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来し方行く末   作者: ふじたごうらこ
第一章  来し方
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第二話・豆島の一族



 春子は門を外側から閉めながら、公男に聞こえるように声を張り上げる。

「お風呂の掃除もしといてやぁ。帰りは遅ぅなるけどちゃんと湯も沸かしといてやぁ」 

 それから先に歩く。石ころだらけの道の先は夕焼けで赤い。

 葉奈子たちが住まうこの新毛東町の家の周囲はアパートが多い。いわば新興住宅街だ。このあたりで家の門があり、庭があり、木造の二階建てで、玄関で金魚を飼っている家は葉奈子のところだけだ。アパートは田んぼの合間にぽつぽつと建ち、年々その範囲が広がっている。東の方へ行くと園鉄専利里駅があるが徒歩十分はかかる。

 新毛本町へは駅とは逆方向に歩く。家の裏のアパート二棟は、豆島文化住宅という名前で、春子の実家の持ち物だ。全て賃貸で出している。名義は葉奈子の祖父、豆島芳夫とその妻の夕子になっている。一軒あたり各部屋の広さは、四十ヘーベーぐらいだろう。一棟あたり上に六軒、下に六軒の世帯が入り、一つのかべでつながっている。ほぼ全員が府道沿いに点在している機械工場の工員とその家族だった。賃料は毎月はじめに店子がそれぞれ葉奈子の家に現金で持参する。つまり春子は、実家である豆島家の不動産管理をしている。全世帯の集金がすむと、春子が毎月実家に持参する仕組みになっている。

 葉奈子はそのアパートの入居者から「卦配のおじょうちゃん」 と言われている。春子は「新毛本町の豆島家の長女さん」 だ。

 門を出る際に葉奈子は心の中で、にわとり小屋に収められているチャボの「くろちゃん」「しろちゃん」 に「いってきます」 と声をかける。門の隅にまだ咲いている紫色のあじさいにも。しおれかけたツツジにも。

 門を出ると茶色の木製の壁と反対側の道沿いに、ひまわりが整列している。葉奈子よりも背が高いのにもう日が沈むのだと嘆いてしょんぼりしているようだ。葉奈子はひまわりたちにも心の中で話しかける。

「さあ、元気をだして。明日にまた、お日様がのぼる。だから悲しまないで」 

「きょろきょろせんと、さっさと歩きなさいや」 

 先に歩く春子からだ。葉奈子はあわてて前を向く。

 田んぼと家を背に、アパートを通り、専利里駅と反対方向に五分ほど歩く。雨上がりでカエルが鳴いている。新毛小学校の通学にも使う歩きなれた道だ。すぐに水平に車が行き交うのが見える。大阪府道の平方街道だ。このまま行くと新毛交差点にでる。ここまでが新毛東で、横断歩道を渡るとそこから先が新毛本町になる。

 歩道を渡り新毛本町の道路沿いに数分歩くと、バスの停留所がある。そのすぐ前にあるのが、葉奈子が通学する東大阪市立新毛小学校の門だ。そのとなりに美富子が勤務する新毛農協の建物がある。小学校の木造の校舎よりも規模は小さいが、鉄筋で窓が縦長だ。外観も茶色っぽくいかめしい。その横に食堂、理容室、衣料品店、酒屋が並び小さな商店街になっている。その奥に入ると、急に静かになり、ぐねぐねと曲がる道の両脇に古い家が向かい合わせに建ち並ぶ。新毛東町と新毛本町は、町全体の雰囲気が違う。

 葉奈子が住む新毛東町は、どこから来たかわからぬ流れ者が住み着く町だ。一方、新毛本町は東大阪でも大きな田んぼを所有する農家が多い。

 春子の実家の豆島家はすぐ隣の豆島本家とあわせ、新家本町の大きな一区画を占める。春子の父であり葉奈子の祖父の豆島芳夫は分家にあたる。本家の豆島一夫とは実の兄弟。

 本家の一夫が兄で、芳夫が弟。兄弟二人にはそれぞれ、八尾市背譜町の谷村家から姉妹で嫁いできている。つまり、本家の豆島一夫の方には姉の朝子が嫁ぎ、分家の豆島芳夫の妻、葉奈子の祖母、春子の実母の夕子が嫁いだ。

 大昔から親戚同士という間柄で、代を重ねるごとに婚姻を繰り返している。だから両家の冠婚葬祭には顔がよく似た一族が出入りをする。

 芳夫と夕子の間には四人の子どもがいる。まず長女の春子でこれは卦配公男に嫁いだ。その一人娘が卦配葉奈子。現在春子三十一才。

 次女が例の美富子で葉奈子にとっては叔母にあたる。まだ独身で背譜高校を卒業後一貫して新毛農協に勤めており、新毛を代表する美女とされる。二十九才。周囲からは「みっちゃん」 と呼ばれて親しまれている。

 三女が秋子で「あっちゃん」 と呼ばれている。二十七才。去年の秋に小坂の鈴木広司に嫁いだばかりで、おなかに赤ちゃんがいる。広司は秋子と同じ年で大手商事に勤務する。しかし今年の春になぜか退職して得意の英語を生かして貿易会社を起業した。次いで四女も実はいて冬子というも、二才弱で肺炎で夭折した。

 以後、豆島家では子供はできないと思っていたがその十年後に思いがけず男子に恵まれた。これが長男の豆島継彦だ。昭和時代はまだ男性優位の社会なので跡継ぎには男子が尊重される。やっと男児を産んだ夕子は周囲から「でかした」 などと褒められたという。継彦は現在十八才、近畿大学農学部の一年生。長女の春子とは実に十三才違い。

 卦配葉奈子十才、その母春子三十一才、豆島美富子二十九才、鈴木秋子二十七才、豆島継彦十八才。

夕子は我が子の名づけに春夏秋冬とそろえたかったが、美富子だけ違うのは理由がある。本家にいる夕子の姉、朝子のせいだ。豆島本家でも女ばかり三人の子どもがいる。春子や美富子秋子、継彦の従姉妹にあたる。が、末っ子を除いて全員年上だ。

 まず豆島本家長女が鈴子、愛称は「すずちゃん」。早くに大阪市東成区の杉山健一に嫁いだ。四十才。しかし健一は株で失敗し倒産、家屋敷も失ったが二年前から一念発起、小さな喫茶店チェーンを経営し成功を収めた。鈴子はそこで経理の仕事をしている。子供が二人いる。葉奈子と又従姉妹にあたるがずっと年上にため、一緒に遊んだことはない。

 次女が久子、これも八尾市の農家、木村信三に嫁いだ。彼は、園鉄線八尾駅沿いに細長い土地を所有し、駅の高架建設が始まると同時に倉庫業を開始した。業績は順調で最近は田んぼを作るのをやめて遊んでいる。久子、信三ともに三十七歳。次の子も女で久子の出生八年後に生まれた。その名が夏子。二十九才。この夏子の命名に問題があり、夕子が美富子を妊娠した際に周囲におなかの子は夏子と決めていることを告げていた。それにもかかわらず、姉の朝子は妹の夕子よりも半年早く女児を産み、その子に「夏子」 と名付けた。名前を盗られたということで、壮大な姉妹喧嘩になったらしい。が、さきに戸籍に入れてしまった方の勝ちだ。

 夕子は仕方なく、そしてより美しくお金に恵まれる娘に育つように「美富子」 と名付けた。出生届を出した日に、姉の朝子と乳児の夏子に向かって「名前で勝った」 と言い切り、再度、姉妹喧嘩になった。しかし夏子と美富子は従妹同士としては仲が良い。夏子は同じ新毛本町の幼馴染の今西真守と結婚し、同時に東大阪に数多い工場と契約して、荷物を運搬する流通業を開始した。これも倍々で業績が伸びているという。夏子は内気な性格でいつでも従姉妹の美富子に対して一歩ひいた卑屈な態度を取る。

「みっちゃんてえらいなあ、よう働いてお金をいっぱい稼ぐし、なんでもできる。それに豆島家一番の美人やで」 

 逆に美富子からは夏子に対して、家来のような扱いをする。

「ちょっと、なっちゃん。あんた、黄色のフリルのブラウスは似合わへんで。一応それでも運送会社の社長の奥さんやろ。もっと落ち着いた色にしたらどうや」

 夕子はそれを見て予言が当たったと笑う。当然朝子はおもしろくない。が、美富子の口利きで子供たちの会社の起業資金の融資を無審査で農協から受けたという恩義があるので頭があがらぬ。

 

 地蔵盆だが、今年は本家ではなくその隣の分家、春子の実家で親戚一同が集まる。理由はほぼ一年かけた増改築が完成したお披露目を兼ねている。豆島一族は正月と盆と彼岸にはどちらかの家で集合する。新毛本町における豆島一族の結束は固い。

 豆島家では両家とも世帯主が元気で存命なのに、どちらもおばあちゃんの家という言葉で通じていた。背譜の谷村家から姉妹で嫁ぎ先の豆島両家の財布をしっかりと握り、采配をしているからだろう。兄弟との仲は良く、その嫁同志つまり姉妹同士での喧嘩は結構あったようだが、新家本町の田んぼに高速道路が横断する計画が持ち上がり、その土地買い上げの交渉事に農協勤務の美富子が金融に詳しいということで一切をまかせられた。

 結果、それぞれに一億円の現金が転がり込んでいたという。豆島一族以外にも新毛本町に住む住民のほとんどがこの高速道路建設の土地に田んぼを持っていたのですべてが金持ちになった。よって、新毛本町を歩くと建設中、改築中の家が目立つ。戦後の好景気の延長もあり全世帯の金回りがよい。特に豆島分家では。どうかすると本家より目立っている。例の土地の売却相談に気軽に応じてくれる美富子の存在が大きい。

「しっかりとした次女さん」

「若いが頼りになる」

「気も強いので相手方との交渉時に農家とバカにされないで話をすすめてくれる」

「みっちゃんがいてほんまによかった」 

 農協でもらう給料と交渉ごとの成立のたびに礼金をもらうこともあり、美富子は好きなだけ宝石を買える。しかもまだ独身で美人だ。あちこちから嫁にしたいという縁談が毎日のように降ってくる。専業主婦である春子は装飾品では太刀打ちできない。それでも春子は美富子に姉として張り合っている。小さな宝石を買うのが精いっぱいの生活なのに。


 春子は公男によく言う。

「実家へ行ったらどの引き出しにも現金が束になって置いてあるねん。いつなにがあるかわからへんから、ちょっとは現金も置いておかな、てな。あぁ、私はあの家の長女なのに。あなたと早うに結婚して損した。おばあちゃんが下に妹が二人もいて、つっかえてしまうからさっさと嫁に行けというから。私が男やったら、豆島の財産全部総取りやのにぃ、好きなだけ宝石が買えるのにぃ」

 公男は無言だ。

「私がそう愚痴ったら、おばあちゃんが、春子には苦労をさせたから、こうして新毛東の南向きの一番ええ土地をあげた。せやからここで大きな顔をして住める。生前贈与すると税金がすごいので、今はおじいちゃんの名義やけど、おじいちゃんや私が死んだらこの土地のみならず現金もちゃんとあげるって言うのよ」

 公男は俯いて庭だと草引き、家の中だと台所の流しをみがく。それでなければ二階の部屋で設計図を引く。春子は公男がどこかに逃げると今度は幼い葉奈子を相手に自慢を続ける。

「うふふ、豆島家がここまで成長したのは春ちゃんのおかげでもあるからなあって言うのよ。みっちゃんではなくてね。お父さんが卦配家の長男でありながら無一文で追い出されても、ほれ、ちゃんと私の実家がよくしてくれるでしょ、お父さんは私と結婚して得をしたのよ」

 葉奈子はこんな春子が嫌いだ。損だ得だという話になると永遠に続くのかと思うぐらいに同じ言葉を繰り返す。そして公男を悲しませる。それがわからないのはなぜだろう。


 しかし今夜は地蔵盆。春子の自慢話はおばあちゃんの家ではしないだろう。それは良いことだ。 狭い道をバイクとすれ違い、危ないと春子に手をつながれる。屋根や壁にシートを張ったままの家は増改築中だ。結構多い。

 空の赤味は消えうせ、星空が見える。その下で母娘は路地を歩いていく。道路は舗装されていない。この暑さでも雑草は元気で、道端につんつんと伸びて時には葉奈子の足をくすぐる。おまけに蚊にさされる。まるで葉奈子に一緒に遊んでくれないともっと痒くしてやろうとでも言うように。

 浴衣に隠れているはずの腕と太ももがすでにやられてかゆい。片手がつながれているので、葉奈子はあごで生地ごしに刺された二の腕をこする。まだかゆい。

 おまけに少し歩いただけなのに、もう足指が痛む。足の親指と人差し指に鼻緒が食い込むのだ。でもこの日のためにおろしたものだから葉奈子は我慢する。春子に言ってもどうにもならない、というのはもうすでにわかっている。

 

 新毛本町の昔ながらのぐねぐね道をまがると、ちょうちんの明かりが見えてきた。人が集っているざわめきを感じると葉奈子はどきどきしてきた。

「……こんばんは、と、ちゃんと言えるやろか……」





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