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【353 東のブリッジャー渓谷】

西のセインソルボ山

北の街メディシング

南のブローグ砦


各地で帝国軍との激しい戦いが繰り広げられた。

そしてこの三場所では、カエストゥス軍が勝利を治める事ができた。


そして最後に残った東のブリッジャー渓谷でも、戦いの幕が切って落とされた。



夜も更け月明かりさえ遮られる樹々の中、狭深く切り立った崖を見下ろすように一人立つその男こそ、カエストゥス軍指揮官マーヴィン・マルティネス、78歳と高齢であった。

だが、重戦士と見える無骨な鎧を身に着け威風堂々と構えるその姿は、高齢である事を一切感じさせない威厳に満ち溢れていた。


10年前に一線を退き退役していたが、帝国軍との戦争が始まり求められ復帰した男である。



「・・・マーヴィン様、ご推察されました通り、帝国軍は迂回して進軍しております。すでに千人編成の隊を配置させておりますので、射程に入り次第攻撃を開始いたします」


部隊長の一人が報告に来ると、マーヴィンはゆっくりと振り返った。

静けさで満たされた空間に、鎧の金属音が響く。


「うむ。やはり足場の悪い道を選んだか。あの道は岩場が多く進むには時間がかかるが、他方向と比べ比較的見通しはよく我が軍の頭上も取れる。しかし、これで確信が持てたな」


「はい。マーヴィン様のおっしゃられた通りです。敵はこの渓谷の土地勘を持っております」


部隊長が同調すると、マーヴィンは顎の髭を指先で掴むように撫でる。


「うむ。迂回せずに足場の良い道を来るならば、正攻法でいくつもりだった。だが、あの道を通ってくるならば、敵はこの渓谷を知っておるという事だ。地の利はこちらにあるとは言えなくなるな」


「はい。ですが、先ほど申し上げました通り、すでに千人配置しております。我が軍が先手を取っている事は大きいかと・・・」


自軍の優位を語る部隊長だが、マーヴィンの表情は硬い。

年齢の割には黒髪を多く残しているが、半分以上白くなった長髪を後ろで結ぶと鋭く言葉を発した。


「予定通り攻撃をしかける事は許可する。だが、こちらが待ち構えている事を読まれている可能性が出て来た。待機させている第三部隊も連れて行け。後方支援だ。もし、こちらの動きが読まれていた際に、素早くカバーに入れるように通達しておけ」


念を入れた指示に部隊長は一瞬、そこまで備えなくてもよいのでは、という考えを持つがすぐに頭から降りはらう。


かつて、カエストゥスにその人ありとまで言われた男、マーヴィン・マルティネスの指示であったからだ。



マーヴィンは体力型でありながら、魔法大国カエストゥスで数十年に渡り、軍師として国を支えていた。


この数年で剣士隊も大幅に増員されてきたが、かつての体力型はあまりに数が少なかったため、期待はされていなかったのだ。


そんな中で軍師という役についたマーヴィンは、現役だったマーヴィンを知らない世代でも、生ける伝説として今もなお語り継がれていた。



「了解いたしました。第三部隊にはそのように通達いたします」


そう答えると、部隊長は一礼しその場を離れた。



「・・・この嫌な感覚・・・久しぶりだな」

部隊長の姿が見えなくなると、マーヴィンは物思いにふけるように少しの間だけ目を伏せる。


それは戦士としての勘だった。


現役だった頃、戦場で感じた事のある死の気配。

言葉では説明し難いマーヴィンにしか分からない感覚だったが、肌に当たる風や鼻腔で感じる空気の匂い、背中に滲む冷たい汗。

その全てがマーヴィンに教えていた。



この場から逃げろと・・・・・



「フッ・・・10年ぶりに復帰してみればさっそくこれか。俺はつくづく死と隣合わせの人生のようだ」


自嘲めいた笑みをこぼすと、マーヴィンは崖に背を向け軍の本体に戻って行った。






「テレンス様、先発隊からの伝令が入りまして、目的地まで着いたそうです。予定通りの時刻に攻撃を開始できます」



深紅のローブに身を包んだ短い白髪の男は、この軍の指揮官テレンス・アリーム。

部下の報告を受け、テレンスは座っていた岩から腰を上げた。

足元を流れる川に目を向け、あらためて自分達の現在地を確認する。


「分かった。まだサーチの射程圏には入っていないが、どうやらカエストゥスは隊を三つに分けているようだな。帝国が迂回している事も読んでいる。少しは頭の回る指揮官らしいな」


このまま川の流れを真っすぐ進み行けば、この渓谷は抜けられる。

しかし両側の高く切り立った崖の上から、矢と魔法の餌食になる事は言うまでもない。


もう一つ、足場が良く進軍しやすい道を行けば、おそらく両軍正面からのぶつかり合いになる。

無論、自軍が負けるとは思わないが、可能な限り損害は抑えておきたい。


そう考えれば足場が悪く進軍に体力を使うが、カエストゥス軍の頭上を取れるもう一つの道がベストだ。


「当然だが、ここはカエストゥスの領内。僕達がそこを通る事も計算に入れているだろう。それを分かった上で行くのだ。無策ではないさ」


テレンスが報告に来た兵に指示を出す。

それを受け、兵は足早に離れて行った。




「・・・兄様、大丈夫なのですか?」


テレンスと同じ長く白い髪。クラレッサ・アリームは兄の袖を引いて問いかける。


「クラレッサ・・・うん、大丈夫だよ。クラレッサが出なくてもいいように、僕達だけで終わらせてみせるさ」


テレンスが優しい笑みを浮かべ、クラレッサの手に自分の手を重ねると、クラレッサも安心したように笑みを返した。


「でも、私の力が必要な時はご遠慮なくおっしゃてくださいね。兄様を困らせる悪い人は許しませんから」


「クラレッサは優しいな。うん、そうならないようにするつもりだけど、頼りにしているよ」


テレンスに頼りにされて、クラレッサは目を細め小さく微笑む。



「ところで、あのおじいさんは今日はいらっしゃるでしょうか?私と同じ霊力を使う・・・」



クラレッサが思い出したように口にしたその言葉は、テレンスの表情が固まった。



「・・・ブレンダン・ランデル、だね?」


「はい。あのおじいさんと、もう一度お会いしたいのです」


まるで恋人を待ち焦がれるように、優しく微笑んで話すクラレッサを見て、テレンスの眉間にシワが寄る。


「・・・クラレッサ・・・・・うん、そうだね。もう一度会えるといいね」


「はい。楽しみです」



否定をしてはならない。


否定すれば、この可憐で美しい顔が一瞬で死を呼ぶ悪霊のそれへと変わってしまう。



妹の狂気を知るテレンスは、すぐに表情を戻すとクラレッサの頭を優しく撫でた。



大丈夫・・・クラレッサを惑わす者は、誰であっても僕が消してあげるから・・・


テレンスの瞳に凍り付くような冷たい殺意が宿った。



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