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56 戻れない道

誤字を見つけたので訂正しました。内容に変更はありません。

「貴様!」

アンカハスが腰からナイフを抜き、俺に斬りかかってきた。


両手を縛られているので、拘束を解くまではうかつに攻める事ができない。眼前に迫るナイフをバックステップでかわすが、体制を立て直さないうちに追撃が来る。


スウェーバックで喉元に迫る刃をかわし、心臓を狙った突きを両の拳を合わせ叩き落とすと、俺は赤いイスの後ろに回り、アンカハスとの距離を開けた。


アンカハスは俺が両手を拘束されていても、それ以上の追撃をせずに隙を狙っている。

自分のナイフを三度かわされて、警戒を強めたようだ。


「サカキ・・・アラタ・・・やりましたね?」

アンカハスの後ろでマルゴンがゆっくりと立ち上がった。顔にハンカチを当て、鼻の辺りをぬぐっている。


「マルコス隊長、こいつは俺がやります。隊長に手を出すなんて死罪です」

マルゴンはアンカハスの肩に手を置くと、ゆっくりと左右に首を振った。


「いいえ、アンカハス、サカキアラタには、まだ話してもらわなければならない事が沢山あります。ですので、まずは動けない程度に痛めつけてあげなさい」


アンカハスは黙って頷く。

重心が一歩下がり、足に力を溜めている事が分かる。おそらくイスを飛び越えるか、イスを蹴り飛ばし、そこからナイフでくるか、この辺りに予測を付ける。


俺は左側を前に半身に構えた。両手は腰の位置まで下げているが、野球のバットを振るように、アンカハスの顔面を振りぬくイメージは作っておく。今の状態では攻撃方法が限られる。肘を使う事もしなければならないだろう。


そしてアンカハスの後ろのマルゴンにも注意を払わなくてはいけない。マルゴンがいつ手を出してくるか分からない。アンカハスに任せるような事を言っているが、実質2対1だ。


アンカハスと睨み合う。空気が張り詰めていく。


その時、突如天井から、まるでなにか重い物を叩きつけたような大きな衝撃音が響き、石造りの天井からパラパラと砂がこぼれてきた。


「マルコス隊長!た、大変です!」


息を切らしながら、隊員が部屋に駆け込んできた。

マルゴンとアンカハスの視線が反射的に隊員に向き俺から切れる。



その瞬間、俺はアンカハスに向かい跳んだ。

イスを飛び越え、アンカハスの頭に両の拳を握りしめ振り下ろす。


隙を見せたアンカハスは、すぐに向き直るが動作が一つ遅れる。

ナイフを突き上げるが、狙いが定まりきらない半端な突きだった。


振り下ろした拳の角度を少し変えると、アンカハスのナイフが俺の右手首をかすめていく。一瞬鋭い痛みが走る。


着地と同時にすぐにその場から飛び退く。

アンカハスが構え直すが、自らの失態に気付き、細い目を開き、憎々し気に顔を歪めている。


手首から流れる血が指を伝いしたたり落ちる。

縄だけうまく斬る事はできなかったが、両手は自由になった。


「さて・・・続きをやろうか?」

俺は左手を軽く握り前に出し、右手は顔の横へ、右足を少し後ろに引いて、いつもの半身に構えた。



アンカハスの額に汗が滲む。いつも黙ってされるがまま暴行を受けていただけの男が、自分のナイフを三度躱した。僅かな攻防だが、目の前の相手が想像以上に手ごわいと感じとっていた。


うかつにも視線を外してしまい、アドバンテージの拘束も、自らのナイフを利用され切ってしまうという失態をおかし、後ろにいるマルコスに顔を向ける事ができずにいた。


左手を軽く握り、前に出しているところを見ると、左手が攻撃の起点なのだと推測できる。話しには聞いていたが、本当に素手で戦うようだ。


自分はナイフを持っている。圧倒的に有利なはずだが、うかつに前に出ると打たれる予感がして、攻めあぐねいてしまう。


だが、引くわけにはいかない。後ろでマルコスが睨みを利かせている。醜態をさらせば副隊長の任を解かれ、居場所がなくなってしまうかもしれない。




ジェイミー・アンカハスは何でもできる男だった。


体力型として平均以上の身体能力を持ち、要領も良かった事から、何をやってもある程度できてしまう。

そのため努力らしい努力をした事がなく、一番というものは取った事がなかった。万能と言えば聞こえはいいが、器用貧乏とも言えた。


ノルベルト・ヤファイとは付き合いが長く、アンカハスにとって一番の友である。

ヤファイはアンカハスと違い、一つの事に打ち込み没頭するところがある。正反対とも言える性格だが、不思議と気が合った。


アンカハスを治安部隊に誘ったのはヤファイだった。平民であるアンカハスは、商売でもして自分の店を持ち、ゆくゆくは商会でも作り、儲けられればと考えていたが、熱心なヤファイの誘いに応じ治安部隊の門を叩いた。


入隊後、アンカハスは持ち前の要領の良さと、身体能力の高さから、早くから頭角を現した。


当時の副隊長の引退に伴い、ヴァン・エストラーダと並び異例の若さで副隊長に昇格した。


ヤファイが副隊長補佐に昇進したのは、アンカハスの推薦であった。

自分を一番理解し、自分が一番安心して職務を任せられるのはヤファイである。

そう隊長に伝え、通した人事であった。


反発はあった。だが、ヤファイは一切の反論をせず、誠実に職務に当たった。

その姿にやがて反発の声は消えていき、いつしか周囲の目は信頼に変わっていった。



アンカハスが副隊長になって1年が過ぎた時、当時の隊長と隊長補佐が突然の引退を発表した。


ヴァンとアンカハス、若手の二人の副隊長と、それを補佐するヤファイ。誠実な仕事に世代交代を感じ、新しい風を入れたいと感じた事を理由に延べた。


新しい隊長に、カリウス・クアドラスが推薦された。


当時の隊長が可愛がっていた事もあるが、それを抜きにしても隊員からの人望があり、街の人との付き合いも良い。実力もあり、反対の声は上がらなかった。

ヴァンと同期だが、ヴァンはカリウスの隊長就任を心から歓迎していた。



隊長補佐にはアローヨが着いた。アンカハスやヴァンより5年早く入隊しており、この時すでに31歳を迎えていた。カリウスはこの時26歳である。


自分より5つ下の隊長に補佐で着く事は気にならないか?という声もあったが、アローヨは歳なんか気にせず仲良くしようと、気さくに笑いすぐに打ち解けていた。


アローヨは10歳の頃から見習いとして治安部隊に入隊しており、入隊20年目を迎えていた。


当時の隊長がアローヨを補佐に当てた理由は、まだ若い彼らを経験豊富で年上のアローヨが、道を間違わないよう導いていく事を期待したからだった。

また、場を和ませ安心感を与えるアローヨの人柄も大きく買われての人事だった。



副隊長補佐は一人であったが、これを機にもう一人増やす事になった。


ヤファイの働きが認められ、副隊長補佐の重要性が増した事もあるが、ヤファイがアンカハス寄りだった事もある。もう一人、ヴァンの専属を付けた方が、ヴァンにもアンカハスにとっても良いだろうという事だった。

ハッキリとは公言されなかったが、実質ヴァン専属の副隊長補佐として、入隊5年目、当時23歳のモルグ・フェンテスが当てられた。


フェンテスは驚いていたが、当時の隊長が一番目にかけていたのがフェンテスであった。

表情に乏しく、人付き合いも上手ではなく不気味に思われるところもあるが、フェンテスには相手が囚人であっても、その背景を見て汲んでやる心があった。


将来、治安部隊にとって無くてはならない男になる。そう確信しての任命である。


こうして体制を一新して新たな治安部隊がスタートをきったのは、6年前の事だった。

ヴァン、カリウス、アンカハス、ヤファイ、アローヨ、フェンテス、彼らはこの時同じ景色を見ていた。



三年後、カリウスがマルコスに敗れ、マルコスが隊長になると、隊の雰囲気は変わっていった。


決定的だったのはヴァンの敗北だった。カリウスに続きヴァンも敗れると、後はマルコスの思うがままであった。


アンカハスとヤファイは、マルコスの下に着いた。

隊の中心人物でもある二人が、いつまでもマルコスと反発しているわけにはいかない。


ヴァンもマルコスに敗れてからは、言うべきことは言っているが、基本的には指示に従っている。

フェンテスもそれは同じだった。


だがヴァンとフェンテスとの間には、ギクシャクとしたわだかまりが生まれ、以前のように、仲の良い兄弟のような関係ではなくなっていった。


なぜ補佐官の自分に何も話してくれないのか?なぜ一人で戦ったのか?ハッキリと口には出さないが、フェンテスはそれを悲しんでいるようだった。


アローヨも仲を取り持つよう動いてはいたが、やがて口数も減っていき、次第に言われた事を黙ってやるだけになってしまった。

今までの治安部隊の雰囲気が一気に変わってしまったため、ショックが大きすぎたのだろう。

この頃から怒りやすくなり、隊員から怖がられるようになった。


カリウスはマルコスとの再戦に拘り、反発ばかりして自分勝手な行動が増えた。

近づき難くなり、次第に孤立を深めていった。


そして半年前、ヴァンは真っ向からマルコスのやり方を否定し、反逆罪で幽閉されてしまった。

フェンテスは必要以外口を利かなくなり、隊の雰囲気はますます悪くなった。


街の人々も、表向きは愛想良くしているが、強張った笑顔、そして隊員が通ると途端に会話が止まってしまう空気、街を守るはずの治安部隊が、街から恐れられる存在に変わってしまった。


アンカハスがヤファイと目指した景色は、もう遠い幻想になってしまった。



だが、それでも辞めるわけにはいかない。投げ出すわけにはいかない。


どれだけ嫌われようと、疎まれようと、犯罪自体は無くなっているのだ。

理不尽な暴力に泣く人は確実に減っているのだ。

この思いだけが、アンカハスを治安部隊に繋ぎとめていた。


だが、アンカハス自身、気づいていないわけではない。

自分達の行き過ぎた取り締まりもまた、理不尽に街の人々を傷付けている事に・・・


あえて気付かないふりをしているのだ。


一度でも正面から意識してしまった時、アンカハスの精神は持たないだろう。



いつからだろう・・・拷問官などと陰で囁かれるようになったのは・・・

最初はただ、強情な囚人の口を割らせるためだった・・・

やがて当たり前になり、心が何も感じなくなった・・・




「アンカハス!何をしているのです!早く取り押さえなさい!」

背後からマルコスの怒声が響く。それを合図にアラタとアンカハスは同時に距離を詰める。


もう後戻りはできない。


「俺はこれで生きていくしかないんだぁ!」


胸に宿る後悔、怒り、あらゆる感情を叫びに変えて、アンカハスのナイフが襲い掛かる。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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