第八話・金融ADRへの準備
第八話・金融ADRへの準備
葉奈子はJAトータル大阪のホームページを見る。次の手を考えるのだ。画面のつくりは非常によかった。農協の歴史もすべてわかるようになっている。
……お客様からの声を真摯に受け止め、迅速な解決に努めるとともに、分析・業務改善活動を通じて商品や各種サービスの開発・改善に活用します……
これは、うそだ。
美富子がのびのびと仕事ができるはずだ。そしてお金に不自由のない生活を楽しんでいた。そしてその嘘が暴かれそうになったらその相手の実の姪に対して全く関係のない容姿を貶める発言をする。旅行会社の接待で無料だったくせに、連れて行ってやったのにと恩知らずと罵る。そんなことをいう美富子になんの遠慮があろう。
苦情受付の流れを閲覧する。サイトマップにはJAの別機関についてのリンクも貼ってある。それをクリックすると、JAバンク東京相談所のホームページが表れた。
……JAバンク東京相談所でも、JAバンクに関するご相談・苦情をお受けしております。公平・中立な立場でお申し出をうかがい、お申出者のご了解を得たうえで、ご利用の組合に対して迅速な解決を依頼します……
そうさせていただきましょう。葉奈子はここまで来たらあとにはひけない。文面は続く。
……以下は、話し合いで解決できない場合にご利用ください。
一、「JAバンク東京相談所」に申し出、受付後、お取引のあるJAなどと事実確認、話し合い。
二、 JAなどとの話し合いで解決できない場合、「JAバンク東京相談所」に「仲裁センター」の利用を申し出。
三、 申し出は、「一般社団法人JAバンク東京相談所」経由で弁護士会などの「仲裁センター」に取次ぎ、あっせん・仲裁手続きへ。
弁護士という単語が出てきてぎょっとする。裁判ではなく、仲裁センターとあるので、また別の意味があるのだろうか。それもわからない。
葉奈子は例のセンターに電話を入れた。大島と名乗る男性の声がした。最初からの事情を話しかつ、新毛支店もJAトータル大阪の本店も相手にしてくれなかった話をする。大島はついで各種資料のコピーも必要だというので、東京相談所のホームページに記載されていた住所に送付する。
大島には美富子の横領の話をしても驚いた風はなかった。よくある話なのだろうか。ただ当時の組合長の不倫話と、実の弟に機関紙の編集会社をやらせている話には反応していた。資料を送付した翌日の夕方にはすぐに葉奈子の携帯電話に返答が帰ってきた。JAトータル大阪の対応とは全く違う。葉奈子は最初から東京相談センターに相談すればよかったと思った。
果たしてその日の夕方、JAトータル大阪本店貯金課長と名乗る男性から電話がかかってきた。
「白糸葉奈子さんですか。こちらは貯金課長の寝間です。このたび東京の方で相談をされた件についてですが、いま、よろしいですか」
「どうぞ」
「過去のJA元職員である豆島様とのトラブルの件ですが」
「は?」
「豆島美富子様の件ですが」
葉奈子は唖然とした。なぜ葉奈子自身に「さん」 で、美富子には「様」 なのか。
「待って。豆島美富子でしょ」
「は、はあ。あの……」
「なぜ豆島美富子に対してなぜ敬称をつけるの。そんなに偉い人なの」
「いや、あの、話を、話を続けさせていただいてもいいでしょうか。今後のことですが」
「以前に要求したことと変わりませんよ。豆島美富子に諮問をしてください。なぜ不正に入出金をくりかえしたのかを聞いてください」
「諮問はしないです。入出金の理由は豆島様、いや、豆島さんに確認を取ったうえで報告します」
「諮問はしない、口頭で報告?」
「そうです。そもそも、豆島さんと白糸さんとは血縁がありますし、本人同士が話し合うのが一番早いかと思います」
あらら。東京相談センターに依頼しても態度が変わらない。葉奈子は失望する。この寝間はおそらく東京の相談センターから何らかの指導を受けたのだ。そうでないと電話をかけてこない。今までのように。
葉奈子はすぐに東京相談センターの大島に電話をかけた。諮問はしない上に口頭で返事すると言いましたがと。効果てきめんで果たして一時間もたたないうちに、寝間から再度電話が来た。
「例の豆島さんの件ですがご自宅に伺って直に話してきました」
敬称が治った。美富子に会ったのか、ちょっとは話がすすんできたかな、と、葉奈子は録音ボタンを押す。
「豆島さんは、JAを利用せず、直接会いに来て聞くようにと言っていました」
「それで」
「……終わりです」
まるで子供の使いだ。これが本部の貯金課長か。葉奈子はあきれた口調を隠さず話す。
「あのですね。この件で豆島美富子が私に直接電話してきたのは後にも先にも一回だけです。しかし筋違いの罵倒をするだけでした。だから第三者を利用したのです。JAトータル大阪ってそういうことしかできないのですか。諮問をする以前の問題だと感じます」
「白糸さん。当方こそ困ります。それ以外の回答はできかねます」
「だって私が通帳の本当の持ち主ですよ。その私が知らない入出金があるからどういう操作をしたかを聞くのはJA側に聞くのは当然でしょう。それなのにきちんと対応をしてもらえないのはとても残念です」
「でも、そういう回答しかできません」
言葉遣いは丁寧だが、なめられている。葉奈子には弁護士はいない。バッグに有力な政治家もいない。しかし美富子にはそれがある。金脈も権力もある。葉奈子は鎌で腕を怪我をした公男を思った。美富子の広大な畑の真中で一人亡くなった公男を思った。心底からくやしいと思った。
葉奈子は台所のすみにあるパソコンを開く。ブックマークをしていたJAの事業の一つであるJAバンクの経営理念を改めて眺める。
……JAバンクは全国に民間最大級の店舗網を展開しているJAバンク会員(JA・信連・農林中金)で構成するグループの名称です。 JAバンクはグループ全体のネットワークと総合力で、地域の皆さまに、より身近で便利、そして安心なメインバンクとなることを目指しています……
JAトータル大阪の新毛支店ではそれはなされてなかった。平成の時代でわからないということは、昭和の時代はもっとわからない。当時は新毛農協として独立していた。今より職員の数は少なかっただろう。美富子以外でも横領もやりたい放題だったか。まさか。
JAは職員の採用にあたり、元々組合員の家族や子弟であることが暗黙の了解だ。当時の好景気が美富子に味方をしたのか。このまま誰にも知られずに逃げ切るのか。それを暴こうとする葉奈子が悪いのか。現に葉奈子はJAに露骨に疎まれる立場になっている。
葉奈子は東京の相談センターの大島にこの顛末を知らせた。大島は驚いていた。
「……ふむ」
「はい。JAトータル大阪は、ホームページに不審点があればご相談くださいと親切ごかしに電話番号を書いても、うそでした」
「白糸さん」
「はい」
「正式に弁護士を介入させます。金融ADRの対象になりますので、必要書類をそちらに送付します。ご記入の上、再度こちらまで送付ください」
「金融ADRですか。ホームページにもその言葉はありましたが、よくわからないです」
「申し込み資料を送付します。それをみてください。料金はすべて無料です」
東京相談センターも無力か。金融ADR……葉奈子はだんだんと大がかりになってくるのに驚く。
JAの金融ADRとは、利用者とのトラブル、つまり紛争を、弁護士などの紛争解決委員が和解案を提示するなどして、裁判以外の方法で解決を図る制度です、とある。
英語読みの略号がADRなのだ。
こういう制度はJAだけではなく、どこの銀行でもあるようだ。ただ制度自体は比較的新しい。平成二十一年にできたばかりだ。紛争を裁判で解決しようとすると、利用者側の負担が重くなるため、指定紛争解決機関が中立・公正な立場から簡易で迅速な解決手段を提供する。それだけ金融機関と利用者のトラブルは多い。特に近年はゆうちょの簡易保険、通称かんぽの高齢者に対する不適切販売が話題になっている。これもADRでどのぐらい解決できるのか。
葉奈子は続けてJAトータル大阪の文面を白けた気分で眺める。
……組合員など利用者のみなさまは、JAバンクの大切なお客さまです。JAバンクでは、お客さまにご満足いただけるよう、日頃より心がけております。ご利用に際してご不満などを感じられた場合にはお取引JAなどのお取引窓口までお気軽にお申し出ください。JAバンクは、より一層の「安心」と「信頼」をお届けするために、お客さまの声を誠実に受け止めます……
葉奈子に対してどこが誠実な対応ができたのか。横領は時効だとしても葉奈子の通帳の不正使用に関して元職員の美富子に事情を聞くことすらできない。他の地域のJAもそうであるとすれば、JAの横領事件が後を絶たないわけだ。JAのホームページは口当たりの良い言葉の羅列だが、こういったトラブルに巻き込まれると、組織として機能をしていないと感じる。
葉奈子は東京相談センターから送付されてきた資料を読み込み、時には頭を抱えながらJA職員としての美富子を告発する文面を書いた。横領が仮に事実だとしても時効で調査のしようがない。動かないだろう予測がつくのでこの件は一切書かない。母親の通帳も時効のことがあるので、書けない。葉奈子の通帳は平成十一年の覚えのない入出金の記載について聞く権利は十分にあるはずだ。
葉奈子は金融ADRを利用して美富子が通帳で何をしたかを見極めようとする。それを知ってどうするかはまだ決めてない。美富子には無断で人の通帳を利用して私腹をこやす手段にされたことを忘れない人間がいる、それだけをJA側にも知らしめたい。そして美富子から謝罪をさせたい。
」」」」」」」」」」
東京相談センター御中
これは、相手方元従業員豆島美富子による、申立人、白糸葉奈子、並びにその母、卦配春子らの通帳の不正操作に関し、諮問の開催とその結果を文書で通知すること、ならびに長期にわたる不正操作に対し謝罪を求める申立です。
◎◎◎ 申立の趣旨
① 申立人の通帳と印鑑を承諾なしに、口座から用途不明の印紙税、覚えのない貸付利息を引き落とすなどの操作をし、かつ申立人母の国税局の還付金受け取りの口座指定と出金をした相手方元従業員の豆島美富子の諮問をすること。
② 上記の諮問後に申立人に対し、その内容を文書で知らせること。
③ 相手方は申立人に対し、元従業員の豆島道子が無断で通帳の不正操作をしたことを認め謝罪すること。
相手方
JAトータル大阪
本店所在地 大阪府東大阪市専利里五丁目
事務所本店及び支店 十三か所
申立人が相手方に対し主張する申立の根拠(立証方法)
一、証拠書類①② 申立人の身元(戸籍謄本)
二、証拠書類③ 相手方の身元(登記事項証明書)
三、証拠書類④ 申立人の過去の通帳が返還されないため、相手方に紛失届を出したうえで、取引履歴の出力をしたもの。ただし一部しかない。取引履歴の名義が卦配となっているが申立人と同一人物であることは、証拠書類①で確認できる。
四、証拠書類⑤ 同じく通帳の返還がないため、相手方に紛失届を出したうえで取引履歴を出力したもの。ただし一部しかない。申立人母名義のもの。
◎◎◎申立人の主張する具体的事実。
申立の経緯並びに証拠書類の説明
一、申立人並びに申立人母は、相手方元従業員の豆島美富子に通帳と印鑑を信頼して預けていた。この豆島美富子は昭和三十二年に高校卒業後、相手方に勤務していた。申立人らは豆島美富子を信頼し通帳も印鑑も手元に置かずチェックもしなかった。
二、申立人母が病床につき、申立人が鳥取県立病院に転院させた。この時に申立人らの過去の通帳や実印がないことに気づいた。豆島美富子が請求人に対して実印は返したと言い、かつ通帳を返却しようとしないことに不審を感じ、相手方の新毛支店に出向き、紛失届を出すという形式で過去の取引履歴の出力を依頼した。
三、しかしながら取引履歴は一部しか入手できなかった。(証拠書類⑤)。
四、申立人は取引履歴上で覚えがない貸付利息や印紙税の出金記録を見た。以下は証拠書類④で確認できる。
五、次いで申立人母の口座に国税還付金や項目不明の契約日と期日が記載されてあった。特に平成十年九月二日に国税還付金として四十二万千八百円の入金があり、同日に同金額が引き出してある。(証拠書類⑤)申立人母は巨額の還付金が出るような土地の売買などの取引は一切していない。
六、申立人はこれら取引履歴を得て、相手方新家支店長の奥元氏に不審点の説明を求めたが、こちらで美富子に対して諮問をするといった。しかしそれ以降奥本氏からは申立人に対して連絡はなかった。
七、平成三十一年二月十五日に豆島美富子が義妹で同居の豆島芳江の携帯電話を使用して、申立人の携帯電話に連絡をしてきた。「調査をやめろ」 という内容であった。この電話の会話で悪い心証が得られた。
つまり、豆島美富子は不正操作をしたという自覚があると感じた。相手方の奥本支店長からは連絡なく、進展がないので、改めて東京の相談センターに電話相談をした。
八、相談センターから話がいったのか、すぐに相手方から連絡があったが、何も行動をしなかった。申立人は諮問をしてほしいと再度希望した。
九、相手方から一切の連絡がないので、再度東京の相談センターに連絡した、すると同日の夕方に相手方から電話があった。しかし申立人が希望する事項に踏み込まず進展がなかった。
十、東京の相談センターからは正式に金融ADRの利用をすすめられ、申立人はこれを利用することにした。
十一、相手方は東京の相談センターが動いたときに限り、申立人に対して行動を起こす。申立人は、新毛支店長、ついで、相手方本店ときちんと手順を踏んで疑問を解決しようとしてきた。最終的に東京の相談センターを利用し金融ADRをすることになった。この半年の間、相手方はそれら経緯を把握しているにもかかわらず、申立者の疑問の解決に一切向き合わなかった。以上により、申立人は相手方が申立の趣旨通りのことを実行されることを望む。
なお相手方の職種は、顧客の大切な財産を預かることになる立場上、強い責任感と誠実さが求められるはずである。しかし相手方は申立人に対して理念通りのことをしなかった。それは、証拠書類④⑤、並びに上記に記した一連の対応でも明らかである。相手方は申立人に向き合わず、それどころか元従業員の豆島美富子の伝言役に徹している。申立人は自身が金融ADRを実際に利用するとまでは思わず、ここまでこじれたのは相手方が元従業員の豆島美富子に対してなんら行動を起こすことができなかったことによる。諮問開催時は豆島美富子に対し阿ることをしない人、白紙の状態で接することができる人が担当された方がよいかと思う。
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……一週間ほどで今度は仲裁センターから通知が来た。大阪弁護士会館で仲裁センターがあるのでそこで金融ADRをすると。期日は五月の中旬で平日だ。また休暇を取らねばなるまい。
担当弁護士名も書かれている。谷町十六丁目法律事務所、桃宮美亜とある。弁護士の免許証番号らしき数字も併記されている。女性である方が発言しやすい印象だが、美亜という現代風の名前の印象が強く、大丈夫だろうかという不安を持つ。文面の下記には申立人側、つまり葉奈子には費用が一切かからぬ旨も明記されていた。
……当相談所は弁護士会などと協定を締結し、弁護士会などが設置・運営している「仲裁センター」にお取次ぎいたします……
大島は少なくともその言葉通りのことをしてくれたわけだ。葉奈子の申し立てを無視する奥本支店長たちよりも、よほどましだ。でも美富子は、そういった舞台には一切出てこない。葉奈子はJA自体を追い詰める気はないのに、こうなってしまった。それはとても残念に思う。
ただ、夫の昇からは「そこまでやるんか」 と咎められた。これはショックなことだった。結局美富子を責めずJAの不手際を責める手しかないならば、すでに退職している美富子にはダメージはない。やるだけ無駄だという。彼らは葉奈子のやることを応援しない。でも、反対もしていない。義父の仁は忠告する。
「君のお父さんの人生を思えば、美富子叔母の意向に翻弄されていたともいえる。だから、やりたいことを気のすむまでやったら、ええ。しかし美富子叔母も元の職場に対して決まりが悪い思いをするだけで、それでおしまいじゃろ」
姑にあたる茂子も言う。
「はあちゃんの気持ちもわかるが、昔のことを蒸し返す女としか見られん。お金の問題ではないことはようわかるよ。しかし、あんたにゃ、早矢香がいる。早矢香の事だけを考えて生きればええけぇ」
最後に昇は言う。
「お義父さんがまだ生きておられるときには、そういう話は一切なかった。実印の返還話やこき使われているという不満めいた話もなかった。だからお義父さんは何も思わずに死んだはずだよ」
公男からもらった給料をやりくりして購入した小さな指輪を見せびらかす春子の後ろで、部屋の掃除をしていた公男。
葉奈子の思い出の中の公男はいつでも背中を見せている。右手にブラシか掃除機を持ってどこかを綺麗にしている。そして何も言わずに亡くなった。
美富子の繁栄は、春子の無知と信頼、公男の死を栄養として大きくなったとも思える。だからこそ後にはひけない。必ず謝罪させたい。美富子を責めるにはまず彼女を雇用したJAを責めるしかない。
そこから穴があけば美富子を責める材料が出るに違いない。葉奈子は勝算ありだと思っている。




