8.二隻の沈没船
俺は突然現れたノアに向けて銃口を向ける。対して、ノアは武器を構えずに冷静な視線を俺に向けた。
形勢的には俺が有利な筈だ。その事を理解しているものの、俺の手は震えていた。
さっき戦った変異獣との戦いでは感じられなかった緊張が走る。
ノアとの戦闘は試験の一環。だから、変異獣との戦闘とは異なり命の保証がある。が、そんな事は気休めにも成らなかった。
相対した瞬間理解する。この男と本気で戦ったら確実に殺されると。
ノアは俺が銃を突き付けているのも意に介さず、口を開く。
「提案がある」
「何?」
「一時休戦しよう」
言葉の意味が理解出来ず、俺は一瞬遅れて武器を降ろす。
「良いのか?」
今回の試験、野生の変異獣を除けば明確な敵役はノアのみ。彼と休戦するということは、受験者全員が休憩出来るということだ。
しかも、受験者側は俺がノアを見張っているので情報は筒抜け。対してノアは、地下に居るため地上の情報が遮断されている。
つまり、俺達は安全に配置を変えることも、物資を調達することも出来る。
ノアからしたら、デメリットの方が余りにも多い提案だ。
俺の問いに彼は頷く。
「命の保証もないエリアで争うのは得策ではない」
「そうじゃなくて、試験的に」
「問題ない。少なくとも、変異獣の巣から脱出するまでは」
「何となく察した」
恐らく、試験運営側の設けたルールとして、ノアは試験中に死者が出ない様に指示をされているのだろう。
だから、俺が遭難した場所の地上に居て、たまたまピアッソに出会い襲われ落下。辻褄は合う。
「それで答えは?」
ノアに促され、俺は少し考えるがデメリットも思い浮かばなかったので、提案を受ける事にした。
「休戦を受け入れるよ」
「それは良かった。では、案内を頼むよ。俺のは落下した時に壊れてね」
そう言いながら、ノアはひしゃげた鉄屑を取り出して俺に見せた。単独で脱出しなかったのは、脱出経路が判らなかったからの様だ。
俺は通信機を付けると、仲間に今までの経緯を伝えて脱出経路を探る。
話し声を聞きつけ、何体か変異獣に遭遇するも問題は無かった。ノアが一撃で倒してしまうからだ。
「これ、俺必要?」
「案内役は必要だろ」
俺達の側面から変異獣が飛びかかる。が、ノアはまるで虫でも叩くかの様に触手で変異獣を弾き飛ばす。
俺が必死に倒した変異獣が、ノアの手慰みの様な軽い動作によって文字通り処理されていく。
なんて不公平なんだ、と心の中で嘆いた。
「案内役居なくてもゴリ押しで地上まで行けたんじゃないか?」
「そのゴリ押し後に地上に出て蜂の巣にされる未来が見えるからな」
確かに、考えてみればノア目線出待ちだけは避けたい。地上を受験者に抑えられれば、自然と地下の変異獣と挟撃の形になる。
そうなれば、受験者側は遅滞戦闘に切り替えれるとノアは疲弊し、三日という試験期間分の体力を削る事に専念出来る訳だ。
「なるほどね。出待ちは避けたいと」
「まぁ、正直この状況下だと一晩は休戦したほうが丸いとも思っている」
今から外に出れば夜かその直前くらいの時間帯。この時期に寒空の下、移動するのは少々つらいものがある。
それなら、一晩を地下で明かせば暖を取るのも容易い。それに、屋外とは異なり光が外に漏れることもないので、光で変異獣が寄る心配もない。
確かに道理ではあるが、ノアなら別に問題無さそうだと俺は思った。
「意外と安牌選ぶんだな」
俺がからかうと、ノアはため息混じりで言う。
「人の事を気にする余裕があるのか?」
「え?」
「後ろだ」
俺が慌てて振り返ると、視線の先で何かが煌めいた。それを咄嗟に身を引き躱すと、間髪入れずにノアが撃ち返す。
俺は恐る恐る飛んできた物を見た。それは、研ぎ澄まされた鉄の礫だった。この地下で見つけた素材を削り出したのだろう。
余りの殺意の中に俺は恐怖する。
「あっぶな!」
「油断しすぎだ」
「守ってくれるんじゃ?!」
守ってくれるんじゃないのか。というつもりだったが、驚きの余り俺の口は途中で止まってしまった。
そんな俺に、ノアは吐き捨てる。
「敵に命を預け、自分の身も守れない奴と取り引きをした記憶はないよ」
言い返す余地のない正論に俺は思わず苦笑するしかない。
それからほどなく、俺達は開けた場所にたどり着く。地下施設のちょっとした待ち合わせスペースだろう。
「この場所は安全そうだ。ここで一晩休憩しよう」
そう言いながら、ノアは瓦礫を退かして場を整える。
どうやら、この辺りは安全らしい。彼の索敵能力による情報だろう。
「やっぱ、気配で変異獣の位置が判るのか」
「今は判らないぞ」
その言葉に、俺は違和感を覚える。
「え、でもあの時……」
試験開始から間もなく、俺、正確には俺の居た部屋が狙撃の対象となった。俺が居る位置を把握していなければおかしい事だ。
「試験中は薬で感覚を鈍らせてる。じゃないと試験に成らないから」
思い当たる節はある。試験開始直後、ノアは砂上艇を攻撃して中に居る人員を調べていた。索敵が機能していないから行ったというのは判る。
が、それだけでは俺の居た場所が判った説明はつかない。
「でも、なら何で廃墟に居た俺達を」
「砂上艇の人員が二、三人の時点で孤立している方を叩こうと思っただけだ。最初に誰かしら廃墟に居ると予想はしていた」
あの時の砂上艇の人数は三人。だから、他の受験者九人が分散されて配備されている。広範囲をカバーするため、その九人を更に分散させるとなると、一箇所に居るのは一人か二人。砂上艇を叩くより簡単だ。その理屈は判る。
こちらがマークしていた狙撃地点の内、一つを狙ったのも判る。しかし、六ヶ所の狙撃地点の中で廃墟をピックアップしたのかが判らない。
俺は不貞腐れながら訪ねる。
「何で」
「人工物だから」
ノアが即座に答えた。
今一度、ルファンが見つけた狙撃地点を思い出す。
ルファンが最初に提示した狙撃地点は七ヶ所。そこから、試験運営拠点が設営されている高原を引くと、事実上六ヶ所。
一つ目は林。この自体の林は、木々が変異して天然のツリーハウスと化しているものが複数存在する。確かに、人工物では無い。
二つ目は変異獣の遺体山。体高六十メートル近い大怪獣の遺体であり、その巨体から山と呼ばれている。これも人工物ではない。
三つ目は廃墟。世界退廃以前の建物が残ったもので、ノアの言う通り人工物だ。
四つ目は土砂の瓦礫。大岩が複数点在する砂岩地帯。遮蔽が多い天然の砦だ。林や遺体同様に人工物ではない。
五つ目、当初はこの位置に高原だったが、以降順番が一つ繰り上がり蛇の洞窟になった。大型の蛇の巣穴で内部が入り組んでおり、変異獣の巣という事も相まって追撃を阻む事が出来る。これも人工物ではない。
六つ目はデブリ地帯。宇宙から降ってきた宇宙船等を捨てる場所。ここにも異星人の物ではあるが、人工物だ。
「あの廃墟は今回の試験範囲で数少ない人工物だ。それでいて、人は人工物に惹かれる性質を持つ。森や山で遭難した時、小屋やテントを見つければ迷いなくそこに向かうだろ?だから、今回も無意識のうちに誰かが向かうと思っていた」
人は人工物に惹かれる。それは、実際に遭難した人の体験談に留まらず、童話や民謡も同様だ。
ヘンゼルとグレーテルでは、迷子になった主人公達はお菓子の家を見つけてそこに向かった。数多くのホラーでよ、道に迷って山小屋に辿り着き、侵入する事により物語が始まる。
現実でも、迷子になった時に人工物を見つけたらそこに向かう。例えそれが小屋の様な雨風を凌げる場所でなく、標識なんかでもここに人が通ると考えを巡らせてそこに向かう。
それは何故か。単純な話、安心するからだ。人が住んだ場所、人が手入れする場所、どれも人が現れる可能性を含んでいる。故に、人は人工物に惹かれる。
ノアはその性質を今回の試験に当て嵌めたのだ。
俺は言う。
「デブリ地帯も人工物だけどね」
「でも、デブリ地帯を好き好んで行くのは物好きだけだよ。だって、世界をこんなにした異星人のゴミ貯めなんだから」
その一言に俺は納得してしまった。
俺はハスキやフィオルトが居るため、異星人に対する印象は悪くない。しかし、他の人からしてみれば異星人は世界を今の姿にした加害者にすぎない。印象もハッキリ言って悪いだろう。だからこそ、捨場なんて場所を大々的に作っている訳だ。
「それはそうか……」
デブリ地帯に訪れた受験者は二組。俺とハスキが一組目、アルソードが二組目。その二組とも、ノアの対策としてデブリ地帯に訪れた。自分から能動的に動いた訳では無い。
俺達は会話を切り上げると、各々夜の準備に入る。
明かりを灯して暖を取り、辺りからボロ布を集める。ここは元々人が居た空間で、地形上雨風を凌げているということもあり、暖簾やカーペット、テーブルクロスなんかが形を残していて物資には事欠かない。
俺が巣作りをしていると、ノアは何か一室を眺めて立ち止まっていた。
「何かあった?」
「いや、懐かしい気がして」
吸い寄せられる様に、俺達二人は部屋の中に入る。
壁や棚に置かれた光り物の数々、虫に食われて砂みたいに崩れた本、腐敗してパンパンに腫れた缶詰や腐ってジェル状に成った食品。そういった、多種多様の商品が並んでいる。
俺はある名前を思い出す。
「お土産屋さんか」
お土産屋には、ご当地キャラクターのキーホルダーやアクセサリー、その土地を紹介する雑誌、特産品なんかが並んでいる。
この店の風貌はまさにそれだった。
ノアはアクセサリーを眺めながら言う。
「まだ綺麗な状態の商品残ってるんだ」
彼の隣に立ち、商品棚を眺めていると俺は思わず笑ってしまった。
「十字架のドラゴンと剣のドラゴンだ。懐かしい」
小学生時代、やたらと人気だったドラゴンのキーホルダーだ。小学生の男子が修学旅行で買う物と言ったら、ドラゴンのキーボルダーか木刀と相場が決まっている。
昔の事は余り良く思い出せないが、子供の頃の俺もこういったお土産屋でにらめっこしたものだろう。
何となく微笑ましく思っていると、ノアが何かを取り俺に見せる。
「これなんて良さそう」
「何?それ」
それは、ガラスのキーホルダーだった。真四角のガラスの中に、白い花が一輪咲いている。
「ほら、昔あったガラスの中に彫刻が彫ってあるやつ」
「花か……」
ノアが取ったのは偶然にも蓮の花のキーホルダーだ。実物の蓮は今となっては見つからないし、時期的に見せれないが、一年中咲いているキーホルダーの花も悪くない。
そう思い俺が受け取ると、ノアは言った。
「そう、蓮の花。ハスキなら喜ぶんじゃないか?」
ノアも同じ事を考えるのか、と思うとほぼ同時に俺は絶句した。驚きの余り、身体が冷える感覚すら覚える。
ハスキの名は、漢字で表すと蓮姫。だが、それを知っているのは俺とハスキ。それと、その場に居なかったが通信で会話を聞いていたフィオルトの三人だけのはずだ。
部外者が知っているはずがない。
「ちょっと待て。何で蓮の花でハスキが出てきた?」
いつの間にか、俺の驚きは恐怖心に変わっていた。
フィオルトが会話を聞いていた様に、ノアが通信を傍受していた。そんな考えが過ぎるが、すぐに不自然な考えだと切り捨てた。
何故なら、ハスキが墜落したのは事故であり、少なくとも地上では予測出来ない事件だったからだ。
異星人の姫が墜落するのを予測し、異星人の通信を傍受。そんな芸当が出来るとは思えない。
俺が疑いの眼差しを向けると、ノアは一瞬目を丸くした後に何かに気が付いたのか、冷静な声色で答える。
「何でって……。あぁ、フィオルト達から聞かされてないのか」
「何の話?」
ノアは俺をじっと見据えて言う。
「俺と君が同一人物だったって話」
つかの間、俺の思考は停止する。
俺とノアが同一人物。一瞬、もう一人のクローンという意味かと思ったが、すぐにその考えを改めた。何故なら、クローンは変異しないからだ。
クローンが変異しないという性質を考えると、自然と答えは一つしか残らない。
「待て、待て待て。俺は死んだんじゃないのか?」
唯一残された答え。それは、実は俺が生きていた。というものだ。
変異者は、人間が雪によって変異した者の事を言う。そして、クローンは変異しない。
もし、ノアの発言が正しいのであれば、俺が死んだと思われて産まれたクローンが俺、実は生きていて変異した姿がノアと言うことになる。
「生きてたよ。君なら、コレだけで判るんじゃないか?」
ノアは触手を一本だけ俺の方に差し出すと軽く握手を交わした。その手応えは、生前、俺の腕から生えていたものと全く同じだ。
「俺と同じ……」
「そういうこと」
途端、目眩が起こりそうになるのを堪える。
俺は手違いで産まれたのではないか。
そんな嫌な思考が脳裏を過り、意識が酩酊する。
「じゃあ、俺って……偽物?」
そんな俺の言葉をノアは一掃する。
「命に本物も偽物もあってたまるか。それに、テセウスの船の問題で『同じ船ではない』って考えるタイプだろ?俺もあの時の俺と同じって訳じゃない。元同じ、今は別人」
その考えをしたのは、確かハスキに助けられた後の事だ。自分の肉体が変異するのを目の当たりにし、まるでテセウスの船のようだと思った時の回答。
あの時、俺は肉体が変化していまう変異に関して言えば、同一では無さそうだと思った。
実際、今目の前に居るノアは俺に似ても似つかない。しかし、少なくともクローンの俺の方が別人だ。何故なら、彼は肉体が変異してはいるが、本人である事に変わり無い。
「別人な訳あるか」
俺が言うと、ノアは首を傾げる。
「そうかな?テセウスの船の回答に『テセウスの船と名乗っている限り、それはテセウスの船である。名前がその人の船たらしめる』っていうのがあるのは知ってるだろ?それで言うなら、やっぱり俺は別人で本人は君だね」
その話は聞いたことがある。
新しく成ったテセウスの船に対し、全員がテセウスの船だと呼べばそれはテセウスの船である。つまり、共通認識の話だ。
彼は、お土産屋の中を練り歩くとカウンターに飾られていたボトルシップを取って眺める。
そんな彼に向け、俺は問い掛ける。
「でも……、前提が違うんじゃないか?スワンプマンだって、テセウスの船だって、元の人間が死んだり、パーツが使えなくなったこと前提の話だ。元の人間が生きてました、パーツがまだ使えたので元のパーツで船を作りました、じゃあ問題がまるで違う」
パラドックスにおいて、問題の前提条件を変えて出題するのは良くあることだ。
例えばテセウスの船の場合、『テセウスの船のパーツを古いものから順番に入れ替え、全てのパーツ新しくなった時にそれはテセウスの船と呼べるのか』これが全部である。
仮にこの回答として『テセウスの船と呼べる』と答えたとする。
すると出題者は問題変え、『さっきの問題で入れ替える事となった古いパーツを集め、もう一隻の船を作った場合、それはテセウスの船と呼べるのか』と聞く。
その回答に『テセウスの船と呼べる』と答えたとする。
そういった流れ、最後に『それだと本物の船が二隻になってしまう。その二隻からテセウスの船の呼べる物はどれか』と問われ、ひと悶着起きる。よくある事だ。
ノアはボトルシップに送っていた視線を俺に向ける。
「確かに、パラドックスになった問題としてはそうだ。でも、これだけは言える」
ノアは呼吸を整えると、言葉を続ける。
「君は、ハスキはテセウスに生きていて欲しいと願った。そして、生まれたのは君だ。俺ではなかった。単純な話だろ?」
何となく、腑に落ちてしまった。
俺は、クローンに成ってからも以前の俺と同じ様にハスキ達は接してくれたし、俺もそうだと思っている。それに、目の前のノアも俺と同じ存在だと思っている。
俺からしたら、俺もノアも『どちらともテセウスの船』と言いたい。俺もノアも偽物ではないと考えたい。
だが、ノアは違う。彼は恐らく『どちらともテセウスの船ではない』と考えているのだ。
それが、良い意味か悪い意味かは定かではない。
少なくとも、彼なりに折り合いが付いているのであれば、俺から言うことはない。
ノアは言う。
「それに、俺は俺なりの幸せに出会えた。未練はない」
そう言えば、と俺は記憶を探る。彼には既に結婚した相手が居たのだった。名前は確か、
「えっとヴィヴィだっけ?」
「そう」
不思議な気持ちだ。
俺とノアは、たった数日人生経験が違うだけ。だというのに、既にハスキ以外の相手がいる。
俺は気になって訪ねた。
「馴れ初めを聞いても?」
「え、嫌だけど。何で?」
ノアはキョトンとした面持ちで即答した。
「だって気になるでしょ。ハスキと別れて数日しか経ってない訳だし」
「ハスキと出会って数秒で婚約した奴が言うのか?」
コレではブーメランの応酬だ。
埒が明く気配はないし、下手に追及してはどっちが投げたか判らないブーメランが脳天に刺さりかねない。
俺がため息を吐き断念すると、ノアは少しだけ教えてくれた。
「ま、強いて言うなら、俺のことを見捨てなかったからかな」
「ハスキは別に……見捨てたりなんか…………」
していない、とは言えなかった。
ハスキは、ノアの事を知らなかった。知っていたら必ず接触したはずだ。そんな事は言い訳に過ぎない。
ノアからしてみれば、見捨てられたのと大差ない。
俺は、俺自身とノアが同一人物だと聞かされた時、何でフィオルトは教えてくれなかったのかと思った。言える訳が無い。特にハスキには。
ハスキは、自分を追い詰める性格をしている。失敗を誰かのせいにはせず、自分で背負う。自分に何かがあっても、基本的に助けを求めたりはしない。
そんな彼女にノアの事を教える。表向きは生きていた事に喜ぶかもしれない。だが、その心中は。
それ以上は考えたくない。
ノアはボトルシップで自分の頭を小突きながら言う。
「それに、俺は一度死んだ身だ。新しい人生を歩んだとしても構わないだろ」
「生きてるだろ」
ノアは首を横に振る。
「いいや。あの日、あの時、あの瞬間。この世界でテセウスは死んだ。少なくとも俺は、そう考えている」
俺は、その言葉が否定できなかった。
あの日、ハスキを生かす為に死ぬ覚悟を決めた日。
あの時、まるで純血と不浄を切り離す様に、俺と彼は分離した。変異を捨て去った俺と、変異に全身を侵された彼。
あの瞬間、テセウスという一人の男が死に、俺と彼が産まれた。
彼が、触手で弄んでいたボトルシップを床に置いた。長年放置されていたせいか藻が繁殖し、船の模型は朽ち果てていた。その姿がボトルの反対側に反射し、まるで二隻の船が沈没しているように見えた。
・・・
「起きろ」
身体を揺さぶられ、俺は飛び起きる。
ノアは俺の隣で呆れていた。
彼と会話してからの記憶があまり無い。彼に知らされた情報を噛み砕くのに頭を使っている内に眠ってしまったのか、現実逃避に明け暮れている内に眠ってしまったのかすら覚えていない。
「流石に敵の前で熟睡はどうかと思うぞ」
「返す言葉もありません」
もう一人の自分に説教されていると思うと、なんだか情けない気持ちだ。
俺はしょぼしょぼと項垂れると、ノアはタメ息を吐いて言う。
「支度が出来たら行動開始だ」
幸い、ノアに物資を見せたくなかったこともあり、何時でも出発出来る状態だ。
俺は荷物を手早くまとめると、空腹感からエナジーバーを一本ポケットに突っ込み、荷物を背負った。
「でも、もう朝なんだ」
地下空間には、当然日の光のような時間を表すものがない。そのため、一度でも時間感覚が狂うと現在時刻を正確に調べるのは難しい。
俺は瞼を擦る。
頭が若干ぼやけ、意識がハッキリしない感覚がある。朝に弱い自覚はないが、客観的に見て寝ぼけているかそれに近しい状態なのだろう。
「朝ではない。まだ日の出前だ」
ノアがそう言うので、俺は思い浮かんだ疑問を投げ掛ける。
「夜行性の変異獣とかは大丈夫なのか?」
「ここで危険な変異獣は蛇の洞窟に居るやつらだ。そっちが活発化する前に移動したい」
確かに、蛇は変温動物だ。冷え込む夜間から朝方に掛けて身体能力が下がる。日が落ち込み、気温が下がったのを確認してから移動すれば、戦闘になったとしても被害は少なくすむ。
ふと疑問が浮かんだ。
「なら、徹夜で移動すれば良かったんじゃないの?」
蛇の変異獣が恐ろしいのなら、日の出前というギリギリを攻めずに深夜から時間をかけた方が確実だ。
当然だと思った俺の言葉を聞き、ノアは再度呆れてタメ息を吐く。
「そっちが手綱を握れてないのが一人居るからだろ」
「あぁ……そういう」
ピアッソの事を完全に失念していた。
ノアはピアッソと戦って落下したのだから、彼が近くの地上で待機していたとて不思議はない。
加えて、アルソードから聞いたサイボーグには充電が必要で長時間は戦えないという話からして、出待ちをするにしても限度があるのだろう。
そして、蛇の変異獣とピアッソと言う二つの脅威を比較し、現在の時刻を選んだと言うことだ。
最も、アルソードの情報が正しいのなら、二日目にピアッソ本人が前線に立つことは無いのだが、それを伝えて俺までピアッソに狙われるのも面倒なので口にはしなかった。
俺達は、口数も少なく静かに出口を目指した。
話題が無いという事ではないが、眠っている変異獣を起こしかねないので、隠密行動が基本となった。
その成果か、出口地点まで何事なく順調に到着出来た。出口は二ヶ所、西口と東口。
「分かれ道、どっちを行っても地上に行けるよ」
「なら、俺は左の道を選ぶよ。そっちの方が安全そうだ」
そう言いながら、ノアは西口を指差す。
彼のフレーズには心当たりがあり、俺は頭を悩ませる。何かのクイズだっただろうか。
「何だっけ、それ。懐かしい気がする」
「覚えてないのか」
ノアが目を丸くしたので、俺は気まずくなった。
「所々記憶が抜けてて」
俺達は同じ記憶を持っているが、その記憶の歯抜け具合は違う。ノアが覚えていても俺が覚えていないこともあれば、その逆もあるだろう。
「そういうことか」
「大切な記憶だった?」
俺が聞き返すと、ノアは悩ましそうに答える。
「否定はしない。それより、変異前の記憶とかってあるのか?変異で忘れた記憶とか」
「キラーの事は思い出したよ。だから、今忘れてても思い出せると思う」
クローンに成ったと知ったとき、俺はてっきり生前に忘れた記憶は二度と取り戻すことが出来ないと思っていたが、そう言うことはなさそうだ。だから、記憶に関してはいづれ思い出せるだろう。
そう考えている俺に、ノアは追及する。
「世界がこうなる前の記憶は?父さんと母さんとか。学校とか、塾の事とか」
「それは……」
俺の口は答える前に止まった。。
ノアの問いに素直に答えるのであれば、殆ど覚えていない。 覚えている記憶と言えば、世界が退廃する以前、異星人が現れたその日の記憶だ。
当時の記憶は、精神的に堪えるものがある。なので、口に出すことが出来ず、俺は話を反らした。
「そっちは?」
「全く。微塵も覚えてないよ」
ノアは少し儚げな声色でそう答えた。
彼の発言が嘘なのかは全く判らない。
ただ、一つ気になった事はある。ノアは全く記憶が無いと発言したのに、何故塾に行っていたという事を覚えているのだろう、という事だ。
・・・
ノアと別れ、俺は一先ず拠点に戻った。
落下した際、自分では気付いていない怪我をしていたのか確認するのと、道具等が破損していないか詳しく調べる為だ。
帰路は風の音色しか耳に届かない静寂。獣の類は影も形もない。まるで脅威から身を隠しているみたいに、姿を消していた。
その恩恵もあり、俺は難無く拠点に戻ることに成功する。
拠点に帰るなり、俺はモリアやザスティーに囲まれ身体に傷が無いか確認した。変異獣の返り血で汚れただけだが、感染症に関わるとされて、身体の洗浄も兼ねて念入りに調べられる。
目立った傷はなく、このまま戦闘に参加しても問題は無いらしい。所々に塗り薬や湿布を使ったくらいだ。
次いで行ったのはノアの状態確認。これに関しては爆速で終わった。何せ、ノアが無傷だったのだから言うことがない。
最後にピアッソがこれから行おうとしている事の説明だ。蛇の洞窟を爆破し、変異獣をけしかける。それが行われるのが今日の予定。爆発音が聞こえたら、下手に変異獣を刺激するより拠点に籠るのが無難だろうと伝える。
ハスキと会えたのは、そういった一連の流れが終わってからだった。
「大丈夫かい?」
「大丈夫。殆ど無傷」
俺が服を着替えながら返答すると、医療品をまとめていたモリアが同意する。
「問題ないよ。オジサンも確認したけど、怪我とかもしてない」
敵の居ない安全な場所ということもあり、俺はのんびりと以前着ていた衣服からエナジーバーを取り出して頬張る。
そうこうしてる内に、外の様子を確認していたルファンが指示を出す。
「一息ついているところ悪いが、二人には他の索敵部隊と合流を頼みたい」
「ユーとカトウの事?」
俺と彼女達は、試験が始まったから一切連絡を取っていないので気になっていた。二人が居るのは、確か遺体山の筈だ。
ザスティーは面倒くさそうに頭を掻きながら言う。
「蛇の洞窟にどれだけ変異獣が居るのか判らないからな。巣穴から一斉に変異獣達が現れたら、二人だけで逃げることも出来ないだろ」
変異獣でも、理性的な側面がある個体なら良い。昨日、俺が戦った時の様に撤退してくれるかもしれない。だが、興奮したりパニックに陥っている個体は別だ。
視野が狭く、思考も単純。逆を言えば、一度戦闘に入ればてったいの二文字は無く、どちらかが死ぬまで逃がしてはくれない。それが群れ規模で現れるのだ。
ルファンは呆れからか額に手を当てて言う。
「全く、面倒なことを」
ピアッソの行動に比較的寛容だった彼も、流石に堪えた様だ。それを見て、モリアは渇いた笑いをして代わりに言う。
「一応、壁役から一人そっちに付けるからさ」
壁役は高火力高耐久に長けたフィオルト、近接戦闘と技量に富んだルバガンテ、筋肉達磨ガンダスの三人だ。
個人的にはフィオルトが好ましいが、誰を引いても外れと言うわけではない。
「誰?」
「ルバガンテだ。彼なら、ギリギリ隠密も可能と考える。それに、武器が刀剣なら弾切れもない」
ルファンの言葉に俺は頷く。
敵の数が予測出来ない以上、エネルギーというなの制限があるフィオルトは適任ではない。また、異星人の使う電気銃や光線銃は光を放つ為目立ちやすい。迎撃の筈が敵を寄せ付けてしまっては本末転倒だ。
「なるほど、そう考えるとフィオルトは厳しいか。でも、じゃあガンダスじゃない理由は?」
「アイツに隠密行動が取れると思っているのか?」
ザスティーの即答に俺は苦笑いする。彼は試験開幕時にガンダス、フィオルトと共に戦闘していたのだから、間違いないだろう。
「やっぱうるさいんだ」
「あんな戦闘中に雄叫びあげる奴を連れてってみろ。辺りから変異獣が一斉に飛んでくるぞ」
なら、いっそのことガンダスを外に一人配置すれば他は安全に行動出来るのでは、と頭の中で悪魔が囁くが、流石に口には出来なかった。
そんな会話をしていると、上空から何かが爆ぜる音が響く。何の音なのかはお察しだ。
「……アイツ、またチャフを」
これで、また通信機が使えなく成った。分散したら、お互いが無事だと信じて各々が行動するしかない。
「こっちは大丈夫なのか?」
「装甲がある分、この砂上艇は幾らか安全だ。困ったら砲塔を使える」
ルファンは天井を指差した。
運営側が試験用に調整した物なのだから、殺傷能力は抑えられているが、それでも威嚇にはなるだろう。
「それより、早く移動した方が良いかも」
外を眺めていたモリアが言う。
「巣穴の変異獣が妙にソワソワしてる。地震の直前みたいにな感じだ。多分、個体によってはもう気が付いてる」
野生動物というのは、感が鋭いと聞く。それは、変異しても変わらないどころか個体によってはより鋭敏に働く。
事実、変異者にも限りなく予知に近い感覚を持つ者が居るらしい。なら、人より感が鋭い変異獣ならば、予知よりも最も具体的な何か、それこそ天啓の様な危機察知能力を持つものが居る可能性すらある。
変異獣達の反応からして、爆破は秒読みだ。
「物資の補充を済ませて出撃しろ。三分以内だ」
ルファンの力強い指示に、俺は思わず改まって返事を返す。
「了解!」
物資、武器、装備問題なし。
一つ一つ確認し終えると同時に、ルバガンテが扉を開ける。
「準備は?」
「出来た」
簡潔に答えると、俺達三人は砂上艇から飛び出した。
まだ爆破前だと言うのに、変異獣達は既にパニックになっていた。予知能力が高すぎるのが裏目に出ている。
今のうちにと駆け抜けているところ、彼方から轟音が響き、大地が脈動した。洞窟からは、噴煙の様に黒い煙が立ち上っている。
「今の音……」
「始まったか」
変異獣達の動きは激しさを増し、一方では土煙を巻き上げての撤退を、一方では互いに身体を衝突させ合い闘争を、一方では自衛の為に我関せずと防衛の姿勢を見せる。
多種多様の反応が、直後全く同じ行動をする事となる。
何処からともなく雄叫びが響き渡る。地面が恐怖し、震え上がり、変異獣達は硬直の後に脱兎の如く逃走を始めた。
ただの雄叫びが、地震を思わせるほど大地を震撼させる。そんな芸当を出来る存在が動き始めたのだ。
「何、今の唸り声?!」
ハスキが思わず身を屈めついたので、俺は咄嗟に彼女の手を引いた。逃げ惑う変異獣の群れに巻き込まれたら、踏み潰されて死んでしまう。
変異獣の波に飲まれない様に、俺達は必死になって駆け抜ける。背後にから獣の悲鳴が短く聞こえた。
自然、俺の視線は背後に向く。そこには、トリケラトプスに似た重量級の変異獣が、他の変異獣を踏み潰しながら近づいていた。
「後方から変異獣が五体接近!!」
「パニックに成って突っ込んできたか」
ルバガンテは刀を抜くと、身体を反転させて迎撃体制に移行する。
「ルバガンテ?!」
相手はブルドーザーやロードローラーの様な大型の変異獣。そんなものを相手に刀剣で歯が立つとは思えない。
だが、俺の予想は裏切られる事となる。
「先に行け」
猪突猛進に一体の変異獣が周囲の生き物を蹴散らしながら先行する。それを、ルバガンテは造作もなく一刀両断して見せた。
変異者はこんなのばっかりか、という言葉を飲み込む。
「後から追いつく」
あ、はい。と心の中で気の抜けた返事をすると、俺は素直に逃げる。
ノア程ではないが、ルバガンテは戦闘力の高い変異者だ。おいそれと倒される事は無いだろう。
それはともかく、俺はハスキに視線を向ける。
「またハスキと二人か」
「全くだね」
結局、いつもの二人での行動かと思っていると、ハスキは目を細めて何処かを凝視した。
「あの群れ、君を追ってないかい?」
ハスキの示した方を見る。
そこに居たのは、蛇の変異獣達だった。サイズとしてはそれほど大きくはない。普通の蛇の大きさなのだ。
しかし、個体数は十や二十を越えている。そして、それらが何故か俺を目指していた。
「え?何で?!」
状況が読み取れずに俺は困惑する。
俺は蛇の変異獣に関しては一切手を出していない。狙われる理由が皆目検討もつかない。
余り刺激したくはなかったが仕方ない。俺は電気銃を取り出すと、蛇の群れに向けて放つ。事態を理解してか、実戦仕様の出力を出しても今度は状況確認の連絡は来なかった。
電撃は蛇の身体を容易に焦がし、周囲に血煙を漂わせる。しかし、個体数が減る気配はない。蛇の集結する速度が処理速度よりも速い。
ハスキが手を貸すが、焼け石に水だ。
「こっち!」
声と共に弾丸が放たれ、蛇の群れを一文字に貫く。カトウの電気狙撃銃によるものだ。どうやら、状況を理解して彼女達から駆けつけてくれたらしい。
彼女の武器は、貫通力に秀でている。こういった大群相手には心強い。
カトウは銃の設定を切り替えると、電撃をレーザーのように放ち、そのまま薙刀の様に一閃する。
強力な個体が居なかった事もあり、蛇達の大半が焼却。群れは撤退を余儀無くした。
蛇達の行動に俺は疑問を覚える。
他の変異獣の行動はパニックによるものだ。しかし、撤退という明確な作戦行動や、俺を意図して狙った辺りから、蛇達からは執着心の様な感情を受け取る事が出来る。
そこまで考えると先にお礼を言わなければと思い、俺はカトウに歩み寄る。
「カトウ、助かった」
「どういたしまして」
第一波を凌ぐことが成功し、俺達は遺体山に移動して中腹に陣取った。本当なら頂上まで移動したかったが、発見されるリスクが高くなってしまうと言うことで敢えて標高を下げたのだ。
一息つくと、カトウが俺に聞いてくる。
「何でさっきの変異獣は怒ってたのかな?」
「身に覚えがない」
ハスキも一緒に居たと言うのに、蛇は俺だけをピンポイントで狙ってきた。だから、原因が俺にあると考えて良いのだが、情報が少なく襲われた理由を詰めきるまで至らない。
他の皆との違いと言えば、昨晩はノアと共に一晩を明かしたことくらいだ。
俺はハッとなった。
「そういえば、ノアは?」
俺が襲われたのなら、ノアも狙い撃ちされるのではないか。俺は仲間が居るので耐えきる事が出来たが、一人のノアが無事か気になった。
辺りを警戒していたユーが指差す。
「あそこ」
ユーが指し示した場所を見てみてば、一目でノアの位置を理解出来た。というのも、方向を教えて貰えば何故今まで気が付かなかったのか疑問に思うほど、判りやすいのだ。
変異獣の群れが、上空に弾き飛ばされて宙で踊っている。まるでポップコーンの様に打ち上げられているのだ。
その光景を見ながら、俺は呟く。
「……何か、一人だけ無双ゲーしてない?」
俺の発言にカトウは頷く。
「判る。何処かに討伐数とか表示されてそうな雰囲気ある」
馬力が野生の変異獣とは比較にならない。
軍隊蟻の様に群がる変異獣達をさばく姿は、まさしく処理と言った具合。彼なら心配する必要無さそうだ。
俺は、彼の身を心配した事が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
カトウが呟く。
「どうなってるんだ?彼は」
俺達が会話している最中、ハスキが蛇の洞窟の方向を指さした。
「あれ?あんな所に山なんて……」
俺も慌てて確認する。
蛇の洞窟は、文字通り巨大な蛇の住む洞窟だ。
棚田の様に複数の段差を持つ岩肌に、まるでオカリナの様に穴が空いている。この特徴的な地形は、変異獣によって岩肌が削り取られて生まれたものだ。
地表を削り、あるいは岩盤を貫き、自身の巣とする変異獣。それによって作られた地形に山と呼べるものはない。
しかし、現に山と呼べるものが存在した。
蛇の洞窟から生える三角帽子の様な影。それが次第に伸び、俺達は絶句した。
現れたのは、余りにも巨大な蛇の変異獣だった。白い鱗で全身を覆い、大地を縫う様に移動する大蛇。
全長、測定不能。唯一全貌を観測可能な頭部には、一軒家をも丸呑み出来ると確信出来るほど巨大な口が、その上には人一人を越える大きさの眼球が存在していた。
「ヤバいの来たって!」
「どうなってるんだ?!ここは!」
カトウとユーがパニック気味に叫ぶ。
大蛇は狙いを定めると、旋回しながら地中に身体を沈めていく。そして、地中から頭部を突き出し、再度地中に潜り距離を詰める。その繰り返しだ。
異常なのはその速度。生物とは思えない程の巨大が、それまで見てきたどの生物よりも速い速度で移動する。
全力疾走した人間よりも、四足の変異獣よりも、空中を滑空する鳥よりも速い。
そんな速度で地面を縫い進む大蛇の頭部が、地面から出ると同時に跳ね上がる。遅れて聞こえる落雷の様な轟音。
大蛇は方向転換し、一時的に距離を取った後に再度突進。が、弾かれる。まるで見えない壁があるかの様に、ノアの狙撃に阻まれ距離を詰める事が出来ない。
「だ、大怪獣バトルだ」
カトウの言葉に俺は頷く。
ノアの体格は昔動物園でみたライオンか、それを一回り大きくした程度。大柄ではあるが、ゾウやキリンといった昔ながらの大型の動物よりも小さく、生物の範疇に収まっている。
距離からしてノアの姿は、スコープ越しでなければ目視出来ない筈だ。身長差はクジラとネズミ、常識的に考えれば勝負にすら成らない筈だ。だが、目の前で行われている戦闘はノアが優勢、控えめに見ても五分。
その光景はノアの気迫も相まって、二体の巨獣同士の闘争に見えた。
「大丈夫か?」
聞き覚えのある声が聞こえ、俺達は一斉に振り向く。そこに居たのは、ルバガンテだった。全身が血という赤い絵の具で染まっている。
そんな彼に、ユーが話しかける。
「あ、ルバ兄……。何?その返り血。寧ろ、そっちが大丈夫?」
「問題ない。にしても、妙だな」
「妙?」
「何故、ノアが狙われてるんだ?」
言われてみれば、確かに変だ。
大蛇もそうだが、蛇の洞窟から湧き出る変異獣達は親の仇の様にノアを目指している。
「さぁ?」
「爆弾にノアの匂い付けてたとか?」
何気無いカトウの言葉に、俺の思考は反応を示す。
もし、変異獣達をノアに仕向けさせる事が出来れば、俺にも流れ弾が来るのでは無かろうか。
カトウに続き、ハスキが語る。
「まぁ、近づかなかったから判らないけど、例えばノアの細胞なり何なりを保管して、それを巣の付近に置いておけば、変異獣が勘違いはするかもしれないね」
「なるほど。ノアの細胞の採取自体は難しくは無いだろう。それを、永久の都の技術を利用して培養も難しく無いと考えると、そういった作戦は可能か」
「あぁ……!」
ルバガンテの推理に、俺は思わず声を荒げていた。
俺とノアは元々同じ人間なのだから、彼の細胞やら遺伝子には俺と類似点が多い筈だ。となれば、俺が狙われる理由にもなる。
俺の反応をじっと見ていたハスキは訝しげな視線を俺に向ける。
「テセウス?」
「俺が狙われた理由、心当たりあるかも……」
「それって?」
「えっと……」
ハスキに顔を覗き込まれ、俺は言い淀んでしまった。
ノアは俺だと伝えても良いのだが、こういった繊細な話をするにしては周りに人が多すぎる。かといって、心当たりがあると口にした手前、話を逸らす訳にもいかない。
続く言葉を探していると、ルバガンテが口を開く。
「医務室での件の話か?」
「え?」
思わぬ助け船に、俺の思考は一瞬硬直する。
俺を助けてくるたのは、ルバガンテだった。
「医務室で彼と会ったのだろう?なら、その際に接触していれば、彼と君の細胞が混同される可能性はある。彼は自切するからな、握手なりした触手を矢に用いれば、採取されるのは、君と彼の細胞になる」
それらしい理由に、俺は頷く。
「多分、そういうことだと思う」
事実を言うと、俺とノアは直接身体が接触するようなことをしていないので、ルバガンテの発言の通りにはならない。が、その事を知っている人が居ないので、バレることはなさそうだ。
俺はじっとルバガンテを見た。
助け船を出したタイミングが完璧過ぎる。俺とノアの事を全く知らずに、今のような手助けが出来るのだろうか。
そんな意図を読み取ってか、ルバガンテは挙手をすると同時に口を開く。
「すまない。今のうちに手洗いを済ませたい。念の為にテセウスを連れてっても構わないか?」
俺が静かに頷くと、女性陣は互いの顔を見交わした後に頷く。
「良いよ」
三人から許可を得ると、俺達二人は足早に物陰に隠れた。
他の人に声が届かなそうだと判断すると、ルバガンテから切り出す。
「何か言いたげだったから連れてきたが?」
そこまで伝わっているのなら、いきなり本題から切り込んでも問題はなさそうだ。
俺は単刀直入に質問する。
「俺とノアの関係性については?」
「知っている。彼が改名する前に出会っているからな。また、ユーも知っている。教えた」
となると、試験が始まる前にユーが俺に同行したのもわざとだろう。気になるのは、何時どの段階で気が付いたのか。
「どのタイミングで知ったんだ?」
「君が名乗った時だ」
「あ……」
思い出した。そう言えば、俺がテセウスだと名乗った瞬間、ルバガンテは名前を反芻していた。もし、ノアがテセウスと名乗っていた時期に面識があるのであれば、その時に気が付いても不思議はない。
気になるのは、他に誰が俺とノアの関係性に気が付いているのか。
「他に知ってる人は?」
「リュウゲン殿。あとは医者のトウカクも知っているだろうな。他は判らない。が、ルファンは勘付いていそうな気配がある」
ルファンに関しては思い当たる節がある。
彼は、目視さえ出来ればあらゆる情報を引き出す目を持つ。本来なら、人間とクローンを見分ける事なんて出来ない。しかし、彼は初見の相手がクローンか否か見分ける事が出来る。
変異獣達は、俺をノアと勘違いしてか襲ってきた。ということは、俺とノアには同一人物故の共通点がある。
それにルファンが気が付かないとは、俺には到底思えなかった。
「結構知ってるのか」
「恐らく、もっと居るとは思う。瓦商会の面子や、瀕死だった彼を運んだ者達」
「確かに」
少なくとも、俺がダムから落下した際は人間の原型を保っていた。ノアを救出した人達なら、俺の顔を見て気付くだろう。
「それで、話はそれだけか?」
ついでに何か質問したい気持ちはあったが、質問内容が浮かばない。こうしている間にまた蛇達に襲われる事を危惧し、俺は手早く切り上げる。
「だけだね。俺は昨日ノアと一緒に遭難した時に教えて貰ったから、他の人がどれだけ知ってるかが気になって」
「なるほど。なら、手早く戻ろう」
ルバガンテとの会話は簡潔で無駄がなく、ストレスが少なくて良い。
俺達は会話が終わるなり、ついさっき別れた三人とすぐに合流した。
一度ノアから目を離した事もあり、状況を確認する。
「ノアの様子は?」
「健在だね」
ユーが即答し、カトウは頷く。
「ポップコーン欲しいね。後コーラも」
カトウは怪獣映画でも見ているかのようにそう言いながら見たこともないエナジーバーを頬張る。
食べ物の話をされたせいか、俺は少し気になった。
「それは?」
「クローン用の携帯食。一本あげる」
「ありがと」
俺はカトウから携帯食を受け取る。
見ると、乾パンやクラッカーに近い。少し薬品っぽい匂いがするが、気になる程ではない。
観察を切り上げ、俺は携帯食を口にする。特に変なところのない、よくあるクラッカーの味だ。最初は気になった薬の匂いも、味にまで影響はない。何なら、この世界では美味しい部類のクラッカーだ。
「お味は?」
「結構イケるけど……」
俺はハスキとユーが怪訝な面持ちで俺を見ているのに気が付いた。まるで俺がゲテモノでも食べているかの様な視線に、俺はチラリと携帯食に視線を落とした後に訪ねる。
「何?その視線」
俺の質問にカトウがクスクスと笑いながら答える。
「これね、マスターが考案したやつ。クローン以外が食べると吐瀉物とガソリンを混ぜたみたいな味がするんだって」
「えぇ……?」
俺は確かめるべく匂いを嗅ぐ。が、ガソリンの匂いなんてしない。念の為、携帯食の角を噛じる。パンやクラッカーを思わせる小麦の味に、ほのかな塩気。普通に美味しい。やはり、吐瀉物の味なんて微塵もしない。
「遠征用のクローンが食料目当てで襲われるのを避ける為みたい」
意図は理解出来る。
ハスキと出会う以前、食料問題には悩まされたものだ。人によっては、誰かを襲って食料を奪おうと考えるのは理解出来る。その食料が食べれないとなれば、襲う理由も無い訳だ。
ハスキは俺の顔を覗きながら言う。
「テセウス……。もっと良いものを食べなよ?」
まるで俺が拾い食いでもしたかの様な言い草だ。
「ちなみに、この二人は駄目でした」
カトウがハスキとユーを指し示す。
二人と顔を合わさてみれば、二人共同時にうなずいた。嘘ではなさそうだ。
「クローンの味覚って、終わってる?」
「エネルギー補給のために何でも食べれる様に成ってるから、いい方向で終わってる。雑草もレタス感覚で食べれるしね」
カトウが足元に生えていた苔を摘むと、水で洗って俺に差し出した。話の流れ、俺はそれを口の中に放り込む。
それは、まるで海苔の様な味わいだった。
俺は、味覚にフィルターが掛かっているのを理解する。
まるで、アニメで暴力表現を避ける為に、あるいは放送規定に触れる様な流血表現を隠す影や光の描写の様に、味覚が強制的に不味いを排除している。
ユーは俺が苔を飲み込む姿を見ながら悪戯っぽく言う。
「つまり、ルバ兄の味覚も?」
「そんな目で見るな」
俺は苔を吹き出しそうに成るのを堪えた。
虫化の変異者ならば、草木は普通に食べれる。だから、別にルバガンテの味覚がおかしい訳ではないのだが、話の流れ的にルバガンテにまで被害が出てしまった。
「そう言えば、クローンって食べれないものあるのかい?毒とか以外で」
ハスキが聞くと、カトウは記憶を探る様に言う。
「基本的に何でも食べれる筈だよ。それそこ、生前に食中りで食べれなくなった食べ物も食べれるようになるから、それは少し嬉しいって人も居る」
嬉しいのが少しというのは、生前の自分に対する悲しさや申し訳無さが有るからだろう。
生前、食べれなかった物が食べれる様になっている事を理解し、自分がクローンだと身に沁みて理解する。すると自然、生前の自分が死んだ事を理解する。
永久の都のクローンは生前、つまりクローンになる元となった人間が生きている限り生産はされず、死ぬ事によってクローンが生まれる許可が降りる。
要するに、自分がクローンである証明が生前の自分が死んだ事の証明となる。そうなれば、嬉しさ半減どころの騒ぎでは無い。
俺はハスキから君はクローンである事を知らされたし、その話を聞いてから少しの間ケアも受けた。加えて、元の自分もノアとして生きている。
だから、この携帯食が食べれるからと言って悲しくはない。ただ、自分がクローンであると知らされて、ショックを受ける人が居るのは想像に難くない。
俺は携帯食を飲み込んだ。
この味わいに悲しみが混じっていないのは、ノアが生きていた点が多い。あの夜は頭の整理に忙しく、伝えられなかった言葉がある。
俺には、その言葉を伝える義務がある。
俺は皆に伝える。
「俺、ノアと正面から戦いたい」
全員が一斉に俺の顔を見て、誰かが言った。
「アレと?」
俺は改めてノアを見る。
ノアが右腕、性格には右前足を握りしめ、大蛇の身体を殴打する。途端、大蛇の巨大がくの字にひしゃげ、吐血しながら地中に退避する。
さながら神話に出てくる怪物同士の戦いを目の当たりにし、俺は再度皆に伝える。
「正面は諦める」
気が付いたらテセウスが眠ってしまっていた理由。
じつは、テセウスが眠ってしまったのはノアによる犯行である。
ノアはテセウスが医務室で精神安定剤と睡眠薬を受け取っている場面に居る。なので、テセウスが薬を持っているのを知っていた。
会話の最中、テセウスがパニックに成りそうだと読み取った彼は、テセウスの目を盗んで飲み物に薬を仕込むが、薬がどちらか判らなかったので取り敢えず両方入れ、それを飲んだテセウスが眠ってしまった。
ちなみに、テセウスが寝ている間に事故防止を兼ねて彼の水筒は洗浄され、ノアは一睡もせずテセウスを見守っていた。




