1327 意趣返し
指は動く。
ボタボタと血が流れ出るわりには、傷はそこまで深くないようだ。
このグローブのおかげだな。
左手のズタズタに裂けた黒いグローブ。これは俺がロンズデールに行った時、ジャレットさんとシルヴィアさんが作ってくれたグローブだ。
鉄糸という、鉄と同じ硬度を持つ特殊な糸で編まれていて、正面から剣とぶつかり合う事ができる代物だった。
しかし・・・・・
「このグローブが無かったら・・・」
おそらく指は落ちていただろう。
鉄糸を使用したグローブをはめていたからこそ、この程度で済んだと考えるべきだ。
それだけ鋭い何かで切られたのだ。生身であれば指なんて、バターのように簡単に切り落とせるはずだ。
しかし攻撃の正体が分からない。見たままを言えば、殴ったら拳が切り裂かれていた。
その攻撃も、仕草も気配も一切が感じ取れなかった。いったいなにをされたんだ?
その疑問に答えるように、正面から嘲笑混じりの声が届いた。
「戦闘中にいつまで呆けておるつもりじゃ?」
ハッとして意識を拳から正面に戻す。
正面の老人から注意が外れていた時間は短い、ほんの2~3秒だっただろう。
それだけの時間があれば、攻撃をしかけるには十分だったはずだ。しかし俺が正面に向き直っても、深紅のローブを纏った白髪の老人は、同じ場所に立ったまま一歩も動いていなかった。
お互いの距離はおよそ4~5メートル。
白魔法使いの老人では、数秒で詰める事ができる距離ではなかったのかもしれない。
しかし一歩も動いていないという事は、そもそも自分から攻撃をしかけようとする意志が無かったのではないか?
「・・・余裕のつもりか?」
「なんの話しだね?それよりもかかってこないのか?こんな老いぼれに怖気づくとは情けない。ボクシングとやらも大した事がないようじゃのう」
アラタの強い視線も涼しい顔で受け流すカカーチェは、深紅のローブから右手を出すと、白く長い髭を指先で摘みながら笑った。
「お前ッ!」
安い挑発だったが、アラタには効果てきめんだった。
仕事も続かず、なんでも投げ出しがちでダメな男だった自分が、唯一真面目に取り組んだボクシング。
そして村戸修一と自分を繋ぐ、唯一のものがボクシングだ。
それをバカにされて冷静でいられるはずがなかった。
ギリっと奥歯を噛み鳴らすと、右足で地面を強く蹴った。
「ボクシングを舐めるなァッ!」
フッ、若造が。何の工夫もなく突っ込んで来るとはな。
なぜ殴られたワシが無傷なのか?なぜ殴った己の拳が切り裂かれているのか?その謎も解かんでどうにかなるとでも思うたか?
ニヤリと笑うカカーチェには、向かって来るアラタに対しての防御をする仕草も何も無かった。
微動だにせず胸を張ってたたずむ様は、いかなる攻撃であっても真正面から受けて見せるという、堂々とした貫禄さえも感じさせる程だった。
「シッ!」
短く息を吐き、目線の高さに構えた右の拳を真っすぐに繰り出した!
アラタの踏み込みは、齢七十の老人にはとても目で追い切れるものではなかった。
右足で地面を蹴り、アラタがカカーチェの懐に入り込んだ時、カカーチェの視線は正面に向けられていたが、完全にアラタから外れていた。
目に映っていても脳の認識が追い付かない。
身体能力の差、そしてカカーチェの動体視力が加齢によりそれだけ衰えていのだ。
無防備なままのカカーチェの顔面を、アラタの右の拳が打ち抜いた!
完璧なタイミング、そしてこれ以上無いと言う程の手応えだった。
ガツン!とまるで金属の棒を思い切り叩きつけたような、固い音が響き渡り、カカーチェの体は最初の左ストレートをぶつけた時よりも、高く遠くまで飛ばされた。
本来ならばこれで終わりである。
いや、本来と言うのであれば、最初の左ストレートで終わっていなければならない。
しかしカカーチェは最初の左をくらっても無傷だった。
そして今度は必殺の右ストレート。文句なしのあたりだった。
しかし・・・・・
「ぐッ!」
右手に走った鋭い痛みに顔を歪ませる。
やはり・・・予想はしていたが、右手にはめていた黒いグローブがズタズタに切り裂かれ、その下にある生身の拳も傷を負い、血が流れ落ちていた。
そして・・・・・
「・・・お前、本当に魔法使いか?」
今度は目をそらさずにしっかりと見ていた。
自分の右ストレートを顔面に受けて空中に殴り飛ばされたのに、くるりと体を回して両足で軽やかに着地したのだ。
目の前の老人アーロン・カカーチェは、自分を白魔法使いと言った。
しかし本当に白魔法使いであるならば、自分の右ストレートをくらって立っていられるはずがないのだ。
そう、アーロン・カカーチェは右ストレートを受けてもなお、無傷だったのだ。
たった今体が浮く程の拳を顔面に受けたのに、鼻が潰れる事も歯が折れる事もなく、鼻血の一筋さえも出ていなかった。
これは体が頑丈だとかのレベルではない。
「ふっふっふ・・・ワシは魔法使いじゃよ、それも戦闘に最もむかない白魔法使いじゃ。そして貴様はその白魔法使いに殺されるのじゃ」
不敵な笑みを浮かべるカカーチェ。
それは両手から血を流すアラタを見て、すでに勝利を確信しているかのようだった。
ボクサーであるアラタにとって、武器と呼べるのは両の拳だけである。
その拳がどちらも傷だらけになってしまったのだから、カカーチェが勝ったと思っても当然と言える。
しかしカカーチェの思惑は裏切られた。
「・・・そう簡単にいくかな?」
意趣返しのようにアラタも笑った。
「・・・なに?」
「お前の秘密は分かった。その防御方法はもう俺には通用しないぞ」




