60 未練
マルコスに同席を拒否されたフェンテスは、外回りを命じられた事で、拷問部屋のすぐ外で待機をしていた。
拷問部屋には窓が無く、壁でも壊さない限り外からも侵入は不可能だが、拷問部屋の隣はただの空き部屋である。フェンテスはその部屋の窓から侵入しようと考えていた。
特別大きな窓という訳ではないが、体の細いフェンテスならば、なんとか入れそうだった。
周囲に誰もいない事を確認し、窓の鍵付近をナイフで破壊する。
音が出る事はこの際しかたないと考えたが、拷問部屋は音が漏れにくい構造でもあるので、少なくともマルコスやアンカハスには、こちらの音も聞こえないだろうとは考えていた。
なるべく大きく割れないようにはできた。
窓枠に両手をかけ体を上げると、手を入れて鍵を回し解錠した。
頭から体を忍ばせようとしたところで、後ろに誰か立つ気配がした。
振り返ると、アローヨが訝し気な目を向け立っていた。
いつの間に・・・そう思ったが、見られたものはしかたない。この場をどうするか考えるべきだ。
フェンテスは体を下ろし、アローヨに体を向けた。
何か言わなければと思ったが、この状況で通用しそうな言い訳など思いつかなかった。
フェンテスは嘘偽りを述べない事を選んだ。
「アローヨさん、俺は治安部隊のため、マルコス隊長と敵対します。あなたも力を貸してくれませんか?あの頃の、自分の仕事に誇りが持てた頃の治安部隊に戻すんです。ヴァン副長も、カリウスさんも今、そのために戦っています」
フェンテスの言葉にアローヨは絶句した。
フェンテスはこういう冗談を言う性格ではない。
なによりフェンテスの表情からも、正直に話している事は伝わってくる。
アローヨは今の治安部隊の在り方に絶望していた。一体何人の罪の無い人々を牢に入れただろう。
街の人々からは恐れられ、かつての信頼関係は全く無くなった。
そして、自分も絶望しながらも、ここでの生き方しか知らず、心を殺しながら今だ任務を続けている。
アローヨには結婚を約束していた女性がいた。
6年前、隊長補佐に就任した時に想いを打ち明け交際が始まった。
それから3年、マルコスが隊長に代わり、次第に治安部隊のやり方に街から不満が出始め、怖がられるようになってくると、女性との関係も変わっていった。
やがて女性はアローヨに別れを告げた。
この時を境に、アローヨは怒りやすくなり、隊員からも怖がられるようになった。
八つ当たりであると自覚はあった。だが止められなかった。
隊のやり方に不満を持ち、それでもここでの生き方しか知らず、辞める事もできない。
心は逃げ場を失い、袋小路に追い詰められたまま毎日を過ごしてきた。
フェンテスの言葉は、アローヨの中に蓄積していた自分自身へのいら立ちを爆発させた。
「い・・・今更・・・今更、何を・・・言ってるんだ?」
「・・・アローヨさん?」
アローヨは俯き、小刻みに体を震わせている。
まずい・・・!
フェンテスはナイフを取り出し、右半身を前に構えた。
「俺は何もかも失ったんだ!仕事への誇りも!街からの信頼も!婚約者も!今更隊を変えるだと!?力を貸せだって!?ふざけるな!」
激昂のアローヨは拳を握り締めフェンテスに襲い掛かった。
ナイフを構えこそしたが、フェンテスはアローヨを殺したくはなかった。
アローヨを抑え込むしかない!
フェンテスは体が水平になるほど低く腰を落とすと、左手を軸に時計回りに体を回転させた。
右の踵が、向かってくるアローヨの右足首を刈り取り、アローヨの体が一瞬宙に浮く。
回転した勢いを殺さず、そのまま右足で地面を踏むと同時に蹴る。
左肘を立て、重力に沿って落ちて来るアローヨの顔面に全力で打ち付けた。
鼻から血を吹き出し、アローヨの体が地面を二回、三回と転がりながら土を付けていく。
肘鉄を食らわせると、倒れたアローヨに向かって更に加速し追いすがる。
アローヨはこの程度で戦意喪失はしない。
フェンテスはアローヨが立ち上がる前に、動きを封じるつもりだった。
勢いよくアローヨの頭を掴み上半身を起こすと、そのまま後ろに回り首筋にナイフを当てがった。
「・・・降伏してください。俺の邪魔をしなければここで終わりです」
「・・・フェンテス、あの頃・・・まだ副隊長補佐になる前・・・お前に戦い方を教えたのは誰だ?」
アローヨの首に力が入る。頭髪を掴まれ、仰け反るように後ろに引かれているが、アローヨは力任せに頭を前に持って行く。首筋に当てているナイフの刃が、肉を切り裂き内側に入る感触が伝わってくる。
アローヨはフェンテスの動揺を見逃さなかった。
反動を付けた頭を、思い切り頭を後ろに叩きつけると、フェンテスの顔、顎のあたりにぶつかったのだろう。
固い骨を打ち付けた感覚が自身の後頭部に伝わる。頭髪を握る手が離れ、背中にかかっていた重みも無くなった。
アローヨは身をひるがえした。今度はフェンテスが地に腰を落としていた。
「戦闘中に敵の命を考えるなと教えたはずだ!」
フェンテスの頭を目掛けて、アローヨが足を振り抜く。かろうじて両腕を前にアローヨの蹴りを受けるが、そのまま後方に蹴り転がされてしまう。
ナイフは手放してはいけない。フェンテスは右手のナイフはしっかりと握ったまま、左手で地面を捉え、右足に力を込め跳ね起きる。だが、正面に向き直った時にはすでに眼前にアローヨが迫っていた。
肩口を上げ、突き刺すようなアローヨの体当たりが、フェンテスの腹に突き刺さる。
胃が押しつぶされるような衝撃だった。胃液を吐き散らしながら、フェンテスの体が真後ろに吹き飛ばされる。
受け身も取れず地面に体を打ち付け、転がりながら壁にぶつかり、ようやく動きが止まった。
早く立たなけば・・・
呼吸もままならないが、フェンテスは肘を着き、なんとか上半身を起こす。
その間にもアローヨは距離を詰めており、再びフェンテスの頭を目掛けて左足を大きく振り抜いた。
だが次の瞬間、振り抜いたアローヨの左足から鮮血が飛び散った。
アローヨが足に目を落とすと、治安部隊のボディアーマー、脛を覆う鋼鉄のレッグガードが当てられていない足首から、鮮血が飛び散っていた。遅れて鋭い痛みが走り、顔を歪めてしまう。
浅かったか・・・
フェンテスはアローヨの蹴りを身を低くして避けると同時に、足首に狙いを付け斬り抜けていた。
満足に呼吸ができず、腹部と胸にかけての強い痛みで、手元が正確には動かせなかったが、
それでもアローヨの動きを止めるだけの傷は付ける事ができた。
胸に手を当てるとボディアーマーがへこみ、亀裂が入っていた。
幸い肋骨は折れていないようだが、次食らえばボディアーマーは持たず、骨の二、三本は持っていかれるだろう。
警戒したアローヨは追撃をせず、一定の距離を保ち仕掛ける様子を探っている。
フェンテスもまた、油断なくナイフで威嚇しつつ、アローヨとの距離を取りながら、片膝を付き呼吸を整えていた。
「・・・アローヨさん、俺はあなたを殺したいとは思わない。だが、これ以上やるのなら、相応の深手は覚悟してください」
「フェンテス・・・お前を・・・」
アローヨは腰からナイフを取り出すと、腰を落とし左手に構えた。
左半身を前にやや前傾の姿勢で、仕掛けるタイミングを伺っている。
ナイフ術ではフェンテスが上だ。アローヨはフェンテスのナイフ術の高さを認めていた。
まともにナイフで斬り合っては勝てない。
フェンテスのナイフを急所には食らわないよう、アームガードで防ぎつつ捕まえる。
そして・・・
アローヨはフェンテスを殺すつもりだった。
フェンテスは隊を裏切った。いかなる理由があろうと、それは間違いない。
ヴァンやカリウスも協力をしているという。彼らなら、またやり直す事もできるかもしれない。
だが、自分はどうだ?
かつては人望もあったと思う。それを評価され、隊長補佐という任命を受けた。
だが、この三年間で回りの自分を見る目は百八十度変わってしまった。
いつもイライラしていて、八つ当たりばかり。言われた仕事はやるが、それだけだった。
分かっている。全て自分が悪い。ここでの生き方しか知らないから、一つ何かがずれると、他のバランスも崩れてしまう。
何でこうなった?何が悪い?そう自問自答しているうちに、どうしようもない精神の袋小路に追い詰められてしまった。
だが、それはお前達も同じじゃないのか?お前らだって今のやり方に不満はあれど従っていたんだ。
俺達6人は運命共同体のはずだ。それを、今更お前達は光ある道へ出てやり直すというのか?
俺は・・・俺は全て失ったのに・・・許せない・・・許せるはずがない!
「お前らだけを許すわけにはいかねぇんだ!」
アローヨは怒声を上げ襲い掛かった。手首を横にし、ナイフを滑らせるように、フェンテスの右手首に斬り付ける。
軌道を読んでいたフェンテスは、一瞬早く右手を引き、アローヨのナイフを躱すとともに、空いた左脇腹を右のナイフで横なぎに切り裂いた。
アローヨも反応はできていた。僅かに体を後方に引き、傷を浅く抑える。
だが、やはり斬られた痛みで、次の動作に一瞬の遅れが生じる。
フェンテスはこの機を逃さなかった。
手首を返し、アローヨの顔面目掛けナイフを振り上げる。
目だ!
アローヨは顔を逸らし、ギリギリのタイミングで目は回避はできたが、左の顎からこめかみにかけて縦に切り裂かれ、鮮血が飛び散った。
フェンテスは止まらなかった。そのまま体を右に流し、勢いを付けて左の拳でアローヨの顔を殴りつける。
右の頬にまともに入り、アローヨの上半身が大きく傾いた。
ここだ!ここで決める!
首回りから鎖骨は固いアーマーに覆われていない。フェンテスはナイフを逆手に持ち直すと、鎖骨目掛けてナイフを振り下ろした。
殺すつもりは無い。鎖骨を少し深く突き刺せば、もう満足に動けなくなるだろう。
フェンテスがアローヨを殺す気で戦っていたら、すでに勝敗は決していた。
最初の足払いの後、アローヨの顔面にナイフを突き刺す事も可能であったし、その後にアローヨの首を切り裂く事もできていた。
フェンテスは命をかけて戦っていた。この戦いで死ぬ事も厭わない。自分の命は惜しまなかった。
だが、アローヨの命を考えた。
11年前、フェンテスが入隊した時に、隊員としての心構え、戦い方を教えてくれたのはアローヨだった。
アローヨにとっては、大勢いる新人の中の一人にすぎなかった事だろう。
だが、厳しくもあったが優しさを持ち、常に街の人々の平和を考え隊員を指導するアローヨを、フェンテスは尊敬していた。
そして6年前、自分が副隊長補佐になった時、アローヨはフェンテスを覚えていた。
これからは先輩後輩ではなく、仲間としてよろしくな。そう言って握手を求めてきたアローヨは、今でもフェンテスの心の中で輝いていた。
ナイフが肉を突き刺し貫く感触が手に伝わって来る。
「なに!?」
フェンテスのナイフは、アローヨの右手の平を貫通していた。
「やっと捕まえたぜ」
アローヨは貫通された右手を更に深く押し込み、そのままフェンテスの右手を掴む。
「これは戦いだぞ!俺の命を考えるなと何度言わせる気だ!」
アローヨの左のナイフがフェンテスの喉を切り裂いた。
鋭く熱い痛みが喉を走る。
血が流れているのが分かる。
「・・・アローヨさん・・・」
あと少し、あともう少しだけ深ければフェンテスの命を絶っていただろう。
アローヨの振るったナイフは、フェンテスの首の皮を、肉を切り裂き、横一文字の傷をつけていた。
傷口から血が滴り落ちているが、致命傷には至っていない。
「・・・行け・・・」
右手を貫くナイフを抜くと、アローヨは背を向けた。
「アローヨさん、なんで・・・」
「いいから行け!俺を・・・俺をこれ以上・・・」
背中越しに見るアローヨは少しだけ震えていた。
フェンテスは口を開きかけたが、かける言葉が見つからなかった。
黙って後ろを向き、歩を進めアローヨから離れて行く。
・・・やっぱりあなたは俺の尊敬するアローヨさんでした。
心で別れを告げると、フェンテスは走った。
アラタ・・・今行く・・・無事でいてくれ!
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。




