ようこそ探偵事務所へ
10分ほど走ると、ビルが連なっていた街並みは住宅街や畑などに変わっていき、街灯の光で見えなかった星が綺麗に輝いていた。
そこの住宅街を右に行ったり左に行ったり、時には元来た道を戻ったり。
素人の俺でもわかる、これは巻いているのだろう。
これから行く場所に余計な輩がついてこないように。
五分ほど右往左往した後、彼女の足が止まる。
どうやら着いたようだ。
目の前にあったのは、オシャレな雰囲気のカフェ……ではなく、その上階の……探偵事務所?
名前は「卜部探偵事務所」。
少々安直な事務所名だが、この子の苗字だったりするのだろうか。
……そういや、この子の名前、聞いてないな。
「お前、名前なんて言うんだ?」
「ん?言ってなかったっけ?私は音無楓、アンタは?」
「俺は加茂修一だ、よろしく」
「ふーん、加茂ねぇ、あ、そういえば名刺渡しとけって美奈に言われてたんだった!はいこれ、事務所の名刺」
なんだ、尾行対策してた割にオープンだな、名刺なんかばらまいて。
「あんなのはその場しのぎよ。 明日の夜辺りまで近づかせなければそれでいい」
そうだ。名前もそうだが、たかがキーホルダーごときに山ほど群がってきたアイツらについても気になる。
それに音無についても知りたい事がいっぱいだ。
「全部答えたげるから、とりあえず中に入りましょ」
俺は促されるがまま、雑居ビルの階段を上がって二階の探偵事務所に入る。
名刺はズボンのポケットに突っ込んだ。
探偵事務所の扉と言うと、カフェのようなオシャレな扉にかっこいいフォントで○○探偵事務所と書かれたプレートが垂れ下がっている感じを勝手にイメージしていた。
この事務所はというと、マンションのような重厚感溢れる扉に……なんだこれ、ホワイトボード?に震えた字で「closed」と書かれている。
……向こうは悪くない。
勝手にオシャレな感じを想像して期待を膨らませていた俺が悪いのだ。
すると俺の心中を察したのか音無が、
「…どんなのを期待してたかは知らないけど、中にもロクなのが無いわよ、ここ」と呟いた。
ガッカリする俺を尻目に音無が扉を開ける。
「それでは改めまして、ようこそ加茂くん、ここが『卜部探偵事務所』よ」
扉を開けると飛び込んできたのは……タバコとインスタントラーメンとビールのむせかえるような濃い匂いだった。