東側国家詳細
0)東側国家
東側国家は、J7ESF-2581c Loupの三大州による区分での大州の一つ。嘗て十二番目の魔王イレマ・ワスバによる国家12-デルトア(旧出流兎亜、出流兎亜)であった地域を指し、場合によってイーステン島及び其の南部諸島が加わることがある。略称は東州。
0.1)概要
東側国家は西側国家・中立国家との境界を旧出流兎亜の国境から受け継いでいる。
東側国家は現行国家のデルトア共和国(出)、オア共和国(於)、アーウィック王国(合)、エディ共和国(枝)、東デルトア共和国(介)を含む。イーステン及び其の南部諸島連合(束)は発見以後、東側国家に数えられることもある。
更に、広湿原地域(デルトア共和国広湿原総合管理局)、バイル地域(デルトア共和国バイル高原)、デル・コーネールスト地域(デルトア共和国神籬デル及びコーネールスト砂漠)、ウテシア地域(オア共和国)、居敷地域(アーウィック王国龍鳴郡周辺)、中确地域(アーウィック王国天山平周辺)、ムヌゴ・ピラミノーパ地域(アーウィック王国合為陸繋島及びスツエル湖周辺)、テスケルメニシア地域(エディ共和国テスケルメニシア台地周辺)、エヂポゾル地域(エディ共和国枝伊枝甌穴群周辺)、霑地域(エディ共和国西部)、フィサキ地域(エディ共和国フィサキ岬周辺)、介湾地域(東デルトア共和国)に細分される。
・デルトア(出十亜)共和国(Delt'a)
1)地理
1.1)出西部
1.1.1)広湿原
Hiroshimibara/Pirrsimimpra
デルトア西部とジルトニア東部に跨る広大な湿原。珍しく人為的国境が引かれているが、実際の主権地域は年度ごとに決定されており、其の年初めの河川に沿って決められている。元々広大な遠浅の海だったが、干潟を経て、出流兎亜が成立した当時は既に湿地となっていた。豪雨地帯であり、湿気もある為「広湿原」と呼ばれる。
豪雨で川の流路が盛んに変わるため、人態で生活する人は殆ど居ない。豪雨や広さ故に未開の土地が広がっている。
1.1.2)盧野町
Kurono/Luoja。
広湿原の東部に位置する村で、広湿原の中にある唯一の現存する集落である。出流兎亜時代に魔王が直に訪問した街としても有名である。西側の上﨑堡城址公園は有名な観光地である。
1.1.2.1)上﨑堡城址
Kamisaki-no-oki/Nighridge-stronghold。
北荘盧野町字上﨑町にある出流兎阿時代から千年程前にあった城の遺構群。現在は公園として整備されている。
城自体は原始的であるものの出流兎阿時代迄緊急時の軍事拠点として利用されていた為、公園で城の発展や変遷を見る事が出来る。
1.2)出東南部
曾ては豪雨が頻繁に起こっており、神籬デルを形成していたが、出流兎亜の魔王の誕生前に起こった前ヶ谷山の隆起によって気候が変化し、コーネールスト砂漠(Conerlst)が出来た。コーネールスト砂漠の大部分は高地で岩石砂漠である。第四のアラル海と呼ばれる魔王の出生地周辺は隆起で流路が途切れた低地の砂砂漠が広がる。枝国境、前ヶ谷山(Foredene)附近をコーネスト川(Konest)が流れる。
注釈:「まえがだにやま」(Forepeke)「まえがややま」(Foredene)は同じ「前ヶ谷山」と表記されるが、別のものであるとされる。
1.2.1)神籬デルdelᴝ > dᵫl
コーネールスト砂漠の北西にある鬱蒼とした森林。コーネールスト砂漠の拡大で出流兎阿成立時と較べ北西方向に移動しており、東は天山山脈、西はリオサムに迫っている。衛星写真では丁度北東南西方向に伸びた帯の様に見える。南部の大半を占めており、多種多様な生物を孕んでいる。広湿原から風が吹き雨が降る。
出流兎阿成立以前の離叛未遂では、禱衆(魔王となる前のイレマ・ワスバが所属していた組織)から抜けた過激な集団が神籬を滅ぼそうとして枯木剤を南東の砂漠地帯に撒いた為(現在「罪の域」と通称される)現在でも立ち入り禁止となっている。他にも此の内紛では化学物質、除草剤、殺虫剤、農薬などEarchlo世界に於る兇悪な兵器が多く発明された。
内部に位置するユステ村(IUſtä)はユステ農林業(IUſtä twgrem)という企業で知られ、神籬デルの調査に力を入れている。高高度偵察機XE-1 Seer(正式名称:IUſtä twgrem XE-1 Seer)は出十亜共和国民部省による神籬デルの調査の際に正式採用された。
1.3)出北中部
バイル高原(Bii'ur、バイル台地とも)にベーリス湖(Beh'ris)ダイヌ島(Dine'u)がある。カルデラ湖と其の中の島であるが、火山活動は体感地震が十年以上無い程に沈静化している。
1.3.1)バイル高原、バイル台地
Bii'ur。嘗ては「何をするか分からないもの」(Ϝευ)に満ちた場所と考えられていた。混乱期以後に人が住む様になった。
地下数万粁に霊魂濃度が非常に高い地層が存在する。
1.3.1.1)ベーリス湖
Beh'ris。バイル台地(Bii'ur)上に位置する。北は銀城湾、南は北流してきたメーベウ川(Mel'bew)の河口となっている。
1.3.1.1.1)ダイヌ島
Dine'u。ベーリス湖にある孤島。周囲から隔絶されており、標高が高い。嘗ては国立天文台NAODのダイヌ天文台及びトラン望遠鏡(Tqran)が設置されていたが、現在は異世界転生者の特別居住区となっており、沖積平野に前世の様な街並みが再現されている。
現在のダイヌ情勢の一因である転生者特区構想の成立は於合の紛争が終結した後、転生者を神による移民とするL'2000~2010年代後半に選民思想が芽生えた頃である。
当時から国民の権利を手厚く保証していた出十亜は被選挙権を持つ者の立候補も易く、又輿論も(出流兎亜の魔王が転生者であると知られていた事も相まって)転生者寄りに傾いていた為異世界転生者(或いは然う自称する)政治家が増加していた。此の中、出流兎亜南部トスカ集落出身のエシュカートナ・マハイエが自身が党首を務める政党「大地の会」を中心とした連立政権を樹立した。彼れの主導でダイヌ島の開発が急速に進められ、「異世界転生者特別区設置に関する法律」も国会の審議を経て可決し、L'2030年代前半に移住及び都市の建設が完了した。
此の法律は転生者を追いやる事を言外の目的としていたが、表面上は自己申請の形を取っていた。国外からも移住を望む転生者が現れ、多くの国は移住を認めた。併しジルトニアの政権与党・親吸血鬼派の党首ムクリニフェが全面拒否し、二国間の関係は急速に悪化し、ジルトニアからの転生者移住は告国内では禁ぜられた。
1.3.1.1.1.1)ダイヌ天文台・トラン望遠鏡
ベーリス湖ダイヌ島のトラン山に設置されていた出十亜国立天文台の施設。トラン望遠鏡はダイヌ天文台の中で最大の望遠鏡であった。L'2028年、初めて隕石の邀撃が成功した際にトラン望遠鏡の観測データを利用していた事から有名な施設となったが、翌L'2029年に閉鎖が決定し、解体された。
1.3.1.1.1.2)異世界転生者特別区
「異世界転生者特別区設置に関する法律」によってダイヌ島に設置が決定された特別区。略称は転生者特区。
1.3.1.1.2)銀城湾
Cinczow。ベーリス湖の北岸にある港湾。現実に存在する熱田台地の形をしており、丁度標高が水平面に対して逆転したかのようである。元は谷だった。又、湖へ直接温泉が湧く。
1.3.2)ナヒス崖
Noseclif、別称「鼻崖」。北部、ベーリス湖を経て流れるメーベウ川の河口。脆弱な岩盤の上に頑丈な岩盤が重なった構造をしているが、頑丈な岩盤が年々薄くなっており、数十年以内に崖が崩壊すると予想されている。
1.4)出東部
1.4.1)天山山脈
Amajama Mountains。出合国境を成す緩やかな褶曲山脈。天山山脈以西と以東とでプレートが異なることが知られており、天山山脈以東の陸地をウエオ亜大陸(Ueo)と呼ぶことがある。
出流兎亜成立時には非常に急峻な山脈であったが、「現代」迄の数回の地震で幾つかの山が崩壊したものの急峻であることには変わりない。崩壊した山体は土石流となり、出十亜側ではバイル高原や扇状地を広げ、山から溢れ出した地下水が広湿原を潤す洪水を齎した。
2)政史
2.1)出流兎阿の崩壊
転生者の研究が進み、多くの歴史上の偉人が転生者であったと結論づける論文が発表され、マスメヂアで大々的に報じられた。一方で、転生者を嫌悪する集団が不満を溜めていった。此の状況の中、暴力による政権転覆が遂に実行された。手始めに纒会のなされていた野外音楽堂を襲撃して、議員らを人質に、転生者を人間として扱う事をやめるよう要求してきた。此れを謀った集団は、長く公共の福祉に反する活動をしているとして指名手配されていた反政府活動家パイリニュ・トストナージュが中心であった。彼れの強力な魔法で警察が出動し鎮静魔法を使用しても抑えきれぬ程に集団が過激化し、パイリニュ・トストナージュは禁じられた魔法を使用して自分や暴徒の命と引き換えに、出流兎亜の魔王の住んでいた質素な家を爆発四散させた。
魔王は命辛々逃げ出したが、精神面も消耗しており、数日経っても目覚めず、其の消息は嘗ての仲間によって隠匿された。世間一般には魔王が死亡したとの言説が流布し、専門家の推測と云うお墨付きを得て一般に信じられるようになった。
纒会は野外音楽堂諸共消滅してしまい、緊急魔法で出馬地区に送り返された多くの議員が主体となって各地域で暴徒を警戒する動きが強まった。其の中で機能していた出流兎阿の仕組みは郡町村のみで、各郡が独自に防衛に徹した。
2.2)新たな纏り
暴徒騒動から数ヶ月後、各郡は近隣や関係の深い郡と協定を結び纏まり始めた。現在の出十亜である広湿原から山脈迄の地域は街道が機能していた為直ぐ纏まることが出来た。出流兎阿時代に西側地域の纏め役に任命されていたウスチオマ・ルベエヌを長として出流兎阿から魔王を除いた状態ともいえる体制が出来た。特に抵抗活動も起こらなかった為、Delt'a連合と仮名称が決定された此の組織の最初の選挙が実施された(現在の出十亜では出流兎阿時代の選挙も含めて数えている)。
2.3)ウスチオマ・ルベエヌ初代出十亜長暗殺と刺党
ウスチオマ・ルベエヌは出十亜連合の長に当選したが、続く国会議員選挙ではコイシュトンを党首とする刺党が政権与党となり、ウスチオマに対して批判姿勢を取った。刺党の批判はウスチオマが纏まる事が出来た西部地域のみを出十亜共和国領内とした事が主で、他の派閥や政党も其れを延々と批判した。刺党は当の方針に従って長ウスチオマを批判する事もあれば肯定する事もあったが、メヂアでは刺党による批判のみが報じられることが多かった。ウスチオマへの批判は次第に過激化し、刺党は擁護する側に変わったが、ウスチオマの魔王との関係をはじめとする、ウスチオマ個人の「現代の、ある特定の思想を持った人から見ると批判されるべき過去の行い」に対する批判は苛烈になっていった。
異常な批判にウスチオマは精神に異常を来たして出十亜長を辞職した。併し劇甚な批判と感情とはメヂアを通じて人々に憎悪の念を抱かせ、ニシランドの医師でも手が付けられぬ程の生き霊となってウスチオマに取り憑いた。ウスチオマが死亡した後、出十亜連合政府は鎮魂の儀を行ったが、悪霊は出十亜軍の機械を狂わせ、混乱が続いていた現於合地域に砲撃や空襲を行い、更に渾沌とした状況に陥らせたが、神籬デルの精霊とエディ政府との協力の元、エディの筆音遺跡の環状列石を用いる事で出十亜輿論と共に鎮まり、祓うことに成功した。
コイシュトンが引退した後、政権与党の座を長く保っていた刺党は獣人に対する政策転換を打ち出し、人態のみならず獣態であっても若干主権を持つ対象として扱うものとした。此れは打ち出しただけで法令には反映されなかったが、東側全土に新思想として拡まっていく事となる。
・於亜
1)地理
1.1)ウテシア
uteRhia、Utesia。於亜を指す旧称で、河川の東と国境山脈に囲まれた、大陸北東部を指す。
1.2)オア
Orr。河川の東側と天山山脈の東側などに囲まれた、現在の於合を指す名称。嘗て合為南部に存在した「君主制オア」の国号の由来も於合地域がオアと呼ばれていた事による。
1.3)河川
1.3.1)オチョン川
おちょんがわ。源を国境山脈の穴搗郡詰村字関より発し、暫く北流して青山郡禿林村字曲に沿い、禿山青山村境を為す。西流しコクメシリニケル川旧河道に入りて二井川と称す。急峻な山脈を抜け、纏街道二井宿を北流し、池鯉鮒郡菜町字汀に至りてヘ灘に注ぐ。
1.3.2)青山川
あおやまがわ。源を国境山脈の龍山郡石切町字溜より発し、北流して青山郡青山村を流れ、青山堰堤を通る。北流して本川村に入りて本川と称し、ヘ灘に注ぐ。海底谷を本川澪と称す。
1.4)湖沼
1.4.1)木兎池
つくいけ。青山郡白樺村に在り。縦五十米、横五十米、周囲二百米許あり。水田凡三十町二段十歩の灌漑に供す。
1.5)行政区画
1.5.1)福島郡
Hpukusima Shire、ふくしまぐん。南西部に在り。東に合為、西に出十亜と接する。南端は出於合三国国境。両国境共に急峻な山脈が連なるが南東部になだらかな於合国境があり、時折密入出国者が通る。於亜側の警備は甘い。
1.5.1.1)東村
Aduma、あづまむら。福島郡の南東部に在り。東は合為。国境は坦々たり。村名は「詰まった所」の意。
1.5.2)加納県
Kanꝏ Wielding、かのうけん。
1.5.2.1)加納郡
Kanꝏ Shire、かのうぐん。
1.5.2.1.1)加納市
Kanꝏ BoroughまたはKanꝏbury、かのうし。出十亜からも合為からも国境からの距離がほぼ等しい街。街道の距離も然うである事から最短距離での往来をしたい人間の為飛脚に似た「龍」による高速移動サービスが発達した。其の制度の発祥の地としても知られる。市街地の近くにも自然が残されており、青畠には有楽山がある。
1.5.2.1.1.1)中山区
Nakayama Ward、なかやまく。旧中山町。
1.5.2.1.1.1.1)青畠一丁目
Aohata Iq-Chome、あおはたいっちょうめ。旧大字中山青畠・旧大字中山黄畠。
1.5.2.1.1.1.2)青畠二丁目
Aohata Ni-Chome、あおはたにちょうめ。旧大字中山青畠。旧大字中山青畠小字段畠の176番地には青畠史跡博物館、旧大字中山青畠小字叢雲の484番地には青畠公民館、旧大字中山青畠小字山脇の513番地には蝸牛夫婦の家、旧大字中山青畠小字山脇524番地にはウィンパー・ロバートの家がある。
1.5.2.1.1.1.3)大字有楽山
Ooaza Urayama、おおあざうらやま。有楽山のみ在り。番地なし。一部が断崖であり、周辺の山羊人に利用されている。
1.5.2.1.1.1.4)黄畠一丁目
Kihata Iq-Chome、きはたいっちょうめ。旧大字中山黄畠。
1.5.2.1.1.1.5)大字黄畠
Ooaza Kihata、おおあざきはた。
1.5.2.1.2)日入郡
Hiiri Shire、ひいりぐん。
1.5.2.1.2.1)石脇町
Ishiwaki Town、いしわきちょう。サラとサイグサの家が存在した。硯板の産地として知られる。
1.5.2.1.3)枇杷市
Bila Wielding、びわし。
1.5.3)青山郡
Aoyama Shire、あおやまぐん。
1.5.3.1)青山村
Aoyama Thorp、あおやまむら。青山堰堤が計画され堰堤湖の底に沈んだ。烏が営巣する事で知られていた。
1.5.3.2)禿山村
Hagegama Thorp、はげやまむら。
1.5.3.2.1)字曲
Magari、あざまがり。
1.5.3.3)白樺村
SirakaNpa Thorp、しらかぬはむら。
1.5.4)郡郡
Kopri Shire、こおりぐん、こほりぐん。
1.5.4.1)木冨村
Kitomi Thorp、きとみむら。
1.5.4.1.1)字青石
Aoisi、あざあおいし。〈トリメネシュリファ〉が全ての土地を買い取った。
1.5.5)特例都市オコンネルグラード
Marked Wen O'connellgrad、とくれいとしおこんねるぐらーど。
1.5.5.1)字ドリーンヌィ・リーサヴォエ・ポーリェ
100~200番地にかけて旅籠屋や旅館が密集する。中でも153番地は非常に高い建物である為知られる。
1.5.6)特例都市スターリ
Marked Wen Staali、とくれいとしすたーり。
1.5.7)特例都市マンセグラード
Marked Wen Mānseygórod、とくれいとしまんせぐらーど。
起源は嘗て差別された魔法を使えない人のスラム街。魔法を使えるものに対する風当たりが未だ強い。又差別を利用する者への憎悪も強い。
1.5.8)特例都市ヷンチェスク
Marked Wen Vanzjesk、とくれいとしわ゙んちぇすく。
オアニスクから数粁離れた特例都市。
1.5.9)首都オアニスク
Head Wen Orrnisk、しゅとおあにすく。於亜共和国の首都。首都であるという感じは微塵も無い。
嘗ては最初の魔王で強大な龍「海の母」が生まれたオハ集落(Ogha)であり、また長らく禁足地であったが、於合紛争の頃に庇護を求めて移住が行われたことで発展し、オア共和国の首都に選定された。
1.5.10)ザモㇰグラ郡
Zamokgra Shire。
1.5.10.1)園見附
Sonomituke、そのみつけ。詳細不明。
1.5.11)纒街道
Tenkaidau、てんかいどう。
1.5.11.1)二井宿
Niijuku、にいじゅく。蟬人が住む事で知られる平原や森の広がる地域。
1.5.12)龍山郡
Tazjam Shire、たつやまぐん。
1.5.13)甘蔗道
Kansio WayまたはKansiodau、かんしょどう。合為の甘蔗郡及び甘蔗街道と起源は同じく出流兎亜時代にある。
2)政史
2.1)出流兎阿時代-ウテシア
当時オア(於亜)は於合地域を指す名称であり、現在の於亜共和国に該当する地域はウテシアと呼ばれていた。於亜語に由来する此の名称は出流兎阿時代に広く用いられていた。
L'1793年に出流兎阿が成立して数年間統治体制の構築がなされ、L'1800年から長く続く支配体制が確立した。此の時既に「オア統括担当」の人があり、其の下位区分には「ウテシア統括担当」(鵜手匙蛙臣)などもあった。初代ウテシア統括担当になったのは魔王の禱衆時代の親友である蠍人マイシ・イニメバであった。
マイシ・イメニバは魔王が計画するも未完に終わっていた街道の整備を行った。其の際に得られた情報は言語や風俗のみが刊行され、他は機密として秘匿された。
2.2)混乱期
L'1952/7/23の七・二三事件で纒会は野外音楽堂諸共消滅してしまったが、多くの議員が緊急魔法によって出馬地区に送り返され、生き残った。議員や郡民が中心となって各郡が独自に防衛に徹した。暴徒騒動から数ヶ月後、各郡は近隣や関係の深い郡と協定を結び纏まり始め、現在の於亜地域は残っている戸籍の調査を行った。当時は広義の人間全ての戸籍を管理していたが、混乱によって獣人の中には野性での生活に完全に移行した者も居た。其の為行方・生死不明の人も多く、於亜地域郡会は「人化しなければ人ではない」との政策に転換した。此の政策は現在迄続けられている。
2.3)於亜共和国の成立
L'2000年代に入り、於亜宮殿にて第十七回於亜地域郡会が開かれ、国家申請を行う事が決定され、翌日に承認された。此の結果成立した国家は其れ以前に成立した魔王を長としない国家「王国」とは異なり、大統領を長とする議会制民主主義のものであり、「於亜共和国」との名称を持つものであった。
3)政治
間接民主制であり、小選挙区制をとるが立候補者は貴族階級の子孫が多く思想が偏っている。
4)国交
出十亜とは関係が深く、大臣同士の面会も多々あった。併し於合連合となってからは出十亜のみならず枝伊などとも各国の首脳との会議を開くことが増えた。
5)メディア
作中では一般にメヂアと呼ばれる。此れは単なる誤訳であるが、修正されていない。
6)交通
6.1)街道
甘蔗街道が一部通っている。其の他、二井宿街道などがあるが、合為とは対照的に国家による街道の管理は合為が電気鉄道の存在を他国に公表してから停止されている。此の裏で何らかの交通機関の開発が行われているのではと噂されるが於亜政府は何も公表して居ない。
・合為
1)地理
1.1)河川
1.1.1)木臼川
Kivvus、きうすがわ。天山山脈に発して天山平を形成した河川。流路が変遷しており、現在はペンツァルビ岬の北側(北木臼川)と南側(南木臼川)とに途中で分流されている。
1.2)湖沼
1.2.1)スツエル湖
Stour。現地名はムヌゴ海mûnûgó Je。
1.3)山脈
1.3.1)海岸山脈
Teisjo Mountains。合為領内、北はメストナッツェ三角江から南はピラミノーパ半島(合為陸繋島、埋)にかけて存在する。ダルマチア式海岸がみられる。
1.3.2)国境山脈
Cunisakae Mountains。於合国境を成す急峻な山脈。東部の一部の山は海岸山脈と共有しており、地理学ではツァイバ尾根Zeibagrađ Ridgeを境界としている。
1.3.3)天山山脈
Amajama Mountains。合出国境を成す緩やかな褶曲山脈。出流兎亜成立時には非常に急峻な山脈であったが、「現代」迄の数回の地震で幾つかの山が崩壊したものの急峻であることには変わりない。崩壊した山体は土石流となって合為側では天山平を形成した。
1.4)平野
1.4.1)天山平
Amayamadaira/ Amayama Field。非常に広大な平野であり、東部は稲作に程よい水捌けの土地が広がる。天山平であるか曖昧な、天山平に近い極西地域は氷河に覆われており、其処から西部にかけて暖期に不定期な洪水が発生する。東部は地下水が豊富で食糧庫としての役割を担っているが、時折地下水汲み上げ装置に謬って人化可能土中生物人が入ってしまう事故が起こっている。対策として井戸に機械を取り付けることが多い。
天山平北東部の中确郡目呉村は温泉地であるがメタン菌人が住んでいる事でも有名であり、メタン菌人はメタンを生成する事から嘗て現人神mekreとして出流兎亜の一部を管轄下に置いていた。現在は現地に住む者の中では人化可能な種族は途絶えたとの事。
1.5)半島
1.5.1)合為陸繋島
Piramno pa。原住民である合為陸繋島住民の呼称からピラミノーパ半島とも呼ばれる。ピラミノーパは和訳すると「愛人」であるが、埋と通称される。
小規模な平野が広がっておるが、殆どが湿地である。
1.6)港湾
1.6.1)メストナッツェ三角江
M-est-nat-tse。メストナッツェ三角江
合為の於亜国境の数粁南、ウエオ海に面する海岸山脈を貫く様な場所に位置する湾。此れに注ぐ川は一本(名称未決定)だが、北で東川の旧流路でもある谺沢を通る西の哭川と、国境付近から南上する東のメシケ川とが合流し、更に海岸山脈から流れる狹川と合流している。湾の先端には守島乃至メストナッツェ(m-est-nat-tse)(先の長い湾の島の意)と呼ばれる湾と外海とを隔てる小規模な島があり、此れは河口からでのみ視認可能。天候などの条件で視認出来なくなる場合があるが、完璧に視認出来る筈の快晴で海の条件がいい時も河口から見えなくなる場合があり謎とされる。
南岸地域はツィリナーチェTjrjnaatjeと呼ばれ、革命家のトストナージュ姉弟の功績を記した記念碑がある。
1.7)行政区
1.7.1)ダルンデネト特別区
合為語:Dal(l)ndenet、ヒジリの言語B:Ntalntenet、於亜語:Danndenet。最も古い文献にも名前が出る、合為国内で一番古い都市で、珍しく城壁を持つ都市でもある。通称のダルンデネトはヒジリの言語Bからの音写名で「その丘の街」(n tal ttenet、定冠詞 「丘」属格 街)を意味する。漢字名は梛流无弟禰杜。
区の旗には「ダルンデネトの黄色」があしらわれている。此の黄色は国鉄一号王都線の路線色でもある。
特別区内は|東川《あづまがわ、あづまつかは》によって西の竹地区、南の川内地区、東の聖地区に鼎分される。
1.7.1.1)竹地区
いりちく。ダルンデネトの西側の地区。西竹林や王城がある。
名称は日が「入る」方向に西竹林があった事から合為語母語話者に誤解されて「竹=イリ」と表記されて固定したものである。漢字による表記が告示で固定化される迄「杁」の表記が用いられていたが、此方の方が広く使われており、「竹」の文字は本当の所誤解されていなかったようである。
尚、竹に「イリ」の読みは現実世界には存在しない。
設置されている字は丸の内のみ。
1.7.1.2)川内地区
かわちちく。ダルンデネトの南側の地区。一般区民・市民は此処に居住するものが多い。
1.7.1.2.1)字砂崎
すなさき。川内地区の北端に位置する。南(西)に字山下、南(東)に字花野がある。
1.7.1.2.2)字山下
山下とはダルンデネトでは大きい丘である「やま」(字守島)の周辺を意味する。70番地迄ある最も数が多い字である。2番地に物語本編に於て移住当初三人が借りた家が、67番地に正式に用意された五人の家がある。西が東川に面する。北は字砂崎、東は字花野及び字守島、南は字(未設定)に面する。
1.7.1.2.3)字花野
はなの。「みやま」の北東の一部を含む区域。東が「あづまつかは」に面する。
1.7.1.2.4)字守島
もりしま。守島神社のある山、「みやま」の辺りに設置されている。番地なし。
1.7.1.2.5)字シメリ
西の東川から取水する溜池がある。夜中に月がよく見える事で現地民には知られている。溜池の取水口を管理する建物があるのみである。
1.7.1.2.6)字赤坂、段切
あかさか、だんきれ。
段切(北側)と赤坂(南側)とは路を挟んで向かい合った字であり、行政機関が集中する(赤坂2番地=政府広報室、5番地=国鉄本社)。共に西側に東川が面しており、此処から合為橋が竹地区へ架かる。
1.7.1.2.7)字屋下
やした。王城から東門への街道が通る。字赤坂及び段切の東にある区画。大人向けの店舗が集中するが、此れは行政機関のある赤坂・段切から成る可く近くに然ういった店を構える様に規定されている為である。
1.7.1.2.8)字長田
ちょうだ。屋下及び新城通の北の区画。「粃」(#06)などに登場した藺草の婆の家がある。
1.7.1.2.9)字新城通
しんしろどおり。王城から東門への街道が通る。
1.7.1.2.10)字ワキ
王城から東門への街道の北、新城通の東、旅籠町の北の区画。温泉がある。
1.7.1.2.11)字旅籠町
はたごちょう。新城通の東、松鷹居の西、王城からの街道が東門へ東、北門へ北へ分岐する区画。地名は旅館が密集していた事から付けられたが、今は其れ以上に多い。
1.7.1.2.12)字松鷹居
まつたかすえ。王城から東門への街道の南、旅籠町の東。1~9番地が国立病院となっている。
1.7.1.2.14)字向野
むかいの。人の国の国王であったアーウィックの銅像があるアーウィック広場が存在する。
1.7.1.2.15)字門前
かどまえ。東門の睥睨処設置に合わせて設置された区域。数百米東に国営東門駅が存在する。
1.7.1.3)聖地区
ひじりちく。ダルンデネトの東側の地区。先住民が住んでいたのは此の地区である。北門や、都市として成立する以前から住む者の住居がある他、ヒジリ神殿などの伝統的な宗教施設がある。大部分は字ヒジリだが、西の河岸の北に字砂原、南に字沙が設置されている。此の二つは嘗て船着き場が存在した為にあったが、現在は誰も使用して居ない。
1.7.1.4)ダルンデネト特別区に関するあれこれ
城壁は先ず出流兎亜時代に現在の西竹林の周辺に出来た。西竹林を護る為のものと推定されていて、現在も西竹林の内部に字・道は無く、主に竹の、次に広葉樹の原生林が広がる。西竹林は国内最小の自然公園にも指定されており、独自の儀式によって鎮められる妖が在るとされている。
ダルンデネト一帯は「出流兎阿の瀬戸」の通称を持ち、合為から枝の筆音にかけて散発的に良質な粘土が採れた。合為北東部の半島(合為陸繋島)が「常滑」に由来する名を持つが廃れたのに対し、此方は今でも文語的だが屡々使用される。又粘土は現在も産出する。
王城(字丸の内)は区内を流れる東川の古い流れ(堀の西側)を現在の流れを掘って其れに付け替えてできた島につくられたものである。此の付け替え工事と同時に氾濫の多かった支流の合流を南向きから北向きに変えて旧流路を用水路に転用する工事も行われた(現在「あづまつかは」は東側から西方へ流れ区内で合流する迄の間の河川名として用いられている)。尚、現在のダルンデネト城壁内の都市部分の近過去約千年の地層は嘗てあった熱水泉によってつくられたものである。出流兎亜の魔王の誕生以前に強力な魔法によって地下にあったマグマ溜りは何処かに移転されており、地層がめっきり変っている。地質学者に「自己中心的な魔法使いの所為で此の星はめちゃくちゃになった」などと表現される。実際の移転先は帰属不明地域の一つである、介湾島に近い島の西津島である。此の島は別の世界とも繋がっており、マグマ溜りを転移させた魔法が現在も発動し続けている為に島自体が定期的に『Earchlo』の世界と其の「別の世界」との二世界間を行き来している。
出流兎亜時代に何回か、出流兎亜の魔王が此処を訪れており、其の度に王城の石垣・城・御殿・庭の改築と道の整備とが行われた。
後述するが、魔王には城壁が全土へ広がったのは不本意であったらしい。出入りは北門・東門と西の大手門(字丸の内の区画に入る際に通る門)の三か所に限定されており、外部と接する北門と東門とは「睥睨処」と呼ばれるものが設置されている。睥睨処は共通した構成となっており、城壁と一体化している。外側から、道の脇(何方とも川と反対側)にある「千人溜り」、王族・官僚の移動・御幸などの場合を除き昼間のみ開く「外口御門」、「外屋番所」、厩、馬繋ぎ、井戸、廁、関の役員が控える「面番所」があり人が改を受ける(一時期は一定金額を払えば自由に出入り可能だった)「大番所」と日常生活を送る「上番休息所」、長柄立て、槍立て、而して「内口御門」である。又川での出入りが禁じられていた為見張る「遠見番所」もある。此れらで構成されたものは「睥睨処」と呼ばれている。
ダルンデネトが完成した時、占い師が放った「予言」が存在する。
ダルンデネトが消える時 燃え上がる焔が上がる時 土火に塗れ 空に三匹の龍が舞う つくられたもの 全て生き絶え 塵と化す 星隠れて人消える 熱が来る 全てを気化しに
合為北部としては珍しく畑の養分として大便を売る「糞商人」が居る。
1.7.1.3.1)民部省歌舞寮ヒジリ神殿
合為の「うたまいのつかさ」は歌舞寮と記される。
ダルンデネト字ヒジリに設置されている公的機関唯一の宗教施設。歌舞寮が収集した民族的な儀式の再現が行われており、所属している人間は出流兎亜時代から儀式に関わってきた種族の血を引くものが多い。
儀式一覧
・一月二日
ごきぶり人による「鬩ぎ」の儀式。ダルンデネト先住民の伝承を記録した『丘の町の伝承』にあるダルンデネトの昆虫人が出流兎亜に入るか否かを巡る争い(悲劇)の犠牲者を悼む儀式。ごきぶり人の巫女が人態で舞を舞った後、広場に集まった大勢のごきぶり人が獣態で勝負が完全に決まる迄押し合いへし合う。此の際、巫女(相撲で云う行司の役割)と、地元民(勝負審判に似たの役割)とが立ち合う。勝敗を告げて、ごきぶり人は一気に家へと帰る。
・五月三十日
蜂人による生贄の儀式。動物を模したものに、一体の生贄が針を刺す。此の生贄は腐る迄放置される。蠅人による儀式と一体化した。
所属する巫覡
地元出身の昆虫人が大半を占める。多くが普段人態で過ごしており、獣態は神々と会話する際の姿とされている。巫覡が獣態で人間に見つかったと明らかに判る状況となった場合、彼れらは巫覡を引退することが慣例となっている。
1.7.1.4)ダルンデネトの文化
基本和装であり、基本的に江戸時代(正確には其れに極度に類似した)の服装となっている(但し狩衣なども存在する)。
其の他、ダルンデネト東門の兵士や櫓(作中では「睥睨処」で壁と一体化している)、百見附の見張は独自の服装をしている。
肌着は下半身に褌(男女用、問わないものなどがある)、上半身に襦袢。其の上に下着、更に表着として小袖を着る。
褌は六尺ある六尺褌、三尺で紐付の越中褌、更に短いもっこ褌があった。布地は初期に麻、後に木綿で富裕層には加賀絹、縮緬も使われた。
女性用は腰巻きの原型となった。入浴時に着けることから「湯文字」と呼ばれた。蹴出し、裾除けと云った刺繍を施した下着も存在する。
狭義の襦袢は半襦袢で長襦袢は歴史が浅い。襦袢は長襦袢で多く表縮緬裡木綿、半襦袢で多く袷縮緬単木綿。
雨具は衣笠。髪にこだわる人は傘を用いる。女性が髪を結う事は日常で結う事は殆どなく、儀式や式典(描写はないが国鉄開通式典など)でのみである。雨合羽は油紙でできている。くつねの外套は特殊で空間に「馴染む」繊維を用いている。
1.7.2)波無津郡 Hanandu Shire, Urwick / Nonwaavaven
1.7.2.1)波無津町 Hanandu / Nonwaavaven
読みは「はなんづ」。音写名パナンヅ。周辺は合為国内で唯一鯨人が住む地域であり、鯨人が死を迎える際には鯨に変身して湾で死に、其の肉や臓器や骨を余すところなく活用して建材や食料とする風習があり、奇習として知られる。尚、此の地域の人は其れが当たり前であり人肉食や人権侵害には当たらないとされる。
〈エフューラ・テサノタ〉の教会がおかれておるものの、「現人神が多く入信者が少ない」らしい。教会として用いている喫茶店は元々鯨人の経営する喫茶店であった。
古い町並みの残る街であり、内陸部には貝塚(波無津貝塚)が残る。其の辺りには連れ込み宿として利用される民宿が多くあり、マコトとピミャとが初めて訪れた時も其処に泊まった。
郡衙は置かれた事が無いが、郡役所として使われている字彌野(あまねい広野)の建物は波無津一古いものである。其の証拠に竪穴式住居の跡があり、又陸屋根である。
1.7.2.2)元津村 Motodu / Laatehaven
現地名モトヅㇺ村。中确郡石根村を本拠とした獣差別反対・穏健派組織「ヂスクリミネーチン」の支部が存在した。
1.7.3)平墾郡 Hirahari Shire, Urwick
其の名の通り平原に出来た田圃を意味する語。平墾郡は合為の北東部から南東部にかけて位置し、甘蔗街道の北側にある。
1.7.3.1)モトシ(酛仕)村 Motosi
字癒に東口町がある。五人が合為に移住してから一号線が開業する迄の間に整備された町で、東門の睥睨処の東側を拡張する形で造成された。東口町の出入り口は街道沿いにあるものの警備がかなり厳重で旅券の提示が必須。尚役員しか入れない。此の町の役割は役員の寝泊まりと倉庫である。
1.7.3.2)平墾村 Hirahari
1.7.3.3)墾田村 Harita
大字西墾道小字鳴彙狗に五人が大字西墾道小字墾道にある道端の寝泊まり場処に寝た
1.7.3.4)神戸町 Kamube
字神領5番地に合為平墾駅の半分が位置する。後に杁ノ江県となる。
1.7.3.5)神石町 Zinseki
字神代7番地に合為平墾駅の半分が位置する。
1.7.4)龍鳴郡 Tatsunaki Shire, Urwick
平墾郡の一部であったがある時分割したとされる。居敷湿原及び其の南から西にかけての周辺地域の区域。
1.7.4.1)居敷村 Ishiki
「空白の四年間」の後に居敷湿原総合管理局(旧居敷村地域)となり居敷村は消滅した。
1.7.5)甘蔗郡 Kansho Shire, Urwick
甘蔗街道と呼ばれるダルンデネトと於合東部の国境(国境山脈)及び海岸山脈とを結ぶ路の北部と其の周辺を占める地域。
1.7.5.1)第二山麓村 Daini-Sanroku (Second Sanroku)
大字杣山関小字迫持周辺地域は嘗て「二」を意味する印欧祖語を語源とする名で呼ばれていた。「第二山」は出流兎亜時代に採土によって消えた山が、採土の関係者を呪い、代わりの山を要求した事から誕生した山である。其の呪いで旧第一山地域に立ち入ることは出来なくなり、其処への通行を制限する為に杣山関が設けられた。
1.7.5.2)合為村 Auji/Au̥j
甘蔗街道の、ダルンデネト方面と国境山脈方面と海岸山脈方面との三方面へ分岐する地点に位置する村。人の国時代まで商人の街として栄えていたが、合為王国の成立に伴い代替の街道や龍による輸送が始まると旅籠屋の少なさで使われなくなり、廃れ、農村となった。
人の国(長アーウィック)の成立時、当時の首都はアーウィック自身による光屈折魔法によって光り輝いていたと云う。
1.7.6)中确郡 Nakasone Shire, Urwick
天山平北東部に位置する。
1.7.6.1)目呉村 Mekure / Mekre
嘗て現人神mekreとして君臨し、出流兎亜時代も地域住民から信仰され続けたメタン菌人の住む温泉郷。
1.7.6.2)石根村 Isone
L’2010年代のアルマトン摂政時代に結成された、獣差別反対・穏健派組織「ヂスクリミネーチン」の本拠であった。其の場所は現在字本陣として残る。
1.8)合為国定街道
英語略称UNH(Urwick National Highroad)。国が定めた高規格路線であり、合為国有鉄道開通以前において、切要たる道であった(Earchlo世界において鉄道が「鉄道」と呼ばれるのは、「金属類による軌条による道」が街道の代替手段となるためである)。合為国定街道は国鉄及び其の他鉄道路線の開通以後も鉄道空白地帯における要道であることに変りはない。
1.8.1)合為国定街道第一号加町街道
UNH01 «Kamati»。加町街道。
1.8.2)合為国定街道第二号道中街道及び新道中街道
UNH02 «Kpang» «Scíĩ̀-Kpang»。道中街道及び新道中街道。
1.8.3)合為国定街道第三号甘蔗街道
UNH03 «Kansyo»。甘蔗街道。
終点は国境山脈の麓、甘蔗郡第二山麓村大字杣山関と指定されているが、旧出流兎亜時代はウテシア(現於亜)方面へと続いており、現在は両国が出資する特別会社「於合連絡山道」が管理する合為―於亜連絡特別区域を介して於亜共和国甘蔗道と接続している。
1.8.3.1)ウナジ(項)宿
1.8.3.2)モトシ(酛仕)宿
菌類人の住む宿として有名で、五人のかかりつけ医の診療所の先にある。酒造りや味噌蔵(赤味噌が多い)が有名であり、未だに「純潔」である事を気にする風俗がある。
1.8.3.3)ナオシ(直)宿
大規模病院が置かれる町で、医師として名高い第九の魔王ケスプ(kesup、09-ニシランド)の弟子が移住した事からナオシ(治療)と呼ばれる様になった。第二山麓村杣山関迄の間で怪我した人が現れた場合の緊急医療も担っている。
1.8.3.4)ヒアシ(日足)宿
1.8.3.5)カイシ(介士)宿
1.8.3.6)ガイシ(碍子)宿
1.8.3.7)ケキシ(屐子)宿
1.8.3.8)サイシ(祭粢)宿
1.8.3.9)トイシ(砥石)宿
1.8.3.10)杣山関
採土で消えた山の呪いを解いてもらう為に生まれた第二山麓村の近くにあり、「第二山」への立ち入りを管理する事を目的としている。関のある杣山(其の儘ソマヤマと呼ばれている)は大して険しい山ではないが、天幕を張るなどは禁止されている。其の他、事故・自然災害に巻き込まれた人が出た際の林業従事者・人化可能獣人などによる通報体制が整えられている。
1.8.3.10.1)旧キ(岐)宿
キシクとも。杣山関に隣接する廃宿。主に転生者が体を引かれる・前世の幻覚を感ずるなどの被害を被る怪奇現象が多発し、閉鎖された。此の事件は於合連絡山道設立のきっかけとなった。
1.8.3.11)合為国定街道第一・第三・第四号街道連絡道路
UNHIC134。加町甘蔗短絡道、加甘連絡道。ダルンデネトを経由しなければならなかった加町街道と甘蔗街道を北部で連絡する道路。
尚、正式名称に第四号(勇魚)街道の名称が入っているのは計画にダルンデネト以南の街道、乃ち第四号勇魚街道の改修も含まれていたためである。
1.8.4)合為国定街道第四号勇魚街道
UNH04 «Issana»。勇魚街道。
街道はダルンデネトから南へ下り、居敷湿原を経てから勇魚川に沿い波無津へ向かう。波無津湾を越え、埋|(ピラミノーパ半島)の誡(エイ)郡の要津たるIr-Eî(入江)へ至る。
1.8.5)合為国定街道第五号風見街道
UNH05 «Kazami»。風見街道。
2)政史
2.1)出流兎阿の崩壊
七・二三事件で纒会は野外音楽堂諸共消滅してしまい、緊急魔法で出馬地区に送り返された多くの議員が主体となって各地域で暴徒を警戒する動きが強まった。其の中で機能していた出流兎阿の仕組みは郡町村のみで、各郡が独自に防衛に徹した。暴徒騒動から数ヶ月後、各郡は近隣や関係の深い郡と協定を結び纏まり始めた。併し、地理的に孤立した合為では、此れ勝機と合為地域独自の風習で抑圧されていた哺乳類系獣人が、反転生者輿論の高まりで弾圧されていた技術者も協力して叛乱を起こした。此の叛乱では郡間連絡機器(出流兎亜の魔王がニシランドの通信装置を参考に製作した機械の廉価版)も破壊され、大混乱を齎した。其の混乱に乗じて過激派が転生者の機械を用いて合為地域を制圧していった。小国乱立状態となった合為の影響を受けて於亜地域でも叛乱が起こり、類を見ない無法地帯と化した。地震が頻発していたことから通信装置の使用が日々なされていたエディには波及しなかった。
2.2)混乱期
L'1970年代迄合為の各郡は自治を行っていたが、旧態依然とした体制に不満を抱く者は少なくなかった。特に革命の実行犯であるパイリニュ・トストナージュを英雄として見ていた者たち、詰り人間至上主義者は独自の連絡網を作り上げ、来たるべき起死回生のためのテロの準備を進めていた。
L'1979/3/6、風見郡潮騒村字マイシツォコルにて、在住の獣人が一斉に凶暴化する事件が引き起こされ、風見郡役場は血の色に染まり、他郡との連絡が不可能となった。西に隣接する田郡では突如として軍が風見郡から攻め入ってきた為七日足らずで其れに降伏した。風見郡から始まった凶暴化の現象は人権と古い遺伝子とを持つもののみであることが明らかとなったが、国境なき医師団により三ヶ月で撲滅された。感染症は直ぐ終息したものの、政治的な混乱は収まるところを知らず、於合全土に波及し、軍事的な防衛戦となった。パイリニュ・トストナージュを信奉する敵が入れ替わり立ち替わりする様子は正に地獄で、民間人が被害を受けることはなかったものの十年以上続いた。
2.3)出十亜共和国の干渉と下陵上替の於合
防衛に欠かせなかったのは転生者が齎した技術である。殺戮兵器ではあったが必要とされたものである為に称賛の対象にもなった。
合為で転生者が科学技術を発展させている事を知った出十亜は密偵を送り込んで技術を盗んだ。併し其の方法は極秘に輸送されていた兵器を強奪すると云うもので、郡側に武器不足が生じた。一気に劣勢になった郡側だったが、敵が南側にいた為其処を犠牲にして、山脈北側は於亜、南部は人の国と国家名を定めた。敵側も和平によって国家となり、君主制於亜を名乗った。
2.4)人の国と君主制於亜との連合
現在の合為北部では一郡の統治組織が人の国を名乗り、アーウィックを長とする国家であると宣言した。出流兎阿体制が崩壊していたため県警察が機能することはなく、続けて南部では名乗り出流兎亜の魔王に後継者と指名されていた人々が国家体制を三日足らずで確立した。此れは君主制於亜の奇跡とも呼ばれている。君主制於亜は自治を謳っていたが、自治組織の郡町村側から徴兵制を実施するように請願され実施した。人の国は出十亜の後継者を名乗っていたが自称であった為実際の称号を欲しがり連合し、君主制於亜のオコンネルを王として、アーウィック王国が成立した。オコンネルは就任当初から暫く国政に関わった。代表的なものはの一つに奴隷制度の変更がある。当初、奴隷の殺害が容認されている制度を廃止しようとしたが、奴隷商人や奴隷を雇う国民、奴隷などによる協議の結果、奴隷売買などの貿易の禁止及び奴隷に対する教育の義務化のみで妥協する事となり、オコンネルが考えていた奴隷殺害違法化は出来なかった。
2.5)摂政アルマトンの独裁
L'2000年代に入っても、オコンネルが実際の政治に関わることはなく、全て摂政に一任された。其の権力を悪用したのがアルマトンである。アルマトンは獣人を完全に人間の定義から外し下等な種族、詰り「奴隷」とする解釈変更を行い売買も解禁した。更に困窮していた経済を回復させる為、街道を整備させた。其れで得た人気の儘、平墾郡に強制収容所を建設する計画を立て、L'2016/6/17に着工した。多くの部下が反対するも一家諸共虐殺すると脅し、L'2018/9/8、見せしめにアーウィックの側近であったマルチイニャ家を殺害した事で沈黙させた(此れは始め当主が奴隷を殺害し、其の後家族に手をかけ、最後に自殺した事件に偽装されていた)。反対派を消去したアルマトンはL'2016/18からL'2018/10迄に現在の合為国鉄二号線(乾本線)の原型である東口町~平墾間の「平墾線」を敷設した。此れは「奴隷線」とも呼ばれる通り獣人を輸送し、平墾強制収容所に収容する事を目的としていた。奴隷線の通称は「奴隷とする為では」との言説から来たものだが現実は其れ以上に惨憺なものとなった。北部から集められた獣人は平墾強制収容所に収容された後に殺害される計画であった。南部の獣人の収容は計画されていたものの、定期報告会にてハミルトンの部下がオコンネルに伝えた事で露呈して実行されることはなく、収容されていた獣人も殺害されたのは極僅かだった(現在では殺害された十人の獣人への慰霊碑が平墾車輌区にある)。解放された獣人は空を飛んだり地面を駈けて帰っていった。
露呈して直ぐにアルマトン失脚し、各郡長を主体とする郡長会議による政治への転換を行なった。又奴隷制度を完全に廃止すると決定し、奴隷は国家に保護された合為国民となった。
2.6)摂政李茶奴の独裁、国鉄の設立と龍襲
アルマトン政権が崩壊してからも娘の教育に専念していたオコンネルは、自ら摂政を募る文章を合為全土へ送り、各町村に張り出された(既に識字率は調べる迄もなくなっていた)。此の後郡長が話し合い摂政に任命されたのが李茶奴である。教育機関の自由度を上げた後、アルマトンが禁じた獣人称賛などを禁足条項から外し、更に自由にする為に「言論の自由の回復」を掲げて意見募集を行った。此の時に批判する意見を述べた者は全て直後に死亡しているが、軍事の脆弱さや鉄道の利点を述べた者は生き延びている。理由に就て様々に考察されているが、今となってはわからない。
李茶奴は軍事を秘匿させる為に鉄道を全面に押し出して報道させた。此れにより各国の報道局から取材を受けた李茶奴だったが、全国に報道することが決まっていた国鉄一号線の開通式にて、謎の龍人によって人事不省の魔法をかけられてしまう。其の後龍人は国鉄の提案者マコトに触れ気絶させた直後に姿を消した。李茶奴はどんな名医でも目覚めさせられぬと云う深い昏睡状態に陥った。
3)行政
間接民主制であり、郡長会議が担う。政治は、神との共存を望む方向性である。此れは氏神や各地域の神々に対して決定された政策を巫が伝えるという慣例に現れている。
対外的にオコンネルに娘がいる事は伏せられており、オコンネルの種族も公表されていない。
アルマトン時代に起こった獣人迫害政策以後、直ぐでなく強制収容が始まってからアルマトンを罷免した国王オコンネルに対して反感を抱く獣人も少なくない。
官庁は省が接尾した名称を正式名として持ち、多くは訓読みする。職、寮、司と下部の組織がある。
3.1)歌舞寮
合為の官庁の下位区分の寮の一つ。ダルンデネトの伝統的な儀式の実施と民俗的な儀式の収録、再現とを担う組織。儀式に関する書物などは情報倉庫に一般公開されておる他、ダルンデネト字ヒジリに設置されている「民部省雅楽寮ヒジリ神殿」にても公開され、再現儀式が行われている。
又、行政での決定を神々に周知する役割も担っており、神々に不安がある場合は呪いなどではなく憑依などでしっかりと自分の意見を伝える様に要望が出流兎亜時代からなされ続けている。
占い師などに対しては非常に懐疑的であるが、公金を用いて諸々の占いから得た予言が当たるか外れるかを検証し、科学的に正しい占いをつくる為の研究が行われている。
3.2)町村郡制
町村郡制が布かれているが、此処で云う町村は主に自然に形成された住民の共同体を差し、郡は街道などで結びつきの強い地域、或いは出流兎亜時代に指定された区域を差す。郡名は新たに制定されたものもある。
合為王国となってから居敷湿原総合管理局が出来る迄の間に、境界変更が一度も行われていなかった。
4)国交
他国との交流はあったものの、正式な国交を結ぶ国家は長らくなく(旅券による旅も出来たが国際機関による認定だった)、於亜と国交を結んだのが最初で最後であった。於合連合となってからは政府開発援助で各国を支援している。
5)メディア
作中では一般にメヂアと呼ばれる。此れは単なる誤訳であるが、修正されていない。
5.1)新聞
新聞紙を含めた、ラヂオなどの総称。五人が購読するものは新聞紙であり、非政府組織による独立系メヂアによるものである。
6)交通
6.1)街道
本編で主要な位置を占める街道は甘蔗街道のみだが、ダルンデネトは四本の街道が交わる要所である。ダルンデネトを通る全ての街道が合流する地点周辺が字旅籠屋。
6.1.1)往来手形
郡を越える際に必要な旅券に似たもので、旅券で代用可能。ダルンデネトは特例的に往来手形なしで一定の金額を払う事で入る事が可能だった。併し或る時以後の年度では往来手形が必須となる事が決まった為、くつねとピミャとがダルンデネトへ出発した。
7)風俗
7.1)名前
基本的に苗字は先祖の役割に由来し、姓は其の人の現在の役割(郡長が殆ど)からつけられている。一般に通名と諱とがあり、諱は其の時の苗字・姓全て(エリナー、龍鳴忌木流)で、通名(マコト、ミツグ、女の子、流)は諱から取られることも多いが何を名乗るかは個人の自由である。
7.2)家紋
基本的に受け継がれるものであり、マコトのように自分で作ったのは極一部のみ。
7.3)市民の生活
各国平均の生活水準は全体的に高い東側の中でも群を抜いて高い。
7.3.1)衛生環境
衛生環境は生卵が普通に売られている程で於亜に次いでよい。廁は「街道沿いの、雨避けの廂が連なる、非定住者向けの場所」など公共施設の他、一般の家屋にもつけられている。一般的なものは地面に掘った穴に落とすものだが、一部地域では水洗式のものが用いられている。
7.3.2)料理
各家庭で調理される料理の一部が独自の変種となっているヿは、各種家庭が一律で町村長から調理指導を受けている西側の国家と異なった特徴である。
器具に就ては、氷魔法の加工を施した氷を使った冷蔵庫がある他、炎魔法を施した災害時調理器がある。此れら魔法を応用した器械は合為で開発されたものである。
7.3.3)食事
合為の主食は米で勿論第一に多く使い、汁物の為に味噌を用いる事・納豆・豆腐抔から第二に大豆を多く使う。合為は未だ各地域での地産地消を基本とするが農業の効率化(自動で魔法を使用するトラクター抔の導入)の支援、宅地造成禁止法などによる農地の確保、凶作の為の備蓄の増進抔を行っている。此れらから生産と消費とでは前者が多い。現在生産の過多分は被災地域の支援抔にあてられている。
歯磨きは塩で行う。
7.4)森林・林業
基本的に合為は豊かである。
林業も盛んであり木製住宅(壁は漆喰)や筏、農具に用いられる。再生可能な様に四半年毎の各地域の使用上限量が定められているが、此れは上限を設けなかった事から起こったとされる旧出流兎阿体制確立以前の「神籬デルの謀叛未遂事件」を教訓としている。
地域によっては特定の木が昆虫人に利用されている場合もある事から、一地域(郡単位にほぼ等しい)で十年毎に調査が行われ保護の指定がなされている。
猪人の男と猟師の女とが森林の狩猟中に出会い恋に落ちる話が平墾郡から中确郡を中心に分布しており、実際此の地域の野生の猪と猟師の家系とにはかなり近い近親関係にある。又変形として鹿人の女と猟師の男とのものも存在するが、関係が強いのは波無津郡以南からエディ迄の地形がほぼ平坦な地域にかけてである。
7.4.1)環境利権
数々の「環境保全」活動を出流兎亜から続けて来た合為だが、近年は「絶対安全」を謳う「活動家」によって其の活動も(違法行為によって)阻害されている。風刺として「発達の阻害」と呼ばれている通り、妨げにしかなっていない為に「活動家」に対して刑事罰を与えたが、其れが反って彼れらの刺激になったようである。
8)貨幣
現在の貨幣の円と銭とは管理通貨制度であり、FdN-dern系列の一つであるFdN-dern-三百五十七によって製造されている。此れは強力な状態保存魔法の他に、価値付与魔法と非公式に呼ばれる価値を絶対的に認識させるもので、自然失効迄に千年かかるとされる魔法を使用しており、二者が複雑に絡み合って成立している。
9)科学技術
折畳狂いのエリナーが基盤を作った折り畳み技術は東側諸国でも優位性がある技術である。李茶奴の意見募集で寄せられた軍備強化を望む意見から、折り畳み技術は軍事転用されている。
鉄鋼業はあまり盛んではないが、一部河川沿岸地域で行われている。
無人機は問題なく運用できる他、クラウドシューティングも問題なく行われている。
・枝伊
1)地理
1.1)旧都エヅ Jedu
出流兎亜時代の新都市。現在の枝伊共和国北部のテスケルメニシア(tesukerrmenisia)台地に存在する。帝都ではあるが威圧感のある建物が無く、役所でさえ市民の住居と同化している。出流兎亜の魔王が構想した「本来の自然な都市」の完成形であるとされる。ダルンデネトには北門内の土地の諸宗教用の聖な空間にて受けた神託から設計された「空間」には、雄大な自然と町との境が曖昧模糊となっているのが解る。此れを基にして城壁に関する計画が行われたが、ダルンデネトには残っている。
現在は此の都市の遺構は筆音遺跡の其れとは対照的に殆ど放置されている。此れは台地への交通の便が悪い事も関連しているようだ。
1.2)筆音遺跡 Hitsune
エディ北東部、中部東岸にある、遮痲町(Šamaゝzi)に南接する、広義の人間が中心となって栄えた筆音文化の遺跡。百舌鳥文字、漢字様文字による粘土板が多数出土する。此の遺跡は地球からやってきた人間が最初に住んだ地の一つとされ、又滅亡は山火事で都市が焼け、粘土板が固まる代りに居住者の殆どが死亡した事によるものと推測される。地球関連の遺跡の中で最も保存状態がよい遺跡である。
居住していた人間に就て、最初期は移民船団の人間のみだったが次第に龍人とも交流する様になり、晩期にはカネムツァの文法の記録が始まったが完成することは無かった。
L'1791/1/17に発見され、L'1791/2/1から保存事業が開始された。
1.2.1)発見・保存の経緯
遺跡はエヅの完成後間も無く開始された周辺地域への道路の整備・改良工事の際、大量の粘土版が地中から発見された事によって見つかった。代替道路の敷設の為の周辺地域の調査で次々と遺構や粘土版が発見され、其れ迄の歴史学の通説を覆す大規模集落が発見された。
集落の発見から一週間後、筆音遺跡に関する緊急会議が現在のエディで開かれた。考古学者や魔王、当時のエディ地区纏め役ミイイリチニらが参加した。多くの考古学者が文明が高度に発展していた事を示す遺構・出土品に偽作ではないかとの意見を持っていたが、出流兎亜の魔王は遺跡の証拠の確実性の確かめが不十分であるとし、又存在した事を否定できないとして、L'1791/2/1、遺跡の発掘の継続及び保存事業の開始を決定した。
1.2.2)遺跡の概要
集落は当時の海岸から内陸数粁に迄及び、特に当時の川沿いの地域を中心に発展していた。
遺跡の建物は所謂「木造ワシキ建築」(注:和式建築ではない)であるが、瓦がなく、茅葺きである。其れ以外の点では変わらず、木造の柱、筵の敷かれた床、格子状の天井、漆喰の壁、障子と襖で区切られた部屋、深く掘られており発条のついた基礎などの特徴が見られる。
住居の間に垣根はなく、遺跡の中央には巨大な石が置かれていた。巨岩信仰を行っていたであろうことが粘土版から推測されている。
・四本太柱・一基礎建物跡
遺跡の中で最も大きい建造物。高さ十米の見張り台とされる建造物である。直ぐ近くに白塗りされた高床式住居の模型らしきものが見つかっている事から儀式に用いられたとする研究者もいる一方、見張り台とされる此の建造物の内部から気象に関する粘土版が出土している事から気象観測所であったとする研究者もいる。
粘土版から街道沿いに一定距離に小さい丘が置かれたことがわかっている(一里塚の原型ともされる)。併し此れの証拠は発掘されていない。
・環状列石
遺跡の墓地を囲む様に存在する玄武岩の岩。色から生者の世と死者の世とを分けるものではないかと推測されている。
1.2.3)出土遺物
主なものは粘土版である。川沿いの豊富な粘土を筆記に利用し、当時あった森を家屋の材料としていた。周辺の取れる粘土を取り尽くすと現在の合為(「筆音の瀬戸」)から運ぶ様になった(交通網がかなり発達していたと推測される)。
粘土版の他骨が多数出土する場所があり、一緒に埋められた粘土版の内容が死者を詠った詩である事から墓地と推測されている。
1.2.3.1)百舌鳥文字
Mozu script, Mozu-ideogram
於合祖語に用いられた音節文字。漢字様文字(楔形文字)による粘土板でも解説がなされている。原型はグラゴル文字である。
1.2.3.2)漢字様文字
Kanjilike script, Kanjilike-ideogram and Kanjilike-alphabet
筆音遺跡から出土した粘土板に記されていた文字。楔形文字である。言語はシュメール語と推定されていたが、後にv変種が大陸ベキサ語であったと判明した。oを持たない文字だが、大陸ベキサ語の表記ではoを表す文字が新造され用いられた。
2)政史
テスケルメニシア台地の端が断崖になっており、移動は常に龍を必要とした他、地震が頻発して本部との連絡が杜絶えることがよくあった為、出流兎亜時代から龍人を除く一般人による現出十亜との交流は薄かった。北部では現合為地域との交流が日常的にあったものゝ、南部は寧ろリオサムや居葉連合との結び付きが強かった。其の為、出流兎亜が崩壊すると、エディ・リオサム・居葉連合(後のオルトサとファーヌと)の三国での関税や旅券の取り扱いに関する議論が盛んになり、「南東三国」と呼ばれる程迄連帯する様になった。
併し、居葉連合が言語の対立から解体されると、足並みが乱れ、各国が南東三国以外の国とも関係を深めていった。エディも其の例に洩れず、出十亜と合為との関係を深め、交流を活発にしていった。情報の流通も盛んになり、合為国鉄の電気鉄道に影響を受けて枝伊では単軌鉄道が提唱された。此れは結果として、於亜・合為・枝伊の三国での南北単軌鉄道直通計劃の実現へ繋がった。
6)交通
6.1)新於枝軌道 Shin O-E Kidau
しんおえきどう。
6.1.1)雩町線 Amahikimati Line
あまひきまちせん。合為とエディとの国境を超えて運行される単軌鉄道路線で、エディ側は鉄道線、合為側は軌道線として運行されている。嘗ては枝豆町線の車両基地へ分岐する旅客営業の無い支線であったが本社が沿線のアイトゥカヤに置かれた事により旅客化した。
・旅客駅一覧
AM-01神前町kamimaemati
AM-02(本社前)アイトゥカヤ駅æætukaja/エディ側唯一の通常中間駅。
(以下、枝豆町線に合流)
6.1.2)枝豆町線 Edamamematchi Line
えだまめまちせん。合為とエディとの国境を超えて運行される単軌鉄道路線で、エディ側は鉄道線、合為側は軌道線として運行されている。
・イーステン
1)地理
1.1)イーステン島
束(イーステン語):Eri Easteno、エシェン島。イーステン及び其の南部諸島連合の最大の陸地。
四地域に大別され、北に突き出たヌシェン半島(Nosten Penysu)、ヌシェン半島以南かつ西部のメインラント・ヱシェン(Meinrant-Uesten)、中部のメインラント・ミドシェン(Meinrant-Midsten)、東部のメインラント・エシェン(Meinrant-Esten)と呼ばれている。
1.2)南部諸島
英:Sausteno Islands、束(イーステン語):Eri Sausteno、ソシェン諸島。珊瑚礁の島々である。
2)歴史(イーステン島)
現在のイーステンの最大領土であるイーステン島は、人類がこの惑星に到達してから獣態のみを持つ獣人らの棲み処となったと考えられている。出流兎亜の成立直前の記録には「東の大陸から魔女がやってきた」との記述があるが、東の大陸がイーステン島を指すとの説が有力である。併し、東の大陸の魔女は出流兎亜が魔王による国家となると移住の契約を放棄して協力関係を断ち切り、東の海へと旅立ったとされる。此の際に移住した先がイーステン島であろうとされる。イーステン島は暫く魔女による聚落の点在する島だったが、魔女の居住範囲は徐々に広がっていき、島全土となった。島全土の統治体系が構築され、君主制による政治が暫く続いた。君主は多く圧制を敷き、飢饉が起こる事もざらにあった。
併し、L'2045年、「L'2045定期隕石群」の破片の一つιγʹ-Γ(※Γは本来はゴート文字)がイーステン島に衝突し、「タアテフ隕石孔」と呼ばれる隕石孔が形成された。大陸に存在した隕石迎撃有志連合はιγʹ-Γ(※Γは本来はゴート文字)は影響の大きい破片であるとしたものゝ当時国際社会に認知されていた陸地に衝突しないとの予測だった為破壊して居なかった。地図製作会社を下部組織に持っていた出十亜共和国ベーリス湖ダイヌ島に本部を置く宗教法人〈エフューラ・テサノタ〉はイーステン島の存在を把握していたものゝ、国際社会に訴えることはせず。ιγʹ-Γ(※Γは本来はゴート文字)衝突によって二次被害含め当時三十万人いた島の人口の内二十万人が死亡した。
ιγʹ-Γ(※Γは本来はゴート文字)の衝突によって起こった被害は、南部の大規模集落が潰滅、周囲の農地や森林は焼失し、発生した津波によって北部と東部との沿岸地域は殆ど潰滅するという悲惨なものだった。又、鉄隕石であったιγʹ-Γ(※Γは本来はゴート文字)の粉塵や、放射性物質が巻き上げられ、島の気流に乗って雨となって降った事により一時被害を免れていた西側のや南側の農地や都市も汚染され、発生した食料不足及び衛生環境の悪化によって大規模な飢饉が起こった。島民の大多数が飢餓状態に陥った為行政活動が停止し、年齢問わず多く、当時の人口の三分の二が死亡した。
生き残った三分の一の人々も飢餓状態に陥っていなかった者も少ない食料を争って争う様になり、町村の食糧庫にあったものを巡るなどして内戦が勃発した。当時イーステン島は前述の通り国際社会に認知されていなかった為、援助は殆ど得られず、援助した組織も〈エフューラ・テサノタ〉という、たった一組織のみであった。
〈エフューラ・テサノタ〉は難破船に偽装して会員をイーステン島に潜入させ、島西部の集落の有力者と懇意にさせた。島西部の集落は〈エフューラ・テサノタ〉の支援を受け取る様になり、〈エフューラ・テサノタ〉を支持するものが増えていった。支援活動は次第に表立ったものとなり、食料配布や医師の派遣を実施した。〈エフューラ・テサノタ〉を支持するものは西部から広がっていき、隕石衝突による混乱は少なくともL'2050年には収まった。
L'2050/4/9、イーステン島と〈エフューラ・テサノタ〉が調査していた南部諸島とを併せて「イーステン及び其の南部諸島連合」が成立した。L'2050/6/10に於合連合が実施した次世代型航空機の飛行実験の際、航空機がイーステン領空を侵犯した事から大陸諸国にイーステンの存在が認知された。
国民の多くが転生者であることから、諸国では〈エフューラ・テサノタ〉との関連を指摘する声も上がっていたが。実際に深い関係にあった。