628 勝負の際
直接来るか投げるか、いずれにしろ、背中を見せれば槍で止めを刺してくると思っていた。
背中を向けて咳き込んでいたのはブラフ。
水かさも増してきて、俺はもうフットワークを奪われていた。
更に腹の傷も開き、もう戦う力はほとんど残っていない。
小賢しいが、少ない勝機を手繰り寄せるためだ。
俺を待ってくれている人の元に帰るためなら、生き残るためならなんだってしてやるさ。
正面にはヒビ割れた鏡があった。ヘイモンに蹴り飛ばされ、目の前に鏡があったから思いついた策だ。
振り返らなくてもヘイモンの動作が分かる。
大きく振りかぶって槍を投げて来た。
ここだ!
腰を捻って上半身を左に回転させる。強く握った拳を槍の刃に叩きつけた。
「なにッツ!?」
ヘイモンからは鏡は死角なのだろう。
振り返りもせずに、正確に槍を狙い撃ちした事に、本気で驚いたようだ。
拳を刃に叩きつける。こんな事ができるのもこのグローブがあってこそだ。
「くッ!」
俺の拳は見事に槍の穂先を叩き折った。
折れた刃は使い手の元に帰されるように、回転しながらヘイモンの顔を目がけて飛んでいく。
「チィッ!」
顔を反らし槍を避けるが、わずかにかすめた頬から、穂先に引かれるように鮮血が宙に飛ぶ。
バランスを崩し一歩後ろに引いたヘイモンが、踏みとどまって体勢を戻した時には、アラタはすでに拳の射程内まで距離を詰めていた。
これが・・・最後だ!
槍を叩き折ると同時に、アラタはヘイモンに向かって駆けだした。
傷口の開いた脇腹も酷く痛むが、それよりも失血が深刻だった。
流れ出る血と共に、体力だけでなく気力まで抜け落ちていく感覚・・・・・
気持ちだけではどうしようもないところまで来ている。
ここでヘイモンを倒す事ができなければ、生きて帰る事はできない。
片道分の燃料だけを積んだ特攻。
「オォォォォォーーーッツ!」
光の力を拳に乗せて、アラタの右ストレートが放たれた。
くっ、ワシとした事が一手遅れをとってしまった!
こやつ!この気迫はッ!ここが勝負の際か!
この一撃だけなら躱す事はできる。だが、拳を主体で戦っているこの男が、この局面に全てをかけているこの男が、それで止まるはずがない。
右を躱せば左、そこからの連打に繋がっていく事は、最初に受けた攻撃で予測できる。
ならば初弾が勝負よ!
この右の拳を真正面から叩き潰せばワシの勝ちだ!
拳の撃ち合いでは勝てない。
それはヘイモンとて十分に分かっている。
ならばどうするか?
「ヌォォーーーっ!」
光を乗せたアラタの右ストレートに対して、ヘイモンが合わせたのは、悪霊の気を纏った右の蹴りだった。
上半身は左後方に捻り、腰は反対方向に勢いよく捻る。
ヘイモンの右の蹴りが、アラタの右ストートにぶつかりあう。
二つの力のぶつかり合いによって起こる衝撃は凄まじいものだった。
膝まで溜まっていた水は、両者を中心に円状に外側へ押し流され、ビリビリと体の中にまで響くような衝撃波によって、壁に亀裂までもが入る。
超重の靴よッ!最大だ!最大の重さで粉砕してみせろ!
アラタの光の拳に対して、ヘイモンが勝機を見出したのは、使用者の10倍まで重さを操る事ができる魔道具、超重の靴だった。
アラタの光の拳に対して、ただ悪霊の気を纏っただけの蹴りではおそらく勝てない。
いかに足の力が腕より強いと言っても、体格差は歴然である。
だが、超重の靴ではどうだろうか?
「グッ、オォァァァッツ!」
かつてない程に重い蹴りだった。
拳を通じて伝わって来たイメージは山だった。
どれだけ押し込もうとしても、まるでびくともしない。
山の如き重さだった。
・・・し、信じられねぇ・・・なんだこの重さは!?
マルゴンよりも小さいくせに、マルゴンと遜色のないパワー・・・いや、この蹴りだけならマルゴン以上の重さだ!
「どうした!それで全力か!?ならばワシの勝ちだなぁッツ!」
アラタの右ストレートは、ヘイモンの想定をはるかに超える威力だった。
悪霊の力を全て足に集め、更に超重の靴によって限界ギリギリまで蹴りの重さを高めた、まさに必殺に一撃。
そこまでしてなお、かろうじて押し勝てているだけなのだ。
自分の勝ちだと言葉にはしているが、ヘイモンに余裕は無かった。
「ま・・・だだ・・・まだこんなもんじゃねぇッツ!」
ジリジリと右腕を押し戻されるが、歯を食いしばり意地と気力で耐える
「無駄だ!確かにその光の力は膨大!だがワシの悪霊はそれ以上に強大よ!ワシとここまで戦えた事を誇りに海の藻屑と消えるがいい!」
ヘイモンの圧力が一段と強くなる。
小さな老人の強大な力にアラタは押し潰されそうになり、アラタはこらえきれず片膝が折れる。
水かさは増しいき、アラタの腰の高さにまで迫っていた。
負傷した脇腹から流れる血が水に溶け、アラタの体力をより一層深く奪っていく。
一瞬、意識が遠のきそうになった・・・・・
「負けられ・・・ねぇ・・・」
カチュア・・・・・俺は絶対に帰る・・・こんなところで・・・
限界ギリギリのアラタを支えるのは、自分の帰りを待っていてくれる大切な存在だった。
「我が悪霊よ!止めをさせぇぇぇッツ!」
ヘイモンの叫びに呼応するように、全身から発する黒い邪気が色濃く強くなる。
そしてそのままアラタの右拳を蹴り飛ばした。
「終わりだァァァッッツ!」
右腕を蹴り飛ばされたアラタは、身体が開き胴体ががら空きになる。
ヘイモンは蹴り抜いた右足の勢いをそのままに、胴を右回転させ、左のカカトをアラタの頭に向けて繰り出した。
身体が開いたという事は、両手を広げているという事。
そしてヘイモンは、足がアラタの頭に届く程近い距離にいる。
「う、おぉぉぉぉーーーっ!」
「な、貴様ッツ!?」
アラタはあえて前に飛び出した。
ヘイモンの回し蹴りが左側頭部にぶつかるが、前に出られた事で完全にポイントを外し、強く押された程度の衝撃だった。
クリンチ
ヘイモンの脇の下に、巻き付けるように両腕を入れて抱き着いた。
「ぐっ、は、離せ!」
「肺活量に自信はあるか?俺はある」
何を言っている?
ヘイモンの目がそうアラタに問いかけた次の瞬間、ヘイモンはアラタの言葉の意味を、その身を持って理解する事になる。
大きく水が跳ねる音と共に、ヘイモンはアラタに拘束されたまま、その体を頭から水の中に沈められたのだ。




