十五話『異界生命体対策本部』
「異世界の現実改編者……ねぇ」
異界生命体対策本部。
そのオフィスの一室で、黄金の髪色をした妙齢の女ーー東弊陽葵がため息混じりにそう呟いた。
書類と空き缶が山積みになったデスクに頬杖を付いて気だるげに報告書へ目を通す彼女の前には、全身におびただしい数の新しい傷跡が刻まれた包帯まみれの壮年の男が立っている。
男は、荒れた息を整えながら口を開く。
「あぁ。俺にあの組織への偵察を頼んでくれたアンタにゃ悪いが、気色わりぃ天使どもに袋叩きにされちまってな。見ての通り息も絶え絶えで逃げ帰ってきたってわけだ……分かったのは、奴らの親玉が使う能力だけだな」
男の名は"反復眼のアルバ"。
討伐貢献日本第八位の駆逐官……しかし、その戦力評価は龍人と同格のS+。
単純な戦闘力だけで言えば龍人にさえ追随する彼をたかが偵察に起用した過去の自分の判断を、東弊は今になって英断だったと振り返る。
敵の戦力を過小評価していた。送ったのが並の駆逐官であれば、生還すら不可能だっただろう。
東弊は、苦々しい表情で報告書とアルバを交互に見る。
「……それでぇ? その親玉とやらの詳しい能力は?」
「報告書に書いてあるだろがぃ」
「だから……"観測上限界無しの現実改編"って。そんなのめちゃくちゃじゃない」
凝り固まった眉間を揉みほぐしながら東弊が言った。
アルバは、デスクの端に山積みされているエナジードリンクの空き缶を横目で見ながら『寝不足は美容の敵だぜ?』と苦笑いする。
「まあ、実際めちゃくちゃだったぜ? 攻撃通らねぇわ重力反転するわ隕石降らせるわ、挙げ句の果てにはそれによる被害を全て"無かった事"にするわ……当たり前のように空だって飛ぶ。ありゃいくら俺でも一人じゃ無理だわな」
「……まるで、無敵ね。あの人が言ってたのと違う……そうなると神の存在証明への襲撃も延期すべきかしら」
今時SF作家だって自重するような荒唐無稽な能力の羅列。そしてそれが実際に、しかも敵として存在しているという事実に、東弊はより一層深く溜め息を吐いた。
しかしそんな東弊とは対照的に、実際にその怪物と相対したアルバは楽天的な顔でにやにやと笑っている。
「そう! 確かに一見した所アレは"無敵"だ……自分でもそう言ってやがったしたな」
「一見した所? なんだか攻略法を見つけたような口振りね」
「俺がただ逃げ帰って来るような男に見えるかぁ? ……まあ、そうさな。"攻略法"って言うほど確かでもねぇがーー」
アルバは真面目な表情になり、ピンっと人差し指を立てた。
「ーー正直な話、単体としては大賢者や龍王の方がずっと手強い」
「……説明してもらえる?」
「おうよ。まずヤツの現実改編とやらには、二つだけ、分かりやすい欠点が存在する」
デスクに片肘を着き体重を預けながら、アルバは顔をずいっと東弊へと近付ける。
東弊はその髭面と酒臭い息に顔をしかめながらも、話に耳を傾けた。
「まず一つ。ヤツの能力は自分自身には作用できねぇ。つまり『現実改編能力で自分の現実改編能力の範囲を広げる』とかはできねぇワケだ。台風の目は無風みたいなカンジ」
「そりゃ、それが出来るなら人を襲って天使を増やすなんて回りくどい真似はしてないわよね。それで二つ目は?」
「ああ、どちらかと言えば二つ目の弱点がメインだ……ヤツの現実改変、上限は存在しねぇが有効範囲は存在するんだ。範囲と言ってもメートルとかの話じゃねぇぞ。"自分が認識している物体や事象"にしか能力を発動できねぇって話だ。背中から俺の投げナイフが刺さったから間違いねぇ。すぐ"無かったこと"にされちまったけど」
「…………」
「つまり……ヤツの意識の外から不意打ちで"コイツ"を撃ち込めば一発で無力化できる。って、まあその不意打ちが難しいんだがな。奴も自分の弱点をカバーするためか、常に周囲を天使どもで固めてやがる」
アルバはごそごそと懐をまさぐり、細長い何かを取り出してデスクの上に置いた。
それは手のひらサイズの注射器、中には半透明の液体が揺れている。
「……これは?」
「催眠系のイデア使いから買った麻酔薬を仕組んだ注射器だよ。たった一滴で山みてぇなドラゴンもぐっすりなクスリを、ワンプッシュで10mlも流し込んじゃうやべぇヤツな。こいつで、あの現実改変者には攻撃されたことすら気づかずに眠ってもらう」
「……別に眠らせなくても、普通に遠くからスナイパーライフルでヘッドショット決めるとかじゃダメなの?」
「駄目だな。当ててから一瞬でも意識が残っていれば"無かったこと"にされるし、そもそも銃は警戒され過ぎて、ヤツの半径数キロ圏内は空気中の水分が弄られてて普通の火薬じゃ炸裂できねぇようになってる。背後から暗殺者よろしく睡眠薬注入するしかねぇ」
「あら、残念ね……銃を使うなら昔FPSで慣らしてた私のエイムが火を吹くかと思ったんだけれど」
「ははは、冗談キツいぜひまりん」
「冗談……? なにが?」
「えっ。……はっ、はははは。と、とにかく。今回の戦いは、如何にして奴らの親玉……クリシュタ・マナスから天使どもをひっぺがすかの勝負だ。少なくとも上位ランカーには全員出陣してもらいてぇ」
残業のし過ぎでとうとう頭がおかしくなったか。東弊を哀れそうに見ながら、アルバはそう切り出す。
「アンタは司令塔として、他は殲滅力の高い塩漬けの魔人と第二位を中心に組み立てるのが良い。あと、注射を打ち込むための近接か得意な奴ら……本当なら"龍人"がベストなんだがーーアイツ、裏切ったんだろう?」
アルバの言葉に、東弊はあからさまに眉をひそめた。
龍人ーーミナト ナギサの裏切り行為を彼女は外に漏らしていないからだ。
イデア使いたちを使って彼を追い詰めたあの日も『任務は裏切り者の捕縛』としか伝えていなかったし、それさえ口外禁止の契約を結んだ。
「……なぜ、あなたがそれを知っているのかしら?」
「二週間前にイデア使いの奴が"やたら強い肌に黒い鱗が浮き出た裏切り者"と戦ったらしくてよ。そして調べてみたら丁度その日から"龍人"の活動も途絶えてる。ほぼ確定だろ」
確信を孕んだアルバの声に東弊は言い訳の無駄を悟り、デスクにうつ伏せて『はぁぁぁぁぁ…………』と今日一番の溜め息を吐いた。
「誓約書まで書させて口止めしたのに……これだから降って沸いた力に溺れてる馬鹿どもは。約束の一つもろくに守れないのかしら……」
「タバコ一本でゲロってくれたぜ」
「やっぱあいつらゴミね……」
東弊はデスクに顔を押し付けたまま、上目使いでアルバを見上げる。
「……ねぇ、アルバさん? あのね、とっても優秀なあなたに、ひまりんから一つだけお願いがあるんだけど」
「あぁん?」
東弊から発せられた、妙に鼻にかかった猫なで声。それにアルバは怪訝そうに顔をしかめる。
水商売の女が太い客に媚びる時のような、独特の胡散臭さを感じ取ったからだ。無駄に綺麗な顔立ちのせいで少し揺らぎそうになる。
「なんだよいきなり気持ちわりぃな……イタイから良い年こいて自分の事ひまりんとか言うんじゃねぇよ。まあ良いや。一応言ってみろ」
「イタッ……!? ……こほん、えぇっとね。龍人の裏切りの件、上層部には黙ってて欲しいの」
思った通りの無茶ぶり。アルバは呆れたように舌打ちする。
「無理だね。上のジジイどもに逆らったらどうなるか知ってるだろ。前の第一位……アンタの前任者がされた仕打ちを忘れたか。そんな事したら龍人は元より俺らまで消されるぞ」
「おねがい。龍人は私の計画に必要なの」
「……あのなぁ。なんでアンタがそこまで龍人に肩入れしてるのかは知らねぇが、中間管理職とは言え組織のトップがそういうのは良くないぜ」
「…………」
「あぁくそ、怖い顔すんなよひまりん、可愛い顔が台無しだぜ。しょうがねぇだろ……俺だって命が惜しいんだ」
鋭い視線を自分にぶつけてくる東弊、アルバは気まずそうな顔になって『分かってくれ』と言う。
東弊は黙っていたが、しばらくするとさっきよりも更に大きい溜め息を吐いた。
「そうねぇ……分かったわ。確かに上層部は怖いものね。仕方がないわ」
「お、おぉ……分かってくれたか」
強情な彼女には似合わず、拍子抜けなぐらい素直な返答。
アルバはほっと胸を撫で下ろした。東弊に『それじゃな』と言って出口の扉の方へ歩いていく。
そのまま、ドアノブに手をかけようとしてーー
「ーーじゃあ、上層部の連中と私。どっちの方が怖いかしら?」
アルバが瞬きをした刹那ーー先程までデスクチェアに腰掛けていたはずの東弊が、扉の前に立ち塞がるようにして指で形作ったピストルをアルバに突きつけた状態で立っていた。
アルバの"眼"を持ってしても捉えられぬ動き、頬に汗が伝う。
「……おいおいおいおい。ひまりんよぉ……そういうのは、マジで勘弁してくれや」
「今私に殺されるか、いつか私と一緒に上層部に消されるか、選びなさい。前者は確実で、後者は高確率よ」
アルバは、自分の眉間に突きつけられた細い指を忌々しそうに睨んだ。白魚のようにしなやかな指からまるで大砲の砲口が如き危険性を感じる。
長い金の睫毛に縁取られたサファイアの瞳が、アルバを射抜くように捉えた。
見た目だけなら娘でも不思議ではない年齢の女に自分が気圧されている事実に、アルバは歯噛みする。
「……アンタの一番おっかねぇ所は、心のスイッチの切り替えが極端かつシームレスな所だよ。くたびれたOLと話してたつもりがいつの間にか人殺しになってる。一分前まで仲間だった奴の事でも笑って殺せるタイプだろ、ひまりん」
「そんなことないわ。あなたが死んだら悲しくて泣いちゃうわよ私」
「ハッ、うそつけぇ……」
渇いた笑い声を上げてから、アルバは渋々といった様子で『……分かったよ』と言った。東弊は指をアルバの額から離す。
「はぁ……じゃあ、もう帰って良いよな? 」
「えぇ、どうぞ。今後ともよろしくね」
アルバは今度こそドアを明け、東弊のオフィスから一方踏み出した。
「あ、そうだ。ねぇアルバ」
「んだよ……まだなんかあるのか?」
「あなたのポケットに入ってたボイスレコーダー、没収しといたから」
「っ……!?」
咄嗟に東弊の方へと振り向く。その手にはアルバが先程までポケットに忍ばせていた筈のペン型ボイスレコーダーが握られていた。
東弊がそのグリップ部分を三十度ほど捻ると、先程の会話の音声記録が流れ出す。アルバの顔がどんどんと青ざめていく。
「……はっ、ははは。念のためだよ。念のため。別にあんたを裏切ろうとしたわけじゃねぇ」
「えぇ。私もあなたを信用しているけど、念のため没収したの」
「ははははは……」
「うふふふふっ」
ぽちゃん。
東弊はボイスレコーダーを熱帯魚の水槽に落とした。
水底へ沈んでいくそれが下部のガラスに接触する音を聞く前に、アルバは足早に扉から出た。
締め切った扉に背中を預け、脱力する。
「……ひまりんこえー」
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「……はぁ。どこ行ったのかしら、龍人」
アルバが居なくなり、静かになったオフィス。東弊はエナジードリンクに挿したストローをくるくる回しながらそう呟いた。
龍人の離反の原因は、恐らく自分がエリミネーターを処刑しようとしたからだろう。
エリミネーターと龍人の間に緩やかな師弟関係が形成されているのは知っていた。しかしそれが対異に反逆してまで突き通されるまでに強固な物だとは思っていなかった。
しかし、対異の理念は"異界生命体の完全封殺"だ。それは東弊にとっても同じ。
理性を保っているならいざ知らず、獣同然と化したあのエリミネーターは確実に処分対象。
「あの子も、頑固ね」
ミナト ナギサは正義の味方ではない。見ず知らずの人間のために命を投げ出すほど狂ってはいない。
しかし、ある程度仲を深めた者の為なら迷い無く命を掛ける人物でもある。エリミネーターはその『ある程度』に入っていたのだろう。
「……誰に、似たのかしらねぇ」
椅子の背もたれに体を預けて、東弊はそう呟いた。




