十四話『綺語』
「現実改変者との、戦い方?」
「うん。お父さんとの戦いに備えて、今の内に教えておこうと思ってね」
机の向こう側に座ったクシナダが、コーヒーをすすりながらそう言った。
現実改編者……クシナダやクリシュタ・マナスは、俺がかつて戦ったミラージュ・カットアッパーと同じ種族だ。戦い方も似たような感じだろう。
しかし、最終的にカットアッパーを倒したのはゴブリンエースで俺は決着の瞬間を見ていない。
……今思えば、多分アレの能力……いや弱点は『自分の言葉だけでなく他人の言葉まで無差別に現実へと反映してしまうこと』だったな。クシナダも同じなのだろうか。
「クシナダ、ちょっと試してみていい?」
「え、なにを?」
「"クシナダは逆立ちをした"」
「……うん? 急になに言ってるの?」
「えっ……あれ」
俺が試しにそう言ってみるーーしかしクシナダは、ぽかんとした顔で椅子に腰掛けたまま特に変化は無い。
「……前に戦った現実改編者は、見聞きした言葉全てを具現化するっていう能力だったんだよ。自分にマイナスな方向にも現実を改編しちゃうから、それが弱点」
「ふーん……まあ、それは相手が二流の現実改編者だから通用した手だよ。当然、お父さんにも通じない」
「じゃあどうやって倒すんだよ……まさか無敵じゃあるまいし」
「いや、無敵だよ」
「え?」
「少なくとも、君だけじゃどう足掻いてもクリシュタ・マナスには勝てない。多少ねばる事は出来るだろうけど、指先一つ触れる事は出来ないよ」
「え、えぇ……?」
大真面目な顔でそう言うクシナダに、俺は困惑するばかりだった。だったらなんで俺をここに連れてきたんだ。『ボクと君なら必ず勝てるよ』とか抜かしてたのに。
「現実改編者の能力っていうのは、絵の具に例えると分かりやすいんだ……ちょっと見ててね」
クシナダが指を鳴らすと、何も無かった空間に一枚のキャンパスが出現した。学校にあるような絵筆と絵の具セットも同時に現れる。
「絵の具……?」
「うん……まず、普通のモンスターを赤、人間を青の絵の具ってことにするよ」
クシナダは筆の先端に絵の具をつけて、白いキャンパスに赤と青を塗りたくった。
「そして……現実改編者はこれだ」
「白……?」
別の筆を取り出して、クシナダがそこに白い絵の具をつける。そしてそれをキャンパスに塗りたくった。さっきまでの赤と青は全て白い絵の具に塗りつぶされ、確認出来なくなる。……何を表しているんだ?
真っ白になったキャンパスを見ながら、俺は答え合わせを求めるようにクシナダに視線を送る。
「モンスターが赤、人間が青、白が現実改編者だよな……?」
「うん、でもこの白は普通の白じゃない……『チタニウムホワイト』って絵の具でね。どんな色も塗り潰してしまう、謂わば最強の白なんだ」
「へー……そんな絵の具あるんだ」
「現実改編者もそれと同じ。全ての現実存在を塗りつぶす"最強の色"……攻撃を当てたとしても即座に事象や物質そのものを上書きされて、最悪"攻撃したこと"すら無かった事にされてしまうんだ」
攻撃したという事象自体が、無かった事になる……? そんなの勝ち目が無い。完全にチートだ。
「だけど、それは"普通の人間やモンスターが相手であれば"の話だ。同等の現実改編者の攻撃なら通用する」
「……つまりお前の攻撃なら倒せるのか?」
「そう、だから君がお父さんの気を引いてる内に背後からボクが奇襲して一撃で仕留める……単純な作戦さ」
「俺の負担でかくね……?」
一人であの怪物の注意を引くなんて殆ど自殺行為だろう。
俺とエリミネーター二人がかりでも、数分足らずで行動不能にさせられたのだから。
「大丈夫、本当に一瞬だけで良いんだ……それに、"これ"を見せればお父さんは必ず動揺する」
クシナダは引き出しを開け、そこから何かを取り出す。そしてそれを俺の前に置いた。
それは淡いえんじ色の、古びた小さな巾着袋だった。表面に刺繍で何かしら文字が縫われているが、経年劣化が激しく文字の詳細は判別出来ない。なんだこれは。
「お父さんと相対したら、まずこれを見せるか投げ渡すんだ。君の仕事はそれだけ。そこからはボクがなんとかする」
「……この巾着袋、見た感じ空っぽじゃないよな? 何入ってるんだ?」
俺は机の上の巾着袋へ手を伸ばし、中身を確認しようとする。
「だめ」
しかし俺の指先が袋に触れる寸前で、クシナダの手がそれを阻んだ。
俺に比べて小さい手が、俺の手首を凄まじい力で締め上げている。驚いてクシナダの顔を見ると、怒りの滲んだ表情で俺を睨んでいた。
「渚は、これの中を、ぜったいに見ちゃだめ。分かった?」
「わ、分かったってば……なんでそんなに怒るんだよ……」
「分かってくれたならいいよ。じゃあ"開けるの概念も忘れちゃおっか"」
「…………? あける、ってなんだ? 日本語?」
「さあ? ボクも分かんないや」
俺は首をかしげながら椅子を立ち、トイレに向かおうとしてーーふとソファに横になっているエリミネーターを見た。
その体を蝕んでいる白い羽の数は心なしか日に日に少なくなっているように見える。……治ってくれると良いのだが。
「……頑張ってください、エリミネーターさん」
返事は無い。ただのホームレス騎士のようだ……なんてふざけていられる状況じゃないな。
しかし少しだけ表情が穏やかになったように感じた。気のせいかもしれないが。
……そういえば、第一位は大丈夫なのだろうか。確かクシナダによってこの部屋に転移する直前、槍で腹を貫かれていた気がする。
駆逐官側に回復系の能力者でも居れば良いのだが。
仮にも対異のトップがあんな細槍に貫かれた程度で死にはしないと思うが、少し心配だ。
それに……曲がりなりにも討伐貢献一位の俺が動けない事で発生する外の影響も気になる。
「……はぁ。外に出られればな」
「出られるよ」
「え?」
ふと呟いた俺の独り言に、クシナダがそう返答した。それに呆けた声を出す。
今の状況から考えて、外は敵だらけの筈だ。駆逐官や神の存在証明、果てにはイデア使いたち……出られるはずがない。
「無理だろ」
「いいや、ボクの力を使えば周りから君の姿を見えなくするぐらい造作もないよ。散歩ぐらいならふつーに出来るさ」
「……マジで? 絶対に気付かれない?」
「うん。……誰にも存在を認めてもらえない透明人間の気持ちを味わえるぐらいには、気付かれないよ」
何気ない感じで言うクシナダに、思わず肩の力が抜けるような感覚に襲われた。
そういうことは早めに言って欲しかった。俺はもうこの部屋の中で二週間もずっとーー
「……あれ? 二週間? ……あ、れ?」
「どうしたの? お腹すいた?」
ーークシナダに文句を言おうとした瞬間に感じる、途方もない違和感。
俺は咄嗟にスマホを取り出し、日時を確認する。
日付は確かに、この部屋に来た日から二週間後を示していた。
だが、それがおかしいのだ。
俺はこの部屋に来てから、まだ一度しか眠っていないのに。
それにーーたった今気が付く。俺は、昨日までの記憶しか思い出せない。
二週間前から今日に至るまでの記憶の間に、あまりに自然に十日以上の空白が横たわっているのだ。
思わずぞっとする。
この部屋には窓が無くて昼夜の変化が確認できないから気付けなかった?
いや流石におかしい、こんな違和感を俺が二週間も見逃す筈が……現実改編? クリシュタ・マナスか? いや、だが、まさか……
「おかしい、おかしい……なんで……」
「……んー? ああ……また気付いちゃったんだ。さっすが、鋭い!」
うつむいて記憶を掘り起こす俺のすぐ後ろから、ひどく興奮した様子なクシナダの声が聞こえた。
狼狽しながら振り向くと、そこには自分の体を抱き締めるように腕を交差させながら心底楽しそうに笑うクシナダが立っている。
「でもねでもね、だけどねけれどね? 渚には、ボクの綺麗な部分だけを見てて欲しいんだ! 壊死した肉を体から切り落とすみたくね! 疑いも嫌悪も敵意も殺意も、渚がボクに感じた悪感情はぜーんぶ忘れてほしいの! それに今日は楽しくお出かけするんだから!」
「クシナダ……? なに、言って……」
クシナダの手が、優しく俺の目を覆い隠した。
「だからね。また"忘れて"?」
■
「すげぇ、ほんとに気付かれない……」
「誰かと目を合わせようとしても合わないの、君は変な感じでしょ」
スーパーのレジ前、無気力な顔の店員の前でひらひら手を振りながら俺はそう呟いた。その視線は俺の向こう側の壁をボーッと見ているだけで、全く目が合わない。
俺とクシナダは今、あの部屋から外に出ている。しかし周囲の人間が俺たちに気づく事はない。
クシナダ曰く『周囲の意識を改編する事で自分達の姿を認識できなくしている』らしい。つくづく規格外だ。
外の様子はと言えば、二週間前とほとんど変わっていなかった。
対異との睨み合いが続いているためか、"神の存在証明"はまだ民間人の大規模な天使化には踏み切っていないらしい。
「……対異と神の存在証明の全面戦争は、大体今から一週間後か」
「うん。対異は既にお父さんの居場所にアタリをつけてるんだ。ランカーがどれだけ出張ってくるか……あと、対異が保有してる"向こう側"の武器をどれだけ使うかも、勝敗を分けるだろうね」
「"向こう側の武器"?」
「異世界から捨てられてくるのがモンスターだけじゃないのは知ってるでしょ? 呪いの武器とか、扱いをミスれば大陸一つ消し飛ぶようなヤバい品々が対異の倉庫にはごろごろあるのさ」
「へっ、大陸……!?」
「まあ、そのレベルになると国家間のパワーバランス関係で一国あたりの保有制限があるから、日本支部には数える程しか無いけどね。さっき言った"ぜんまい仕掛けの神"とかもその類いだ」
……ヤバいな対異。そんな兵器抱えてる組織のトップの首締め上げちゃったんだけど俺。絶対殺されるじゃん。
なんとか平常心を保つためにレジの横にあるビニール袋をカシャカシャしてみる。しかし何も起こらなかった。つらい。
もしかしたら俺もエリミネーターさんと同じで処刑対象にでも指定されているのかもしれない。世界一嬉しくないお揃いだ。
しょけ友とでも呼ぶべきか……駄目だテンパってまともな事を考えられない。
「……東弊さんになんて謝ろう」
「とーへーさん……? ああ、あの金髪おばさんの事ね」
「いや……前も思ったけど、別にあの人おばさんって程じゃなくね? 精々20前半ぐらいだろ」
「はっ……さあ、どーだか」
「少なくとも俺の熟女センサーには反応しないし」
「いやそれ君のさじ加減だよね?」
俺たちがそんな感じでどうでもいい会話をしていると、クシナダがふとしたように店の出入り口の方を見て『……あ』と言った。
俺も反射的にその視線を追ってーー絶句する。
「うわ……え、東弊さんじゃんあれ……!?」
「英国の令嬢みたいな見た目してるのにスーパーなんて来るんだね」
そこには、とてつもなく疲弊した表情で買い物カゴを肘にかける第一位の姿があった。あまり寝ていないのか、虚ろな表情で目の下には深いクマが刻まれている。唇は何かを呟くようにずっと小さく開閉し続けていた。
げ、元気そうで良かった……いや元気かあれ? 前に自分を『中間管理職』と称していただけあり、労働環境も中々過酷なのかもしれない。
「………ふ、ふふ……もうすぐ30連勤ね…………えらいなぁ私は…………昨日は一時間も仮眠できたし、元気いっぱい…………ふふふふっ…………これがほんとの"連勤術師"ってね……ふふふふふふふふふふふ」
「お、お客様……?」
「ごめんなさい今ちょっと目がかすんでて百円と一円の区別がつかないの」
薄ら笑いを浮かべてぶつぶつと何かを呟きながら、カゴいっぱいにカップ麺とエナジードリンクを放り込んで第一位はレジに来た。店員も若干引いている。
やはり、作戦の決行日が近いのもあってかなり多忙なようだった。なんか30連勤とかいう悪夢のようなワードが聞こえた気がする。
ブラック過ぎるだろ対異。一応公務員の筈なのにこの人。
東弊は会計を済ませると、ふらふら店を出ていった。
「……俺たちも、帰るか」
「そうだね、帰ろっか」
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スクエニ様から書籍化します。発売は5月7日です。発売日になったらまた告知しますので、良ければ買ってやってくださいませ。




