603 凛とした声の死神
「・・・リコ、いけるか?」
ダリル・パープルズは、驚きを隠すように口元を手で押さえた。
こいつ・・・この戦い方は、まさか・・・?
ムラト・シュウイチ・・・・・現在は、デユーク・サリバンと名乗っているが、ヤツの戦い方によく似ている。
ネイリーは帝国に来てまだ一年程だ。デュークの戦いを見た事がないのだろう。だから、この男の構えを見ても、何も気づかなかったんだ。
デュークは皇帝のお気に入りだという事を除いても、帝国に来てほんの数年で、第七師団長まで登りつめた男だ。師団長になり、皇帝の側近として置かれるようになってからは、ほとんど戦いにでる事はなくなったから、新兵は知らないだろうが、ヤツの戦いを一度でも目にすれば、決して忘れられないだろう。
甲冑に身を包み、剣を、槍を、斧を持った戦士を、素手で蹂躙していく様は、人という枠を超えた強さであり、味方でさえ畏怖してしまうほどだった。
そのデュークの戦い方と、この男の姿が重なって見えるのだ・・・これは一体・・・?
ダリル・パープルズの傍らに立つ、もう一人の護衛リコ・ヴァリンは、大臣ダリルの動揺、心の機微を感じ取っていた。
冷静、沈着、そして時には大胆に、皇帝に代わり国の政を担う大臣ダリル・パープルズが、少なからず動揺している事だけでも、初めて見るものだった。
そしてそのダリルの動揺は、リコ・ヴァリンも共感できるものがあった。
ブロートン帝国で生まれ育ったリコ・ヴァリンは、デューク・サリバンの戦いを目にした事がある。
当然ダリルと同じく、アラタの構え、戦い方が、デュークとよく似ていると感じていたからだ。
そして戦い方だけでなく、ラルス・ネイリーの結界を、一撃で破壊した攻撃力も目を見張るものがあった。
ボディアッパーで、アラタの頭より高く打ち上げられたネイリーは、そのまま無防備に落下し、今は右脇腹を押さえて苦痛の声を漏らしている。おそらく右の肋骨は滅茶苦茶にへし折られているだろう。自力で立つ事はもはや不可能だ。
そうなると、ネイリーを倒したこの男と次に戦うのは、必然的にこの紫色の髪をした若き護衛となる。
ダリル・パープルズの問いかけに、リコ・ヴァリンは、二つ返事で答えた。
「いけます」
それは沢山の死体が転がり、そして血に濡れたこの場には不似合いな、凛とした涼音のような声色だった。
十分過ぎる手応えだった。
俺のボディアッパーは、ラルス・ネイリーの右の肋骨をほぼ全てへし折った。
目の前で倒れているこの男の顔を見れば分かる。顔は苦痛に歪み、汗にまみれ、血反吐を吐いている。
もはや戦闘不能だ。
しかし際どい勝利だった。結果だけを見れば、無傷の俺の圧勝と映るかもしれない。
だが、実際には紙一重だった。
このグローブを付けていたため拳が固められていた事。それにより威力が増したパンチを打てた。
ネイリーが俺の勝負に乗って正面から来た事。もしあの時針を引いて一歩でも後ろに下がられていたら、完璧なジョルト・ブローは入れられなかっただろう。
様々な不確定要素が合致した事で、かろうじて得られた勝利だと思う。
だが、その不確定要素を引き寄せたのは、これまでお互いが歩んだ道のりだと思う。
人を実験体としか見ないネイリーは、その戦い方も、最後まで俺を薬漬けにする事にこだわっていたように見えた。そんな濁った心で最後の最後、勝利の際で勝ちを掴めるはずなんてない。
俺にはレイジェスの皆がいる。
ユーリの回復薬が俺を動けるようにしてくれた。
カチュアの傷薬が血止めをして助けてくれた。
その薬を守ったのは、ジーンとケイトのポーチだ。
そしてジャレットさんとシルヴィアさんのグローブが、勝利の決め手になった。
「ラルス・ネイリー、お前の負けだ。その痛みはこれまでお前が弄んだ人達の恨みだと思え。少しでも人の痛みを知るんだな」
「ぐっ・・・うぐぁっ・・・はぁ、はぁ・・・お、おま、ぇぇぇ・・・」
自分を見下ろす男の言葉が聞こえたのか、息も絶え絶えになりながら、ネイリーは僅かに瞼を開けた。
この黒髪の男は、自分がピンポイントで、一点に集中させた結界をたった一発で打ち砕いた。
そしてその拳の威力は、人一人を頭上より高く打ち上げる程だった。
結界は砕かれたが、少なからず拳の威力を減少させてはいただろう。
もし結界を張らずにまともに受けていたら・・・
アラタを睨みつけるネイリーの目は、それまでの実験体を見るものとは違い、異質なものを見るような僅かながらの恐れもあった。
それは現在こうして、己の生命を危険に晒されている事もあるだろう。
これまで絶対的強者として、一方的に他人をいたぶって来たネイリーには、人生で初めての事だった。
屈辱を晴らそうにも、怒りをぶつけようにも、ネイリーはもう立てない。
アラタとネイリーの勝負がついたその時、背後から感じた殺気にアラタは反射的に振り返った。
同時に両腕を顎の下で盾のように構えて、防御の体勢をとったのは、まるで首筋に刃を当てられたような、冷たく研ぎ澄まされた殺気に対しての防御本能だった。
実際には何もされていない。
振り返ったアラタの視線の先、数メートルに佇みこちらを見ているのは、紫色の長い髪の小柄な女性だった。
そして髪と同じ紫色の瞳でアラタを見る。あまり感情が顔に出ないのだろう。
無表情で何を考えているのか読み取り辛い。
ただ、ほんの少しだが自分に対して興味を持っていると、アラタは感じ取った。
「・・・ほとんどの男は、今ので動けなくなるんだけど・・・キミは強いんだね」
耳に通りの良い、鈴のような声だった。
場所が違えば、草原に吹く一つ風のように涼やかで、聴く者を魅了する歌声のようだったろう。
しかしアラタの耳には、己の命を刈り取る、死神の宣告のように届いた。




