【736 時の牢獄 ①】
「おじいさん、ずいぶん長くお祈りされてますが、大丈夫ですか?」
そのご老人は昼前にふらりと教会の戸を開けた。
ここは山奥の小さな村にある古びた教会だ。
出入りは自由であり、誰でも気兼ねなく入る事ができる。
ただ、山奥の小さな村であるがゆえに、他所から来た人間は一目で分かる。
このおじいさんは、70・・・80歳くらいだろうか?
ほとんど白く染まった髪の中に、少しだけ金色が混じっている。
この歳頃の男性にしては毛量は多く、そして長い髪だった。
その長い髪を青い紐で、頭の後ろで一本に結んでいる。なんだかそれが可愛らしく見える。
「・・・ええ、大丈夫ですよ。ご親切にありがとう」
ゆっくり立ち上がったおじいさんは、年齢の割には足腰がとてもしっかりしていた。
背筋もしっかり伸びていて、老いを感じさせない逞しさがある。
話し方もはっきりしているし、見た目より若いのかもしれない。
「一時間はお祈りされてましたよ。とても信心深いのですね」
「・・・いいえ、私は信心深くはありませんよ。むしろその反対です」
「・・・そうなのですか?こんなに長くお祈りされてたのに?」
口元に指を当て、私は少しだけ首を傾げた。
「・・・矛盾してますが、私は神はいないと思っています。けれど大切な人の安らぎのために神に祈ってます。おかしな話しでしょう?神はいないと思っているのに、神に祈るなんて・・・自分の都合だけなんです・・・・・シスターの前で大変失礼な話しをしました。申し訳ありません」
おじいさんは私に頭を下げると、そのまま真っすぐに出口に向かって歩き出した。
「あ、あの!もしよろしければ、お茶でもいかがですか?こんなに長くお祈りをされて、お疲れでしょう?」
歩き去るおじいさん後ろ姿を見た時、私は思わず声をかけていた。
・・・・・この背中は・・・なに?
「・・・ご親切にありがとう。けれどシスターの貴重なお時間を、私などに使わせてしまっては申し訳ない。お心だけいただきます」
「大丈夫ですよ。今日の仕事はひと段落つきましたし、ここでお会いできたのも神のご縁でしょう。ぜひ、お休みになられてください」
ここは小さな田舎村で、教会に来る人はだいたいいつも同じ顔ぶれだ。
たまに何か思いつめたような顔をした旅人が来たりするけれど、そういう人を見送る時、たいてい背中が寂しそうに見える。
私はまだまだ未熟だし、人の人生について語る資格はない。
背中を見てその人を分かったつもりになるのも、おこがましいとは思う。
けれど、これは・・・・・
・・・・・うまく表現できないけど、こんな背中見たことない
・・・・・いったい、どんな人生を歩めば、こんな・・・こんな悲しみを背負えるの・・・
私はこのままこのおじいさんを帰す事ができず、教会の人間が休憩をとる部屋へと通した。
具体的に何かをしてあげようと思ったわけではない。
一介のシスターにすぎない私には、せいぜい話し相手になる事しかできない。
そしてこのおじいさんは、神を信じていないとシスターの私に面と向かって告げるくらいなので、悩みや懺悔があったとしても、とても話してもらえるとは思えない。
でも、せめてお茶を一杯飲んでほしかった。
それだけでも、ほんの少しでも心が休まればと思ったからだ。
「・・・ハーブティー、ですか・・・」
「はい。おばあちゃ、あ!この教会の司祭が好きで、いつもこのハーブティーを飲んでいるんです。ぜひ一口飲んでみてください。ほっとする味ですよ」
私のおばあちゃん、正確にはひいおばあちゃんは、この教会の司祭として今でも毎日顔を出している。もう90歳にもなるのにとても元気だ。
おばあちゃんにはずっと一緒だった妹がいて、その妹が数年前に亡くなった時は、とても悲しんでいた。
妹と二人でずっと支え合って生きてきたおばあちゃんにとって、妹の死は筆舌に尽くしがたいものだったと思う。
おばあちゃんが子供の時に帝国とカエストゥスの戦争があって、カエストゥス国の人間だったおばあちゃんと妹は、なんとか逃げ延びたらしい。
命からがらこの村に行きついて、それからずっとこの村で暮らしてきた。
この教会を建てたのはおばあちゃんだ。
教会を建てたのは、生まれ故郷のみんなの冥福を祈るためだと言っていた。
「あの、どうかされましたか?」
カップを手にしてお茶を見つめたままのおじいさんに、なにかあったのかなと思い声をかける。
「・・・いえ、とても・・・とても懐かしい香りだったもので・・・いただきます」
「・・・これ、うちの司祭が手作りしているハーブなんです。同じ物はないと思うのですが・・・似たようなお茶を飲まれた事があるのですか?」
・・・・・そうかもしれません
そう呟くと、おじいさんは目を閉じて、静かにゆっくりとお茶を口にした。
このおじいさんはどういう人なのだろう。
今日初めて会ったばかりのおじいさんが、私は不思議と気になって不躾かもしれないけれど、いろいろと尋ねてしまった。
「おじいさん、お若く見えますがおいくつなんですか?」
「・・・今年で、えぇと・・・107、いや108歳だったかな?」
「・・・ぷっ、あはははは!冗談がお上手ですね?もっとずっとお若く見えますよ?70歳くらいですか?」
「・・・では、そのくらいにしておいてください」
なんだかおかしな返答をするなと思ったけれど、歳の事はあまり聞かれたくないのかなと思い、これ以上深く追求せず私は話題を変えた。
「おじいさんはこの辺りに住んでいるのですか?」
「いえ、私はただの旅人です。決まった住まいはありません」
「そうでしたか・・・あの、夜はどうしているのですか?寝泊りできる場所がないと・・・」
「ああ、私は大丈夫なんです」
おじいさんの答え方に違和感を覚えて、私は聞き返した。
「えっと、おじいさんは夜中に外にいても大丈夫なんですか?」
「はい、私は大丈夫なんです」
なにが大丈夫なんだろう?自分から話そうとしない様子を見ると、この話しもあまりしたくないのかもしれない。そもそも自分の事はあまり話したくなさそうだ。
これ以上踏み込むのはやめておこう。そう考えた時、ドアをノックする音が聞こえた。
「はいはい、おじゃましますよ」
入って来たのは私のおばあちゃんだった。
こっちが返事をする前に入って来るのは、いつもの事だ。
体が丈夫でまだまだ一人で歩けるし、頭もハッキリしているからとても気が強い。
年寄り扱いされる事をとても嫌っている。
「あら、お客様かい?ミーナ、お茶はお出ししたの?」
「もぉ、いつも同じ事を言うんだから。ちゃんと出したよ、おばあちゃんのハーブティー」
「そうかいそうかい、それならいいんだよ。あ、こちらの方ね。おや、村では初めて見・・・」
何かを感じ取ったように言葉を止めると、おばあちゃんはおじいさんの前まで行って、いつになく真剣な表情でおじいさんの顔をじっと見つめた。
「・・・・・そ、そんな・・・まさか・・・・・」
震える声が耳に届く。
おばあちゃんはその場に膝を着くと、おじいさんの手を握りしめて涙を流した。
「ウィッカー兄さん・・・生きて・・・生きて、たんだ・・・あたしだよ、スージーだよ」




