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620 レイチェル 対 ラクエル

二階のフロアを歩いていると、突然耳をつんざくような、男性の悲鳴が聞こえて来た。


「今の悲鳴は!?」


先頭を歩くリンジーが、意見を求めるように振り返る。


「分からない、けど急ごう!きっと助けが必要なはずだ!」


レイチェルの決断は早かった。

まだ水はこの階までは来ていない。だから鮫ではないだろう。

それならば、崩れてきた計器類にでも潰されたか?それとも乗客同士で争いでもしてるのか?


いずれにしても悲鳴が聞こえた以上、放ってはおけない。


体力型のリンジーとレイチェルが先行して駆けた。


そして目にしたものは、中年の男性が血を流して顔を押さえているところと、ナイフを手にした金髪の女が、その場を離れようとしているところだった。





「なにっ!?」


右手がナイフごと氷漬けにされる。正体不明の攻撃に、レイチェルに動揺見えると、ラクエルは左の拳を握り締め、レイチェルの顔を狙い繰り出そうとする。


「ッ!?」


しかしラクエルは左拳を止め、咄嗟に状態をのけ反らした。

次の瞬間、レイチェルの左の蹴りがラクエルの鼻先をかすめる。ラクエルの金色の髪が数本切られ宙を舞う。


左の蹴りをかわされ、レイチェルは大きく後ろに飛び退いた。

この蹴りを当てる事より、本命はラクエルから距離を稼ぐ事だった。



十分に間合いをとり、レイチェルは自分の右手にあらためて目を落とした。


手首からナイフの先まで、完璧に氷漬けだった。ナイフは合わせたが、手には触れられてもいない。ならば、この攻撃の正体はあの白いナイフにあるだろう。ナイフを通して右手まで固めた。

レイチェルは自分が受けた攻撃の正体を、冷静に分析した。



・・・一瞬でここまで固めるとは、やっかいな武器だな。

触れれば氷漬けになると考えるべきか・・・あのナイフと斬り合いはできないな。


レイチェルはもう一本のナイフを腰の鞘から抜くと、順手に持って左半身を前に構えた。



「・・・ふーん、赤毛ちゃんさ、思った通りやるじゃん?特に気持ちが強いよね。あそこで蹴りを撃ってくるなんて思わなかったよ。不可解な攻撃を受けたらすぐに引く、その判断力もいいよね」


レイチェルの動きはもとより、その状況判断と決断力にラクエルは賞賛の言葉を口にする。


「レイチェル・エリオットだ」


「ん?なに?」


「私はレイチェル・エリオットだ。おかしな呼び方をするな。あだ名はジャレットだけで十分だ」


「あははは、こんな時にそんな事言うの?・・・まぁいいや、じゃあレイチェル、さっき一瞬で終わらせるとか言ってくれたよね?このアタシを相手にさ?・・・やれるもんならやってみなよ・・・」



その言葉と共に、ラクエルの周囲の温度が下がったかと思う程の、鋭い殺気がレイチェルに向けられる。


肌に突き刺さるようなラクエルの殺気を受け、レイチェルは臨戦態勢に入る。


氷漬けの右手は使い物にならない。左手に持つナイフを握り直し、感触を確かめる。

後ろに引いた右足の踵を上げ、前に出している左足の爪先に力を入れる。

左半身を前に、ナイフの切っ先はラクエルの喉元に向けられていた。


対するラクエルは、右手に持つ白いナイフの刃をレイチェルに向け、左半身をやや後ろに引いて構える。

レイチェルとラクエル、奇しくも両者の構えは、鏡に映したかのように正反対に映った。


お互いに視線を切らずに睨み合う。

一瞬でも目を逸らせばその瞬間に首を斬り飛ばされる。

そう感じる程にピリピリと張り詰めた空気に、何十人もの乗客が、誰一人声さえ出す事ができない。

ただ両者の戦いを見ているしかできずにいた。





・・・勝負は一呼吸のうちにつくだろう・・・


少し距離を取って見ているリンジーは、冷静に両者の実力を分析した。


レイチェルの背後からの一撃に反応し、受け止めた事から、おそらくラクエルのスピードとパワーは、レイチェルと互角だろう。


そして両者が一定の間を保ったまま、体の僅かな動きで、先手を取ろうと高度な駆け引きをとっている事も見て取れた。実力伯仲、勝利の天秤はどちらに傾いてもおかしくない。



しかし、右手を凍らせられた今、レイチェルは必殺の連双斬は使えない。

そしてその氷はさほど重くはないにしても、体のバランスは崩しているはず。


この状態で自分と同レベルの者を相手にするのは厳しい・・・ラクエルが有利か・・・・・




リンジーは、隣で不安気に自分を見るファビアナに目を向け、顔を横に振った。


最初から二対一で戦っていれば、自分達が勝っていただろう。

だが、言葉一つ発せられない程に張り詰めた空気、見ているだけで息苦しくなるほどの気のぶつかり合い。

この状況に割って入る事は何人であろうとできない。


レイチェルを信じるしかない・・・・・



シャノンもまたリンジーと同じ考えに至っていた。

魔法使いのシャノンには、体力型の戦いは読み切れない。しかし、どちらが勝ってもおかしくない程、両者の力が競り合っている事は分かる。


それほどに拮抗した力関係で、レイチェルの右手は大きなハンデとなっていた。


自分の火魔法ならあの氷を溶かせるのに・・・

出来る事なら今すぐ駆け寄りたい。加勢したい。だが、この状況では足を引っ張る事にもなりかねない。


それが分かっているから、シャノンもまたレイチェルを信じるしかなかった。


拳が白くなるほど強く握り締めシャノンは祈った。



レイチェル・・・・・勝って!





張り詰めた空気の中での睨み合いで、レイチェルの額から流れた汗が、その目に入り膜を作る。


僅かに視界が曇ったその機を、ラクエルは見逃さなかった。



音も無く、まるで滑るようにして一瞬で距離を詰めて来る足運びは、かつてレイチェルが戦ったゴールド騎士、アルベルト・ジョシュアの歩方に近いものがあった。


小細工は無し。真っ直ぐ最短の距離で射程内に入り、右手に持ったナイフを真っ直ぐに突き出す。

狙いはレイチェルの胸だった。

これは的が大きいと言う事もあるが、レイチェルが軽装で、急所である心臓にも、革当てくらいしか付けていない事があげられる。

しかし最大の理由は、ラクエルの魔道具、氷結のナイフの能力にある。

レイチェルの右手を、ナイフごと氷り付かせた事から分かるように、氷結のナイフは触れただけで対象を氷り付かせる事が可能なのである。


もちろんナイフ本来の殺傷能力もあるが、ラクエルが頼りにしたのは、氷結のナイフの能力の方であった。なにせ、刃先が触れただけでもいいのだから。



もらった!

あんたもスピード自慢のようだけど、このタイミングじゃかわせないよ!

氷の彫像になっちゃいな!



氷結のナイフがレイチェルの胸に突き刺さろうとしたその時、レイチェルは左手に握ったダガーナイフを、手首のスナップだけでラクエルに向かって投げつけた。


一本しかない武器を手放す。

そしてその武器は自分の眉間目掛けて、正確に飛んでくる。


避けなければレイチェルの胸にナイフを突き立てる事はできるが、自分も眉間を刺されて死ぬ。

選択を迫られたラクエルは、瞬き程の刹那の瞬間に決断をする。



「お前の負けだ」



頭を振ってダガーナイフを躱したその時、ラクエルは確かに聞いた。


そして天地がひっくり返ったかのように目が回り、体が宙に舞い上がったと感じると、背中から全身に駆け抜ける強い衝撃に呼吸が止まり、ラクエルは動けなくなった。



「柔の技だ・・・と言っても聞こえないか?」


大の字に倒れるラクエルを背に、レイチェルの左手首をプラプラと振った。



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