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来し方行く末   作者: ふじたごうらこ
第二章 行く末
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第九話・金融ADR本番

第九話・金融ADR本番


 五月。ADR当日は雨が降っていた。今回はバスを利用せず鳥取からJRのスーパーはくとに乗って大阪駅に来た。大阪駅と地下鉄御堂筋線の梅田駅とはつながっている。それに乗り換えて淀屋橋駅で降りる。葉奈子は大阪育ちのはずなのに、乗り換えで迷子になった。案内図を見るために上ばかりみていたせいで、スマホをいじる若い女性にぶつかった。すぐに謝ったが、舌打ちをされた。葉奈子はこういうことでも幸先が悪いと感じる。ネガティブな思考が止まらず我ながら哀しく思う。

 淀屋橋から徒歩で弁護士会館までかさをさして歩く。新毛東の実家に行くよりもずっと遠く感じた。なぜ葉奈子がここまでしないといけないのか。美富子本人の生き方、それを擁護する親戚とJAトータル大阪が憎かった。

 さらにここまでの事態を放置していた春子の怠惰な性格も憎い。彼らはそういう生き方で過ごしてきた。葉奈子は巻き込まれてしまった。それなのに葉奈子だけが悪者にされている。

 今回のADRで当時の新毛農協の横領のお金、肉親に対しては相続のお金をごまかすために卦配家の通帳を自由に操作したことを関連付けたい。そのためのステップに過ぎない。美富子を責めるには証拠があまりにも乏しい。昭和時代の資料はまったくない。だからJAに対しては美富子が横領をしたという言葉は口が裂けても出せぬ。それでも美富子の葉奈子の通帳に対する不正操作だけでも印象付けたい。そして最終的には


 ↓ ↓ ↓

 美富子から謝罪を受けたい。

 ↑ ↑ ↑

 葉奈子は、それだけの動機でここまできた。


」」」」」


 大阪弁護士会館は大きな建物だ。建物の前に大きな石があり「辯護士会館」 と刻まれている。弁護士の「弁」 が、「辯」 と旧字体になっている。「辛」 は、からい、つらいという意味の漢字だ。「言う」 という漢字の両脇に「辛」がはさまれている。葉奈子はその漢字をしみじみと眺める。弁護士会館に訪問すること自体、別世界の話だが渦中にあることを自覚する。

 隣には大阪地方裁判所があった。ここから見ると裁判所の方が古くて狭いように感じる。正面向かって右側が総合法律相談センターとなっており、葉奈子が行くのは左側の会館だ。右側入口のにぎわいとは別に誰もいない広い受付がある。背筋を伸ばした警備員が二名もいていかめしい顔で葉奈子を眺める。明らかに会館に縁のない人間にみえるのだろう。

 JA東京相談センターの大島は葉奈子に同情的だったが、あくまで中立の立場を取っていた。金融ADRの場面での弁護士へ何をどうすればよいかも不明だ。実は前日に大島に電話をしたがアドバイスを断られた。

「白糸さん。私の仕事はそこまでです。あとは弁護士を挟んで、相手方とよく話をしてください。それが金融ADRです」 

 本当にどうしてよいかわからない。ネットで検索しても、何も出ない。葉奈子は出席に当たり、誰か弁護士を依頼した方がいいのか迷ったが、頼めばまた余計なお金がかかる。そう、通常はそうなのだ。一般人は法律家とは縁がなくて当たり前。また、JAという巨大な組織と争うつもりもない。美富子が葉奈子の通帳を何に使ったのかJAから教えてほしい。美富子に対してJAから諮問をしてほしい。それだけだ。

 それがすめば、次は美富子だ。通帳操作のあらましから、相続に関して嘘を続けていた理由を教えてほしい。そして最終的に亡き公男に謝ってほしい。ただそれだけ。


 その手順の一環のため、JAの責任を問う形になった。それしか方法がない。葉奈子は、美富子や春子とは違う正常な金銭感覚を持っていると思っている。それは公男のおかげだ。小さい頃は豆島の家の顔ではないと散々言われて哀しかった。だけど今は違う。似なくてよかった。昔から美富子に嫌われていたからこそ、こうして堂々と美富子を追い詰められる。

 それにしても美富子には味方が多い。これから始まる金融ADRでも美富子の出席はないだろう。それでも後悔のないように動きたい。


 警備員は葉奈子が持参した書類を眺め。受付ボックスの中に入りどこかに電話をした。やがて葉奈子は弁護士会館の八階の二十号室まで行くように告げられる。そこが仲裁センターらしい。

 実際に行ってみれば通常の会議室だった。しかも小さな部屋だ。長いつくえが二つ、簡易いすが八脚ほど並べられている。入室すると男女がすでに着席していた。仲裁弁護士とその見習の助手らしい。相手方からは二名の出席があった。うち一人は、新毛支店長の奥本だ。もう一人の男性が名刺を出してきた。JAトータル大阪本店貯金課長の寝間とある。電話の相手だ。

 奥本は葉奈子を見てもにこりともしない。立場が変わったのだ。双方とも、単なる小学校の同窓生ではない。奥本にとって、豆島美富子は昔の上司だ。今なおJAトータル大阪に影響力を持つ美富子を血縁者でありながら追い詰めようとする葉奈子に良い顔はできない。

 寝間は顔の大きい年配の男性だった。法令線の深さを見て定年前ではないかと感じた。寝間も葉奈子を見て軽い会釈をしただけで何も言わない。

 申立人側の出席は葉奈子一人だ。弁護士を挟んで双方とも顔を見合わせて座る。弁護士が、桃宮美亜だと名乗った。名前の印象と違い年配の女性だった。仕立ての良いベージュのスーツを着こなしているが、二重あごがたるんでいる。前髪をあげて額を広く見せている。その額にも横ジワが刻まれている。この場にふさわしい重々しい印象の女性で葉奈子は逆に安心感を持った。桃宮は自己紹介後、隣の年若い男性を助手の本田と紹介する。頬がこけ神経質そうに見える。本田も軽く会釈しただけだ。

 葉奈子が東京センターに先に提出した書類を桃宮も持参していた。しかし相手方は手ぶらだ。こちらに新たな資料や書類はないようだ。葉奈子は二人を見て複雑な気分だ。JAトータル大阪は美富子への諮問をするどころか仲裁弁護士の前でも逃げ切るつもりだろうか。その予測は当たった。桃宮がJA側に申立の返答をするように促す。寝間が重々しい声で話し出す。

「申立の内容は、JAとしては、ご希望に添いかねます。そもそも卦配さんは、祖父母の死去にあたり、豆島美富子さんが全部相続関係の処理をしたことに不満のようです。相続問題が絡んでいるのは明らかです。JAとしては第三者にあたり、一切介入できません。つまりJAと卦配さんというよりは、JA元職員の豆島さんと卦配さんの話になる。つまり、仲裁申立以前の問題があります」

 相続問題? 提出した入出金伝票は平成以後のものだ。その返答はなしで無理やり相続問題にしている。そこまで話をはぐらかされるとは思わなかった。葉奈子が否定をしようとすると、桃宮は制する。

「当仲裁センター担当弁護士の桃宮は、申立書の内容を理解し、仲裁を前提に話をすすめます。つまり、申立書に沿った質問をいたします」

 桃宮の言葉が意外だったらしく、奥本と寝間の背筋がすっと伸びた。桃宮はJAに対して次々と質問をした。申立書の趣旨に関しての事実を冷静に確認していく。葉奈子が提出した入出金履歴のコピーを両手に持ち次々に聞いていく。

 ここの出金はなにか、印紙税はなにか、国税庁の還付金記載はなにか。年月日もあわせて正確に確認していく。主に貯金課長の寝間が答えていく。

「ああ、その出金の送金先まではわからないです。そこまで記録はしません」

「印紙税は、多分保険の貸付でしょうが、その記録がないのでわかりません」

「国税庁にいたってはなんの還付金かまではJAは関知しません。つまりわかりません」

 葉奈子が書いた申立書の項目ごとにわかりません、と答えるだけだ。返信も資料も持参してこないわけだ。葉奈子はつくえの下の両手をこぶしにした。ここまでなめられていたとは思わなかった。一方、桃宮は落ち着いた様子で聞く。

「昭和時代ならともかく、平成二桁の年の記録をわからないと口頭ですませるのもおかしな話です。とくに保険関係。寝間さん。あなた、印紙税は保険貸付だと言いましたね。なんの保険か顧客管理名簿でひっぱれませんか」

「ああ、それね。探したけどありませんでした」

 桃宮は明らかに気分を害したようだ。

「ご存知のように顧客管理名簿は金融業にとってそれぞれの客がどういう契約をしているかすべて記録されたものです。平成の十年にそれがないとはおかしいです」

 奥本と寝間は顔を見合わせる。ややあって寝間が答える。

「ちょうど平成十年ごろに、東大阪全体のJAが合併してJAトータル大阪となりました。新毛農協も新毛支店となりまして、その混乱もあって逸失してしまったようです」

「逸失ね、それは卦配葉奈子さんのものだけですか。それとも他の客も全てですか」

「当方は、このたびの仲裁にあたって当事者の卦配さんだけしか調べていません。その他の客のことまで守秘義務もあり返答しかねます」

 桃宮は黙った。

 葉奈子は拍子抜けした。JAは、仲裁弁護士ですら相手にしないつもりだ。


 弁護士の口ぶりから察するに、顧客管理名簿がないのはおかしいようだ。助手の本田は会話の中に入らぬ。一心不乱にノートパソコンに記録をしている。桃宮はあくまで仲裁という立場だが片方がこういう態度だと仲裁自体成立はしない。葉奈子は己の知識のなさ、弁理の立て方の無知がくやしかった。

 金融ADRは不成立になった。時間にしてわずか十分で終わった。あちらから資料なりの提供がないと話がすすまない。そして次はない。どうでもすすみたかったら、JAを相手に訴訟をするしかない。隣の大阪地方裁判所に行って原告として訴状を提出しないといけない。それも美富子相手ではなく、JAに。仮にそこまでしたとて、美富子の不正を証明できぬ。

 葉奈子はつくえの上に顔を伏せそうになるのを必死で我慢した。仲裁センターへは、今更どうにもできぬことを思い知るために行ったようなものだ。


 金融ADRは一時間もかからず、あっけなく終了した。奥本たちは桃宮に丁寧に礼をいい、葉奈子には何も言わずに部屋を去った。予測はしていたが成果ゼロとは思わなかった。

 桃宮はまだ部屋にいる。葉奈子は桃宮に問う。

「あのぅ、先生。私は今後どうしたらいいでしょうか」

 桃宮は葉奈子に顔を向けて明快に返答する。

「ご希望であれば今後の相談に応じます。私の名刺を差し上げます。事務所はこの建物の裏にあります。今日はこれから隣の大阪地裁に行かねばならぬので事務所に電話をして予約してください。初回三十分は無料でそれ以後は料金がかかります」

「……」

 葉奈子は名刺をいただき、頭を下げてその場を去った。桃宮は無表情のままだ。本田は気の毒そうに葉奈子を見つめるだけだった。





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