614 ダスト・シュート
「ウォォォォォォーーーッツ!」
両刃のナイフを片手に、ビリージョーは槍鮫の頭を突き刺し、腹を切り裂いた。
料理の材料としての鮫は知っていた。知識として、鮫がどういう生態なのかも知っていた。
しかし生きている鮫を見るのは初めてだった。
この槍鮫は、その鋭く尖った口で獲物を突き刺し、そのまま海中で獲物が息絶えるまで待ち、ゆっくり食べるらしい。
ビリージョーが知っている限りでは、槍鮫は数が多く群れて行動する。
それを裏付けるかのように、最初は数匹だと思った槍鮫が、1匹、また1匹と、途切れる事なく続々と室内に流れ込んできた。
きりがねぇ!こいつら一体何匹いるんだ!?
しかも水かさもどんどん増して、もう膝に近い!水が増える程俺の動きは鈍くなって、反対に鮫はどんどん勢いづいていく!
「ぐっ!」
水面を飛び跳ね、ビリージョーに襲い掛かった槍鮫の尖った口が、ビリージョーの左腕をかすめる。
何匹子としても、それ以上に数を増やして侵入してくる槍鮫。そして前に上に右に左、どこからでも襲ってくる槍鮫の攻撃を、ビリージョーも躱しきれなくなってきていた。
「ビリー、ジョー!あったぞ!こっち、だ!」
膝まで水に浸かったディリアンが、部屋の角で手を上げながらかすれた声で叫んだ。
体はまだ満足に動かせず、その眉を寄せた険しい表情から、体はまだかなりキツイ事が分かる。
「なに!?分かった!」
ビリージョーはディリアンの言葉に反応すると、槍鮫の尖った口、牙を躱しながら後ずさった。
「オラよッ!」
ビリージョーとディリアン、二人の血の匂いにも引き付けられているのだろう。
数を増やしどんどん向かって来る槍鮫に、ビリージョーは山積みになっているロッカーを崩し、鮫との間にバリケードを築いた。
「これで少しは時間が作れる!ディリアン!」
膝まで溜まった水の中を進み、部屋の隅に立つディリアンの元に来ると、ビリージョーは一目で状況を察し、険しい顔で確認の言葉を口にした。
「・・・ディリアン、これが通気口か?」
本来は天井にあったのだろう。だが転覆した事により今は自分達の足元、水の中に通気口が見える。
これでは入れないし、入っても下に行くのでは意味が無い。
ビリージョーは落胆した顔を見て、ディリアンは頭上を指差した。
「・・・あそこ、じゃ、駄目か?」
「ん、なにが・・・?あ!」
ディリアンに釣られるように顔を上に向け、ビリージョーは驚き声を上げた。
「ダスト・シュートか!なるほど、いい!いけるぞ!」
ゴミを廃棄するダスト・シュートが設置されていた事に、ビリージョーは歓喜した。
ダスト・シュートは数十センチ程の高さがあり、蓋には取っ手が付いていて、鍵穴は見当たらない。
誰でも自由に利用できるようだ。
「よし、じゃあお前からだ」
「うぉっ、いきなり、持ち、上げんな」
ビリージョーはディリアンの両脇に手を入れ持ち上げると、そのまま頭上のダスト・シュートの下に移動した。
「急げ、鮫共が体当たりしてやがる!いつ破られてもおかしくない!」
「う、く・・・こ、れは・・・」
蓋を開けたディリアンは、ダスト・シュートの内部構造に唇を噛んだ。
貴族であるディリアンはゴミ捨てなんてした事はない。だが、ダスト・シュートくらいは知っている。
ベナビデス家でも、使用人がダスト・シュートからゴミを捨てているところを見た事もあった。
捨てられたゴミはどこに行くのか気になり、確認したところ、壁穴の中は滑り台のように傾斜が付いており、そのまま外のゴミ捨て場落とされていったのだ。
ベナビデス家のダスト・シュートしか知らないディリアンは、内部構造は傾斜が付いていると思っていた。そういうものだと思い込んでいた。
だが、蓋を開けて目にしたダスト・シュートの構造は、垂直に作られた空洞だった。
傾斜であれば這いずってでも登って行ける。
魔法使いのディリアンの筋力、そして今の体調では難しいかもしれないが、ビリージョーが後ろについてくれれば、なんとかなる。
そう考えていたディリアンが、垂直の空洞では這いずる事すら不可能だった。
「ビ、ビリージョー・・・」
「ほ~、垂直型か、ちょっと面倒くさいが、お前の魔道具ならなんとかなりそうだな。これを使って出口にひっかけられないか?」
地力では到底登れそうにないと見て、ディリアンが言い難そうに口を話そうとすると、ビリージョーは下からダスト・シュート内を覗き見て、腰に下げたナイフを鞘ごとディリアンに手渡した。
「それをお前の魔力の糸で巻いて、あの出口まで飛ばすんだ。向こうがどうなってるか分からないが、なにか引っかかりがあるかもしれないだろ?引っかかったら魔力の糸を縮めれば、お前の体が引っ張り上げられるだろ?まぁ、もしだめだったら俺が背負って登ってやるから安心しろ」
「・・・なるほど、分かった。試して・・・みよう」
なかなか素直になれず、なにかを頼むにも自尊心が邪魔をして、ぶっきらぼうな言い方になってしまう。だが、ビリージョーはそんなディリアンの心中を察しているかのように、優しく安心できる言葉をかけてくれた。
ディリアンはいつの間にかビリージョーを信頼するようになっていた。
ディリアンの魔道具、流動の石は、体の中心、へその隣に埋め込んである。
魔力を全身から均等に集める事で、体のどの部分からでも魔力で練った糸を出す事ができる。
太さも自在に調整でき、髪の毛程の細さから、綱のように太くする事可能である。
そして今回は毛糸くらいの太さの魔力糸をナイフに巻きつけ、数十メートルは上のダスト・シュートの出口に向かって伸ばした。
ナイフはすぐに出口を抜けて、そのまま軽い金属音を立てて床に落ちた。
引っかかりか・・・床を滑らせてみれば・・・お!
魔力操作で糸を振るい、ナイフを回すように滑らせると、すぐに何かにぶつかった。
引いてみるが、引っかかったように動きが無い。
「・・・どうだ?」
「ビリージョー、うまく、いった・・・」
下から様子を伺う言葉をかけられる。ディリアンは安心からか、柔らかい口調で成功したと告げると、ビリージョーは少し驚いたように眉を上げた。
「・・・そっか、そりゃよかった。お前もそんな風に笑うんだな?その方がいいぞ。友達も沢山できる」
「・・・フン、親父みたいな事、言い、やがって・・・」
その時、金属がひしゃげるような音が、一際大きく鳴り響いた。
二人が一斉に音の方に顔を向けると、バリケードに使っていたロッカーが宙に打ち上げられ、放物線を描くようにこちらに向かってくる。
そして二人のほんの十数センチ、拳1~2個分程の脇を抜けて後ろの壁にぶつかり、けたたましい音を立てて落ちた。
ディリアンは結界を張れなかった。
あまりに予想だにしない出来事に、頭の中が真っ白になった。
ただ、ほんの少しズレていれば、あの金属の箱に顔を潰され死んでいたという事実に、遅れながら全身から汗が噴き出て、心臓の鼓動が早くなる。
「まずい!ディリアン急げ!鮫がくるぞ!」
我を忘れてしまったディリアンを呼び戻したのは、緊迫感に満ちたビリージョーの声だった!
ディリアンは反射的に手の平から伸ばす魔力の糸を縮めた。
するとビリージョーの予想通り、自分の体が上に引っ張り上げられていく。
ダスト・シュートの中に、その頭が隠れる寸前に目にしたものに、ディリアンは戦慄した。
何十匹もの槍鮫が一斉に向かってくるその姿に・・・
深い穴倉のような黒い目からは、感情の一切は読み取れない。
だが、鮫共が飢えている事だけは分かる。
あの鋭いく尖った口に刺されれば、たちまち水の中に引きずり込まれ、そして一片の肉片も残さずに食い尽くされるだろう。
数十匹はいるだろう槍鮫の群れが、耳が痛くなる程に水飛沫を上げて、凄まじい勢いで迫ってくる!
人間相手とは全く違う。こちらが何匹鮫を殺そうと鮫らは恐れない。
本能の赴くままに獲物を喰らうだけ。
「どうした!?急げ!」
下で待つビリージョーの焦燥した声に、ディリアンは我に返り魔力操作に集中した。
ディリアンの全身がダスト・シュート内に入ると、ビリージョーも足場を強く蹴って飛び上がった。
膝まで水に浸かっていたが、その両手はダスト・シュートの縁を掴み、一気に体を引き上げた。
間一髪だった。
ビリージョーが膝を曲げて両足を引き上げた瞬間、一瞬前までビリージョーが立っていた場所を、数匹の槍鮫の尖った口、牙がかすめていった。
「ハァッ・・・フゥッ・・・ハァ・・・さ、鮫ってのは、とんでもねぇな・・・」
両手を突っ張り棒のようにして、ダスト・シュート内の左右の壁を押さえて体を支える。
緊張状態から解放された事で、冷静になり少し視野も広くなってきた。
落ち着いていたつもりでも、やはりそうとう焦っていたらしい。まだ動悸が早い。
上を見るとディリアンもう出口に差し掛かっている。なんとか二人とも助かる事ができた。
下から聞こえる水を弾く音に目を向けてゾッとした。
鮫らは本能に赴くままに行動をしている。
恐怖はないのだろうか?何匹、何十匹殺しても怯む事なく向かってきた。
そして今、鮫ら自分達の上に逃げたビリージョー達を、その闇の如き深く黒い目で、ジッと見上げていた。
せいぜい逃げるがいい
どうせ水が満ちれば捕まえられる
ビリージョーはその目を見続ける事ができず、上を向くと両手、両足でしっかりと壁を押さえ、体を固定しながら登り始めた。
絶対に落ちないように慎重に・・・・・
そして二度と下に目を向けなかった




