604 見えない武器の正体
何も持っていない。
少なくとも目に見える限りでは、リコ・ヴァリンは空手だった。
だが、アラタの手が感じた衝撃は、鈍器ではなく刃。鋭利な何かによる一撃だった。
「・・・防いだ。キミ、すごいね・・・私の初撃を防げる人は、帝国にもほとんどいないんだよ」
紫色の瞳をやや大きく開き、リコ・ヴァリンは感心したように何度か頷いた。
リコ・ヴァリンの初撃は、右手を軽く払う。それだけだった。
胸の高さまで上げた手を、内から外へ、埃でも払うように振る。それだけだった。
並みの戦士であれば、反応すらできなかっただろう。
だが、アラタの目と耳は、僅かだがソレを捉える事ができた。
リコ・ヴァリンが右手を払った際に、僅かに見えた手元の光。
そしてそれと同時に、耳に届いた微かな風を切る音。
アラタは反射的に胸の前で両手を盾にし、守りの体勢をとった。握り締めた両の拳の甲で、見えざる攻撃を受け止める。
リコ・ヴァリンの攻撃はほぼ見えなかった。
だが、振るわれた手の軌道から狙いをつけ、かろうじて防ぐ事に成功する。
鉄糸を使ったグローブで受けられたのは、僅かな情報から狙いを探り当てた、アラタの直感を称賛してしかるべきだろう。
「・・・く、これは・・・」
リコ・ヴァリンの一撃は、受け止めたとしても、アラタの両手を痺れさせるには十分だった。
頬を伝う汗は冷たく、アラタは目の前立つ、自分より小さな女の底知れない戦闘力に、身が震える思いだった。
・・・リコ・ヴァリンと戦って生き残った者はいない。戦えば生存率ゼロ・・・
乗船前にリンジーと話した時に聞いた、リコ・ヴァリンの情報が思い起こされる。
「思ったよりやるようだから・・・少し、本気だすよ」
リコ・ヴァリンは右手をゆっくりと前に出す。
その手の先は、なにかを摘まんでいるように見えた。
おそらく、透明な刃か、それに近い何かだ。
俺はまだ痺れの残る両手に、無理やり拳を握らせた。
グローブの甲の部分に目を向けると、破れてはいなかったが、一の字で細い線跡がくっきりとついていた。
そしてリコ・ヴァリンが手を払った時、手元でなにかが光ったが、それは多分ここに差し込んだ太陽の光が反射したんだ。
そこから導き出される答えは、目に見えない程透明度の高い刃。
そして数メートル離れた距離からも攻撃を届かせる事が可能という事は、伸縮自在であるという可能性が高い。
「・・・ぼけっとしてていいの?」
見えない攻撃の正体を考察していると、そんな余裕あるのかと言わんばかりに首を傾げる。
そしてリコ・ヴァリンは死刑執行を告げるように、右手を振り下ろした。
「・・・この男、本当に何者だ?」
ダリル・パープルズは、目の前の光景に驚きを禁じ得なかった。
ラルス・ネイリーを倒された事も驚愕する程の出来事だった。だが、防御一辺倒とは言え、リコ・ヴァリンの猛攻を凌いでいる事は、それ以上の衝撃だった。
常人では感じる事さえできないリコ・ヴァリンの連続攻撃を、アラタはその拳で全て受け切っているのだ。
見えるはずはない。だがアラタは、リコ・ヴァリンの肩、肘、手首の動きと、おそらく刃物であろう武器が風を切る微かな音から、経験による読み、そして体が感じるままに身を委ね、拳を振るい防いでいるのだ。
この船への侵入者が手練れであるだろう事は、カーンから聞いていた。
だがリコ・ヴァリンの攻撃をここまで凌いでいる事は、ダリルの予想を大きく上回っていた。
侵入者が何人いるのかは分からないが、少なくともこの黒髪の男は、帝国の師団長に迫る力は持っている。
アラタを見るダリル・パープルズの目が、その力を認め鋭く光った。
自分の護衛であるリコ・ヴァリンの魔道具を、当然ダリル・パープルズは把握していた。
限りなく透明に近い素材を使用し、その存在さえも気付かれない程に薄く軽く鍛え上げ、鞘はおろか柄さえも付ける事をしないその武器の名は、ガラスの剣である。
刀身は70cm。平均的な長さであるが、柄は無いため、刃を直接摘まみ持っている。
ガラスの剣は薄く軽いと言ったが、それはつまり、脆い、という事でもある。
どの程度の強度かと言えば、子供の力でも地面に叩きつければ砕け散ってしまう程である。
アラタは一つ思い違いをしていた。
リコ・ヴァリンの初撃を受けた位置から考えて、それは伸縮自在の武器だと思い込んでいた。
だが、子供の力で壊せる程に薄く脆い武器であるならば、鉄の強度を持つアラタのグローブにぶつけただけでも、壊れてしまうはずである。
リコ・ヴァリンのガラスの剣は、伸縮自在ではない。
ガラスの剣の秘めた力は・・・・・
「・・・すごい。ここまで防ぐなんて、師団長クラスかも・・・じゃあ、これはどう?」
ことごとく自分の連撃を防ぐアラタに対し、リコ・ヴァリンは苛立ちは見せず、反対に称賛を口にした。
そして力を一段階引き上げた。
アラタがその気配を察せられたのは、一重にこれまでボクシングに対して真摯に向き合い、トレーニングを続け勘を鈍らせなかったからだろう。
これまでより一歩深く踏み込み、これまでより大きく腕を振り上げ、これまでより速く強くその右手を振り下ろした。
「ぐァッッツ!」
反射的に身を丸め、両腕を盾にして受けたのは最適な防御方だった。
これまでで一番重く、一番強く、そして一番鋭い斬撃をぶつけられ、アラタはその体を後方に吹き飛ばされた。
「な、んだコレッッ!?」
僅かに体を浮かされたが、かろうじて両足で地面に着地する。突然増した一撃の威力に、アラタの呼吸が大きく乱れた。
攻撃を受けた両手のグローブを見ると、甲の部分が裂けて、銀色の細い繊維が覗き見えた。
これがジャレットの話していた鉄糸である。
「・・・これも受け切るんだ?キミ、本当にすごいね」
アラタは思い違いをしていた。リコ・ヴァリンのガラスの剣は伸縮するのではない。
「じゃあ、本気出してもいいかな?私の本気はこんなものじゃないけど、キミなら受け切れるかもね」
ガラスの剣は、使用者の振るう力と速さに比例して、相応の強さの斬撃を飛ばす剣なのである。




