【FGO解説】「英霊剣豪七番勝負」序章と終章についての解説
まず前提として、この英霊剣豪って話は山田風太郎の「魔界転生」という小説が元になっています。
この「魔界転生」に出てくる武蔵は人生に大きな悔いを残してました。
たしかに人より剣の腕はよかったかもしれないが、それがどうしたのか。
人生を剣に捧げたのに極みには至れず、かといって剣以外のことなど何もできず、
洞窟に閉じこもった老武蔵は自分の人生は無意味ではなかったのかと自問する日々を送っていました。
そして死の間際、訪れた魔人に利用されて武蔵は「魔人」にされてしまうのです。
魔人は人生に悔いを持っていた剣豪に、
「悔いがあるなら転生してもう一度人生やりなおしてみない?」「人間超えた力手に入るよ」
などと甘い言葉を囁いて、魔人へと転生させて仲間を増やしてました。
この口車に乗った武蔵も魔人へと転生してしまいます。
転生衆はたしかに人だった時の記憶は持ってるけれども、考え方とか行動が「魔人」になります。
人みたいな下等生物はただの餌です。女は犯した後に食います。比喩ではなく骨ごとバリバリ食います。
たまに餌が刀持って殺しに来ることもありますが、適当にパカパカ切ったら死ぬのでその死体も食います。
そして最後はなんやかんやあって魔人は主人公一行に殺され、武蔵も十兵衛と決闘して死にます。
ここで大事なのは転生すると「人」としては死ぬ、ということ。
人生に悔いを持った武蔵は転生した時に死にました。しかも転生したあと暴虐の限りを尽くしますが結局死ぬまで悔いが晴れることはなく
ただ人に害を為し、かといって自分の望みも叶えられず、報われずに死んでいったのです。
この「魔界転生」の中で武蔵は、自分の人生が無意味ではなかったのかという疑問を消せずに死ぬのです。
……そしてFGOの老武蔵を思い出してください。
この動画にも出てくる終章の老武蔵のシーンはおそらく「魔界転生」に出てくる老武蔵と同一人物として書かれています。
彼も自分の人生で何も為せていない、人生を捧げた剣でも「空」に至れなかったと悩んでいます。
ただ「魔界転生」と違い、死の間際の彼の目の前には運命の好敵手「佐々木小次郎」が現れました。
小次郎は、武蔵が残した二天一流や武蔵が育てた伊織は後世へと繋がりいずれ武蔵は伝説となる。それは尊きものだといいます。
そして、老武蔵がお前と立ち会う気力も残っていないと嘆くと、
小次郎は「今しがた確かに武蔵と立ち会った。まことの二天一流が如何なるものかを見た。」
「武蔵はわが前にて、零の地点に到達し申した」と告げます。
老武蔵は、別世界の自分とは言え「空」へと至った自分の話を聞いて剣の道が間違っていなかったことを悟り、悔いが消えて安らかに息を引き取りました。
つまり、このFGOの終章は魔界転生で救われなかった宮本武蔵が救われるアナザーストーリーとなっているのです。
ーそして、TYPE-MOONwikiの佐々木小次郎の真名の項目を読むと、山奥に隠居していた武蔵が誰に何を継いだのか、英霊剣豪のEDに出てくる「小僧」が誰なのかを知れてもっと感動できると思います。
以上!!!!!!!!!!!!!