1330 危険察知
「な、に・・・? 」
完璧な一発だった。
俺の右ストレートは確実にこいつの顔面を潰したはずだ。それは拳に残る感触で分かる。
鼻を潰し、顔面を陥没させた。それくらい全力で打った右だった。
しかしその俺の右ストレートをまともに受けて倒れた老人は、上半身を起こすと膝に手を着き、何事も無かったかのように立ち上がった。
そんなバカな・・・あれで起き上がれるのか?信じられない思いだった。
そして・・・
「貴様・・・優れた洞察力をもっているようじゃな?まさか風の口が破られるとは、使い手のワシでさえ知らん穴があったか。大したものだと褒めてやろう」
ゆっくりと上げた老人の顔を見て、俺は絶句した。
もしや直前でまた風の防御で防がれたのかと思ったが、やっぱり俺の拳は当たっていた。
その証拠にこの男の鼻はぐにゃりと曲がって、ボタボタと粘度のある鼻血が滴り落ちている。前歯も折れているようだ、口からも絶えず流れ落ちる血が、顎から伸びる長く白い髭を真っ赤に染め上げていた。
しかし顔面を陥没させたにしては、ダメージが少ないように見えた。
そもそもこうして立ち上がり、普通に話している事が異常なんだ。
しかし答えはすぐに分かった。
「・・・まさか、ヒール、か?」
よく見ると老人の体が淡い光に包まれており、ダメージのある顔は癒しの魔力を受けているようだ。
切れていた頬は塞がっていき、裂けた唇もくっつき合わさっていく。折れて曲がった鼻も繋がって、あるべき位置に戻ろうとしている。見る間に傷ついた顔が修復されていく。時間にしてここまでほんの2~3分程度だろう。だが骨折の治療に並みの魔法使いは30分、腕の立つ魔法使いでも十数分はかかるものだ。そう考えればこの老人の回復の速さが尋常でない事は、魔法を使えない俺でも分かる。
「ふっふっふ、その通りじゃ。貴様の拳をくらった瞬間に自分自身にヒールをかけた。意識が飛びそうじゃったから危うかったぞ。凄まじい一撃じゃった。だがほれ、出血ももう止まった。折れた鼻も繋がった。もうほとんど完治したぞ」
「なっ!?」
そう言って老人は自分の顔に人差し指を向け、見てみろと言うように俺に目を向けて不敵に笑った。
そう、血の跡こそ残っているがそれだけだ。
もう折れ曲がった鼻も戻っているし、陥没した形跡もない。ここまで五分もかかっていないだろう。
回復する前にたたみかけて倒しておくべきだったが、不覚にも俺は、その驚異的な回復の速さに見入ってしまったんだ。
しかしそうでなくても追撃はできなかったかもしれない。
なぜなら、こいつにはまだなにかあると俺は感じ取っていたからだ。
引っ掛かったのは、こいつが無防備に立ち上がった事だ。傷ついた体でなぜ立ち上がった?俺が止めを刺しに出ると考えられなかったのだろうか?
死んだふりでもして、回復に専念する事だってできたはずだ。それなのにこいつは立ち上がった。
それが違和感となって頭の片隅に残っていたんだ。
「ふっふっふ、ワシの治療が終わるまで待っていてくれるとはな、なかなか親切な男じゃ。それで、ほれ、どうした?見事ワシの風の口を突破して、こうして殴る事ができたんじゃぞ?かかって来ないのか?」
そう言って右手の人差し指を俺に向けると、クイっと自分に向けて曲げて見せる。
「・・・お前、まだ何かあるな?」
右の拳は顔の横、目線の高さに。軽く握った左拳を牽制するように前に出して構えた。
直感だが今踏み込むのは危険だと判断した。自信を持っていた防御が破られて、なぜこうも平然としていられる?それはつまり、それ以上の何かを隠し持っているからではないか?
頭の片隅にあった違和感は、疑念から確信へと変わっていた。
「はて?なんの事かな?勘ぐり過ぎて攻撃の手を止めてしまうとは、もったいない事をするのう」
「どうしても俺に攻めさせたいようだな?話せば話す程ボロが出てるぞ?どうやらカウンターを狙っているようだが、そう簡単に決められると思うなよ」
俺は左構えのままステップを踏むと、ジリジリと目の前の老人、深紅のローブを纏ったアーロン・カカーチェとの距離を詰め始めた。
口ではああ言ったが、結局のところ俺から攻めなければならない。なぜならここは敵陣で俺は囲まれており、カカーチェは自分から攻める必要が全くないのだ。その気になれば何時間でも待っていられるのだ。
今は一対一という構図だが、この男が一つ指示を飛ばせば一斉に襲い掛かられるだろう。
だからこそ俺は、できるだけ早くこの老人を撃破しなければならないのだ。
次の一発が勝負だな・・・・・
俺は右の拳に固く握り直して力を込めた。
右ストレートが耐えられてしまった以上、それを上回る攻撃力が必要だ。それには光の力しかない。
できるだけ温存したかったが、そうも言ってはいられない。
半端な攻撃ではすぐに回復してしまうだろう。
だから一発だ。回復する間も与えずに、光の力を込めた一発で仕留めるんだ。
パンチの種類は決まっている。勝負の時は右だ。右ストレートで倒す!
若いの、この一発は敵ながら見事じゃった。
ワシの風の口が破られるとは思わなんだ。これはもう褒めるしかない。
だが勝敗は別じゃ。最後に勝つのはやはりこのワシ、アーロン・カカーチェなのだよ。
うかつに攻め込まない勘の良さは大したものじゃ、挑発にも乗らんし、自制心をよく養っている。
その通りだ。貴様が危惧しておる通り、ワシにはまだとっておきがある。
舐めてかかってきたら一瞬で終わらせてやれたが、そう警戒されてはしかたない。
若いの、苦しいと思うが恨むなよ?
アーロン・カカーチェの顔から笑みが消え、その目は鋭さを帯びてアラタを睨みつけた。
カカーチェはアラタに対して、ここまで余裕のある態度を見せていた。
それは自分の絶対防御に対する自信からくるものであった。しかしそれが破られたのだから、内心では少なからずの動揺はあった。対峙するアラタに見せる事はないが、今の状況はカカーチェにとって決して楽なものではない。
いかに傷を治療したと言っても、一発で意識を失う寸前まで追い込まれたのだ。
かろうじて踏みとどまれたが、死んでいてもおかしくはなかった。
仮にまた同様の攻撃をくらったとして、次も耐え抜けるかは分からない。
だからこそここで、次の攻撃で終わらせなければならない。
対峙する二人のプレッシャーが臨界点に達し、辺りに流れる空気がピリピリとした緊迫感を帯び始める。
円となって戦いを見ていた帝国の兵士達も、肌を刺すような強い圧を受けて固唾を飲んだ。
我らが副団長のアーロン・カカーチェが一発をくらった。それは初めて見る光景だった。
カカーチェの絶対防御は誰もが知るところだった。剣で斬りかかろうが、ハンマーで殴りつけようが、決してダメージを与えられない。物理攻撃でカカーチェを倒す事は不可能。それが帝国兵の共通の認識だった。
しかし今初めて、カカーチェを素手で殴り飛ばし、傷を負わせる男が現れた。
傷を負わせたという事は、倒しえるという事だ。
こうなっては全ての前提が覆される。
今帝国の兵士達は、大小の違いはあれど背中にはじっとりと汗を掻きながらも、動揺を表に出さないように堪えていた。
そして脳裏によぎる嫌な考えを打ち消すように、拳を強く握り締めて唇を噛んだ。
無敵と思われたアーロン・カカーチェだが、この戦い・・・・・
固唾を飲んで見守る兵士達、その誰もが察していた。次で決まると・・・・・
アラタ 対 カカーチェ、二人の戦いに決着の時が来た。




