42.僥倖―9『喧噪へのいざない―9』
「少佐殿~!」
自分を呼ぶ声にハーランが視線を向けると、こちらに向かって手を振っている男の姿が目にはいった。
ジヴェリ機械製作所内にあって〈ドラゴン・チェイサー〉開発グループに名前をつらねるメンバーの一人だ。
「そろそろいいッすかぁ~!?」
ハーランが反応したのを見て取り、続けてそう言ってきた。
「おう! 悪い悪い!」
叫んでかえすと、モルトに向かって一言、「では」と言い置き、その場を後にする。
「待たせた」
ハーランが目指したのは〈ドラゴン・チェイサー〉原寸大模型の胴体ほぼ中央――コクピットの真下あたりだった。
先ほどまで撫でくりまわしていた側とは反対側だ。
そこには軽金属製の大きなハシゴ――試験棟の床からコクピットの高さにまで達する仮設階段が立てられていた。
先ほどハーランに呼ばわってきた男性職工が、そのタラップの根方で待っている。
ハーランがすこし小走り気味に歩み寄ってそう言うと、しかし、相手は、いいえと頭を振った。
「こっちは大丈夫っす。でも……」
途中で言葉を切って、さりげない動作で上の方を指さしてみせる。
つられてハーランが視線を仰向けると、そこには『鬼』の姿があった。
ミーシェルである。
タラップの最上段に陣取り、肩幅に足をひらいて仁王立ち。
自分の足許近くへハーランがやってきた事に気づいていない筈はないのに完全無視。
眉宇を険しく尖らせて、剣呑な視線を彼方へ向けている。
が、
その一方で、腕組みをしたその先端の指先が、せわしない速さで苛々タップを繰り返しているのが見てとれるから、まったくもって穏やかではない。
「うわ……」
思わずハーランがそう呟きをもらした程だ。
「ずっとああして少佐殿のことを待ってたンすよ」
そんなハーランの耳許で声をひそめて職工は言った。
「なにしろ少佐殿がこの建屋に入ってきたのとほとんど同時にタラップを昇っていきましたからね。どんだけワクワクしてるんだってぇ案配でした」
でも、仕事始めの儀式をすませても、少佐殿がずっと社長と話しつづけてるもんだから、どんどん気圧が低くなっていっちゃって……」
正直ヤバいっすよ、と教えてくれたのだった。
ハーランはゴクリと唾を飲み込んだ。
気分はほとんどデートの約束に遅れた男のそれと変わらない……、と言うか、仮にも王族の一員たるハーランは、市井の男女がするような交際などは経験がない。
軍務途中のトラブルで、あわやというところを助けられ、礼をするべく恩人の勤め先を訪れた、その当日に大泣きされた場面にこそ遭遇はしたが、他ならぬ自分自身に負の感情をぶつけられそうな事態もはじめてである。
「うわ……」
だから、一体どうしていいやら見当もつかず、またも同じ呻きをこぼしていた。
もう一度、唾を飲み込む。
とにかく、先へ進め――そう覚悟を決めてタラップの段に足をかける。
一段、二段……。
ギシギシとタラップを軋ませながら上へとのぼる。
しかし、ミーシェルはこちらを見ない。
どうにも頑固、頑なに顔をそむけ、全身からなにやらドロドロした怨念めいた気配をたちのぼらせながら、ひたすらそっぽを向いていた。
そして、
「遅い!」
『や、やぁ、ミーシャ……』――彼女とおなじ最上段に上がったハーランが、挨拶の言葉をかけようとした一瞬先に、ぶすりと怒気を吐きだしたのだった。
「遅いですよ、ハル。わたし、クラムから軍隊は五分前行動をもって旨としてるって聞かされてましたが、この国はそうじゃないんですか!? 五分前どころか、もう五分後ですよ。遅刻遅刻遅刻遅刻……、大遅刻です!」
クルリとこちらを見たかと思ったら、火を噴く勢いで言葉の鞭を浴びせかけられた。
まるでホースの先端から怒濤のように迸る水の噴射をしこたまぶっかけられたよう。
常の如くの、どこか人見知りがちで弱気な感じ、穏やかな面影などはまったくない。
「い、いや、ゴメン。ほんと、申し訳ない。もうしません」
大きな、しかし、大人ふたりには狭いタラップの上でハーランは詫びた。
一瞬、あのヤロウ余計なことを、との思いが脳裡をよぎるがそれはそれ。
少女の剣幕とまくしたてられるお叱りの言葉にペコペコ頭を下げまくる。
悪いのは自分なのだし、この建屋に足を踏み入れてからの一部始終を見られていたとあっては言い訳もできない。
なにより怒られるだけならまだしも、万が一にも激した挙げ句に泣かれでもしたら収拾がつかなくなってしまう。
ここはとにかく謝罪の一手あるのみである。
が、
しかし、
そんな、修羅場とまではいかない、痴話喧嘩でもない、ましてや愁嘆場でもありはしないが、それでも激情の嵐がすさぶ空気のなかで、しかし、ハーランは何故かにんまり表情筋を弛ませてもいた。
理由はひとつ――ミーシェルが自分を呼んだ、その名前。
そのせいだ。
意識してのことかどうかはわからない。
いや、まず間違いなく意識をしての事ではないだろう。
『殿下』、『少佐殿』、『ハーランさん』――これまではどんなに親しい空気のなかでも、少女が最後の一線と思っているのだろう境界を越えてくることはなかった。
それが、今、憤激のあまりか、我を忘れて自分のことを初めて愛称で呼んでくれたのだ。
『ハル』と。
それがなんだか無性に嬉しかった。
お互い三度の食事よりも好きな飛行機械についてを語りあっている時も、限りなく薄い、しかし、確固として存在していた『壁』が、ふいに取り払われて、風通しが良くなった――そんな風に感じていたのだった。
たかが、であり、大した事でもないだろう。
だが、これで本当の意味で『仲間』になれた。
大げさに過ぎ、単純で、かつ勘違いなのかも知れなかったが、とにかく、ハーランはそれで嬉しくなったのだ。
「ハル!」
ほら、間髪入れず、また愛称。
「もう! なに笑ってるんですか!? ちゃんとわたしの話を聞いてます!? 怒ってるんですよ!? わたし、ハルのことを怒っているんです! 今のところ順調と言っても、〈ドラゴン・チェイサー〉開発スケジュールにそんなに余裕はないですし、そもそも、ハルだってお仕事で忙しいなか、時間をやりくりしてわざわざここへ来てくれているんでしょう!? だったら、ムダに出来る時間なんて全然ありませんよね!? そこのところをわかってますか!?」
「反省してる」
ハーランは言った。
「いや、もう、心の底から反省してるよ、ミーシャ」
だから、そろそろ今日の予定をはじめよう?――そう言って、また、顔をほころばせたのだった。




