プールの備え
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
う~む、この時期はどうにも天気が不安定だなあ。
台風のような、極大の低気圧が近づいてくるのは、この時代でも一大事ってところか。
自然現象に対して、人間は対症療法するしかなく、事前におさえることはほぼ不可能だ。
よしんば抑えられたとしても、それはあふれ出そうとする水を無理やりせき止めるようなもの。
ずっと動きを止められていたものは過剰にエネルギーをたくわえ、何かの拍子で破られてしまえば、そのままであり続けたときよりも大きい被害をもたらす。
すべては起こってみないと分からないが、起こってしまったときの影響を考えずに動いといて、なんともなかったからオッケー……なんて考えは子供の段階で卒業しておきたいものだ。
大人になったら尻拭いを自分でしなきゃいけないんだから。
と、話がそれたね。
ひょっとすると、僕たちも長く生きている中、訪れてくるものに対して、さりげなく用意をしているのかもしれない。
たまたま目にしないから、それらをたいした問題に思わないだけ。「いつも通り」を守るために、備えはしっかりとしておくもの。
僕が以前に通っていた学校での話なんだけどね、聞いてみない?
その学校の先輩が話してくれたことが発端さ。
「夜中のプールを泳ぎ場にしているやつがいる」と。
それだけだったら、たいした話にならなかっただろう。
校則とか危うさうんぬんを度外視したなら、フィクションではよく見られる光景のひとつさ。
事実は小説よりも奇なり、という。ならば小説に書いてあることは、全部現実で起きていてもおかしくないものだ。
――もし、泳いでいるやつがいるなら、どんなやつなんだろ。
僕もまだまだ若かった。
どこか傍観者めいて、事態を画面越しか何かのように考えていた節があったよ。
本当にヤバいヤツだったら、自分の身が危ういかもしれないのに。「まさか自分が被害に遭うことなんてないだろう」というバイアスが強く働いていたんだね。
そして、不審な泳ぎ手の存在を裏付けるかのような、出来事が起こる。
土日明けの学校のプールの水。季節的に生徒たちが入らなくなって久しい水は、休日前までほぼ透き通った色をしていたはずだ。
それがいま、プールの底が見えないほどの真っ青に染まってしまっているんだ。
誰かが塗料を流した、と見るのが有力。プールへの立ち入りは禁止されたけれども、そこを見下ろせる校舎の窓際には、そこそこの生徒が集まって、様子をうかがっていたよ。
僕もまた野次馬にくわわっている。
ちゃぷり、ちゃぷりと青い水面が小さく波打つと、かすかな香りが僕の鼻腔をくすぐる。
それは海で嗅ぐことができる、磯の香りを思わせた。
僕たちのいる学校から海までは数十キロは離れている。車などを使えば運ぶことはできるだろうけど、もしいたずらのたぐいだったら力を入れすぎだろう。
こうもプールを汚すための大量の海水を用意し、色の調整まで行うなんて、並みのこだわりじゃないだろう。
――ひょっとしたら、プールを汚すヤツがまた来るかもしれない。
僕はなんとも単純な思考回路を持っていた。
自宅が学校から徒歩5分圏内にあるのをいいことに、僕はコンビニに行くといつわって、毎晩学校の近くまで足を運んでいたよ。
平日はいずれも期待したものは得られず。
そしてようやくやってきた土曜日。
学校は休みでも、熱心な部活動は暗くなるまで頑張っていた。その彼らもいなくなり、職員室まわりくらいにしか明かりがなくなったころ。
僕はさりげなく学校まわりをうろつきながら、プール周辺へ特に気を配っていたんだ。
予想が正しければ、海水を運ぶ大きい車が通りかかるはずだ。そいつを見逃さないようにしなければ、自分が観測者になれるぞ……と。
休みの日ということで、家には時間がかかるような用事をでっちあげて、ゆとりを持たせている。
そうして見張り続けた午後9時過ぎのこと。
車通りもだいたいがはけた中で、その車はほとんどエンジン音もかけずに近づいてきた。
ライトもつけていない。
視界確保よりも、対向車などに存在をしらせるのがライトの大きな役割とのことで、目のいい人なら明かりがなくともどうにかなる。
つまりこれは、車に隠しておきたくなる何かがあるということ。
「ほろ」を身に着けた小型のトラックと、海水を運ぶにはおおよそあんな格好だろうなあ……というイメージと合致した車体。
あれこそ、僕が求めるものに違いない。
都合のいいように考えたい直感ともいうべきか、トラックに距離を開けられながらも、僕はそろそろとその後についていったんだ。
予想していた通り、トラックは学校の近く。プール寄りの外周道路の一角で足を停めた。
僕もまた校舎の敷地を囲う塀の影へ身を隠し、様子をうかがった。
おそらくここから、運転席なり助手席なりから人が降りてきて、ほろの中身にあるだろう海水のタンクを運び出すのだろうな……などと考えていたんだ。
けれど、それは大外れ。
車のドアたちからは、誰も姿を見せなかったんだ。
代わりにトラックのほろがはためいたかと思うと、そこからぴょんと飛び出したものがあった。
具体的に、あれが何だったのかは分からない。
強いて言うなら、デパートなどに置かれるマネキンのように思えた。
直立不動の人間体。それが身体そのものはまったく動かないまま、ただ飛び跳ねて学校の塀を飛び越えていったんだ。
その奇怪な動きにあぜんとする僕だが、驚きはまだそれからだった。
いくらかののち、僕は宙へ浮くごく大きい直方体を目の当たりにする。
プールの水だった。平日の間、あの青色をたたえながら、ずっと放っておかれた大量の液体が、寒天になったかのように、そのままの巨体でもって浮かび、塀の外へ引っ張り出されていたんだ。
それがトラックの真上まで持ってこられると、運転席と助手席のウインドウだけが、出し抜けに開く。
やはりというか、そこから誰かが顔を出しりはしなかった。
代わりに、そこへどっと流れ込むのは、宙に浮かぶプールの水たち。
直方体左右の側面から、水そのものがホースになったかのように管となり、ドアの内側へ殺到。プールの水をすっかり取り入れてしまったんだ。
時間にして、3秒も経たない早業だった。そうして、水がすっかり姿を隠してしまったあと、車の天井を叩いて音を立てたのは、あのマネキンの形をしたもの。
塀を飛び越していった「気をつけ」の姿勢のまま、そいつはふわりとまた浮かぶや、トラックのほろの中へ飛び込んでいったんだ。
再び、ライトもつけずに去っていくトラックを見送りながら、僕は悟ったよ。
あのマネキン、「ルアー」のごときものだったのだと。
プールのような大量の水を、いっぺんに釣り上げるためのルアー。それはトラックの中へいる存在が、がっつりと水を補充するために開発した知恵なのかもしれない。
休み明けに、プールの水がなくなったことは、もう色に染まったときのようなインパクトをもたなかった。
あれを見ていない人にとっては、学校側が自主的に水を抜いたと解釈してもなんらおかしくなく、また面白くもないのだから。