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来し方行く末   作者: ふじたごうらこ
第二章 行く末
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第十話・来し方行く末



 鳥取行の特急を乗るまでにまだ時間がある。葉奈子は新毛東町の実家に行くため、遠鉄奈良線に乗り換え専利里駅に降りた。郵便はすでに止めているがちらしが入るので時々はポストの中をのぞく。無人だとわかると泥棒が来るかもしれないから。その中にJAトータル大阪の今月分の機関紙が入っていた。継彦亡き後、芳江が雇用した編集者が作ったものだ。

 ぱらぱらとめくると、機構改革のお知らせと職員たちの認証資格試験合格者名が写真入りで掲載されている。JA内には各種の資格試験があるようだ。特に金融関係では種類が多い。

「農協内部監査士検定試験」

「信用事業業務検定試験」

「信用事業管理者試験」

「金融コンプライアンスオフィサー二級試験」

 美富子が農協に勤務していたころはそんなものはなかったと思う。農協発祥の昔からJAと名称を変えてもなお、昭和、平成、令和のどの時代でも横領事件は後をたたない。美登子の場合はバブルもあり、誰にも怪しまれないで堂々と横領できた。そして誰も損はしていない。横領のうわさすら立っていない。

 それを暴こうとした葉奈子だけが美富子の怒りを買い、豆島一族との縁が切れた。


 葉奈子は昔の葉奈子ではない。金融ADRに相手にされなかった経験は哀しかった。でもこれが現実。もう過去を振り返りたくない。もう過去をほじくりだすのにこれ以上時間を取られたくない。

 美富子への望みはただ一つ。公男の為に謝罪の言葉を聞きたい。しかし、そういう感覚を持ち合わせていない相手から求めるのは時間の無駄だ。何一つ美富子に反省させることはできぬ。もうそれはそれで仕方がない。そうやって割り切り、前を向いて生きていくしかない。

 のどが渇いた。葉奈子は玄関を開け、ろう下に置きっぱなしの長寿の水の箱からペットボトルを取り飲み干す。ふと幼少時から気が強かった四季子を思い出した。継彦が亡くなっても彼女だけは帰国しなかった。弔電もなかった。もしかしてその頑な態度は、美富子のせいかもしれぬ。しかし、それも憶測だ。横領の事実の証拠すらないのと一緒だ。


 数日後、春子は鳥取の病院を無事退院した。帰阪を望んでいるが、足元がよれよれで一人暮らしをさせるのには不安がある。体力もなく、すぐに疲れたという。今後の通院も必要なため、義両親の厚意に甘え、家の離れを用意した。春子自身もこの状態で独居はムリだと悟っており、しぶしぶと同意をする。

 それにしても、春子は三か月の闘病中に数十キロもやせ、すっかりとふけこんだ。豆島の祖母そっくりの風貌になった。ただし毒舌は変わらない。

「病院の食事は薄味で、砂糖が全然足らへん。だから退院できてよかった。これで好きなだけ倉吉ダンゴが食べられる」

 甘いもの好きも変わらず、この様子ではまだまだ長生きするだろう。荷物をおさめ、母屋の縁側に来てもらってお茶にした。義父母は山の中の畑に出ている。専業農家は作物の出荷で忙しい。葉奈子は改めて大阪で行われた金融ADRの結末を話した。春子はきんちゃく袋をとがらせてお茶をすする。話が終わると大げさにため息をついた。

「……そやろな。だって私の入院中は、誰からも、見舞いがなかった。元気かと電話も手紙も来なかった。みっちゃんがつきあうなと命令したのやろ。はあちゃんが昔のことをほじくったから怒ったんや」

「……この結末は、豆島家にとってむしろよくないでしょう」

 春子は目をむいて反論する。

「なんでや。みんなが黙っていて、みんなが成功したんやで。公男さんがサラリーマンやったせいで、卦配家は何の得もなかったが、それでも先祖伝来の土地のうち五十坪はもらえた。ほんまはもっと欲しかったけど。現金も欲しかった。でも、しゃあないやん」

 葉奈子は愕然とする。

「私たちはあの家の相続税に一千万円かかったが払ってやったと恩着せがましく言われていたでしょ。長期に渡って嘘をつかれて嫌な気分にならないの」

 春子は質問に返答せず、あいかわらず論点がずれた話題を展開する。

「はあちゃん、実はな、こないだ、あっちゃんへ電話をした。するとな、はあちゃんの悪口ばかり言う。あんたが大昔の相続が不満でみっちゃんにお金を請求したことになってる。みっちゃんがそない言うたってな」

 今度は葉奈子がため息をついた。

「それはうそよ」

「せやけど、あっちゃんは信じてる。鈴ちゃんもそうや。久子ちゃんもなっちゃんも。豆島家全員がはあちゃんのことを悪くいっている」

 春子も豆島家の一員として、葉奈子をせめるのか。のど元から熱いものがこみ上げてくる。

「豆島一族が、みっちゃんを擁護するのは、そうしないと、やっていけないからよ。私は縁を切られても平気。鳥取に本当の家があるもの。ね、お母さんもそうでしょ」

 春子は首を振った。

「私の家は大阪や。元気になったら大阪に戻りたい。せやけど、こんなことになって、誰も私のことを気にしてくれる人はいなくなった。全部、はあちゃんのせいや」

「お母さん……」

 春子は葉奈子の顔から眼をそらした。

「私が倒れたせいで、いろんなことがわかった。あんたが余計なことをほじくったからや。みんなが私と仲良くしてくれなくなった。あれだけ、黙ってなさいと、あんたに言ってきかせて育てたのに。この年になってこんなことになるとは思わなかった。ほんまにさみしいこっちゃ」

 きんちゃく袋の横顔は醜い。この春子はあと何年生きるだろう。それでも葉奈子は春子を捨てられない。捨てると春子は死ぬだろう。介護ができるのは葉奈子だけだ。

 春子は美富子の横領の話よりも姉妹の交流が途絶えたことを悲しんでいる。卦配の家はどうでもいいのだ。確かに豆島一族から見たら、葉奈子は立派な悪人だろう。横領という完全犯罪をみなで共謀していや、無言でやりすごして成立している。

 それをほじくろうとする葉奈子だけが憎まれた。今の葉奈子にはその状態を変える力もない。ただ亡くなった公男に対して申し訳なく思う。仮に公男がまだ生きていても諦念のある人だから「ええねん」 と力なく笑うだけかもしれぬ。

 誰しも他人の人生観には介入できぬ。それはそれで終わり。葉奈子の努力もそれで終わり。

 美富子の横領を告発できるものは誰もいない。知っている人はいても知らぬふり。


 もう考えることはやめよう。そうでないと精神を病んでしまう。一度しかない人生に汚い手を使って成功した人間にはどうやって立ち向かえない。もういい。お茶を入れなおそう。そして今後のことを考えよう。 来週は義母の検査入院がある。八十四才になった義父のデイケアを検討しているが、春子も一緒にどうかと思っている。またムラの新入りとして春子あてに老人会の誘いもすでに来ている。ゲートボールなど体を動かすのは足元にまだふらつきがあるので無理だろう。カラオケ会、詩吟の会のどちらかを見学に行こうか。

 雲一つない晴天だ。青い空と大山を見て葉奈子は気分を切り替える。母娘は黙ってお茶をすすった。春子は好物になった倉吉ダンゴを七本も食べておきながら「大阪本場のたこ焼きか明石焼きを食べたい」 と愚痴る。葉奈子は聞こえぬふりをして、堂々たるとんびの旋回を眺めている。

「ただいまあ」

 学校から帰ってきた早矢香が玄関に入らずに縁側に回ってきた。手には早くも道端で咲いていたらしきコスモスの花がある。それを持って春子のそばによってきた。

「おばあちゃん、退院おめでとう。これから一緒に暮らせるね。早矢香は、うれしいな」

 するといきなり春子が泣き出した。葉奈子はあわてて近寄る。春子は両手を早矢香の肩に回し、今度は笑い出す。早矢香はびっくりして硬直している。

「ああ、そうやった。この家にいると毎日早矢香ちゃんに会えるなあ。早矢香がいたのを忘れていた」

「おばあちゃん、忘れるなんてひどい」

「ははは」

 突然春子は葉奈子を笑顔で見つめた。

「やっぱり私はみっちゃんより、人間が上やで。だって私には娘がいる。そしてこんなにかわいい孫がいる。せやけど、みっちゃんは独身やから子供も孫もない。お金と結婚しただけや。せやからこの人生は私の勝ちや。なあ、はあちゃん?」

 葉奈子は黙った。

 早矢香が心配そうに春子を見上げる。早矢香の足元にすずめたちが降り立ち、近寄った。日ごろからコメをやっているので、なついている。すぐ近くの畑には、早くも青ねぎが整列している。といってもきちんとはしていず、茶色く倒れたものもある。雑草も生えている。蔵の周りには、ドクダミも生えている。これはいくら採っても次々と生えてくる。それを見て春子は懐かしいとまた泣き笑いをした。

「私は若い時から農業をバカにしていた。でもな、土の上を這いずり回っても別にええやんか。着飾るのもええけど、土で汚れた体を洗うためのお風呂はええ気持ちや。人生それでもええやんか」

「……そうね」

 春子は何かのスイッチが入ったように笑顔でしゃべり続ける。早矢香の手を握って放さないままだ。

「美富子が何かをみせびらかすために、私も負けとうなくて、いろいろなものを買い込んだ。でも絶対に勝てない。公男さんが一生懸命働いたお金で買っても、お客さんのお金を好きなだけ横領していた美富子には勝てない。何億というお金を自由に使える人に絶対に勝てない」

「しっ、お母さん。大きい声で言わないで。証拠がないのよ。名誉棄損になるわよ」

 春子はより大声で笑った。

「ぎゃは。ここは鳥取や。どないな話をしても大阪にいる美富子まで聞こえへん」

「どういう意味」

「私は豆島ではなく、卦配の家の人や。あんなみっともない一族の何に誇りを持ってたんやろか。お母ちゃんが情けないと泣くはずや。今、やっと目がさめた。はあちゃん、早矢香ちゃん、ほんまにありがとな」

 春子の気分が変わるのはいつものことだ。しかし笑顔が見られたのはよかった。早矢香もスズメと仲良しの様子を見せている。杖を持ってきて散歩をしようと誘っている。平和な光景だ。ついで 春子は早矢香のかみを撫でながら話しかける。

「早矢香ちゃん、大きくなったらなんになるの」

 葉奈子はどきんとした。半世紀も前の夕子との会話を瞬時に思い出した。早矢香は屈託なく答える。

「あのね、大きくなったら牛を飼いたいな。昔この家にも牛が三頭もいたって。写真が残ってるよ。だから私も牛飼いになりたいな」

「ふん、牛飼いは儲からんやろ。牛の世話で体が汚れるし、しんどいで」

「牛はかわいいよ。近くに牛を飼っている家があるから連れて行ってあげる。ヤギを飼っている家もあるよ。隣町には大きな養豚場もあるの。動物を見るのは楽しいよ」

 春子は顔をしかめた。

「どれもしんどそうやし、くさそうやから、いらん」

 早矢香は哀しそうな顔をした。春子は早矢香の肩を軽く引っ張った。春子から引き離そうとしたのだ。春子はそれにも気づかないで笑顔で話し続ける。

「早矢香ちゃんはかわいい。せやけど、これは卦配の顔でも豆島の顔でもない。白糸の顔やな。私にちょっとでも似ていたら、もっとうれしいけど」

 それから早矢香の耳をぐいぐいと引っ張った。早矢香は春子の手から離れた。葉奈子は胃が痛くなってきた。葉奈子への過去の子育てのやり方を、今まさに早矢香を使って再現されている。

「早矢香ぁ、あんたの耳、よう聞こえるか」

「うん……」

「あんたのお父さんとお母さんは補聴器を使ってるけど、早矢香はいらんでよかったな。さて、私は長生きして、早矢香にええとこへ嫁に行かしてあげる。おばあちゃんが相手を見つけたる。大卒でな、一流企業に勤める人とな。あんたのお母さんのように共稼ぎせんでもいい、金持ちと結婚させたる」

 いきなりの結婚話に早矢香は驚いて目を見張っている。まだ十才なのに。葉奈子は小さく叫ぶ。

「やめて」

 春子は目を細め口元を巾着きんちゃく袋にした。お得意の表情だ。

「なんでや。この子が幸せになるように、今からちゃんと、しつけんとあかんがな」

 早矢香は、目を大きくあけて春子を見ている。これから別棟とはいえ、同じ敷地内で暮らすのに困った。春子の信条よりも早矢香の心を守らねばならぬ。それこそ今後の葉奈子の役目だ。

「早矢香、部屋に行って宿題をしておいで」

「うん」

 春子は「あたしが教えたる」 と言ったが早矢香も聞こえぬふりをしてその場を去る。この人が早矢香に何を教えられるのか。

 もはや、葉奈子は春子に長生きしてほしいとは思わぬ。実の母親に対してそういう思いを抱えるのは、春子の思考がおかしいのと同様に、葉奈子もまたその思考を受け継いでいるのだろう。

 その思考も、どうでもよい。これ以上、解決しないことに悩んで大事な人生をつぶしたくない。美富子との関係はなくなった。しかし春子とは、まだ続きがある。前途多難が予測されるが、行く末は誰にもわからぬ。でも後悔はしない。

 公男の生前の笑顔を思い出す。万事控えめだった彼は、波風一つ起こさず逝った。草葉の陰からでもなお言うだろう。

「な、なるようにしか、ならん。が、が、ががんばらんでもぇええ」 


 葉奈子は深呼吸をする。足元にありの行列が見える。一匹のありが足を止めて、葉奈子を仰ぎ見た。

「わしらの巣はここから見えぬ場所にある。人間はくるな」

 次に葉奈子が青空を仰ぐ。空は何も言わない。代わりに大山が答えた。

「お前の行く末を決めるのはお前だけ」

 海からの風が吹いた。

「何をしようとも、何もしなくとも、お前が決めたことならばそれが一番正しい」

 葉奈子は背筋を伸ばして深呼吸をする。

「そぅやね」

                               了

 


                            







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