【899 対応力】
誤字を見つけたので訂正しました。内容に変更はありません。
「・・・フッ・・・まぁ、思ったよりやるようだ」
仰向けに倒れていた皇帝の口から、小さな笑いが聞こえた。
それで俺は理解した。俺の右拳は皇帝の胸に刺さったと思ったが、やはり寸前で止められていたのだ。
風を纏った拳を直撃させれば、とてもこんなにのんびりとは話せない。
それに拳を叩き込んだ時の感触にも違和感はあった。やはり風の盾を間に合わせたんだ。
だが、自分の胸と俺の拳の間にかろうじて挟み込むような、際どいタイミングだったのだろう。
風の盾を使っても衝撃を受け止めきれず、結果としてその体は殴り飛ばされてしまった。
俺に叩いた大口なんてまるで無かったかのように、皇帝はゆっくりと上半身を起こした。
地面に手を着き立ち上がる姿は、一国の支配者として屈辱のはずだ。だが薄い笑いを浮かべる皇帝は、むしろこの状況を楽しんでいるようにすら見える。
「さて、見事余を動かす事ができたわけだが、ここからどうする?ダメージは無いぞ」
「・・・その減らず口、叩けなくしてやるよ」
一発を入れて、皇帝への攻撃の突破口を掴んだが、俺の頬を冷たい汗が流れ落ちた。
ここで俺の挑発に乗って、逆上でもしてくれれば楽だった。
だが格下と見ていた俺に土をつけられても、この落ち着きと余裕・・・やはり一筋縄ではいかない。
拳を構えて風を纏う。
俺が確実に皇帝を上回っているのは運動力だ。ならばこれでいくだけだ。
「クックック、風で風を解く、面白い発想だ。どれ、かかって来たらどうだ?」
右手を前に出して、かかってこいと手招きをする。
ガードしたとはいえ、たった今攻撃を受けたばかりなのに、まったく警戒する素振りさえ見せない。
「余裕じゃねぇか・・・いくぞ!」
足に風を纏い地面を強く蹴る!
脚力に風を加算した踏み込みは、一瞬で皇帝との距離を詰めて拳の射程内に入り込んだ。
一瞬遅れて皇帝が俺の動きを捉えるが、俺はすでに皇帝の腹に左の拳を繰り出していた。
よし、やはり皇帝は俺の動きについて来れない!
今度こそ直撃をくらわせて・・・!?
「フッ・・・どうした?」
俺の拳は皇帝の腹の前で、風の盾によって受け止められていた。
それ自体は予想していた事だ。だが・・・
「な、んだと・・・?」
「何を驚いている?貴様の風を余の風で乱しただけの事よ」
目を疑った。俺の風の拳は、確かに皇帝の風の盾にぶつかっている。
さっきの一発と同様に、皇帝の風の盾を、俺の風の拳で乱して散らせばいい。
だが散らされているのは、俺の風の拳だった。
「貴様にできて余にできないと思ったか?」
皇帝の右手が俺の顔の前にかざされたと思った瞬間、氷の刃が俺の顔面に撃ち放たれた。
「・・・そうか、ベンが逃げたか」
元大臣ベン・フィングが牢から逃げた。
そしてロペスの推察では、ベンは幻覚を見せる魔道具を使った可能性が高いという事だ。
なるほど、例えば透明になる魔道具があったとして、それで逃げたとしても稼げる時間は半日もないだろう。そして透明になれるだけでは、牢から脱出はできない。
だが、ベンが牢にいるという幻覚ならばどうだ?
正確な効果時間は分からんが、おそらくそれなりに長時間、少なくとも数日は持続して見せられるのだろう。
給仕係が食事を運んできたタイミングで、ベンは牢を出たのだ。
幻覚のベンを相手に給仕が食事を渡し、空いた食器を取り下げる。短い時間だが、牢を出るだけならば十分だ。
牢を出た後は、自分を一般兵や出入りの商人にでも、幻覚で見せるようにしていたのだろう。
そしてヤツは優々と逃亡をした。
そしてそのままずっと、魔道具の効果が切れるまで幻覚を見せられていたのだ。
「はい。私の責任です。ベンを牢に入れる時、体内に魔道具を埋め込んでいる可能性を考慮しませんでした。申し訳ありません」
報告に来たロペスは、腰を曲げて深く頭を下げた。
「ロペス、頭を上げてください。今は誰の責任だと言っている場合ではありません。それに体内に埋める魔道具は、ピアスを除けばほとんどが拷問の寄生型というイメージです。ベンが自らにそんな物を使っているとは誰も考えないでしょう?気付かずともしかたありません」
マルコがロペスを擁護する。ロペスはそれでも納得できないようだが、俺もマルコに同意見だ。
攻撃系以外の魔道具は、装飾品であるイメージ大きい。まさか体内に埋め込んでいるとは想像の外だ。
「ロペス、一つ疑問が残る。なぜベンは師匠との試合でソレを使わなかったと思う?俺はその試合を見ていないが、ベンは命を懸ける程追い詰められていたのだろう?とっておきだったとしても、隠す理由が無い」
「・・・推測ですが、ある一定以上の力量を持つ者には通用しないのかもしれません。ヤツが牢に入ったばかりの頃は、私やロビン、ウィッカーやジョルジュも注意を払っていましたから。なかなか逃げ出す隙が無かった。しかし帝国との戦争が本格化し、ベンに対する注意が逸れてきました。ヤツは機会を伺っていたのです」
「なるほど・・・ロペス、その推測で考えれば、ベン・フィングが牢を抜け出したのは、我が軍が帝国に進軍した頃でしょうか?主力がほとんどいなくなり、手薄になったこのタイミングは絶好の機会だったでしょう」
「はい、私はそう考えております」
マルコが大きく頷いた。ロペスの考えを概ね肯定しているようだ。
幻覚がある程度の力量を持っていれば通用しないというのは、的を得ていると思う。
誰にでも効くと言うのであれば、あの野心家はもっと大胆な事をしでかしていた事だろう。
「・・・ロペス、それでヤツはここを出て、どこに向かったと思う?」
俺はほぼ確信している答えを、ロペスに訊ねた。
ロペスの返事が答え合わせになるからだ。
「カエストゥスに居場所はありません。ロンズデールやクインズベリーに行く意味もありませんし、行ってもどうしようもないでしょう。そうなると答えは一つ。ベン・フィングは帝国に行ったのでしょう。決定的な証拠はありませんが、ヤツが帝国と繋がっているのは明白です。カエストゥスの情報を手土産に、帝国へ庇護を求めて行ったのは間違いないかと思います」
「・・・そうか、俺も同意見だ」
やはりな。ベンにはもうそれしかない。
カエストゥスに居場所を失ったあの男は、もはや帝国につくしかない。
知りうる限りの情報を与えて帝国を勝たせ、なんとか己の立場を作るしかないのだ。
「マルコ、どうする?」
現状は把握した。その上でこれからどうするか、その判断は国王であるマルコに任せる。
マルコ、お前が決めろ。お前がこの国の舵を取るんだ。
俺とロペスに目を向けられたマルコは、考えをまとめるようにしばらくの間黙っていた。
やがてゆっくりと目を開けると、ハッキリと決意を言葉にした。
「ウィッカー、ブレンダン、ジャニス・・・彼らに託しましょう。我々はこの国を護る事に全力を尽くします。ロペス、兵達へ警戒を強めるように指示をお願いします。そして兄上は・・・」
そこで言葉を止めるとマルコは俺に顔を向けた。
「・・・」
俺は黙ってマルコの言葉の続きを待った。
「兄上は私を護ってください。私は死ぬわけにはいきません。生きなければならないのです」
固い決意を秘めた目だった。そうだ、マルコ。お前は国王として生きなければならない。
「・・・今更だな」
俺はマルコの肩に手を置いた。
そう、今更だ。
「元々そのつもりだ。マルコ、お前は俺が護る」




