六・どうしても虫がたべられない
夜が明ける。
空にはまだ星々の輝きが残っているが、地平線は白く明らんで朝の色に彩る。静かに揺れる草原の海原では、夜のうちに冷えて露となった雫が草の端で香っている。
眠りから覚めた小さな動物たちが朝を告げる歌を歌い、未だ夢から覚めない者たちを現実の世界へと誘う。
その導きにより、俺は目を開いた。
羽が少ししっとりと濡れている。寝ている間に露がついたのだろう。俺は起き上がり身震いをした。羽についた水滴が大気に四散し羽が少しだけ軽くなったように感じた。
俺は夜明けたばかりの空の下少しだけ歩き回ることにした。
また起きるには少し早い時間なのか、眠っている者も多い。起きている恐竜と目があったときには、軽く頭を下げて会釈のような行動をする。それは人間だったときの癖なので、無意識下で行われた。そのあいさつに首をかしげる者もいたが、俺はあいさつを返されたと言う認識をして、さして気にしなかった。
向うの方からやってくるカグヤの姿が見えた。彼女も気がついたようだ。俺の姿を見つけると駆け寄ってきた。
「おはよう、カグヤ」
「……おはよう。そろそろ起こしに行こうと思っていたところよ。よく眠れたかしら?」
「まぁまぁ眠れたかな」
外で眠ることは慣れていなかったので、ぐっすり熟睡とまではいかなかったが、眠気は取れる程度に休むことはできていた。
「わたしはハヤテとメブキを起こしてから、朝のご飯を食べに行こうと思っているの」
「俺もついていっていいかな」
「もちろんよ」
「よお、月の輝く夜に舞う娘。こんな朝早く、見かけない雄とどこへ?」
「月の輝く夜に舞う娘ちゃん、紹介してよ」
ハヤテとメブキを連れて朝ごはんを探すために移動していると、男女の恐竜に声をかけられた。
「カグヤ、この朝からテンションの高い恐竜たちは?」
「あぁ、彼らはね……」
カグヤに促され2匹の恐竜は名前を名乗った。
「オレは、朝に産まれ来る強き太陽の息子だ」
「あたいは、そぼ降る雨に水垂れ(みだれ)薫る娘よ」
また例によって、自己紹介タイムの始まりである。そして、俺が月の輝く夜に舞う娘のことをカグヤと呼んでいるのを聞き、自分たちにもその愛称をつけてと言うのには時間はかからなかった。ちなみに、朝に産まれ来る強き太陽の息子はアサヒ、そぼ降る雨に水垂れ薫る娘はサミダレという愛称になった。
「今日は運がいいな、アレがいる」
アサヒが見つけたのは、樹液に群がる昆虫たちだった。
「食べる、食べるぅ!」
メブキが飛び跳ねて喜んでいる。
「それから、こういう枯れ木の中にいるんだよなぁ……」
アサヒは枯れ木の皮を器用にはがし始めた。
「……生きたままか」
あたりまえといえば、当たり前だろう。
「これはうまいぞ。ぷりって言った後に、じゅわ~ってクリーミーな感じが癖になる」
アサヒは、事細かに虫の食感を伝えてくる。
虫が潰れていく様子を想像してしまいケンはなんともいえない感情に支配される。ここで暮らしていくには、食べれるようにならなくてはならないだろう。しかし、今すぐというのはむりかもしれない。
「ケンは食べないの?」
いつまでたっても食べない不思議に思ったのかカグヤが話しかけてくる。
「いや、ちょっと虫は」
「好き嫌いはよくないわ」
カグヤは俺にぷるんと太ったしろい芋虫を手渡した。
「ただ見ている分にはいいんだけれどね……」
芋虫に触れること自体はなんとも思わないので指先でつまんでみたものの、そのまま口にほうり込む勇気はない。どうすることもできずに右に左に意味もなく持ち替えてしまう。
「ケン……食わないなら、オレがもらうぞ?」
「うん、いいよ」
俺はアサヒの口に投げ込んだ。
「俺は魚が好きなんだけれどね……」
昨日食べた魚の味をすでに恋しく感じている俺は、あとで川の場所でも聞いて、食べに行こうと思い始めていた。
「ん~、ぼくはおさかながあんまり好きじゃない……」
「オレも」
メブキの言葉にアサヒも同意する。
「まだまだ、こどもねぇ……」
サミダレはため息をついた。
どうやら、魚は大人の味ってやつらしい。
「この近くにおいしい草があるから、そこに行きましょうか」
ハヤテは俺の手を引く。
「草原を疾……いや、ハヤテもだんだん場所を覚えてきたな」
「当たり前です。もう、子供じゃありませんから」
「な……」
「あはは、アサヒったらハヤテに子ども扱いされちゃったわね~」
ハヤテに案内されて、その草が生えていると言う場所に来た。その場所に着くと、一緒に来ていたメブキがつたない口調ながらも、おいしい草とそうではない草の違いを教えてくれた。
「こっちの草はおいちくて、あっちの草はあんまりおいちくないんだよ」
どれが食べられる草か、おいしい草かということは全くわからなかったのだ。メブキの説明は非常に助かった。
「教えてくれてありがとうメブキ」
「えへへへ~」
ほめられたメブキは、次々に知っている草についての知識を疲労した。
「メブキは知っていることを何でも教えたい年頃なのね~」
「じゃあ、いただきます」
抵抗はあったものの、虫よりはましだ。俺は草を食んだ。
「あ、案外おいしい」
体が恐竜になったおかげだろうか、味覚もその恐竜にあったものになっているに違いない。しかし、たとえそうであっても、精神的な面でやはり虫は食べられないな。体は恐竜になっても、心は人間のままなんだなと感じていた。そう思いながら俺は、ほんのり甘い葉をかみしめ飲み込んだ。
「彼って、子供のお守りに向いている性格かもしれないわね」
カグヤは目を細めて彼らの様子を見ている。
「子供の扱いに慣れているのは意外だわ。ちょっと見直したわね」
「くくく、サミダレよりうまいんじゃないか?」
アサヒはサミダレをからかう。
「なによ~」
「にぎやかだね」
俺は仲むつまじい雰囲気に、恐竜の生活も悪くないと思う。
「いつものことだよ~」
メブキも「きゃきゃ」といいながら走り回っている。
こうして、和やかに朝食の時は過ぎていった。
「いっぱいたべた~」
「メブキってば、食べすぎなんだから」
「そろそろ戻ろうか」
みんな満腹になり帰路に着く。
群の野営地が見えてきた。
「わたしは、メブキとハヤテを預けてくるわ」
カグヤはいつものように小さな子供たちを群の中にある保育所のような場所へ連れて行くようだ。
「それじゃ、俺もこれで」
アサヒもサミダレと共に群の中へ消えていった。
「なんだかんだいって、あの二人……二匹は仲がいいんだな」
ご飯を食べれば、見張りや子供の世話といった仕事がない者は、あとはのどかな時間が訪れる。昼寝をするもよし、走り回るもよし、自由な時間が待っている。
ハヤテとアサヒといった小さな子供たちは虫を相手に鬼ごっこをしている。跳んでは器用に軽く銜えた。そして、虫を放すと、虫は再び空を飛ぶ。それをまた、捕まえるのだ。何度か繰り返し、その遊びに飽きると、虫を、お腹の中に入れてしまう。
風が吹くと緑の草原に波が生まれ、消え、再び生まれては広がっていく。地平線に見える火山は黒煙を上げている。その付近を翼竜の群れが通過する。森の向こうからは、金管楽器のような低い鳴き声が聞こえてくる。おそらく、群れの仲間たちと日向でくつろいでいるのだろう。水溜りの水を飲む親子が至福のひと時を過ごしていた。
「まったりしているね」
「そうだな」
近くに肉食恐竜がいないこともあり和やかな雰囲気に満ち溢れていた。仮に肉食恐竜(おそらく暴君竜)を見かけたとしても、離れた場所の木陰で寝ているのを見かけるくらい。おそらく彼らは満腹なのだろう。近づくのは怖かったので実行はしなかったが、生きた肉食恐竜は遠目から見ても、迫力のある強大な体つきをしていた。暴君竜の小さな腕が気にならないくらい、その筋肉質の肢体はしなやかで力強い。
「やっぱり、本物は違うね」
そこには、日本で体験したことがないほどの、のどかな時間が流れていた。