1329 カカーチェの弱点
高齢で白魔法使いのアーロン・カカーチェには、アラタの拳を目で追う事はできない。
最初の左ストレートを顔面に受けた時は、ガン!という固く大きい音と、強い衝撃が顔を突き抜けた。
その直後に体が宙を舞っていて、そこでやっと自分が殴られたと気が付いたくらいだ。
したがって本来は最速の技である左ジャブなど、到底見えるはずがなかったのだ。
しかし・・・・・
遅い。
その左ジャブは、ジャブというには遅すぎた。
スローモーションというわけではないが、まるで力が入っておらず、ただ握った拳を軽めに前に突き出すだけの、攻撃とはとても呼べない代物だった。
アーロン・カカーチェも困惑を隠しきれなかった。
先の二発とはまるで違う、戦う気があるのかと疑いたくなる攻撃に眉をしかめる。
これでは、さぁ打って来いと腕を広げている自分が、滑稽にすら思えてくる。
馬鹿にしているのか?その思いが脳裏をよぎった時、アラタの左拳がカカーチェの防御圏に入った。
これだ・・・
おそらくこの男自身でさえ把握していない弱点。
今まで戦ってきた相手も、剣や槍などの武器を使っていたから気付く事ができなかったんだろう。
拳に意識を集中していたからこそ気が付く事ができた。
そして拳だけで戦って来た俺にしか、気が付く事ができないだろう。
深紅のローブを纏った老人の顔面に左のジャブを打ち込む。
しかしそのジャブは、ジャブとは呼べないほどに遅い。スローなパンチが老人の顔に近づいて行く。
ハッキリ言って小学生でも避ける事ができるだろう。ハエが止まってしまうという表現がピッタリな遅さだ。
老人の顔には困惑と苛立ちが浮かんで見える。自分が馬鹿にされているとでも思っているんだろう。
いいや、お前の防御を突破するにはこの遅さが必要なんだ。
なぜならお前の防御は、ある程度の距離まで近づいてから発動するようだからな。
そう、丁度このくらいまで!
俺の左拳が老人に触れるまで、あと十数センチという距離まで近づいた時、ふい感じた鋭い痛みに左拳を引き戻した!
第二関節のあたりが切れて少しだけ血が飛び散ったが、引きの速さで傷は浅くすんだ。
そしてやはりと言うべきだろう、俺の予想通りの仕掛けだった。
「なっ!?」
突然俺が左拳を引いた事で、老人は驚きに目を見開いた。
状況が把握できていないようだ。俺が何をやろうとしているのか全く掴めていない。
だがこれでお前までの道は開けた。拳一つ分だがボクサーの俺にはそれで充分だ!
「ラァッ!」
左を引き抜いた軌道と全く同じに、顔の横で構えた右ストレートを打ち放つ!
「ッ!」
カカーチェにはアラタの右ストレートを、見る事も躱す事もできない。
しかし見えなくても問題は無かった。なぜならカカーチェには絶対防御と自負する魔道具、風の口、があるからだ。
風の口とは、カカーチェの体を常に覆っている風を指す。
アラタの拳を受けてもカカーチェが無傷だったのは、この風が衝撃を全て吸収したからであるが、それだけでは説明がつかない問題もある。
そう、なぜアラタの拳が切り裂かれたかだ。それは風の口の自動防御と、それに伴う反撃性にあった。
風の口は使い手に危険が及びそうなものが一定の距離まで近づくと、文字通り牙を剥いて攻撃をする。
その牙となるものが風である。今回はアラタの拳が排除すべきものだと判断された。
そして拳がカカーチェの顔面にまで接近した時、風の口はその拳を切り落とすために、何本もの鋭い風の刃を作り出して、アラタの拳を包み込んで切り刻んだのだ。
まるで大型の獣が、獲物を喰らうために大口を開けるかのように・・・
これがアラタの拳を切り刻んだものの正体である。
本来ならば指が落ちていてもおかしくない。それなのにまだ拳を握れる程度の傷ですんだのは、ジャレットとシルヴィアからもらったグローブの防御力があればこそであった。
そして今、謎の防御方法だった風の口を見破ったアラタの右ストレートが、今度こそカカーチェの生身の顔面を打ち抜いた。
ガツン!と大きく響く音は、握りしめた固い拳が、カカーチェの顔面を砕いた破壊音。
最初の二発とは明らかに違う、生身の感触と手応え。
「よしっ!」
やった!俺の推測は間違ってなかった!やっぱりこいつの防御には穴がある!
こいつの防御はおそらく風だ。風の刃で標的を切り刻む、しかもこいつ自身が俺の攻撃に反応できていないところをみると、自動防御という可能性がある。単純だがその性能が群を抜いている。
使い手が反応できなくても護り抜く絶対の防御。無敵に近いかもしれない。だがその反応の速さが弱点でもある。
遅いジャブは餌だ。俺の左拳を切り裂こうと風の刃が食いついて来た時、左拳を引いて戻す。拳でこれを感じ取るため、あえて遅い左を打った。
そして刃が食いついて来たその時が好機だ。一度食いついたという事は、事が済めば当然引いて戻る事になる。
無敵の防御にも、刃を引いた時にできる一瞬の隙間があった。
風の刃が元に戻ろうと引っ込んだ時にできるほんの小さな穴。その刹那の一瞬に渾身の右を叩きこむ!
そのアラタの作戦は功を成した。
狙い通り、完璧なタイミングで完璧な一撃を繰り出した。
これで決着・・・そのはずだった。
「・・・やれやれ・・・単純そうに見えて、意外と頭を使って戦う男のようじゃな」
数メートル先で倒れていたカカーチェが体を起こし、ゆっくりと立ち上がった。




