


「食べられる分だけお皿にとってね。ケチャップはお好きにどうぞ」


 空と陸を椅子に座るように促して、陽翔を抱き上げるとキッズチェアへと座らせた。その隣に座るのはもちろん海斗だ。


「にぃに、おいしいね」


 口の周りにケチャップをつけた陽翔はご満悦だった。


「すげ~うまい。海斗先生、ボクの兄ちゃんになって」

「んあ?」


 陸の言葉に空が目をすがめた。


「こんなに喜んでもらえて、僕も嬉しいよ」


 いつもは不機嫌な陽翔に食べさせ、自分も慌てて食べるような夕食だ。だけど今日は、陽翔も自分でスプーンを持って、汚しながらもなんとか食べている。


 だからか、海斗自身も自分で作った夕食を味わうような余裕もあるのだ。それにくわえ、こうやって空や陸と話もできる。


 家族団らんの夕食の場。


 そう呼んでもいいいような時間だろう。たとえ、そこにいるのが家族でなくても。


「ごちそうさまでした」


 大皿にあったオムライスはきれいになくなってしまった。追加でおかわりも出したというのに、米粒一つ、残っていない。


「ハルも、たくさん食べたね」

「あい」


 陽翔も今日にかぎっては聞き分けがよい。

 食べ終わった食器を手にして、海斗は席を立つ。


「陸も。自分で食べたものは自分で片づけろ」

「兄ちゃんもね」


 そんな兄弟のやりとりを微笑ましく思う。


「おい、櫻井。迷惑じゃなかったら、オレが食器、洗うから。おまえはそっちで休んでろ」


 空のその言葉が、海斗の胸をいっぱいにする。


 海斗にとっては、父親と陽翔のために食事を用意するのが当たり前になっていた。当たり前だからこそ、感謝してほしいとか、そんな気持ちも湧かなかった。家族だから当たり前。


 だけど、空にとってはそうでもないのだ。

 当たり前が当たり前になるのは、いつからだろう。


「うん、ありがとう。だけどこんな時間だから」


 海斗が壁にかかっている時計に目を向けると、空も同じように視線を追う。

 時計の針は七時半を示している。


「陸くんがいるから、あまり遅くならないほうがいいでしょ?」

「あ~そうだな。オレが陸を連れて歩いていると。誘拐に見えるらしいからな」


 空が自嘲気味に笑うものの、その姿を想像したら海斗も納得してしまう。笑いをこらえたつもりだったのに、少しだけ漏れ出てしまったようだ。


「なんだよ、櫻井。そんなにオレ、柄が悪いのか?」

「兄ちゃんは柄が悪いんじゃなくて、態度が悪いと思います。父ちゃんが言ってた。兄ちゃんは、年中、反抗期なんだって。あ、一生かな?」


 我慢の限界だった。海斗がぷはっと噴き出すと、空は舌打ちをする。


「ごめん、秋山くん。柄は悪くない。だけど、陸くんを連れて歩いたら、警察官が声をかけたくなるのもわかる」

「んあ?」


 空が鋭く睨んできたものの、彼が本気で怒っていないことなどすぐにわかる。


「秋山くん、本当に気を使わなくていいよ。それくらい、僕があとでやるし。それよりも、陸くんと歩いて誘拐犯に間違えられるほうが心配だもん」


 海斗が真顔でそう言えば、空も舌打ちをして「しゃあねぇな」と呟く。


「ほら、陸。帰るぞ。あんまり遅くなれば、櫻井に迷惑かかるからな。未成年誘拐の共犯者として」


 空がニヤリと笑ったから、海斗はもう一度盛大に噴き出した。

 そんな高校生二人のやりとりを、陸は不思議そうに眺めてから、ランドセルを背負った。


「秋山くん。これ、秋山くんのお父さんの分」


 タッパーとスープジャーの入った紙袋を空に手渡す。


「お、おぅ。サンキュ。じゃ、櫻井、これな」


 代わりに、空が千円札二枚をぎゅっと海斗の手の中に押し込んだ。


「え? こんなにもらえないよ」


 材料費を見積もったとして、六人分でも二千円はかかっていない。


「それ。今日の夕食代として親父が置いていった分だからさ」


 海斗が多すぎるからと返そうとしても、空はけして受け取らない。


「じゃ、櫻井。また明日。ほら、陸。帰るぞ」


 ばたばたと慌てて帰って行く秋山兄弟に、陽翔が「ばいばい」と手を振る姿は愛らしい。

 パタリと音を立てて玄関の扉が閉まると、嵐が去ったかのように静かになる。


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