二・薫り集う、風が運ぶ、ここは恐竜の時代。
突然だが、俺は博士に誘拐されて、実験台にされた。
「恐竜になって、白堊紀に行ってもらうのじゃ!」
「おい、じじぃ! ここから出しやがれ! このマッドサイエンティストめ!」
しかし、その願いもむなしく、変な機械に閉じ込められた。
……気がついた時、目の前には、羽毛に覆われた腕と、鱗に覆われた指、鉤爪が見えた。
驚いて、その場から逃げようとするが、すぐに倒れてしまう。まるで酔っ払ってしまったかのように、体の重心がどこにあるのか分からなかったのだ。
しかし、地面にぶつかった衝撃で、混乱していた記憶に、ひとつの事実を思い出させた。
『自分は、恐竜になったのだ』
目の前の鉤爪のついた指を動かしてみる。自分の思うとおりに動いた。これは自分自身の指、自分の新しい体。そうと分かれば、落ち着いて立ち上がるのみだ。慌てていては、できるものもできない。ふらつきながらも立ち上がる。鱗に覆われた見慣れぬ腕や脚は、思い通りに動いてくれる。なんとか、なりそうだ。
俺の姿を水たまりに映して確認したところ、どうやら鳥に似た恐竜らしい。しかし、自分の腕に生えた風切羽の形や筋肉は、空を飛ぶには多少の不安がある。せいぜい木の上から滑空が関の山だろう。
「俺は、始祖鳥になったのか?」
恐竜の事はあまり知らないが、学校では鳥と恐竜の中間の形をした大昔の生き物は、『始祖鳥』というのを習ったような記憶がある。
「でも、まだちょっと鳥というよりは恐竜よりか? 悩んでいても仕方ないか。始祖鳥だろうと、違うものであろうとどうでもいいや……」
自分の種類がわかったところで、今の現状が変わるわけではないのだ。
自分の姿を確認したところで辺りを見回した。巨大な針葉樹の木々が空を覆っている。草むらには鳴く虫の声、飛び回る巨大な昆虫の羽音、ざわめく木々のそよぐ風。湿った緑の香りを含んで、自身の羽毛をやさしくなでて行く。静かではあるが、自身が溶け込んでしまいそうなほど、あまりに圧倒される力強い自然の息吹に曝され、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「何はともあれ、無事に恐竜時代に来たんだ。堪能しよう。……まずは、ここら辺がどうなっているか見てみないとな」
俺は近くの木を登り始めた。
ここが森のどの辺なのか、近くに川はあるのか、他に何か面白そうなものはあるのか、木々に囲まれていて分からないのだ。高いところへ行けば、少しは遠くまで見渡せる。どこへ向かうのかの目安に、木に登って地形を確認しておこうと思ったのだ。
なんとか鍵爪を樹皮に引っ掛けながら、登っていく。人間の姿だったら、おそらく全く上れなかっただろう。
あっという間に、頂上に近い所まで上りきった。乗っても大丈夫そうな太目の枝を陣取り、景色を見る。
今いる場所は、少し高くなっている丘のような場所なのだろう。緑の絨毯の先にある草原までよく見えた。地平線には、山脈まで見える。
「あ、恐竜だ!」
そう、多くの人が思い描くであろう巨大な爬虫類が、木々の隙間から見える水辺では水を飲み、その向こうに広がる平原では群れを成して大地を歩いていた。木陰では、肉食の恐竜らしき家族がいた。きっと、お腹がいっぱいなのだろう、アフリカの自然公園のライオンのように、昼寝をしている姿が見て取れた。
地中に骨となって眠っているすでに絶滅してしまった生物、恐竜。その全身の骨全てが発見されることさえ稀で、はっきりとした姿形はもちろん、色や模様も、その多くは想像の域でしかない。その謎多き生き物たちが、目の前にいるのだ!
「本物の、生きている恐竜だ!」
違和感のある腕や、なれない感覚の尾でバランスをとりながら、俺は木から木へ飛び移る。最初は低い場所で練習したが、意外と簡単に滑空はできるのだ。着地は、まだ改良の余地はありそうだが、地上を歩くよりは楽に安全に移動できるだろう。
「にしても、最高だな……」
空は飛べないが、滑空している間は風になれるのだ。ほんのひと時、現実を忘れることができた。
広がる未知の世界を、木の上から垣間見た俺は、テレビでも見たことがない恐竜の雄姿、しかし、野生の何一つ偽りのない、ありのままの姿を目に焼き付けたのだった。