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1326 人を食ったように笑う

アーロン・カカーチェが足を前に出しても、周囲の兵士達が止める事はなかった。


副団長という肩書があっても、カカーチェは白魔法使いである。肉体的強さは一般人と変わらず、攻撃魔法も防御魔法も使用する事ができない。さらに言えば齢70を迎えた老人である。


有利な条件が揃っていたとはいえ、たった一人で数百人もの黒魔法使いを一人で倒した男と立ち会わせるなど、止めてしかるべきだろう。


しかし帝国兵の誰一人として、声を上げる事はしなかった。


なぜか?


兵士達の顔を見れば分かる。それはアーロン・カカーチェへの信頼、そう、絶対の信頼だ。

アーロン・カカーチェには危険が及ぶ事は無いと、信じ切っているのだ。



「・・・その構え・・・どこかで見た覚えがあるのう」


一歩一歩ゆっくりと足を前に進める。不思議な程周囲は静まり返っていて、カカーチェが砂を踏む音だけが耳に届いた。

そしてアラタとの距離が数メートルまで近づいた時、カカーチェは少しだけ首を傾げた。


そう、目の前に立つ黒髪の男、アラタの構えに見覚えがあったのだ。



右足を一歩引き、左半身で拳を顔の前に突き出すようにして握っている。

右の拳も目線の高さに上げている。


前に出した左拳が牽制しているように見えるが、胸から上への護りが厚い分、下半身への意識が低いように見える。上半身への攻撃のみを警戒しているような、こんな特徴的な構えは知らない。


いや・・・やはり以前どこかで見たような・・・・・



「どこかで見た、だと?・・・ボクシングをか?」


訝し気な表情で答えたアラタの言葉、しかしその一言でカカーチェの記憶が掘り起こされた。


「ボク、シング?・・・そうじゃ、ボクシング・・・あやつ、デューク・サリバンも同じ構えだった。拳だけで戦う特異な戦闘方法・・・まさかデューク以外にもおったとは。貴様何者じゃ?」


「なっ!?デューク、サリバン・・・だって?」


その名前はアラタにとって忘れられない、忘れるなんてできない名前だった。

日本での恩人、村戸修一・・・その男がこの世界で名乗っている名前だからだ。


「ほぅ、その反応・・・貴様、デュークを知っておるな?そう言えば少し前に、デュークがパウンド・フォーで戦ったと聞いたが、その相手が貴様か?・・・いや、それだけではないな。それだけでは貴様がデュークと同じボクシングを使う答えにはならん」


アラタの口からデュークの名前が出ると、カカーチェの目が疑惑から確信へと変わった。

自分の目の前に立っているこの黒髪の男は、ただ腕が立つだけの男ではない。デューク・サリバンとも関わりのある男なのだと。



十年以上も前の事だ。

突然皇帝が連れて来た素性の知れない男、本人はデューク・サリバンと名乗ったが、それすら本名かどうか疑わしいものだ。


本来そんな怪しい男を側近にすえるなどありえない。それどころか城へ入れる事だって特例中の特例と言えるものだった。

なぜ皇帝がデュークに興味を持ったのかは分からない。デュークが迎えられた当初は、誰もが皇帝の考えを読めず、気まぐれだろうと深くは考えていなかった。


しかしすぐに分かった。

皇帝が連れて来た素性の知れない男は、異常なまでの力を持っていたのだ。


並の兵士では百人束になってかかっても敵わない。圧倒的な力・・・

デューク・サリバンは実力主義の帝国で、有無を言わせぬその力を示し続け、あっという間に第七師団長にまで上り詰めたのだ。



今や誰もデュークの素性について口にしない。

禁句タブーになっているわけではないが、皇帝の側近であり、第七師団長という立場も得た男に、妙な探りを入れる事はためらわれる。恐れからではあるが、それだけではない。


デューク・サリバンは戦場では自ら前線に出て戦っていた。その姿に部下からの信頼も自然と高まり、いつからかデュークが何者であろうといいではないか、という見方が広まっていったのだ。


「・・・もしや貴様、デュークと同郷の者か?」


「・・・・・」


カカーチェはアラタとほとんど言葉を交わしていなかったが、同じ構え、そしてボクシングという名称が出た事で、その答えに行きついた。


カカーチェの考察は当たっていた。そしてアラタは即座に返事をする事ができなかった。


村戸修一の名前を出しそうになったが、それは躊躇ためらわれた。なぜ?その感情を上手く言い表す事はできなかった。だがここで村戸修一について、何かを口にする事は強い抵抗を感じた。


村戸修一は自分が日本人である事、本当の名前、そういった過去を話していないらしい。

そうであるならばここで村戸修一について話す事は、彼にとって不利益をもたらすかもしれない。


自覚はなかった。

パウンド・フォーで全力で、それこそ殺し合うつもりでぶつかった。

もう自分達は分かり合う事はできないのかもしれない。


次に会う事があったら、おそらく・・・・・


割り切ったつもりだった。

けれど意識の深いところで、村戸修一への捨てきれない想いがあったのだろう。



「・・・お前と話す事は何もない」


突然恩人の名前出された事で、アラタに少なからずの動揺はあった。

だがそれが逆にアラタの体から、固さを取る結果になった。


自分と村戸修一の関係・・・ある意味では因縁と呼べるものかもしれない。

その決着は自分自身でつける。


今目の前の立つ老人に何かを話す必要はない。

そしてこの老人が自分の前に立ちはだかるのなら、この拳で倒して退けるだけだ。


カカーチェの謎のプレッシャーを撥ね退け、アラタの目に強い闘志の炎が宿る。

肌を打つヒリついた空気に、カカーチェはピクリと眉を上げた。



「ほぅ・・・動けるのか?なかなかじゃな、しかし若いの、威勢の良さは時に身を亡ぼ・・・!」



カカーチェは最後まで言葉を紡ぐ事ができなかった。


ゴツン!と、まるで石と石でもぶつけ合わせたような固い音が響き渡り、真紅のローブを纏った小さな老人の体が宙を舞っていたからだ。


そして一瞬前までカカーチェの立っていた場所には、左拳を真っすぐに突き出したアラタが立っていた。


完璧な一撃だった。たった今老人の顔面を打ち抜いた固い感触も拳に残っている。

カカーチェはまったく反応ができず、殴られるまで自分が何をされたかのかも分からなかったはずだ。


しかし・・・・・


「・・・バ、バカな・・・」



鋭い痛みを感じて、左の拳に目を向ける。

ズタズタに切り裂かれた皮膚。ボタボタと流れ落ちる真っ赤な血が地面に染みを作る。


「ぐぅッ!」


傷を認識した事で強い痛みがやってきた。眉を寄せて口元を歪ませる。

自分が何をされたかも分からず、全身から汗が噴き出した。


な、なんだ、どういう事だ!?なんでこんな・・・!?

殴ったのは俺だ、その俺の拳がなぜこんな状態になっている!?

どこで攻撃を受けたんだ、こいつは俺の左にまったく反応できていなかったはずだ!



「・・・ふっふっふ、せっかちじゃのう?若いの」


「なッ!?」


人を食ったようなシワ枯れた声に顔を上げると、殴り飛ばしたはずのカカーチェが足を揃えて立っていた。


「なん、だと・・・た、たしかに・・・」


俺の左ストレートは、確かに入ったはずだ・・・・・

それなのに・・・・・


拳で打ち抜いたその顔は、傷の一つもない綺麗なものだった。

そして真紅のローブを纏う老人は、アラタの動揺を見透かしたように笑った。



「年寄りの話しは最後まで聞くものじゃぞ?若いの。威勢の良さは時に身を亡ぼすと覚えておくがいい。まぁもっとも、貴様はここで死ぬがな」


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