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582 ディリアンの心の傷

「・・・レイチェル、怖い顔をしてるけど、なにかあったのか?」


戻ってきたレイチェルとディリアンの顔を見て、アラタは二人に何かがあったと察する。


まるで目の前に親の仇でもいるかのように、鋭く目を光らせるレイチェル。

能面のように表情を無くしているが、触れれば殺されそうな程の、研ぎ澄まされた殺気を放っているディリアン。


「・・・ラミール・カーンに会った。その側近の魔道剣士達にもね」


レイチェルの告げるその名が、執務室の空気を張りつめさせて、緊張に満ちたものに変える。






それはディリアンを追って、レイチェルが執務室を出た時だった。


足早に通路を進み行くと、ディリアンはすぐに見つかった。

窓辺にたたずみ、感情のこもらない目で遠くを見つめている。


「冷えるぞ」


「・・・・・」


寒さのよる白い息が、唇の隙間から漏れる。

隣に立つレイチェルに、ディリアンは視線を向ける事も無かった。

ただ虚ろ気に前を見て、その意識はどこか遠くに向けられている。



「・・・ジェシカ、だったか?さっきお前が言っていた女性だ。大切な人だったんだろ?」


「・・・・・」


「私にも、大切に想う人がいるんだ。もし、その人になにかあったらと思うと胸が苦しくなる。だからこの戦いは勝たなきゃならない。もし負ければ、クインズベリーにも戦いの火の粉が降りかかるからな」


心に想い描くのは、いつも悲し気な目で笑うあの人。

自分に商売をする楽しさ、身を護る術を教えてくれた、誰よりも優しいあの人。



「・・・ジェシカは、俺のメイドだった・・・」


レイチェルの言葉が届いたのだろう。

ディリアンは、ぽつりぽつりと思い出を噛みしめるように、話し始めた。


「俺より三つ年上で、いつも姉貴風を吹かせていた。他のメイドは俺を公爵家の三男として、とにかく機嫌を損ねないように接していたけど、ジェシカは違った。俺をディリアン君と呼んで、遠慮なく言いたい放題言いやがる・・・」


本人は気付いていないだろうが、自然と笑みが浮かんで、優しい表情になっているディリアンに、レイチェルも目を細めた。



朝、なかなか起きれなくて毛布をはぎ取られた事


嫌いな食べ物を残そうとして、無理やり口に詰め込まれた事


勉強をしないでダラダラしていたら、頭を叩かれた事



「・・・すごいな。彼女はただのメイドなんだろ?雇い主の子供、しかも公爵家によくそんな事ができるものだ」


様々なエピソードを聞かされて、レイチェルは会った事もないジェシカに、尊敬の念すら抱いた。

度胸もさる事ながら、ディリアンが大人になるために大切な事を、一人で全て教えていたからである。

つい甘やかされそうな三男という立場。そして公爵家という事で、厳しい事を言える人もなかなかいない。おそらく誰に言われたわけでもない。ジェシカは自ら教育係を買って出ていたのだろう。



「・・・あの日、俺が見つけた時、ジェシカは眠っているように見えた。机につっ伏して、編み物の途中だったみたいで、床に毛糸が転がっててよ・・・・・仕事疲れかと思ったんだ。でも、声をかけても起きないし、だんだん周りも騒がしくなってきてよ。近くにいたヤツに聞いてみると、他にも大勢同じように意識が無かったり、倒れて苦しんでいるって事だった・・・・・あれから三年・・・ジェシカは今も眠ったままだ」


レイチェルはディリアンの目に宿った、悲しみと怒りの炎を見た。

間違いない。ディリアンの乱雑な態度は、これが原因だ。

これまではジェシカという存在が支えとなり、正しい方向に導いていた。

それが無くなり、心はどんどん荒んでいったんだ。


「・・・新薬の実験体と言っていたが、なにがあったんだ?」


「食事に薬が入れられていたんだ。だけど、無差別ではなかった。ネイリーから魔法の指導を受けていた人間だけが狙われていた。個人差なのかどうかは分からないが、ジェシカのように寝たままになっている者、意識はあるが大きく体調を崩して兵として続けられなくなった者・・・様々だ。ただ・・・」


そこで言葉を区切ると、ディリアンは初めてレイチェルに顔を向けた。

強い視線にを受けて、これから語られる話しの重要性を感じ取る。


「何十人も体の不調を訴えるなか、数人だが・・・魔力が大きく上がったんだ。俺は、これがネイリーの目的だったんだと思う」


親切丁寧に魔法を教え信頼を得た後、食事に薬を盛る。

怪しまれないように動くために、一年あまりの時間をかけて準備をする辛抱強さと狡猾さ。

それがラルス・ネイリーだと、気付いた時には手遅れだった。


「・・・その、数人は今どうしてるんだ?」


「・・・全員死んだ。精神に異常をきたしたんだ。白魔法使いがキュアをかけたが、回復は見込めなかった。ある日、世話係が少し目を離している間に窓から飛び降りてな・・・多分、最初の一人が飛んだ事で触発されて、それに続いたんだろう・・・これが俺とネイリーの因縁だ」



レイチェルのディリアンの肩に手を置くと、ゆっくりと抱き寄せた。


「あぁ!?な、なんだよ!?」


「たった一人で今日まで・・・辛かっただろう?よく耐えたな・・・」


優しく撫でられる背中、自分を抱きしめる温かい温もりに、ディリアンの頑なな心の殻が破れそうになった。


だが・・・・・


「・・・離せよ」


ぐいっとレイチェルの両肩を押して体を離すと、ディリアンはそのままレイチェルに見向きもせずに、執務室の方に足を向けてスタスタと歩き出した。


心を開いてくれるにはまだまだ時間がかかる。

最初の出会いからもめたのだから、むしろよく事情を話してくれたと思うべきだろう。


レイチェルはディリアンの数歩後ろ、一定の距離を持って付いて歩いた。



「お前ら、ここで何をしている?」


呼び止められて振り返ると、ラミール・カーンが二人を鋭く睨みつけて立っていた。


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